2022年9月19日

専門的な知識がないと救急車を呼べないのか?

【ふりがなを つける】(powered by ひらがなめがね)



  2014年に東日本入管センターに収容されていたカメルーン人男性(「Wさん」とします)が死亡した事件について、遺族が国に賠償を求めていた裁判。16日に水戸地裁で、国に165万円の賠償を命じる判決が出ました。


8年前入管施設で外国人男性死亡 国に賠償命じる判決 水戸地裁 | NHK(2022年9月16日 19時21分)


 判決は、職員がWさんを救急搬送しなかったことについて注意義務をおこたったと判断したものの、そのこととWさんの死亡とのあいだの因果関係までは認定しなかったということのようです。


 入管が救急搬送をしなかったことをふくめ、Wさんに診療を受けさせるのをおこたったことが、死亡原因についての評価をむずかしくしているわけですから、因果関係がはっきりしないことをもって国の責任が限定的にしか認められない(賠償金額が低くなる)というのは、原告(遺族)にとってきわめて不公平だなと思います。国はみずからの過失のおかげで責任を回避できたということになってしまうのであって、遺族にとってこんな不条理な話はないでしょう。


 さきのNHKのニュースでは、原告の弁護団長の児玉晃一弁護士の「どこまで立証すれば死亡との関係が認められるのか、という感じだ。国の施設で亡くなった人について、国が死因がわからないとしてしまえば『おとがめ無し』になってしまうのではないか」という発言が紹介されています。


 さて、判決では否定されたものの、この裁判で国はおどろくべき主張をしています。「専門的な知識のない職員が救急搬送の必要性があると認識するのは難しかった」として、Wさんの死亡に対する国の責任を否定しているのです。なんという詭弁でしょうか。


 入管の職員は、被収容者を拘束して自由をうばっているわけです。被収容者からすれば、体調がわるくても自分で病院に行くこともできないし、救急車を自分で呼ぶことすらできない。入管の職員はそうした自由をうばい制限しているからこそ、必要に応じて被収容者に診療を受けさせ、その生命・健康をまもる責任・義務があるのです。


 Wさんは亡くなる前日の3月29日昼前にはベッドから転落し、午後7時過ぎにはくり返し「アイム ダイイング(死にそうだ)」と声をあげていたことが、監視カメラの映像からあきらかになっています。ところが、Wさんを拘束し、Wさんがみずから救急車を呼ぶ自由をうばっていた職員たちは、救急車を呼びませんでした。これは「専門的な知識のない職員が救急搬送の必要性があると認識するのは難しかった」といってすむ話なのでしょうか。


 はっきり言えることは、Wさんが亡くなる前日の状況を、入管の職員たちではなく、仲間の被収容者たちが目にしたなら、Wさんをなんとか病院に連れて行って治療を受けられるよう手をつくしたはずだということです。


 実際、Wさんが亡くなる3日前の3月27日、その容態悪化に危機感をもった被収容者たちは、Wさんを病院に連れていくよう職員たちに要求しています。このとき、Wさんはまだ他の被収容者たちと共用の区画に収容されていました。以下は、仮放免者の会とBONDが、Wさんを知る被収容者たちからの聞き取りにもとづいて入管に出した申入書からの抜粋です。


 カメルーン人・Wさん死亡については、法務省入管は医療態勢の問題があることを認めた。Wさんの容態悪化の経緯について、同じ9寮Aブロックの被収容者たちから聞き取りしたところ、人によって証言に違いがあったが、遅くとも亡くなる3週間前には居室に閉じこもり、明らかな衰弱が認められる状態であったと思われる。Wさん自身は、他の被収容者に自分は糖尿病であると話していた。また3月27日(木)の午前中、目が見えなくなり、歩くことができなくなったWさんの容態悪化に、同ブロックの被収容者たちは、このままではWさんが死亡すると危機感を持ち、即時の受診を求めた。昼食時間の正午になっても彼らは居室に戻らずWさんの即時の受診を求め、12時半ころに、職員が「病院に連れていく」と言ってWさんを連れ出した。法務省入管の説明によれば、Wさんは16日に脚の痛みを訴えたが、医師の診察は27日だったとの事だが、同ブロック被収容者から聞いたところでは、脚の痛みという範囲ではなく、糖尿病への治療が何もおこなわれず、また官給食も他の被収容者と同じ物が支給されており、糖尿病の進行が疑われる。少なくとも27日の午前から正午過ぎにかけて同ブロックの被収容者たちが要求したものは、脚の痛みに限定した診療ではない。

  なぜ東日本センターは、27日に至るまでWさんを受診させなかったのか、また27日以降にしてもなぜWさんの諸症状に対する総合的な診察を受けなせなかったのか。28日にはWさんは知人と面会しているが、その時は、Wさんは職員に両脇を抱えられて面会室に入って来、極度に衰弱した状態だったと聞いている。27日以降に限定して考えても、28日、29日と、一日一日、死へと向かうWさんを救急搬送していれば、30日の死亡は回避できたかもしれない。1


 もし、この仲間の被収容者たちが、亡くなる前日(29日)のWさんの状況を見たならば、なんとかして命を救おうと動いたはずです。ところが、27日以降、Wさんは9寮Aブロックから連れ出され、仲間たちの目の届かないところに移されてしまっていました。Wさんがベッドから落ちもだえ苦しむ様子を見ることができ、119番に電話をかけて救急搬送を要請することが可能だったのは職員たちだけでした。そして、職員たちは、Wさんを拘束して自由をうばっていた以上、その生命・健康を守る責任がありました。


 9寮Aブロックの仲間たちも、入管によって収容され身体を拘束されていました。Wさんに対して入管職員の負っているような責任があったわけではありません。しかし、Wさんの亡くなる前日の状況を知ったら、救急車を呼ぶよう職員たちに強く働きかけたであろうことは、27日の行動からみて、まちがいありません。当然ながら、被収容者たちは「専門的な知識のない」人たちです。


 国は裁判で「専門的な知識のない職員が救急搬送の必要性があると認識するのは難しかった」と主張しました。しかし、この理屈はまったくおかしなものです。「救急搬送の必要性があると認識するのは難しかった」というと、まるで職員が救急搬送の必要性があると《判断できなかった》かのように聞こえます。しかし、職員は救急搬送の要請を「しなかった」のであって、その行為が示しているのは、「救急搬送の必要性がない」と《判断した》ということなのです。救急搬送の必要性を《判断できなかった》のではなく、その必要性がないと《判断した》のです。「専門的な知識」をもった医者でもないくせに。


 「専門的な知識がないから救急搬送の必要性が認識できなかった」などという言い訳は通用しません。専門的な知識がないからこそ、異常な様子がみられたときには早急に専門家(医師)にみせ、その判断をあおがなければならないのですから。専門的な知識がないにもかかわらず、救急搬送の必要性がないとの勝手な判断をしたという点で、職員の責任は問われなければならないのではないでしょうか。そして、こうしたあきらかに非常識な判断を職員がおこなっているというところには、個々の職員の問題にとどまらない、入管という組織のあり方の問題があるのではないでしょうか。




1: 仮放免者の会(PRAJ): 医療問題の抜本的改革をもとめる緊急申し入れ(東日本入管センターに)