2023年4月18日

入管法改悪と責任転稼の理屈 「送還忌避者」を作り出しているのは入管ではないのか?


あべこべな責任転稼

 今週から改悪入管法案が衆議院の法務委員会で審議入りしてしまっており、緊迫した情勢にあるわけですけれど、法案の内容とはべつに、そもそも入管当局がなんのためにこの法案をとおそうと画策してきたのかという、法案の動機の面からこれを批判しておきたいと思います。

 いま国会に出ている改悪入管法案は、その中身はおととし(2021年)2月に提出され、世論の大きな反対の声もあって同年5月に廃案になった法案とほとんど変わらない焼き直しであるわけですが、この法改定がくわだてられるきっかけとなったのは、2019年6月に起きた大村入管センターに収容されていたナイジェリア人男性(Aさん)の餓死事件でした。

 山下貴司法務大臣(当時)は記者会見でつぎのように述べました。


退去強制令書の発付を受けたにもかかわらず、様々な理由で送還を忌避する者がおり、それらの存在が、迅速な送還に対する大きな障害となっているばかりでなく、収容の長期化の大きな要因となっております。
(2019年10月1日山下貴司法務大臣(当時)記者会見)


 この10月1日というのは、入管庁がAさん死亡事件の調査報告書を発表した日であり、また法務大臣が有識者らによる「収容・送還に関する専門部会」を設置した日でもあります。この専門部会の「提言」にそって、21年の、そしてそれとほぼ内容のかわらない今年(2023年)の改悪入管法案が作成された、という経緯です。

 ここで確認しておきたいのは、「送還を忌避する者」の存在が「迅速な送還に対する大きな障害」となっており「収容の長期化の大きな要因」ともなっているという、当時の法務大臣の発言です。

 Aさんは、3年半という超長期にわたり入管施設に収容されており、収容を解くことを求めて食事を拒否していたことは入管庁の調査報告書でも明らかにされています。そのAさんを大村入管センターが放置し見殺しにしたわけですが、その入管の責任を「送還を忌避する者」へとあべこべに転稼し、これを迅速かつ効率的に送還できるように入管法をかえてしまおう、というのが今回の法改悪の入管当局にとっての動機であり出発点だったのです。入管にとって重大な責任があるはずのAさんの死を、入管は卑劣にも、送還に関するみずからの権限強化に利用しようとしたのです。



「送還忌避者」を作り出しているのは入管

 さて、「送還忌避者」についての入管が主張するのは、たとえばつぎのような理屈です。現行制度において難民申請中は送還ができないため、濫用的に難民申請をくりかえすことで、送還を忌避する者がいる。こうした送還忌避者の存在が、送還をとどこおらせ、収容の長期化をまねくなど問題であるから、くり返し何度も難民申請する者は、申請中であっても強制送還できるように法制度をかえる必要がある、と。こうした理屈にもとづいて、難民申請が3回目以降であれば審査の結果を待たずに送還できるようにするといった内容をふくむ改悪法案が提出されているわけです。

 しかし、この入管の理屈は、めちゃくちゃ自分勝手で無責任なものです。というのも、自分たちが権力を行使する過程で生じている問題を、「送還忌避者」と呼ぶ人たちの責任に転稼し、自分たちの責任にはほおっかむりしているからです。

 入管庁は、2021年末時点で約3200人の「送還忌避者」がいるとしています。この話をするといささか長くなりますが、この「送還忌避者」を作り出し、3000人をこえるまでに増加させてきたのは入管政策にほかなりません。およそ20年にわたる入管の政策・制度運用によって「送還忌避者」が増大していった過程は、以下のパンフレット(全部で20ページぐらいの冊子です)でくわしく述べられていますので、関心のあるかたはぜひ読んでみてください。リンク先からPDF版が無料でダウンロードできます。

『なぜ入管で人が死ぬのか? ~入管がつくりだす「送還忌避者問題」の解決に向けて~』(発行:入管の民族差別・人権侵害と闘う全国市民連合 監修:指宿昭一)

 このブログでは、「送還忌避者」に責任を転稼する入管の主張がいかにおかしいのかということを、なるべく簡潔に述べたいと思います。「送還忌避者」と入管の呼ぶ人びとたちはどのように生み出されているのでしょうか。その要因について、入管政策のありかたから容易に説明することができます。わたしは、10数年、入管施設の被収容者や仮放免者ら入管の言うところの「送還忌避者」から話をたくさん聞いてきましたが、以下の2つの要因が大きいということを確信しています。

 ひとつには、難民認定数(率)の低さ。他のいわゆる先進国とくらべて日本の難民認定数(率)がきわめて低いことはよく知られています。認定率でみると、おおざっぱにいって他の先進諸国が、年ごとの変動や国ごとのちがいがありますけれど、いずれも数十%。他方、日本は0.4%とか0.7%といった率です。あまりにへだたりが大きいのでおおざっぱに言いますが、ケタが2つほどちがう。きっちりくわしく比較することがバカらしくなるほど、へだたっています。

 難民として認定すべき人を認定せず、送還対象としてあつかうことが、「送還忌避者」を生み出しているのです。難民認定審査は、出入国や外国人の在留の管理もになう入管庁がおこなっていますが、その入管による難民認定が国際的な基準から大きくへだたっていちじるしく消極的であることが、入管から退去を求められながらもこれを拒否せざるをえない人びとを生み出しているのだと言えます。

 もうひとつは、入管の退去強制手続きにおいて、人道上の要素が十分に考慮されていないという点です。たとえば、在留期間をこえて日本に在留する超過滞在(オーバーステイ)になった外国人に対する入管の処分は、さまざまな観点を考慮してなされることになっています。たんに超過滞在(入管は「不法残留」という言葉を使いますが)という違反事実だけでなく、その人の家族の状況や日本社会との結びつきの強さなども考慮されたうえで、退去強制の処分をだすのか、あるいは人道上の要素を重くみて在留を特別に許可するのか、ということが決定されるというのが、いちおうは退去強制手続きの段取りとなっています。

 ところが、退去強制処分を出すか、在留特別許可を認めるのかの判断は、事実上、入管が独断で基準を決めておこなっており、人道上の要素も十分に考慮されているとはとうてい言えません。国籍国に送還されれば家族がバラバラになってしまう人や、日本で長期間くらしてきて生活基盤がもはや国籍国にはないような人にも、退去強制処分が出てしまっているのです。当然、こうした人たちは「帰国しろ」と言われてもそうできません。入管が在留を認めずあくまでも送還対象としてあつかおうとすることで、「送還忌避者」を生み出しているのです。



改悪入管法案は廃案一択 

 結局のところ、「送還忌避者」問題などというものは、入管の手のひらの上で起こっている事象にすぎません。難民として認定すべき人をとりこぼしまくる難民認定審査や、退去強制処分の濫発・濫用が、「送還忌避者」なる存在を生み出しているのではないですか。そうしたみずからの制度運用や政策がなにをまねいてきたのかということを批判的にふりかえり検証するかわりに、とにかく「送還を忌避する者」がわるいのだ、外国人のせいだとデタラメな責任転稼の思考のもとで出してきたのが、このたびの改悪入管法案なのだと言うべきです。

 そもそもがその動機・企図においてろくでもない法案であって、「修正」の余地などあろうはずがない。廃案一択です。

 今週金曜(4月21日)には、国会前で入管法改悪反対の大集会なども企画されているようです。私は、同じ21日の同時刻に大阪でおこなわれる行動のほうに参加してきます。


大阪 入管法改悪反対アクション

日時:4月21日(金) 19:00から

場所:梅田ヨドバシカメラ前

運営:入管の民族差別・人権侵害と闘う市民連合





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