2022年5月2日

外国人登録令と日本国憲法 憲法記念日の前日に


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  きょう5月2日が何の日なのか、あらためて思い起こしておこうと思います。


 1947年の5月2日は、天皇裕仁が最後の勅令「外国人登録令」1を出した日です。これは、旧植民地(朝鮮・台湾)の出身者を「外国人」とみなし、「外国人登録」を義務づけたものです。新しい憲法の施行を翌日にひかえた日、大日本帝国憲法が効力をもつ最後の日に天皇が発したこの勅令は、日本の入管制度、外国人管理制度の起源(のひとつ)と位置づけることのできるものです。


 外国人登録令の第11条は、「台湾人のうち内務大臣の定めるもの及び朝鮮人は、この勅令の適用については、当分の間、これを外国人とみなす。」としています。「みなす」と言っているところがミソです。朝鮮人や台湾人はこの当時日本国籍をもつ日本国民であったわけです。それを「外国人とみなす」として日本に在留する朝鮮人・台湾人に外国人登録を強制し、管理の対象としたのです2


 その5年後、サンフランシスコ講和条約の発効(1952年4月28日)にともない、日本政府は、朝鮮人・台湾人の日本国籍を、本人たちの意思にかかわらず一方的に剥奪しました。もちろんこれ自体がきわめて不当な措置ですが、この国籍剥奪までの5年間、日本政府は、朝鮮・台湾の出身者を日本国民だけれども「外国人とみなす」という奇怪な身分に置きました。


 こうして入管制度・外国人管理制度の始まりが、管理すべき対象としての「外国人」なる存在を“みいだした”、あるいはもっといえば“あらたに作り出した”ところにあったのだという点は重要な意味をもっているのではないでしょうか。


 さて、外国人登録令は、日本国憲法が効力を発する47年5月3日のまさに前日に公布され同時に施行された、という点も見過ごせません。


 日本国憲法は、いくつかの条文で権利の主体を「国民」と表現しています。たとえば基本的人権について規定する第11条は「国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる」となっています。この憲法が施行される前日の5月2日になって急遽「外国人」とみなされることになった朝鮮人・台湾人は、この新しい憲法が基本的人権を保障している「国民」にふくまれたのでしょうか?


 さきにみた外国人登録令第11条の規定は、「台湾人のうち内務大臣の定めるもの及び朝鮮人は、この勅令の適用については、当分の間、これを外国人とみなす」というものでした。「外国人とみなす」ということが適用されるのはあくまでも「この勅令」(外国人登録令)であって、憲法にこの規定が適用されるというわけではないでしょう。その意味で、憲法の「国民」には旧植民地出身者である朝鮮人・台湾人をもふくまれたと解釈するのが妥当なように思えます。そもそも、この人たちは当時の制度上、日本国民であることは疑いようのない人びとであったわけです。「外国人」ではなく日本国民であることは動かしようのない事実であったからこそ、外国人登録令はわざわざそれを「外国人とみなす」ということにしなければならなかったのでしょう。


 でも、実際問題として、日本国憲法が施行されたのちも、旧植民地出身者は国民でありながら国民としての権利をうばわれていたのはあきらかです。日本国籍をもつはずの在日朝鮮人らは、外国人登録を強制されました。「公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である」という条文(第15条)のある新憲法施行後も、国民として選挙権を行使することはできませんでした。そして、日本政府は52年の講和条約発効を機に国籍を剥奪した3


 こうしてふりかえってみると、現在の入管制度にもつながる日本の外国人政策は、その出発点から徹底して道理を欠いたムチャクチャ、デタラメなものだったということが言えると思います。


 と同時に、(詩的にすぎる表現かもしれませんが)日本国憲法はそれが効力を持ち始めた最初の日から「外国人」の権利についてはすでに死んでいたのだという思いをいだかざるをえません。それを生かす機会はいく度もあったかもしれません。しかし、生かせないまま今日にいたっているのだということには、あらためて向き合わなければならないと思っています。



1: 外国人登録令の条文は以下で読めます。
  外國人登錄令 - Wikisource
 また、ウェブ上で読める解説として、以下のページがくわしいです。
 外国人登録令(1947年) | key-j 


2: このように外国人登録令は、日本国民であるはずの朝鮮人と台湾人を、国民ではないものとしてあつかうというものでした。これとよく似ているのが、1945年12月の衆議院議員選挙法の改定です。従来の選挙法では、女性の選挙権・被選挙権を認めない一方で、朝鮮・台湾の成人男性は「国民」として選挙権・被選挙権を行使することができました。ところが、女性の参政権を認めた45年の選挙法改定は、「戸籍法の適用を受けざる者の選挙権および被選挙権は、当分の内、これを停止す」との附則によって、朝鮮人・台湾人の男性の選挙権・被選挙権を停止するものでした。朝鮮人・台湾人の戸籍は朝鮮・台湾にあり、内地に戸籍を移すことは禁じられていました。こうした戸籍法の規定をつかって、朝鮮人と台湾人を選挙から排除したのです。45年に成立した戦後の新しい選挙法は、旧植民地出身者を「国民でありながら国民ではないもの」としてあつかうものであったと言えるでしょう。 


3: 今回の記事でとりあげた外国人登録令や、注2でふれた朝鮮人・台湾人の参政権を停止した措置については、田中宏『在日外国人 新版 ――法の壁、心の溝――』(岩波新書、1995年)などを参照しています。


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