2023年4月26日

在留資格のない子の存在は政府の犯罪的不作為の結果である 改悪入管法案は「修正」ではなく廃案に

 

 入管法改定案の「修正協議」などの過程で、政府与党から以下のような話が出ているのだという。ふざけた話だとしか言いようがない。


在留資格ない子に特別許可 政府・与党が検討 入管法改正案:朝日新聞デジタル(2023年4月25日 5時00分)

 難民認定の申請中でも外国人の送還を可能にする入管難民法改正案をめぐり、政府・与党が、在留資格がない子どもらに「在留特別許可」を与える方向で検討を始めたことが、関係者への取材で分かった。修正協議などにおける立憲民主党の要求を踏まえた。


 在留資格のない子どもらに在留特別許可を与えて救済するとのだと聞くと、肯定的に評価してよいことであるかのようについ思えてしまう。しかし、子どもたちに在留特別許可を出すのは現行法においても可能なことだ。現行法でできる(法律を変えなくてもできる)ことが、法律の改定案の「修正協議」で議論されるのが意味不明である。法改定とはぜんぜん関係のない話だ。

 そもそも問われなければならないのは、現行法のもとでも子どもたちを救済できるのに、なぜ今の今まで政府はそれをやってこなかったのか、ということではないのか。そう考えると、こんなもん、責められるべき話であっても、ほめられたり歓迎されたりするような話なんかではまったくない。

 入管庁が公表していた資料によると、2019年11月時点で0歳から20歳未満の被退令仮放免者は339人にのぼるという。300人以上の子どもを、仮放免という働くことが禁じられ、国民健康保険にも加入できず、移動の制限を課された状態に置いたままほったらかしにしてきた(いる)のは、犯罪的と言ってもよいようなことだ。子どもたちに対して、当人に責任のあるはずのない「不法残留」やら「不法入国」だとして退去強制処分をくだし、無権利状態に置き続ける。こんなむちゃくちゃな虐待を国をあげてやってる国が日本のほかにどこにあるだろうか。

 くり返すが、法によって強大な権限を与えられている入管は、その気になればこの子たちに在留特別許可を出すことは可能だったし、今すぐにそうすることも可能なのである。しかし、それをやらずに300人以上の子どもたちを無権利状態に置き続けてきた(いる)のは政府である。みずからの不作為がもたらした問題を、「改善します」と言って野党をだきこむ材料にしようとする政府・与党はあつかましいにもほどがある。

 人をしょっちゅう殴りまくってるやつが、「これからはあなたを殴るのを少しひかえようと思うので、わたしの要求をのんでくれないか?」と言ってくる。たとえるならそういうことではないのか、与党らがこのたび持ちかけてきている「修正協議」なるものは。そいつが殴らなくなる保証はなにもないし、殴らなくなったとしてもそれは「よいこと」などではない。殴らないのはたんにあたりまえのことだ。

 話を在留資格のない子どもたちのことにもどすと、野党はまず、そうした300人以上の子たちの存在が政府の犯罪的な不作為の結果であるということをしっかり認識すべきだ。政府がみずから持っている権限を使ってこの子たちを救済するなどと言い出してきても、ごまかされてはならない。いままでそれをしてこなかったのはなぜなのか、だれが子どもたちを放置することを決定したのか、入管のロジックを暴露するとともに入管の役人どもの責任を追及することこそ、改悪入管法案に批判的関心をもつ野党議員のすべきことではないのか。

 ところで、先ほどのたとえは適切でないところがある。暴行野郎に殴られるのは野党議員ではないからだ。外国人である。殴られるのを容認し、あきらめるのはたんなる「お人よし」ではすまない。それは結果的に政府の人権侵害に加担し共犯者となることである。


2023年4月23日

入管法改悪反対アクション@大阪(4月21日)

  4月21日(金)、梅田ヨドバシ前での入管法改悪反対アクションに参加してきました。

 このアクションは、2月10日から場所をかえながらも毎週金曜日に続けてきたのですが、衆議院法務委員会での法案審議が始まり情勢が緊迫するなか、今回はこれまでで最多の100名超の人が参加しました。

 ひとりひとりのスピーチがほんとうにすばらしかったです。以下のリンク先に動画が公開されていますので、よかったらぜひ聞いてみてください。


TRY(外国人労働者・難民と共に歩む会)のツイッターhttps://twitter.com/TRY_since2007/status/1649353022353604608


 参加者がふえて多様な人があつまると、その関心の質も厚みがでてくるのだなあということ、1+1の和が2よりももっと大きな数になっていくのだということを実感しました。どれもそれぞれの人の思いがこもっていてすばらしかったですが、入管法改悪が優生保護法の思想とおなじだというスピーチ(20:20あたりから)や「外国人だから障害者だからLGBTだからしょうがない」といって命とか人権が自分事ではないものとして切り離されていくことがたえられないというスピーチ(57:20あたりから)が私としてはとくに心にひびきました。

 街の人の反応、チラシの受け取りとかも、今まででいちばんよかったです。入管法改悪に対する批判的な関心は確実に広がっていると感じます。

 国会での状況はすごくきびしいですが、絶対に廃案にできる。あきらめないでがんばりたいとあらためて思いました。



 私もスピーチさせてもらいました(4:10あたりから)。たいした内容ではないですが自分大好き人間なもので、わざわざ自分で文字起こしして下にのっけておきます。

 このところ街頭行動をしながら他の参加者の話などを聞いてて、わたし自身感化されるところが大きいです。どういう言いかたや主張のしかたをすれば広範な人に対し説得的なものになるだろうかということも大事ではあるのでしょうけれど、自分のうちにある思いを率直に出すことでこそ言葉がとどくということがあるのだなということを、他の参加者たちのスピーチを聞きながら考えさせられることが何度もありました。そういうわけで、今回は自分の言いたいことだけを言いたいようにしゃべってみました。

 さっきは街の人の反応がこれまでになくよかったということを書いたのですが、私のしゃべってるときに、「にっぽんから出ていけ」と叫んでヤジってくる人がいました。ちょうど私が問題にし批判していた考え方そのもののヤジがタイミングよくとんできたので、ついつい私も反応して言い返してしまいました。

 以下、原稿なしにしゃべったのを文字起こしたものなので、文としてむちゃくちゃだったりするところもありますが。


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 梅田をご通行中のみなさん、私たちは入管法改悪反対の行動をやっています。

 入管法改悪に反対しているんですけども、「改悪」っていう言葉がありますよね。「改悪」っていうのは、いまある法律をもっと悪く変えるという意味です。入管法っていう法律をもっと悪くする。それはどういう改悪かっていうと、ようするに強制送還をやりやすくする、外国人を排除しやすくする、難民を強制送還できるようにする、そういうような法改悪がおこなわれようとしています。

 で、私たち「法改悪に反対する」っていうと、「もともとはよかった法律が悪くなる、それはまずいよね」っていう話をしたいのかなって思われるかたが多いのかもしれないんですけど、入管法っていう法律に関しては、もともと悪い法律なんです。もともと悪い法律をもっともっと悪くする、そういう法改悪がいま国会でですね、自民党、それとグルになっている公明党、それから日本維新の会なんかもそれにくっつこうとしている。そこらへんの与党と、あと与党だか野党だかよくわからない維新とか、そういう連中が法改悪をしようとしています。

 で、「入管法」、これもともと悪い法律なんです、という話をいま私しました。「入管法」ってどういう法律かっていうと、出入国の管理と在留管理っていうこと、それから難民の審査っていうことをやる、それについて決めてる法律なんですけども。ようするに「入管法」っていう法律は、外国人の住民を管理する法律なんです。人間ってもともと管理するようなものでないです。人間って自由に生きてるもので、それを管理するっていうこと自体がおかしいんだけど、在留を管理するっていうのが入管法っていう法律のもともとの考え方、成り立ちです。

 具体的にどういうことかっていうと、「在留資格」っていうこと、みなさん聞いたことあるでしょうか。日本人の人は「在留の資格」っていうことが問われるってことはないと思います。「あんたなんで日本にいるんですか」っていうこと聞かれないです。私も日本人なんですけど「なんで日本に住んでるんですか?」って聞かれません。でも、日本の社会のいまの入管の制度のもとでは、外国人は「在留の資格」っていうのが、入管っていう役所に「許可」されないと日本には在留できないっていうことになっているんです。それが入管法っていうもともと悪い法律ですね、外国人が日本にいていいのかわるいのかっていうことを、入管ていうおかしな役所が勝手に決める。そういうのが入管の仕組みとしてあるんです。

 すごいおかしいですよね、「在留の資格」って。そこらへんのインターネットとかみてると、ネトウヨとか呼ばれるバカなやつらがなんか外国人に対して「国に帰れ」とかアホなことを言ってることがありますけど、なんの資格があってね、人間がここにいていいのかわるいのかっていうことを決めるんですか、と。おかしいんですよ、そもそもそこが。

 「外国人を管理する」っていう発想がおかしくて、「在留していいかどうか」「日本にいていいかどうか」っていうことを入管っていう役所が [ここで通りすがりの人が大声で「にっぽんから出ていけ、この、ほんまに」とヤジをとばしてくる] こういうアホな右翼がいるわけですよね。「日本にいていいのかどうか」なんでお前が決められるんだって話です。それはああいう右翼もそうなんですけども、入管っていう役所は制度として法律にもとづいて、外国人がいていいのかっていう資格の審査をやるわけです。

 でも、われわれみんな自由なんです。それぞれの事情があります。たとえば入管が在留の資格を認めなくても、自分は国に帰るとあぶないから危険だから帰れないという、そういう事情がある人がいるんです。難民といいます。それから日本の社会では労働力、いろんなかたちで労働力以外でも社会のなかで外国人というのは不可欠な存在です。外国人とともに日本の社会はつくられてきたんです。日本人だけで日本の社会つくってきたわけじゃないです。そういう社会で、入管がたとえば在留の資格を認めない、でも自分が国に帰されちゃったら妻とバラバラになる、夫とバラバラになる、子どもとバラバラになる、そういうふうな人もいます。日本に長くくらしててて、もう自分の国には生活の基盤がないという人もいます。人間はそれぞれいろんな事情があって生きているんです。だから、入管が勝手に在留資格っていうのを決めて、「おまえは資格がないから帰れ」と言われても、そうはできない人はたくさんいますよ。

 すくなくともいま日本社会で3000人ぐらいの人が入管は「おまえは在留資格みとめないから帰れ」って言ってるんだけど、「でもそれできません」と言ってる人が3000人から4000人います。そういった人たちを入管は「お前ら資格ないんだから帰れ帰れ」とそういうことをやろうとしてきたんです。

 で、さらにいまの入管法の改悪っていうのは、難民申請者、日本は条約で国際的な約束事として難民を保護するという約束をしています。だから難民を強制送還できません、難民の申請している人も強制送還できません。それを難民申請中の一部の人を条件つけて、3回目の申請はダメだとかいって強制送還できるというそういう法律の仕組みをつくる。それから送還を拒否する、私帰れないんで帰りませんと言った人を刑務所にぶちこむ、刑事罰をくわえる、そういうような法改悪がいま国会で審議されてます。

 それをなんとかつぶす。で、つぶすだけでは足りないです。私たちが、すくなくとも私が目指しているのは、人間が対等に生きられる、平等に生きられる社会です。だれかが勝手に在留の資格っていうのを勝手に決めて、「おまえは資格がないんだから帰れ」みたいなことを言えないような社会にしたい。そのために、まずこの入管法の改悪、つぶさなきゃいけないし、入管っていう組織、それから入管法というもともとある悪い法律をそのままにしていては外国人の人権も日本人の人権も守られません。人権がちゃんと守られる社会っていうのをいっしょに作っていくことが大事だと思ってここに立っております。

 いま、チラシを仲間がくばってます。入管法改悪反対のチラシです。ぜひ受け取って読んでみてください。そこにはQRコードがあって、署名ができるようになっています。入管法改悪に反対する署名、それもご協力ください。それから入管法改悪、なにが問題になっているのか、どういう問題があるのかということをぜひ関心をもって調べてみてください、考えてみてください。よろしくお願いします。


2023年4月21日

ウィシュマさん事件についての滝澤三郎氏の発言について

 今日は衆議院法務委員会の入管法改定案の審議において、参考人質疑がおこなわれる。4人の参考人のうちひとりは、滝澤三郎氏という人物である。

 滝澤氏は法務省職員ののち、UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)職員をつとめた経歴の持ち主で、元UNHCR職員の肩書で日本の難民政策・入管政策を擁護する発言をくりかえしている。

 この人は、難民政策に関するもろもろの発言もひどいものだらけだが、ウィシュマさん事件について、入管を擁護する発言をしており、これがとんでもなくひどいしろものである。こんな人間に公的な場で発言をする機会をあたえてよいのかと思うような発言であり、国会審議での参考人としての適格性に大きな疑問をいだかざるをえない。

 以下に書き起こした発言は、2021年8月14日に放送された「日経プラス9サタデー」(BS7チャンネル)という番組でのものである。滝澤は、指宿昭一弁護士、木下洋一氏とともにコメンテーターとして出演している。

滝澤:[名古屋入管局長らへの処分が軽すぎるとの指宿氏の発言を受けて]いやね、僕ね、(1)こういう一点、一つのイベント、いろんなけしからん発言も含めてね、それをとらまえて入管全体を評価するとかね、また日本の入管政策全体をおかしくするっていう、その発想に非常に違和感がある。一部をもって全体を判断してはいけないんですよ。

滝澤:[監視カメラの映像を公開した方がよいのではないかという司会者の発言を受けて]そう思いますよ。いずれ出てくると思いますよ、それは。だからね、これは入管庁も思い切って出せばいいんですよ。こんなことで無駄な時間をついやす必要はまったくないです。そのうえで、何が(2)本当の問題なのか、この、ウィシュマさんだけの問題なのか、それともたとえばね、(3)そもそも彼女は帰るべき存在だったんですよ、日本にいてはならない存在だったんですね。そういう人がいっぱいいる。強制送還のために収容されたのに長期にいるのはよくない、解放せよと。解放するとまた逃げちゃうんですよ。そういう問題、いわば国の安全の問題がまったく無視されて、ウィシュマさんのビデオ、それだけで日本中がさわいでいる、きわめておかしいなと、(4)もっと大きな点から、本当の問題はなにかという。外国人、とくに不法に存在する外国人の権利と、社会の、国の権利をどうやってバランスさせるか、両立させるかというところに本当の問題があるんですね。

 以上の引用箇所、下線を引いたところについて。

(1)→人が死んでいるのに「一点」「一つのイベント」「一部」と言ってこれを矮小化しようとするセンスにおどろく。「全体」からみてたいしたことではないのだ、と。

(3)→「帰るべき存在だった」という言い方も、いかにもひどい。「帰るべき存在」「日本にいてはならない存在」だったのに帰らなかったから死んだのだ、本人のせいなのだと言わんばかり。ウィシュマさんに帰責することで被害を矮小化し、もって入管を免責しようという発言で、下劣きわまりない。

(2)(4)→スリランカ人がひとり死んだぐらい「本当の問題」ではない、「もっと大きな点」から大局的に考えるべきだという、これも被害を矮小化するロジック。


  国の施設で人が亡くなったということ、それも見殺しと言えるような経緯で死にいたらしめたということについて、滝澤氏は露骨にこれを軽視する発言をしていることにおどろく。こんな人物を参考人としてまねいて、国会の「品位」はだいじょうぶなんでしょうか。

 この番組でのは2021年の改悪入管法案が反対世論の高まりのなか廃案となったあとのものだが、この法案を通そうとすることがいかに人権の尊重という課題とあいいれないものなのか、如実にあらわれている。

 最後についでに、おなじ番組からこの滝澤という人物のヘイトスピーチとも言うべき発言をひいておく。


滝澤:それからもうひとつ強調したいのは、現行の法律では、殺人犯であってもね、難民申請すれば帰せないんですよ。これがおかしい、これ完全におかしいんですね。

指宿:おかしいですか。殺人犯はちゃんと刑法で処罰すればいいんですよ。で、それとは別の話ですよ。殺人罪は殺人罪で処罰するのと別の話で、なんで強制送還できなかったらおかしいんですか。

滝澤:まさに国家の、社会の不安感ですよ。えっ、日本に行ったら殺人してもずっと日本にいられる。収容解かれていずれは日本に永住するって、それでいいの? まさにこれはね、聞いてるみなさんに聞きたいですよ。

指宿:あのね、そこだけを問題にするにはおかしいと思うな。


 言うまでもなく、殺人犯であっても難民申請者は難民申請者である。指宿弁護士が反論しているとおり、「殺人犯はちゃんと刑法で処罰すればいい」。難民認定審査は、難民該当性があるのかどうかの審査であって、申請者の犯罪歴とは関係なく手続きが保障されるべきものだ。犯罪歴があるから審査中であっても強制送還してもよいなどという理屈は、成り立ちようがない。

 看過できないのは、滝澤はあたかも難民申請者が危険であるかのような印象付けをおこなっていることである。「殺人犯」などという非常に極端な想定をおこなって、複数回の難民申請者がみな危険人物であるかのようにいうのは、きわめて悪質な差別扇動である。滝澤氏は「まさに国家の、社会の不安感ですよ」などとほざいているが、難民申請をする外国人を危険視し、「社会の不安感」をあおろうとしているのは滝澤である。

 滝澤がやっているのは、特定の属性もつ集団について、まるでその人たちが国家・社会の安全・安心をおびやかす存在であるかのような宣伝をおこない、これによって公権力の行使を正当化しようとするものだ。まさに排外主義と言うべきで、こういう人物に発言の機会を提供するメディアの責任も問われるのではないか。



「強制送還を忌避」させないための無期限収容 入管庁西山次長の国会答弁は憲法36条への挑戦ではないのか?


  衆議院の法務委員会で改悪入管法案が審議されていますが、野党委員(立民の寺田学氏)の「収容期限の上限をなぜ設定しなかったのか」という質問に対し、入管庁の次長はつぎのように答弁したそうです。


……出入国在留管理庁の西山卓爾次長は「収容期間の上限まで強制送還を忌避し続ければ逃亡のおそれが多い者も含め、全員の収容を解かざるをえず、確実・迅速な送還の実施が不可能となる」と述べ、上限を設けることは困難だという考えを示しました。

入管法改正案 “収容期間の上限設定は困難” 出入国在留管理庁 | NHK 2023年4月18日 15時41分)


 この入管庁次長の答弁は見すごすべきでない問題発言であって、これをスルーして法案審議をつづけていいものとは私は思えません。その理由はあとで述べますが、そのまえに、この発言、意味不明な部分がありませんか?

 収容期間の上限をもうけると(現行の無期限収容が可能な制度を見直すと)、西山氏は「迅速な送還」ができなくなると言っています。言っていることがおかしくないですか?

 上限なしに(3年でも4年でも5年でも)収容できる現行の制度のもとで「迅速な送還」が実施できていたとでもいうのでしょうか?

 実際は、収容期間に上限がさだめられていないことで可能になるのは、「迅速な送還」などではなく長期収容です。あたりまえの話です。で、収容が長期化しているということは、「迅速な送還」にすでに「失敗」しているということにほかなりません。

 西山氏のような入管の役人が収容期間の上限を法で設定されたくない(無期限収容の可能な現行制度を維持したい)理由は、「迅速な送還」のためなどではありません。そこをウソつくから、しゃべってることの理屈がおかしくなるのです。

 じゃあ、西山氏はなんのために期間の上限なしに収容できるいまの仕組みを維持したいのでしょうか? その答えは、上の短い発言のなかにはっきり示されています。重要なポイントは、西山氏が「強制送還を忌避し続ければ」と語っているところです。被収容者が「強制送還を忌避」することが問題なのだというわけです。つまり、退去強制処分を受け収容されたひとに「送還を忌避」させないために、収容期間に上限がさだめられていてはならないのだというのが、西山氏がここで語っている理屈です。

 収容が帰国強要の手段であること、そこに実効性をもたせるために収容期間に上限を設定されてはならないのだという入管の役人の論理が、告白されているわけです。ここであらわになっているのは、「公務員による拷問及び残虐な刑罰は、絶対にこれを禁ずる」として日本国憲法が第36条で厳しく禁じている拷問を、みずからの手段として肯定している公務員の姿です。このような発言が国会の場で公然となされたことを、みすごしてよいのかということを問いたいと思います。


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 以上で、私の言いたいことはだいたい書いたのですが、補足として、べつのところで書いた文章の一部を、すこし手直ししたうえで以下にのせておきます。過去には、法務大臣などが、上記の西山氏以上に露骨に、帰国強要のための拷問として収容という措置をもちいているのだということを(さすがに「拷問」という語は使いませんが)みずから暴露した発言をしたりしています。そうした例をあげながら、入管収容の問題を解説した文章からの抜粋です。


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入管は被収容者を《わざと》虐待しているということ

 入管施設での「収容」には2通りあります。

 ひとつは、「収容令書にもとづく収容」といって、退去強制事由にあたるのかどうか、退去強制処分をくだすべきかどうかを調べるために施設に拘束するものです。

 もうひとつは、「退去強制令書にもとづく収容」といって、退去強制処分を受けた人を、送還可能のときまで収容するというものです。

 両者とも現に深刻な人権侵害をもたらしているのですが、この資料では2つめの「退去強制令書にもとづく収容」のみをとりあげ問題にします。

 「退去強制令書にもとづく収容」は、あとで示すように、被収容者に帰国を強要するための手段として入管がもちいているものです。いわば、そこでは虐待・人権侵害は自覚的・戦略的におこなわれているのです。つまり、「意図せずに虐待・人権侵害と言うべき事態が起きてしまう」のではなく、わざと被収容者が苦痛に感じること、いやがることを積極的におこなっているのが入管だということです。

 この点が、たとえば介護施設、児童保護施設、病院などでも起こりうる虐待事件と、入管施設における虐待が大きくちがう点です。介護や保護、病気の治療・療養を目的とする施設で虐待が起きれば、それはその施設の本来の目的からはずれたことであって「事件」と呼ぶべきでしょう。しかし、入管は帰国強要の手段として収容をおこなっているのですから、そこで虐待・人権侵害が起きることは意外でも不思議でもありません。

 したがって、入管施設での人権侵害問題は、入管が「本来の」職務を「きちんと」やれば解決にむかっていくというものではありません。入管組織を外部の人間が批判的に監視すること、さらに入管が好き勝手に権力を行使して人権侵害をできない仕組み・法制度を作ることが必要です。そのためには、入管がどのような制度のもとで、どのような方針にもとづいて動いてきたのか、私たち市民が知ることが大事になってきます。



法律上の建前――収容は「船待ち」

 退去強制処分を受けた外国人を入管が「収容」する法律上の根拠は以下のとおりです。


 入国警備官は、……退去強制を受ける者を直ちに本邦外に送還することができないときは、送還可能のときまで、その者を入国者収容所、収容場その他出入国在留管理庁長官又はその委任を受けた主任審査官が指定する場所に収容することができる。(「出入国管理及び難民認定法」第52条第5項)


 これが「収容」の法律上の建前です。すぐに送還できないときは送還可能になるまで泊まっていってもらいますよ、ということです。かつての国会の政府答弁で「船待ち場」という言葉が使われたことがあるのですが、法律上はそれだけの意味なのです。帰国するための船、今では飛行機ですが、それが用意できるまで泊まって待ってもらうということです。



収容が帰国強要の手段であることは入管もかくしていない

 ところが、入管は収容施設をこの建前とはあきらかに異なるかたちで運営しています。そのことを政府や入管当局もかくしていません。たとえば、上川陽子法務大臣(当時)はつぎのように述べています。法務大臣は入管行政の最高責任者です。


 2点目の収容期間の上限を設けるということについてでありますが,収容期間の上限を設けますと,送還をかたくなに忌避し,収容期間の上限を経過した者全員の収容を解かざるを得なくなるということになります。また,収容を解かれることを期待しての送還忌避を誘発するおそれもあるということでありまして,適当ではないと考えたところでございます。(上川陽子法務大臣、2021年3月5日の閣議後記者会見)


 前年(2020年)、国連人権理事会の恣意的拘禁作業部会は日本政府に対し、収容期限の上限を設定していない現行制度が国連人権規約違反であるとの指摘をしています。こうした指摘が政府の入管法改正案には反映されていないではないかとの記者の質問への上川大臣の答えが、上に引用した部分です。

 収容期間の上限(たとえば、6か月をこえて収容しないというルール)をもうけると「送還忌避を誘発するおそれもある」、だから上限をもうけることはできないと言ってます。つまり、「送還忌避」をさせないため、帰国に追い込むために収容という手段を用いてるのだということを告白してるわけです。収容されている側からすると収容期間の上限がないから自分がいつ出られるかわからない、「収容を解かれることを期待」できない、そういう絶望的な状態に置くことで、自分から帰国するように追い込んでいくんだと、そう上川は言っているのです。

 別の例をあげます。「安全・安心な社会の実現のための取組について」と題された2016年4月7日の法務省入管局長通知です。入管の役人のトップから、各地の地方入管局長や収容所の所長らに出された指示です。


 不法滞在者等の効率的・効果的な摘発、送還忌避者の発生を抑制する適切な処遇および積極的な送還執行について、様々な工夫や新たな手法を取り入れるなど、我が国社会に不安を与える外国人の効率的・効果的な排除に、具体的かつ積極的に取り組んでいくこと。[太字による強調は引用者]


 「送還忌避者の発生を抑制する適切な処遇」を実施せよと言っています。「処遇」というのは、施設の入所者に対する医療や食事、衛生、運動時間や自由を最大限に確保するとか、そういうことです。そうした処遇面において「送還忌避者の発生を抑制する」ようなものにしろと指示してるのです。

 つまり、被収容者が送還を拒否できなくなるような、もう帰国するしかないと思うような、そういう劣悪な処遇を実施せよと、こんなことを公文書に書いて指示してるわけです。



「収容=拷問」を可能にする法制度の問題

 このように入管は、「収容」という措置を被収容者に出国を強要するための手段としてもちいていることを事実上みとめています。収容施設に閉じこめて自由をうばい、心身に苦痛を与えることで、日本に残りたいという相手の意思を変えさせようとしているわけですから、その行為を「拷問」と呼ぶことは、比喩でもなければ誇張でもありません。

 この拷問を制度の面で可能にしているのが、ひとつには上川氏も言ったように、収容期間の上限が法律でさだめられていないということです。もうひとつは、この収容とその継続を入管が裁判所などの第三者のチェックなしにできるということです。入管の裁量で、司法審査なしでの無期限収容ができてしまうということが、「収容=拷問」を可能にする制度的なささえとしてあるのです。

……

2023年4月18日

入管法改悪と責任転稼の理屈 「送還忌避者」を作り出しているのは入管ではないのか?


あべこべな責任転稼

 今週から改悪入管法案が衆議院の法務委員会で審議入りしてしまっており、緊迫した情勢にあるわけですけれど、法案の内容とはべつに、そもそも入管当局がなんのためにこの法案をとおそうと画策してきたのかという、法案の動機の面からこれを批判しておきたいと思います。

 いま国会に出ている改悪入管法案は、その中身はおととし(2021年)2月に提出され、世論の大きな反対の声もあって同年5月に廃案になった法案とほとんど変わらない焼き直しであるわけですが、この法改定がくわだてられるきっかけとなったのは、2019年6月に起きた大村入管センターに収容されていたナイジェリア人男性(Aさん)の餓死事件でした。

 山下貴司法務大臣(当時)は記者会見でつぎのように述べました。


退去強制令書の発付を受けたにもかかわらず、様々な理由で送還を忌避する者がおり、それらの存在が、迅速な送還に対する大きな障害となっているばかりでなく、収容の長期化の大きな要因となっております。
(2019年10月1日山下貴司法務大臣(当時)記者会見)


 この10月1日というのは、入管庁がAさん死亡事件の調査報告書を発表した日であり、また法務大臣が有識者らによる「収容・送還に関する専門部会」を設置した日でもあります。この専門部会の「提言」にそって、21年の、そしてそれとほぼ内容のかわらない今年(2023年)の改悪入管法案が作成された、という経緯です。

 ここで確認しておきたいのは、「送還を忌避する者」の存在が「迅速な送還に対する大きな障害」となっており「収容の長期化の大きな要因」ともなっているという、当時の法務大臣の発言です。

 Aさんは、3年半という超長期にわたり入管施設に収容されており、収容を解くことを求めて食事を拒否していたことは入管庁の調査報告書でも明らかにされています。そのAさんを大村入管センターが放置し見殺しにしたわけですが、その入管の責任を「送還を忌避する者」へとあべこべに転稼し、これを迅速かつ効率的に送還できるように入管法をかえてしまおう、というのが今回の法改悪の入管当局にとっての動機であり出発点だったのです。入管にとって重大な責任があるはずのAさんの死を、入管は卑劣にも、送還に関するみずからの権限強化に利用しようとしたのです。



「送還忌避者」を作り出しているのは入管

 さて、「送還忌避者」についての入管が主張するのは、たとえばつぎのような理屈です。現行制度において難民申請中は送還ができないため、濫用的に難民申請をくりかえすことで、送還を忌避する者がいる。こうした送還忌避者の存在が、送還をとどこおらせ、収容の長期化をまねくなど問題であるから、くり返し何度も難民申請する者は、申請中であっても強制送還できるように法制度をかえる必要がある、と。こうした理屈にもとづいて、難民申請が3回目以降であれば審査の結果を待たずに送還できるようにするといった内容をふくむ改悪法案が提出されているわけです。

 しかし、この入管の理屈は、めちゃくちゃ自分勝手で無責任なものです。というのも、自分たちが権力を行使する過程で生じている問題を、「送還忌避者」と呼ぶ人たちの責任に転稼し、自分たちの責任にはほおっかむりしているからです。

 入管庁は、2021年末時点で約3200人の「送還忌避者」がいるとしています。この話をするといささか長くなりますが、この「送還忌避者」を作り出し、3000人をこえるまでに増加させてきたのは入管政策にほかなりません。およそ20年にわたる入管の政策・制度運用によって「送還忌避者」が増大していった過程は、以下のパンフレット(全部で20ページぐらいの冊子です)でくわしく述べられていますので、関心のあるかたはぜひ読んでみてください。リンク先からPDF版が無料でダウンロードできます。

『なぜ入管で人が死ぬのか? ~入管がつくりだす「送還忌避者問題」の解決に向けて~』(発行:入管の民族差別・人権侵害と闘う全国市民連合 監修:指宿昭一)

 このブログでは、「送還忌避者」に責任を転稼する入管の主張がいかにおかしいのかということを、なるべく簡潔に述べたいと思います。「送還忌避者」と入管の呼ぶ人びとたちはどのように生み出されているのでしょうか。その要因について、入管政策のありかたから容易に説明することができます。わたしは、10数年、入管施設の被収容者や仮放免者ら入管の言うところの「送還忌避者」から話をたくさん聞いてきましたが、以下の2つの要因が大きいということを確信しています。

 ひとつには、難民認定数(率)の低さ。他のいわゆる先進国とくらべて日本の難民認定数(率)がきわめて低いことはよく知られています。認定率でみると、おおざっぱにいって他の先進諸国が、年ごとの変動や国ごとのちがいがありますけれど、いずれも数十%。他方、日本は0.4%とか0.7%といった率です。あまりにへだたりが大きいのでおおざっぱに言いますが、ケタが2つほどちがう。きっちりくわしく比較することがバカらしくなるほど、へだたっています。

 難民として認定すべき人を認定せず、送還対象としてあつかうことが、「送還忌避者」を生み出しているのです。難民認定審査は、出入国や外国人の在留の管理もになう入管庁がおこなっていますが、その入管による難民認定が国際的な基準から大きくへだたっていちじるしく消極的であることが、入管から退去を求められながらもこれを拒否せざるをえない人びとを生み出しているのだと言えます。

 もうひとつは、入管の退去強制手続きにおいて、人道上の要素が十分に考慮されていないという点です。たとえば、在留期間をこえて日本に在留する超過滞在(オーバーステイ)になった外国人に対する入管の処分は、さまざまな観点を考慮してなされることになっています。たんに超過滞在(入管は「不法残留」という言葉を使いますが)という違反事実だけでなく、その人の家族の状況や日本社会との結びつきの強さなども考慮されたうえで、退去強制の処分をだすのか、あるいは人道上の要素を重くみて在留を特別に許可するのか、ということが決定されるというのが、いちおうは退去強制手続きの段取りとなっています。

 ところが、退去強制処分を出すか、在留特別許可を認めるのかの判断は、事実上、入管が独断で基準を決めておこなっており、人道上の要素も十分に考慮されているとはとうてい言えません。国籍国に送還されれば家族がバラバラになってしまう人や、日本で長期間くらしてきて生活基盤がもはや国籍国にはないような人にも、退去強制処分が出てしまっているのです。当然、こうした人たちは「帰国しろ」と言われてもそうできません。入管が在留を認めずあくまでも送還対象としてあつかおうとすることで、「送還忌避者」を生み出しているのです。



改悪入管法案は廃案一択 

 結局のところ、「送還忌避者」問題などというものは、入管の手のひらの上で起こっている事象にすぎません。難民として認定すべき人をとりこぼしまくる難民認定審査や、退去強制処分の濫発・濫用が、「送還忌避者」なる存在を生み出しているのではないですか。そうしたみずからの制度運用や政策がなにをまねいてきたのかということを批判的にふりかえり検証するかわりに、とにかく「送還を忌避する者」がわるいのだ、外国人のせいだとデタラメな責任転稼の思考のもとで出してきたのが、このたびの改悪入管法案なのだと言うべきです。

 そもそもがその動機・企図においてろくでもない法案であって、「修正」の余地などあろうはずがない。廃案一択です。

 今週金曜(4月21日)には、国会前で入管法改悪反対の大集会なども企画されているようです。私は、同じ21日の同時刻に大阪でおこなわれる行動のほうに参加してきます。


大阪 入管法改悪反対アクション

日時:4月21日(金) 19:00から

場所:梅田ヨドバシカメラ前

運営:入管の民族差別・人権侵害と闘う市民連合