2023年5月26日

柳瀬疑惑が究明されるまでは、難民不認定処分を受けた人の送還をすべて停止すべきでは?


 昨日(5月25日)の国会では、野党の追及でとんでもない事実が暴露されました。難民審査参与員、柳瀬房子氏が1件あたりにかけていた平均審査時間は、(最大長く見積もって!!)12分!!!!!!


難民審査参与員は「難民認定手続きの専門家」ではない――「12分の審査」の闇 - Dialogue for People(ダイアローグフォーピープル)Dialogue for People


 上記リンク先の記事から引用します。


衝撃的な数字が示された。難民審査参与員の柳瀬房子氏の審査件数が、2022年は二次審査全件4740件のうち1231件(勤務日数32日)、2021年は全6741件のうち1378件(勤務日数34日)にも及ぶことが、5月25日の参議院法務委員会で明らかになった。参与員は110人以上いるにも関わらず、異様な偏りが浮き彫りとなった。

この数字を単純計算した場合、柳瀬氏は参与員として1日あたり40件もの難民審査をしていたことになり、たとえ1日の勤務時間が8時間だったとしても、1件あたり「約12分」だ。実際には1日あたりの勤務時間はさらに短いと考えられ、調書などに目を通しているのかなど疑問符がつく。少なくともこれを「慎重、適正な審査」と呼ぶのはあまりに無理があるだろう。


 柳瀬氏は、こんなずさんな「審査」をしながら「難民の認定率が低いというのは、分母である申請者の中に難民がほとんどいないということを、皆様、是非御理解ください」(参考人として招致された2021年4月の衆議院法務委員会での発言)などと言ってたわけです。

 柳瀬氏の証人喚問なしに法案の採決はありえないということは、はっきりしました。

 柳瀬氏は難民審査参与員という立場から、送還逃れのための濫用的な難民申請が多いので、不認定処分を受けてもくり返し難民申請する人は送還してもよいのだという政府・入管の主張に根拠を与えてきた人物です。その柳瀬氏が、一件あたりたった12分(以内)でどうやって難民かどうかの判断をしていたのか。そこを究明しなくて、3回目以降の難民申請者は強制送還してもよいことにする法案を採決するなどありえません。

 言うまでもないですが、難民審査は人の命にかかわることです。すくなくとも柳瀬氏が参与員として担当した案件については、適正な審査であったのか、そのすべてをさかのぼって検証すべきではないでしょうか。柳瀬氏は2005年の制度創設時から参与員をつとめているということなので、むろん検証はそこまでさかのぼってなされるべきです。

 また、難民認定が根本的な機能不全をきたしていることがもはや「疑念」にとどまらずあきらかになっている以上、難民申請中の人のみならず、不認定処分を受けた人の送還の執行は(収容もふくめて)すべて停止するのが筋ではないかと思います。




関連

齋藤法相の虚偽答弁の謝罪撤回と柳瀬房子氏の証人喚問を求める要望書 - 入管の民族差別・人権侵害と闘う全国市民連合


柳瀬氏の証人喚問を求め、参院法務委員会の委員長・理事あてにFAXを送るよう呼びかけられています。ハッシュタグデモも。

【入管法改悪法案を廃案に!】ハッシュタグデモとFAX要請の呼びかけ - 入管の民族差別・人権侵害と闘う全国市民連合


柳瀬氏以外の参与員の問題も昨日の国会審議では浮上しています。

浅川晃広参考人質疑の衝撃 出身国情報は「たまに」見る。ほとんどは見ないで3800件を判断|koichi_kodama


2023年5月13日

「すがってはいけないワラ」とか言うなら浮き輪でも投げて助けろよ 入管法審議での維新・梅村氏の発言について

 

 参議院本会議での入管法改定案の審議で、梅村みずほ議員(日本維新の会)が支援者を攻撃する発言をしたことが話題になっています。


「支援者がウィシュマさんに淡い期待させた」 維新・梅村氏が発言 [維新]:朝日新聞デジタル(2023年5月12日 20時30分)


 梅村発言に対してはSNSなどでもすでに多くの批判がなされているようですが、私としても思うところがあるので、いくつか書きとめておきたいと思います。

 梅村議員は、法務大臣への質問としてつぎのように述べています。以下にしるした梅村氏の発言は、リンク先の動画から文字起こししたものです(23:11あたりから)。


2023年5月12日 参議院 本会議 - YouTube


 つぎに入管被収容者に対する支援のあり方についておたずねします。医師の診療情報提供書や面会記録等をふくめた資料とともにウィシュマさんの映像を総合的に見ていきますと、よかれと思った支援者の一言が、皮肉にも、ウィシュマさんに「病気になれば仮釈放してもらえる」という淡い期待をいだかせ、医師から詐病の可能性を指摘される状況につながったおそれも否定できません。自分が何とかしなければという正義感や善意からとはいえ、なかには一度も面識のない被収容外国人につぎからつぎへとアクセスする支援者もいらっしゃいます。難民認定要件を満たしているのに不当に長期収容されているのではないのか、弱い人を救いたいという支援者の必死の手助けや助言は、場合によってはかえって、被収容者にとって、見なければよかった夢、すがってはいけない藁(わら)になる可能性もあると考えますが、法務大臣はどのようにお考えでしょうか。[太字強調は引用者] 

 梅村氏の発言を検討するまえに、確認しておくべきことが一点あります。それは、入管は入管法という法にもとづいてであれ、ウィシュマさんを収容し、その自由をうばっていたということです。ウィシュマさんは、施設に監禁されて、自分の意思で行きたいときに病院に行くこともできず、診療先の病院や医者を選ぶこともできませんでした。したがって、入管は自分たちが収容しているウィシュマさんに適切な診療を受けさせ、その命と健康を守る責任を負っていたということになります。

 一方、ウィシュマさん本人にも、支援者にも、その力はありませんでした。もし収容(=監禁)されているのでなければ、ウィシュマさんは自分の意思で病院に行き、希望していた点滴治療を受けることができたでしょうし、支援者もウィシュマさんを病院に連れていくこともできたでしょう。しかし、入管がウィシュマさんを収容していたため、ウィシュマさん本人も支援者もそれができませんでした。そして、唯一、ウィシュマさんに適切な医療を受けさせる権限・能力をもっていた入管が、その責任をはたさなかったために、ウィシュマさんは命を落としたのです。

 それが、なんですか、この梅村さんの言いようは。権限・能力のあった入管の責任を問うかわりに、その権限・能力がなく、ウィシュマさんの入院と点滴治療を入管に求めるしかなかった(そして実際にくり返し求めた)支援者に責任を転嫁するとは、あべこべにもほどがあります。権力を持ってる者にはとことん甘く、それを批判する者にあべこべに責任を転嫁するのは、いかにも右翼の維新らしい卑怯な詭弁です。



 ただ、わたし自身、支援者のはしくれのそのまたはしくれぐらいのことをやってますけれど、梅村氏の発言において支援者が攻撃されている点は、まだガマンできます。支援者攻撃以上に注目しなければならないのは、梅村氏がウィシュマさんについて、また被収容者について、何を言っているのかということです。

 梅村氏は「淡い期待をいだかせ」と言っています。ウィシュマさんに「淡い期待」をもたせたのが問題だ、わるかったのだと言うわけです。「被収容者にとって、見なければよかった夢、すがってはいけない藁(わら)」とも言っています。拘束を解かれて施設から出たいという希望が「見なければよかった夢」? 何を言っているんだ、この人は。

 わたしは支援者のはしくれとして、国に帰れば命の危険があるから帰れないという被収容者に多く出会ってきました。送還されれば家族と離ればなれになってしまうという人、送還先の国が知り合いもおらず見知らぬ国だという人とも、たくさん会ってきました。「帰れ」と言われても帰れない。あるいは日本で生まれ育ったから「帰る」とすれば帰る先は日本しかない。そういう人たちが、送還されるのではなく、不自由な仮放免状態であっても施設の外に出て暮らしたいというのは、いだくべきでない「淡い期待」であり、「見なければよかった夢」だと言うのか。

 梅村氏が言っているのは、「淡い期待」「夢」などもたずに、さっさと帰国しろということです。しかし、ウィシュマさんは元交際相手の暴力をおそれ、帰ることはできないとうったえていたのです。ようするに、梅村議員が「期待」「夢」なんかみるなと言うのは、お前なんか死ねと言っているのにひとしい。梅村氏は「すがってはいけない藁(わら)」などとほざいてますが、帰国すれば殺されるかひどい暴力を受けるかもしれないと言って藁にもすがろうとしていたのを、それは「すがってはいけない藁」だと言い放っているのです。「死ねばいい」と言ってるのとなにがちがうんですか。「すがってはいけない藁」だと言うなら、「すがってもよい浮き輪」をどう投げてやれるのかということを、ふつうだったら考えようとするものだけど。しかし、梅村氏が言うのは、「藁なんか投げずに、おぼれるにまかせよ」ということです。どうかしてます。



 ところが、この維新梅村氏の発言は、収容や送還をめぐって入管が言ってきたこと、また実際にやってきたことを少しも逸脱するものではありません。だから、その意味ではわたしにはあまりおどろきはありませんでした。入管がいつも言い、やってることだ、と。

 ウィシュマさんが亡くなったのは2021年の3月6日です。奇しくもその前日、当時の上川陽子法務大臣は、記者会見でおどろくべき発言をしています。わたしは、この発言をあちこちで引いて話をしてまして、このブログでとりあげるのも何度目かよくわからないぐらいですが、しつこくこの話をするのは、この法務大臣の発言に体のふるえるほどの怒りをおぼえているからです。


 2点目の収容期間の上限を設けるということについてでありますが,収容期間の上限を設けますと,送還をかたくなに忌避し,収容期間の上限を経過した者全員の収容を解かざるを得なくなるということになります。また,収容を解かれることを期待しての送還忌避を誘発するおそれもあるということでありまして,適当ではないと考えたところでございます。

法務省:法務大臣閣議後記者会見の概要


 このとき、いま参議院で審議されているのとほぼ同じ内容の入管法改悪案が国会に出されていたのですが、収容期間の上限を設定しないのはどうしてなのかという趣旨の記者の質問に対する上川大臣の答えが、上に引用した部分です。

 「収容を解かれることを期待しての送還忌避を誘発する」のだと上川氏は述べています。たとえば6か月以上は収容できないと法律に書きこむと、被収容者が「収容を解かれることを期待」するからダメなのだと。よくもこんなことを記者会見で言える(入管の役人の書いた原稿を「読んだ」のでしょうけど)ものだと思います。

 上川氏が、あるいはその原稿を書いた役人がここで正直にゲロってるとおり、「期待」「希望」「夢」をみさせない、あるいはそれを徹底的に打ち砕くために、入管は収容(=監禁)という措置をもちいています。なんとか収容を解かれて施設の外に出たい。その「期待」をもたせないために、収容期間の上限はあえてさだめない。そうして「淡い期待」を粉砕することで、帰国を強要するということをやっているのが、入管の収容施設です。

 「人間を絶望させる」ということ。それは入管にとっては、許されざるべき悪徳ではなく、収容施設に組み込まれた(組み込まれるべき)必要な機能だというわけです。「淡い期待? そんなもんぶちやぶってやればいいんだよ」「おぼれそうな人間に藁なんか投げるなんて、かえって本人がかわいそうじゃん。ほっとけばいいのに」というようなことをべらべらしゃべってるのが、入管の幹部役人であり、法務大臣であり、いま出されている入管法改悪案に賛成している梅村氏のような議員なのです。およそ倫理観のぶっこわれた連中であって、こんな人たちが成立させようとしている法案は廃案一択です。おぼれそうな人がいたら助けるもんだろうよ。私はそういう社会にしたいよ。


2023年5月5日

「難民認定率が低いのは分母である申請者のなかに難民が少ないからである」という宮﨑氏や滝澤氏の主張のおかしさ

 

TBS番組での宮﨑議員の発言

 5月2日(火)、BS-TBSの「報道1930」という番組で「人口減少ニッポンの危機 外国人受け入れ拡大には課題山積」と題した特集が放送されました。番組では、衆議院議員の宮﨑政久氏(自民党法務部会長)、指宿昭一弁護士らをゲストにむかえ、国会で審議中の入管法改定案などが議論されました。

 放送後に指宿弁護士は自身のフェイスブックに以下の投稿をしています。

 

宮﨑政久議員(自民党衆院議員・党法務部会長)は、「飛行機で日本に逃れて来る人の多くは難民ではない、徒歩や船で来るのが難民だ」という趣旨のことを発言されたが、これは大きな間違い。ボロボロな服を着て、徒歩や船で他国に逃げ込む人だけが難民だというイメージは現代では通用しない。飛行機に乗って、ビジネスパーソンや観光客と区別のつかない身なりで入国するのが現代の難民。

 法案を提出した与党が、この根本的なところで誤った認識を持っていたなら、今からでも、衆議院本会議での採決を止めて、真剣に廃案を検討すべきではないか?


 先日(4月28日)、入管法改定案が衆議院法務委員会で可決されたわけですが、その自民党の委員で党の法務部会長の難民についての認識がこのレベルだというのは、おどろくべきことです。本当にこんなこと言ってるのかと番組を視聴してみると、たしかに言ってました……。なんとまあ。



当初TBSが公開していた動画は現在では
「この動画は非公開です」と表示され、
視聴できなくなっている。


 ただ、TBSが当初YouTubeで公開していた番組の動画は、すくなくとも4日の18:00ごろまでは視聴できたのですが、おなじ日の23:00すぎに再生しようとしたら、なぜか非公開になっておりました。TBSはべつのURLで動画を公開しなおしていますが、もともと番組全体で60分55秒あった動画は47分37秒と短くなっており、飛行機でパスポートをもって日本に来るのはうんぬんという宮﨑議員の発言や、これに対する指宿弁護士の反論などの箇所はごっそりとカットされています。どうして新たに公開された番組動画でそこが消されているのかわかりませんが、私は途中まではその部分を文字起こししていたので、そのデータをこのブログ記事の末尾にのせておきます。


番組内でつかわれたフリップ


 さて、番組の公開しなおされた動画では消去されている部分。番組のキャスター(松原耕二氏)が「まず宮﨑さんにうかがいたいんですが、先ほど宮﨑さん、難民の認定率が低いのは、分母である申請する人のなかにもともと本当の難民がいないんだというふうにおっしゃっている、まあ入管もそういうふうな主張をしているんですが」と話題をふったのに対して、宮﨑氏は以下のような主張を展開します(正確な文言は末尾の文字起こしを参照してください)。


  1. 世界的にみて難民として認定されている人の70%超は隣国から避難してきた人である。
  2. 世界で難民認定されている人の出身国ベスト5は、中央アフリカ、シリア、アフガニスタン、コンゴ、ホンジュラスである。
  3. 日本は島国なので、入国してくる人は基本的に飛行機に乗って来ることになる。
  4. 基本的には飛行機に乗ってパスポートを持って入国してくる日本と、他国と陸続きになっていて隣国から着の身着のまま歩いて入国してくる人のいるヨーロッパ諸国とでは、前提がちがう。


 宮﨑議員は、日本の難民認定率が低いのはなぜなのか、またそれが低いのはおかしいのではないかという話題で1~4のようなことを言ってるんですけど、意味わかりますか? 私はぜんぜん理解できません。

 1が事実なのだとして、それが日本の難民認定率が低い理由の説明になるでしょうか? なるわけないでしょう。隣国に避難する難民もいれば、飛行機に乗って遠くに避難する難民もいるというだけのことです。どちらの選択が当人にとって有利なのか、あるいはそもそも選択肢などなく、どちらか一方のしかたでの避難をせざるをえないのか、その人のおかれた状況によってさまざまあるでしょう。しかし、移動の方法や距離によって、その人が「本当の難民」なのかそうでないのかが左右されますか? 左右されるわけありません。隣国に歩いて逃れられる可能性が高そうであれば、それにチャレンジするということがあるでしょう。一方、近隣の国に陸路で入るよりも、査証がとりやすかったり相互査証免除の協定のある遠くの国に飛行機で行くほうが入国が容易、あるいは安全にできそうだという場合もあります。避難や入国の方法や距離は、その人が自国で受けうる迫害の深刻さとはぜんぜん別の話です。

 2については、なんでここでその話がでてくるのか、意味不明、わけがわかりません。この5か国のなかに、4で言われている「ヨーロッパ諸国」の「隣国」である国はひとつもありません。なぜヨーロッパ諸国の難民認定率が高くて日本のそれが低いのかという理由の説明にはなりません。



宮﨑発言の元ネタは滝澤三郎氏?

 このように宮﨑氏の議論は、いちいち反論する価値もないものです。だって、あまりにもむちゃくちゃすぎて何を言っているのか意味不明なんですもの。理屈になってないのだから、反論のしようもありません。

 宮﨑氏は入管の役人のレクチャーをもとにしゃべっているのでしょうが、おそらくその元ネタはアレだろうという見当はつきます。元UNHCR職員という肩書でいつも入管の擁護・代弁をしている滝澤三郎という人物です。

 以下、滝澤三郎編著『世界の難民を助ける30の方法』(2018年、合同出版)所収の、滝澤氏による「難民認定申請者は増えるが難民認定者は少ない理由」という文章から抜粋します。


 なぜ、日本の難民認定は、これほどまでに少ないのでしょうか?

 第1の理由は、大半の難民は日本に来ないということです。日本は多くの難民が発生する中近東やアフリカの紛争国家から遠く離れており、来日手段は航空機以外にはなく、航空券代は高額で、ビザの取得も困難です。難民は国を選ぶ際に、歴史的つながり、同じ国の人のコミュニティの有無などを考慮しますが、地理的な遠さは決定的で、多くは隣国に逃れます。


 たぶんこれが宮﨑議員の主張の元ネタですよね。いま現在めだった紛争状態になくて「平和」「平穏」にみえても、政治的な主張や属する集団、セクシュアリティなどによって投獄されたり殺害されたりするおそれのある人は、難民条約で保護の求められる難民であるわけで、なぜ難民が生じるのが「紛争国家」に限定されるかのような議論になるのかとか、つっこみどころはあるわけですが、そこはおいておきます。しかし、先の宮﨑氏の主張同様、その「紛争国家」からの距離と可能な移動手段が飛行機のみであることが、どうして日本の難民認定が少ないことの理由の説明になるのか、まったく意味不明です。

 だいたい、日本のきわめて低い認定数・認定率のなかで現に難民認定されている人たちの出身国をみても、ミャンマーだったりエチオピアだったりアフガニスタンだったりウガンダだったりしますが、みんな飛行機で来てるではないですか。先日、裁判をとおしてトルコ出身のクルド人としてようやく初めて日本で難民認定をえた人も、飛行機で来ています。



滝澤氏が屁理屈をこねてまで言及を避けようとするのはなにか

 滝澤という人の文章はいつも全体的に支離滅裂でなに言ってるのか意味不明なのですが、どうしてそうなるかというと、無理筋な入管擁護の屁理屈を並べ立てようとするからです。言ってることが屁理屈だから、わけのわからないものになるのは当然です。

 滝澤氏は先の文章で、「なぜ、日本の難民認定は、これほどまでに少ないのでしょうか?」と問うたあとに、上の引用したところをふくめて5つの要因を指摘しています。それぞれいろいろとつっこみどころがあるのですが、ここではいちいち立ち入りません。スキャンした画像をあげておきますので、滝澤氏がどんな屁理屈をこねているのか興味のあるかたは読んでみてください。私が重要だと思うのは、この5つの要因とやらを述べたてながら、滝澤氏が「なにを言っていないか?」「なにについての言及を避けているのか?」という点です。


上記『世界の難民を助ける30の方法』58頁より


同書59頁より


 滝澤氏がけっして語ろうとしないのはなにか? 入管の難民認定審査のやり方の問題です。これについてはいっさい言わない。意地でも言わない。UNHCRの難民認定基準ハンドブックにのっとった審査をしていないとか、日本独自の個別把握論とか、入管に批判的な専門家が指摘している問題がいろいろあるわけじゃないですか。そこにはぜったいふれない。

 難民調査官や難民審査参与員は、国際法についていちじるしく無知で、申請者の出身国情報もろくすっぽ調べずに審査にあたっている者が多いということなどもよく指摘されます。退去強制業務ふくめ出入国の管理をになう入管という組織が、保護すべき難民をとりこぼさずに認定して保護するということが同時にできるのか(人間の管理と保護を同一の組織で両立できるのか)、という問題とか。難民申請者に立証の機会を確保し保障しているということができているのか、という問題もあります。やたらめったら収容して身体拘束して、通信・交通をいちじるしく制限するのは、申請者が自身の難民該当性を立証することの妨害にすらなっているのではないか、とか。

 日本の難民認定率が他のいわゆる「先進国」と比較して異常に低いという動かしようのない事実があり、それが入管の難民認定審査が適正におこなわれていないことの反映ではないかということは、このようにさまざまな観点から考えられます。

 しかし、そういった難民審査のありかたの問題、入管の問題について、滝澤氏はいっさい無視。知らんぶり。言及しない。そういうわけで、5つの要因を述べたあとのまとめが以下のような文章になってしまう(太字強調は引用者)。


 以上の理由をまとめると、法務省の難民認定が少ないのは、難民をたすけるべき人というよりもやっかいな存在とみなす政治的環境の制約を受けており、また島国という地理的条件の中ではぐくまれてきた、難民に閉鎖的な社会的意識が反映されたものといえるでしょう。日本の『難民鎖国』には重層的で構造的な障壁があり、これを崩すのは容易ではありません。


 ほら、意地でも入管が悪いとは言わないぞという意思がビシビシと伝わってくるでしょう? 「政治的環境」(国会議員の意識・行動)や「社会的意識」が問題だというところまでは言うけれど、入管の難民審査のやり方は、けっして問題にしないわけです。「日本の『難民鎖国』には重層的で構造的な障壁があり」などといって自分は問題の重層性・構造を認識しているのだと読者に示唆するけれども、入管の問題にふれることは全力で避けようとしています。なーにが「重層的で構造的な障壁が」だよ。

 宮﨑議員の主張の元ネタであろう、「紛争国家」からの「地理的な遠さ」がうんぬんと書いてるところなんかも、あきらかに理屈がおかしいのですけど、入管擁護のために無理筋な屁理屈をこねるからこういうわけわからんおかしな話になるのです。

 で、入管という組織はこういうおそまつな理論武装しかできていない。外国人への敵愾心・警戒心をあおり、それによって自分たちの組織と業務への「国民」の理解・支持、あるいは黙認・無関心を獲得できれば十分だという広報戦略できたものだから、言ってることは滝澤レベルの屁理屈でよいとナメきってるわけです。それで、入管の役人は滝澤レベルの屁理屈を与党議員にレクチャーしたところ、議員はそのおかしな理屈をテレビでべらべらしゃべって恥をさらしているという情景が、私たちがいまBS-TBSの「報道1930」で見たところです。

 それにしても、こんなデタラメな主張、「屁理屈」という言葉でも評価が甘すぎるようなふざけた議論をもとに、難民申請者を送還しようという人間の命にかかわる法案が審議されているのは許しがたいことです。くり返しになりますが、宮﨑政久氏は衆議院法務委員会の理事であり、自民党の法務部会長です。そして、滝澤三郎氏はその衆議院法務委員会の審議で参考人として呼ばれ、意見を述べています。こんな難民申請者の人命をもてあそぶ屁理屈を、根拠も示さずにイメージ・印象論でしゃべってる連中が通そうとしているのが、このたびの入管法改悪法案だということです。ぜったいに廃案に追いこめるよう、声をあげましょう。


以 上



関連記事

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資料:BS-TBS「報道1930」(5月2日)からの文字起こしデータ

 以下は、番組の松原耕二キャスターが「まず宮﨑さんにうかがいたいんですが、先ほど宮﨑さん、難民の認定率が低いのは、分母である申請する人のなかにもともと本当の難民がいないんだというふうにおっしゃっている、まあ入管もそういうふうな主張をしているんですが」と話をむけたのを受けての宮﨑政久氏、指宿昭一氏、また松原キャスターの発言を文字起こししたものです。

 なお、冒頭で述べたように、TBSが当初YouTubeに公開していた動画は4日の夕方か夜以降、非公開に設定されて視聴できなくなり、新たにその後TBSが公開した番組動画では、以下の文字起こしした部分はすべてカットされています。


宮﨑:それと、ごちゃごちゃになっているというのは、先ほど私のコメントを画面でお出しになったことの、いま松原さんご質問あった件ですけども、分母として、ようするに難民認定の数が少ないというけれども、実際として、参与員の発言も左側に引いていただいていますけれど、実際少ないというのはですね、たとえばUNHCRの出しているものでも、難民として認定されている人の73%は隣国に避難をして認定されている。いま、上位5か国はどこかというと、中央アフリカ、シリア、アフガニスタン、コンゴ、ホンジュラスなんですよ。つまりこういうところで本当に困ってらっしゃるかたがいて、

松原:つまり世界で難民として認められているベスト5をおっしゃった

宮﨑:ベスト5ですね。で、73%の人は隣国に避難をしている

松原:隣の国なんだと

宮﨑:つまり、我が国に来るためには、日本は島国でありますから、航空機に乗って基本的には来ないといかんわけです。もちろん、アジアの周辺国で事態が起これば、本当に着の身着のまま海を渡って来るかた、いらっしゃるということも想定できますけれど、現状さっきおっしゃったような国々からするとですね、基本的に飛行機に乗ってくるかたになっているわけです、入国するかたというのは。そういったことがあるので、先ほどご指摘、この画面上で参与員のかたがご発言になっているように、航空機代を払ってビザをとってパスポートをもって入国してきたかたが多いわけですから、そういうかたが前提になっている日本と、あと、地続きになっているヨーロッパ諸国の、たとえば歩いて避難をしていくみなさんが、映像などワールドニュースなんか出てきますけれど、そういうところとの違いがあるということは理解していただきたいというのが1点目。

松原:飛行機に乗ってパスポートをもらって来る人は、多くは難民じゃないだろうと

宮﨑:ええと、つまり数が少ない、率が低いということを言うときに、参与員のかたがおっしゃっているとおりですね、いったん、たとえば着の身着のまま隣国に逃げていった、たとえば今日ドイツでも、そういうワールドニュースの映像なんかも見たことも何度もありますけれども、そういった国々とは入国の、日本に入る入り方が違うということもあるので、そういった事情も影響している。ただ、ただですね、ただ、先ほどご指摘にあった、たとえばミャンマーのかたであるとか、アフガニスタンのかたとか、そういうかた、日本のなかでも難民認定しているかたもおりますし、またあとで数字出てくるとゆうふうに知ってますけども、難民でなくてもですね、たとえば条約上の難民のものでなくても、戦争であるとか、

松原:わかりました。それはあとでやらしてください。ちょっと指宿さん、今の話ですけど、飛行機に乗ってビザを取ってくる人は、多くは難民じゃないんだ、と。だから、着の身着のまま、たとえば歩いてくる、あるいはボートピープルのような人が難民なんだ、と。だから日本がもともと分母が少ないことは当然じゃないかとおっしゃったように聞こえた。どうご覧になりますか。

指宿:私はまったくそうは思わないですね。それはたんなるイメージ。難民というものに対してどういうイメージを持つかだけで、飛行機で来る難民はたくさんいると思います。だって政治難民ですから、おもにはね。さっきのミャンマーのミョウチョーチョーさんにように、その国で政治活動をして、国にいられなくて逃げてくる、飛行機で来る人もいれば、船で来る人もいますよ。日本はたしかに海に囲まれている国だから、そのどっちかで苦しかないですね、ほとんどは。まあ、密航船というのもなくはないですけど。だから、そのイメージでもって難民じゃないと言われたら困るし、宮﨑先生も、それから参与員のかたも、なにを根拠にそうおっしゃるのか、どういうデータにもとづいておっしゃるのかが、私にはわからない。

松原:そういうデータはあるんですか。飛行機に乗ってパスポートをもって来る人は多くは難民ではないと。これはイメージだと思うんですけど、たしかに。

宮﨑:松原さん、そこはね、ひっぱりすぎですよ。つまりね、どうして難民認定率が低いのか、数が少ないのかといったときに、地続きのところでなんとか命からがら逃げてくる……[これに続く部分は、番組動画が削除されたため、文字起こしできず]


2023年5月2日

外国人登録令、日本国憲法、そして改悪入管法案

 

 76年前の今日(1947年5月2日)、日本国憲法が施行されようとしていたその前日、「外国人登録令」が天皇によって発せられた。日本国民であったはずの旧植民地出身者(朝鮮人、台湾人)を「外国人とみなす」として外国人登録を義務づけた天皇の勅令である。

 一方、その翌日に施行されることになる日本国憲法は、いくつかの条文で権利の主体を「人民」「人びと」「人」ではなく、わざわざ「国民」と表現している。

 いずれについても、旧植民地出身者に対するほとんど「敵意」としか言いようのない関心をみてとることができる。「なにがなんでもお前たちに日本人と同等の権利なんぞ認めないぞ」と。そのための小細工が、(外国人でない者を)「外国人とみなす」という詭弁を法令に書きこむことであったり、「人民」「ピープル」を「国民」に置きかえることであったりしたのだ。

 そして、この「お前たちの権利なんかけっして認めないぞ」という執念のような邪悪な意思は、現在も在日朝鮮人、あるいは外国人住民全般や難民申請者に対する政策を規定しつづけている。

 いま、入管法改定案が国会で審議されている。おどろくのは、外国人の生殺与奪を入管がますます握ることになるこの改定案に、あたかも「修正」の余地があるかのような議論が一部でなされていることである。

 外国人に対する憲法の基本的人権の保障は在留制度の枠内で与えられるにすぎないという、人権よりも入管の裁量を重くみる恥知らずな最高裁判決(1978年、マクリーン事件判決)がいまだにいきている日本で、どうして入管の権限を強化する法案に「修正」の余地があると考えられるのだろうか。外国籍・無国籍の住民の権利を保障する基本法をまずは作ろうという議論すら出ていないなかで、なぜ退去強制という、処分を受ける側にとっては命にもかかわりうる重大な処分を入管がより「迅速かつ効率的に」執行するための法案に、「修正」の余地があるなどと主張できるのか。

 保障すべき権利をきちんと法で規定すること。つまりは、1947年のあやまちをただすこと。なによりもまずすべきことは、それではないのか。



《注》

 外国人登録令と日本国憲法については、1年前の5月2日にもこのブログで論じているので、興味のあるかたは読んでみてください。

外国人登録令と日本国憲法 憲法記念日の前日に