2024年11月26日

「不法入国」などと簡単に言うけれど……

  以下で引用する記事のケース、見出しになっているように、送還が家族をバラバラにしてしまうという点でもひどい話である。しかし、原告の人がフィリピンから日本に来た経緯を聞くと、ほとんど人身取引と言ってよいようなケースだよね。


在留特別許可を出すべきなのに退去強制処分を下したのは不当だとして、フィリピン国籍の60代男性が11月18日、国を相手取り、処分の取り消しや在留特別許可を出すよう求める訴訟を東京地裁に起こした。

原告代理人などによると、男性は1987年、20代のころに来日。エージェントに正規パスポートを預けていたが、脅かされて、別人名義のパスポートで入国したという。

その後、土木工事現場などで強制労働させられたが、1年ほどで逃げ出したという。友人宅で出会ったフィリピン人女性と2013年に同居して、間もなくして子どもが生まれた(現在は小学中学年)。

男性は2022年、市役所に相談のうえ東京入管に自首出頭して、家族3人の在留特別許可を求めたが、今年5月、妻子には在留特別許可が出たものの、自分だけ退去強制令書発付を受けていた……

「家族を引き裂かないで!」 フィリピン国籍の男性が在留特別許可を求めて国提訴 - 弁護士ドットコム(2024年11月18日 15時56分)】


 本人は正規のパスポートで日本に来るつもりだったが、ブローカーに強要されて別人名義のパスポートを使わざるをえなかったということのようだ。どうしてブローカーがこういうことをするのかと言えば、日本での雇用主がこの人を奴隷状態において働かせるためである。正規のパスポートを取り上げ、なおかつ違法なかたちで入国させることで、本人が逃げ出して警察などに駆け込むハードルを高くするわけだ。

 この人が渡日した1987年といえば、日本がバブル景気にわいていたころ。「労務倒産」とか「人手不足倒産」とか呼ばれる倒産が新聞などで報じられていた時代である。中小零細の工場が、仕事はあっても従業員を確保できずに倒産してしまうのである。このような時代にあって、日本人労働者が敬遠した「3K」(キツイ、キタナイ、キケン)と呼ばれた職場の人手不足をおぎなったのが、フィリピンやイラン、バングラデシュ、パキスタンなどから来た労働者だった。

 私自身、その当時(80年代後半から90年代にかけて)に渡日した人たちから、上の記事のフィリピンのかたのように、ブローカーから別人名義のパスポートを手渡されたという話をいくつか聞いたことがある。国外から労働者を呼び込むさいに、「不法入国」させて従属させようという手法は、おそらく横行していたのだろう。フィリピンなど送り出し国側のブローカー、日本側の雇い主となる企業、それにヤクザなどがそれぞれ役割を分担して、外国人労働者を呼び込み、弱い立場に置いてその労働力を安く買いたたいて利益をえてきたのである。

 このような人身取引まがいの行為に直接に手をそめた者は、もちろん一部の人間ではある。けれども、こうして違法なかたちで呼び込まれた労働者によって、日本の社会が総体として支えられてきたのだということも無視してはならないと思う。

 違法状態に置かれた労働者に依存してきたということでいえば、上でみてきたこととはべつに、オーバーステイの外国人労働者の存在を日本政府があきらかに黙認してきたということも、重要である。バブル期から2000年ごろまで、警察は、在留期間が切れた状態で町工場などで働き地域社会で暮らしている人たちを積極的に取り締まろうとしていなかった。当時非正規滞在状態だった人たちの経験談として、職務質問などでオーバーステイになっていることが発覚したけれど、警察官はそんなことをぜんぜん気にとめもしないようだったという話を私もいくつも聞いたことがある。日本政府が非正規滞在外国人の存在を容認しないという姿勢を明確に示すのは、2003年12月に「犯罪対策閣僚会議」が翌年からの「不法滞在者半減5か年計画」を打ち出して以降のことである。

 こうしたことを考えると、「不法入国」にしろ、「不法残留」にしろ、たんに個人の違反としてとらえるだけでいいのだろうか、ということは考えてしまう。この人たちは「不法」な状態にあったゆえに弱い立場でその労働力を安く買いたたかれたのであり、直接の雇用主だけにとどまらず、日本の社会は総体としてそこから利益をえてきたのである。問われるべきなのは、日本の国や社会のありかたなのではないのか。


2024年11月20日

「重病者にしか仮放免は適用しない」ハンストを助長する入管庁方針

 

 大阪入管でわたしが面会しているかたのひとりが、11月17日の朝からハンストをおこなっています。収容期間が長くなっていることから、これに抗議してのハンストです。

 そういうわけで、今日、いそいで申入書をつくって、支援者3名の連名で大阪入管に抗議の申し入れをしてきました。

 6月10日に昨年成立した改悪入管法が施行され、監理措置という制度が創設されました。これにともなう入管庁の新しい仮放免についての運用方針が、収容されている人のハンストを助長していると言うべき状況があります。

 こんなことやってると、いずれまた入管収容施設での死亡者が出かねないと危惧されます。ところが、新たな入管法の施行から5か月ほどしかたってないこともあり、問題の深刻さがまだぜんぜん知られていないだろうと思います。

 この深刻さを少しでも周知したいということで、申入書を公開します(ハンストをしている人の名前を「A氏」と匿名にしています)。



申 入 書

2024年11月20日

大阪出入国在留管理局 局長 殿

(申し入れ者3名の名前――省略)


 貴局に収容されているA氏から私たちのもとに、11月17日の朝からハンガーストライキをしているむね連絡がありました。私たちは、A氏がハンストをおこなうことによって自身の健康を害することを強く懸念しております。

 A氏と継続的に面会し、話を聞いてきた私たちからすれば、仮放免についての入管庁の運用方針が、A氏をハンストせざるをえない状況に追い込んでいるものと理解するよりほかありません。したがって、以下に述べるように、運用方針をあらため、早期に仮放免を適用することでA氏を収容から解放するよう申し入れます。



 6月10日より改定入管法が施行され、監理措置制度が創設されました。これにともない、入管庁は仮放免についても従来とは異なる運用方針をとっています。

 10月9日に、WITH(西日本入管センターを考える会)など6団体で貴職に申入れたとおり、監理措置制度は、被監理者の人権をいちじるしく侵害すると同時に、この人権侵害を民間人である監理人に強要する制度です。このため、従来、仮放免の身元保証人を引き受けてきた支援者や弁護士の多くは、新しい制度である監理措置の監理人を引き受けることはできないと考えています。

 このような状況において、A氏は弁護士が身元保証人を引き受けて仮放免を申請しています。

 しかし、改定入管法施行後、「仮放免を許可するに当たっては、被収容者の収容を解除するための原則的な手段が監理措置であることを前提としてもなお、監理措置によることなく収容を一時的に解除することが相当と認められる程度の健康上、人道上その他これに準ずる理由が求められる」(入管庁審第1077号「仮放免運用方針の一部改正について(通達)」)という運用方針をとっております。このようにきわめて限定的な場合にのみ仮放免を許可するという現行の方針のもとでは、A氏は収容を解かれる見込みを持てないまま、収容が長期化していくことになります。事実、A氏の収容期間は6か月ほどに及んでいます。この収容期間は、法施行日前に仮放免申請した、あるいは法施行日以後に監理措置を申請した、貴局の他の被収容者たちと比較して、異例の長さと言えるものですが、こうして収容が長期化するなか、しかも収容から解放されるめどが本人にとってまったくもてないのです。

 また、A氏は貴局の職員から「改定法のもとでは、重病など例外的な場合でなければ仮放免は適用されない」という趣旨の説明を受けたそうです。

 監理措置と仮放免についてのこうした制度運用のもとでは、A氏のような状況にある被収容者にとって、「自身の健康状態がいちじるしく悪化することでもないかぎり、収容から解放されることはないだろう」と考えるのは必然です。いわば、入管がその制度運用によって、被収容者にハンストなど自身の健康を害する行為をうながしているようなものです。

 このような制度運用を続ければ、2019年6月に大村入管センターに収容されていたナイジェリア人男性が拒食のすえに餓死したのと同様の事件をまたくり返すことになるのではないかと、私たちは強く危惧します。



 A氏は難民申請者であり、難民該当性を自身で立証しなければなりませんが、貴局が収容を継続しているため、その立証作業がさまたげられています。

 また、頚椎症の治療・療養を必要としていますが、収容下にあって、投薬によって痛みを緩和する治療を受けているのみです。診察する医師からA氏は、「薬とリハビリによって治療するのが一般的だが、ここではリハビリができないので投薬のみの治療になる」と説明されています。

 10月9日の申入れに対して11月14日にいただいた貴局からの回答では、被収容者に対し「社会一般の水準に応じて適切な医療を提供している」とのことでした。しかし、上記の医師の評価からすれば、A氏の収容を今後も継続しながら、社会一般の水準に応じた医療を提供するのは不可能でしょう。

 このように、収容によってA氏は権利を侵害されています。A氏が難民該当性の立証作業と治療・療養ができるように、仮放免によって収容から解放するよう申し入れます。


以 上




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支援者を人権侵害の共犯者にする 監理措置制度のやばさ(2024年11月10日)


2024年11月16日

批判する相手の思考をなぞることのこわさ、みたいな話


 こわい話をひとつ。

 入管問題についての原稿を書きまして、いまそのゲラ・チェックをしていたのですが、自分がひどいこと書いたのに気づきました。なんと、「退去強制すべき違反」などという語句があったのです。引用ではなく、自分の書いた地の文のなかに。

 おどろいた! 私はなにを書いているのか! 完全に入管の立場によった言葉を発してしまっているではないか。

 私が「退去強制すべき違反」という言葉を不用意に書きつけてしまったのは、入管の収容に関する制度を説明する文脈においてでした。だから、入管法・入管制度が根ざしているような言葉づかいや考え方がそこに入り込んでしまうことは、当然といえば当然です。

 しかし、それにしても「退去強制すべき違反」はない。「退去強制の対象となる違反」とかならまだしも。自分の発する言葉が、批判すべき対象とのあいだの距離を完全にうしない、癒着してしまっている。

 なにかを批判しようとするとき、相手の言葉や思考をなぞってみるということをするわけですけれど、そうすることでそれを自分のものとして取り込んでしまうということに、やはり自覚的になって注意したほうがよいんだろうなと思います。

 まず、批判する相手の言葉や思考をなぞって書くときに、そこに距離というかすき間をあけた書き方をするということが、ひとつには大事なのではないか。「退去強制すべき違反」と書くのと、「退去強制の対象となる違反」と書くのでは、そのちがいは小さいようで意外と大きい。後者の表現には、対象とのあいだにちょっとしたすき間ができます。

 それと、相手の言葉・思考をなぞったあとは、そこからもどってくる儀式みたいなのが必要なのかなと思います。「入管解体!」とくり返しとなえるとか……。整理体操みたいなの。なんかいいやり方を考えたいです。


2024年11月10日

支援者を人権侵害の共犯者にする 監理措置制度のやばさ

 

 昨年(2023年)に成立した改悪入管法が6月から施行されています。これにともない、「監理措置」という新たな制度の運用が始まっています。

 しだいに見えてきたのは、この監理措置が、監理措置を適用される外国人(「被監理者」と呼ばれます)を支援する人を、入管の人権侵害の共犯者として取り込もうとする制度であるという点です。そのことは法律の条文を読んであきらかだったのですけれど*1、実際の運用がはじまって、それをますます確信しているところです。



新制度のねらいは送還強化

 この新しい制度が創設されたことで、収容を解除するための2つの制度が併存することになりました。従来からある仮放免制度と、新しくできた監理措置制度です。

 なぜ、すでに仮放免という制度があったのに、わざわざ新たな制度を作ったのか? その経緯をざっとふりかえっておきます。

 2016年ごろから、入管施設における収容の長期化が顕著になり、報道などを通して収容下での人権侵害の深刻化が広く知られ、問題にされるようになりました。入管行政や難民受け入れのあり方に対する世論の批判が高まるなかで、2019年の秋ごろから浮上してきたのが、監理措置制度の創設や難民申請者の強制送還を可能にする入管法改悪の動きでした。

 政府は入管法を変える名目として、収容の長期化を解消するためだということを言っていました。しかし、実際のねらいは、強制送還をもっと強力に進められるように入管の権限を強化することであったのは、改悪の内容(3回目以降の難民申請者の送還を可能にする、など)をみればあきらかでした。

 監理措置についても、おなじです。収容を解く措置としては、すでに仮放免という制度があったのであって、これを使って収容の長期化をふせぐことは十分に可能だし、じっさい入管は2010年代前半までは、仮放免を弾力的に活用することで収容長期化の回避に取り組んでいるのだと、国連の拷問禁止委員会などに対して述べていました*2。したがって、収容長期化を解消するために監理措置の創設が必要だ(った)という政府の説明はウソであって、むしろ「送還忌避者」を厳しく監視・管理し、確実に送還を実施するために新しい制度を作ったのだとみるべきです。

 この点は、法改悪の経緯とともに、監理措置が従来からある仮放免とどう違うのかという内容の面からもあきらかです。監理措置は、入管(主任審査官)が選任する「監理人」に、「被監理者」(監理措置を適用されて収容を解除される外国人)の生活状況等を監視・把握させ、入管への報告義務を課す(違反すれば、10万円以下の過料が科される)というものだからです*3。仮放免の身元保証人にはこうした責務は課されません。長期収容の解消のためではなく、収容を解除してもなお強力な監視・管理を可能にするために創設されたのが監理措置です。それは、以下の監理措置に反対する「呼びかけ文」でも明確に指摘されているとおりです。


 そもそもなぜ入管は監理措置制度を新設したのでしょうか?この制度は、入管が「送還忌避者」と呼ぶ帰国できない事情のある非正規滞在者たちを徹底的に管理することを目的としたものです。監理措置制度は、いわゆる「送還忌避者」を徹底して管理したうえで、無理やりに強制送還するための制度です。入管権力の下で民間人をその手先として報告義務を負わせ、確実に監視・監理し、併せて送還計画を立て、確実に送還を執行するための、入管の方針に組み込まれた制度であるということを私たちは認識しておかなければなりません。

人間破壊の「監理措置制度」反対!呼びかけ文 | 入管闘争市民連合



仮放免は重病人にのみ適用

 さて、前振りが長くなりましたが、問題は、6月の法施行以降この監理措置がどのように運用されているか、です。法改悪後も、仮放免も(若干の変更はありつつも)制度として維持されているので、収容解除のための2つの制度が併設されている、ということになります。

 仮放免・監理措置の2制度の関係について、大阪入管の審判部門に問い合わせてみたところ、つぎのような説明がありました。「今後は収容を解く場合は、基本的に監理措置のほうを使うことになる」「仮放免は例外的にしか認めないことになる」と。

 収容されている人たちも、職員から「仮放免は重病の人だけ」と言われ、収容を解かれたければ監理措置のほうを申請するよう、うながされているようです。

 ちなみに大阪入管では、監理措置の運用がスタートして、7月から10月までの4か月ぐらいで、少なくとも被収容者10人超が監理措置決定により出所しています。10人超というのは、収容されている人との面会活動で私が把握している数字(伝聞ふくめ)なので、実際はもう少し多いかもしれません。いっぽう、大阪入管の被収容者でこの間、監理措置を申請したけれど、「不決定」、つまり監理措置が認められなかった人は、私の知る限り1人だけ(この人は2回申請していずれも「不決定」)です。

 仮放免はどうかといえば、大阪の場合、職員が被収容者に監理措置のほうを申請するよう誘導していることもあり、申請自体が非常に少ないようですが、6月10日の法施行以後の申請で許可された例は、私の知るかぎりありません。

 関東の支援者に聞くと、東京では健康上の理由で仮放免が許可されている例はいくらかあるようです。しかし、いずれも仮放免後2週間といった短期間のうちに監理措置を申請するすることが許可の条件として付けられているとのことです。つまり、指定された短い期間に監理人を引き受けてくれる人を見つけ出し、監理措置を申請しないかぎり、仮放免を取り消して収容するぞと、いわば、おどしているわけです。

 改悪入管法が施行されて5か月ほどになりますが、仮放免は重病などごくごく例外的な場面でのみ、しかも期間を短く区切ってしか適用しない、という運用になっていることがわかります。



監理措置を申請できない人は収容が長期化する

 このような制度運用のもとでは、帰国できない被収容者が収容から解放される手段は、監理措置を申請する以外に事実上ない、ということになります。

 ところが、仮放免とくらべて監理措置は、申請のハードルが格段に高い。というか、監理人の負担は、仮放免の保証人のそれより格段に大きいため、被収容者が監理人の引き受け手をみつけることはむずかしいのです。

 その「監理人の負担」とは、被監理者を監視し、入管に対して罰則付きの届出・報告義務を負うということですから、たんに労力が大きいということではありません。監理人を引き受けると、入管の手先となって他人の生活状況や行動をスパイするという、良心的な人間であれば道徳的あるいは倫理的な葛藤を深くかかえこまざるをえないような行為をしいられるのです。

 仮放免の身元保証人であれば、家族親族や友人のほか、これまで支援者や弁護士がこれを引き受けることがめずらしくありませんでした。しかし、多くの支援者は、監理措置の監理人を引き受けることに躊躇(ちゅうちょ)しないわけにはいきません。さらに弁護士の場合、監理人を引き受ければ守秘義務違反に問われかねません。そもそも、国家権力である入管の手先として監視と密告をおこなう監理人の任務と、相互の信頼関係なくして成立しない支援とは、あいいれるものでありません。

 こうして、家族などが監理人を引き受けて監理措置申請をした被収容者はさほど長期になる前に収容を解かれることがあるいっぽうで、仮放免のほうを申請した被収容者は重病で収容にたえられないとみなされないかぎりこれを許可されず収容が長期化しつつあるというのが現況です。



支援者を人権侵害に加担させる仕組み

 この状況は、とくに入国しようとして空港で拘束された難民申請者などにとって、不条理きわまりないものです。保護を求めて来たのに監禁され、「解放されたければ、あなたを監視する役目の人間を探してきなさい」と要求されるのです。日本に来たばかりの人に、監理人を引き受けてくれるような人が日本にいるということは当然ながら非常にまれです。ところが、これを見つけなければ、いつか重病になって施設から放り出されるまで収容が続く、ということになるわけです。

 当人の苦悩は切実きわまりないものです。とれる手続きもないまま、なすすべもなく収容が長期化していく。長期化どころか、いつ出られるかわからない。収容が解かれることは、重病になるか死体になるか以外に見込めない。絶望的としか言いようのない状況です。

 こうした被収容者の苦悩をまえにして、私たちはどうしたらよいのでしょう?

 まず基本的な前提として、つぎの事実はふまえておく必要があると思います。すなわち、この状況をつくっているのは入管にほかならない、ということです。収容が長期化するのは、入管がそのような制度運用を選択している結果であって、これがもたらす人権侵害の責任は入管にあるということです。したがって、私たちがすべきこととしては、まずなにより、こうした制度運用を変えさせるよう入管に働きかけることが必須だと思います。重病になるまえに仮放免制度を活用して収容長期化を回避せよ、と。

 ただ、そうしているうちに、収容はつづき、収容されている当人の苦悩はますます深くなっていきます。そこでこう考える支援者が出てくるのは、当然と言えば当然かもしれません。「自分が監理人を引き受けて、この人が監理措置申請するのをお手伝いすれば、それが認められてこの人は収容の絶望からはとりあえず解放されるかもしれない」と。

 しかし、こうして支援者が監理人を引き受けてしまうのは、入管が進めようとしている監理措置の定着に手を貸すということであり、ひいては結果的に当事者の首をしめることになる行為であるということも確かです。

 ここに、監理措置という制度のおそろしさがあると思います。目の前で苦難にある人に対して、その苦難から逃れられるように自分の力を使って手助けしてあげようという行為が、外国人管理の制度に組み込まれ、結果的に外国人を抑圧・管理・追放する政策に加担させられることになるのです。



仮放免者への影響

 とりわけ危惧されるのは、監理措置が制度として定着していったときに、旧入管法のもとで退令仮放免されている3000人以上の人がどうなるのか、ということです。

 現在のところ、新入管法施行日の6月10日より前から仮放免されている人について、旧法のもとでの仮放免の効力が存続するというあつかいになっています。しかし、これはあくまでも「経過措置」としてのあつかいであって、この仮放免の効力がいつまで存続するかは、入管しだいです*4

 入管はいずれ旧法のもとでの仮放免者を監理措置に切り替えようとしてくるでしょう。原則として収容解除は監理措置でおこない、仮放免はあくまでも重病者に対する例外的な措置であるという位置づけで入管が制度を運用する以上、当然の話です。

 そもそも、「送還忌避者」と入管が呼ぶところの退令仮放免者らを送還強化によって減らすことが、昨年の入管法改悪の最大の目的であるわけです。入管は、仮放免者に対して、「次回は仮放免期間の更新を認めない」「監理人をみつけて、監理措置を申請してください」と通告し、次の出頭日までに監理措置を申請しない(できない)仮放免者を再収容していく、ということができるし、いずれやってくるでしょう。

 いまそれを入管がやっていないのは、たんにその準備がまだできていないと判断しているからにすぎません。そこにはさまざまな要素があるでしょうが、2021年の入管法改悪が市民の反対運動に直面して廃案に追い込まれたこと、23年にはこれとほぼ同じ内容の法案が強行採決により成立したものの広範で強力な反対運動があったことの影響は、けっして小さくないでしょう。入管の視点からすれば、仮放免者をつぎつぎと再収容して帰国に追い込んでいくということに着手すれば、入管法改悪のときのような反対運動を覚悟しなけばならない。そのことが、仮放免者の監理措置への切り替え・再収容に入管がふみきろうとするさいの抑止力になっているのは、まちがいありません。

 しかし、市民の強い抵抗を覚悟しなくてすむだろうと入管が判断すれば、旧法での仮放免者を一掃しようとしてくるでしょう。そのさいに、監理措置制度が支援者や市民からの理解をえられたとみなせるような状況になっていれば、入管は容易に仮放免者に監理措置への切り替えを要求できるはずです。入管庁は、あまり良心やプライドのないタイプの記者を使って『読売新聞』や『産経新聞』につぎのような論調の記事を書かせることでしょう。


「2023年の入管法改正で、長期収容問題を解消する目的で監理措置制度が創設された」

「ところが、不法滞在者を支援する一部の支援団体や弁護士がこれに反対している」

「改正法の施行日前から仮放免されていた者について、入管庁は法改正にともなう経過措置として従来どおりにあつかってきたが、改正法施行から●年経過した今、監理措置を申請してこれに切り替えるように求めている」

「監理人を引き受けて被監理者の住居や生活の支援をおこなう(立派な)支援者がいる一方で、この新しい制度に反対する一部の支援者や弁護士が、仮放免者の監理措置への切り替えに反対している」

「このため、監理人の引き受けてを見つけられず、監理措置申請をしない仮放免者が入管施設に収容される事態となっている」


 で、入管や難民、移民に関するヤフーニュースの記事のコメント欄には、こうした論調をコピーしたようなコメントが、あなたたち元記事ぜったい読んでないでしょと言いたくなるような文脈無視っぷりで大量につく、というところまで目にうかびます。

 支援者らへのバッシングはまあどうでもよいことですが、入管が監理措置制度をテコにして仮放免者に対して強制送還に向けた再収容に着手してくるということは想定しなければなりません。支援者が、監理措置制度を批判せず、これに承認をあたえてしまうのは、近い将来に予想されるそうした入管の動きに対し、道を開けて「どうぞどうぞ、ここを通ってください」と加担することにならないでしょうか。



「支援」だけでは足りない

 支援者が監理人を引き受けるのはいかなる場合でもダメなのかといえば、そこは一概に言えないかもしれません。しかし、これを引き受けることの是非とはべつに、監理措置制度に支援者が無批判であってよいのか、という問題はあると思います。

 まあ、監理人を引き受けるという選択をする支援者でも、この制度を手放しで肯定できるという人は、(たぶん)いないでしょう。問題の大きな制度だと認識しつつ、目の前の被収容者を救うためには、現実的にこの制度を使うしかないというジレンマを感じつつ、監理人を引き受けるのかもしれません。

 現在の入管の制度運用においては、仮放免を申請しても重病でなければ許可が出ません。目の前で苦しんでいる被収容者がいれば、この人が収容から解放されるには、監理措置を申請するしかないのだから、支援者としてはそのお手伝いをするしかないではないか。そう考えるのは、たしかに理解できます。

 しかし、こういう入管が現にとっている制度運用を前提にして、そのわくのなかでできる最善の選択はなにか、というふうに考えてしまうと、結局のところ入管の人権侵害をアシストする解答しか出てきようがありません。だって、監理措置なんて、徹頭徹尾、人権侵害の制度でしかないのだから。それを許容するのか、しないのか、というところは、結局のところ問われてくるのだろうと思います。

 入管の制度運用を変えさせることがやはり不可欠なのであって、監理措置にちゃんと反対しましょう、ということがこの長い文章の結論になります。「支援」だけでは足りなく、社会運動がなければならないということです。入管は長期収容するな、仮放免制度を使え。



注 

*1: 監理措置については、以下の過去記事で、新しい入管法の条文に言及しつつ、考察しています。

【改悪入管法を読む】監理措置とはなにか?〈1〉(2023年12月2日) 

【改悪入管法を読む】監理措置とはなにか?〈2〉(2023年12月6日) 

【改悪入管法を読む】監理措置とはなにか?〈3〉(2023年12月14日) 


*2: 以下の記事を参照。 

【改悪入管法案】「監理措置」は収容施設外での生活を可能にする制度ではない(2021年2月19日) 


*3: 監理措置制度において、監理人に課される「責務」の内容については、【改悪入管法を読む】監理措置とはなにか?〈3〉にまとめてあります。そのうえでこの監理措置を創設した入管のねらいを分析した部分を、同記事から引用しておきます。 

 従来の仮放免制度においても、入管は「動静監視」と称して、仮放免者の生活・行動を調査し把握しようとしてきました。この「動静監視」を民間人である監理人にも一部アウトソース(外部委託)しようというのが、監理措置制度であると言えるでしょう。監理人は被監理者をスパイする役割を負わされることになります。 

 被監理者にとってみれば、家族や友人、あるいは支援者や弁護士など、自分を支援する立場の人間をつうじて、自身の行動を監視・監督されるということです。自分にとって身近な存在、しかも自分に必要な生活上の資源や情報を提供してくれる者から見張られるとなれば、ある面では入国警備官に監視される以上にその監視の強度は高くなるでしょう。

  入管の視点からいえば、被監理者に対する支援者らの親密さや信頼関係を資源として利用することで、より強度の高い監視・管理をおこなおうというのが、監理措置制度を創設した意図としてあるでしょう。 ……


*4: 旧法のもとでの仮放免者に対するこうしたあつかいが、あくまでも「経過措置」であること、その経過措置による仮放免は「終了」することがあること、それが「終了」すれば各種申請については新法が適用されることが、出入国管理庁のサイトで述べられています。 

仮放免に関する各種申請 | 出入国在留管理庁

2024年10月29日

ゼノフォビアに迎合する玉木雄一郎

 

 おととい投開票がおこなわれた衆院選で国民民主党が躍進したようだ。

 党の代表の玉木雄一郎氏は、選挙の公示直前に「社会保障の保険料を下げるために」「尊厳死の法制化も含めて」「終末期医療の見直し」が必要だという趣旨の発言をおこなっている。前後の文脈からもあきらかなように*1、高齢者をスケープゴートにして若い世代からの支持をとりつけようという、さもしい発言である。

 玉木は、3年ほどまえには、外国籍住民を敵視する右翼に迎合するような発言をしており、このブログでも問題にした。


議論があることはかならずしもよいことではない――玉木雄一郎氏の人権否定発言について(2021年12月22日)


 今回の選挙で党の勢力が拡大してその影響力はますます軽視できなくなっているわけでもあるので、あらためて当時の玉木代表の発言をむしかえしておきたい。

 2021年12月21日、武蔵野市議会で住民投票条例案が否決された。外国人住民にも投票権を認めた条例案が成立しなかったことについて、玉木は「安心した」として、次のような発言をしたという(太字強調は引用者)。


 玉木氏は今回の住民投票条例案に関し「外国人の権利の保護を否定するものではないが、極めて慎重な議論が必要だ」と指摘。その上で「憲法に外国人の権利をどうするのかという基本原則が定められておらず、ここが一番の問題」との認識を示した。

 さらに、「まずは外国人の人権について憲法上どうするのか議論すべきで、そういう議論がなく拙速に外国人にさまざまな権利を認めるのは、極めて慎重であるべきだ」と強調した。

国民民主・玉木氏「否決され安心」 武蔵野条例案 - 産経ニュース(2021/12/21 17:40)】


 玉木はここで、論じるまでもなく自明なことについて、あたかも議論の余地がある「問題」であるかのように語ることで、その自明性を留保しようとしている。しかし、こんなことは議論の余地なく自明なのであって、論じるまでもない。「外国人の人権について憲法上どうするのか」などという問題にならないことをことさら問題にしようとすることこそが、問題である。

 「極めて慎重な議論が必要だ」? たとえば、女性の人権について、障害者の人権について、また外国人の人権について、どんな議論の余地があるというのか? それが議論の余地のある「問題」であるかのように語ること自体が、女性の、障害者の、外国人の権利を否定することにほかならない。

 上の産経の報道を受けて、玉木氏は自身のツイッターにつぎのように投稿している。


外国人の人権享有主体性については様々な意見があります。100%これが正しい、これが間違っているというものではありません。我が党としては、憲法上の位置付けをどうするかも要検討としています。だだ今回は民主的手続きを経て否決された以上、慎重に対応すべきでしょう。

玉木雄一郎(国民民主党代表) @tamakiyuichiro 午後6:51 ・ 2021年12月22日


 ここでも玉木氏は、「様々な意見があります」と言って、外国人が人権を享有する主体であるという自明に当然のことについて、留保しようとしている。

 こうした語り方は、卑怯でもある。玉木氏は、外国人が人権を享有する主体「ではない」とはみずから明言はしない。「外国人の権利の保護を否定するものではないが」などとも言ってみせる。

 でも、このお調子者は、排外主義的な世論にむけて、自分は外国人の権利について留保なく認めるべきだと考えるような人間ではないのだと、アピールしているのである。自分自身は差別主義者とのレッテルを貼られないように注意しながら。セコイよね。

 しかし、「同性愛者の人権享有主体性については様々な意見があります」などと語る人間を差別主義者と呼ぶのがなんらまちがいではないように、「外国人の人権享有主体性については様々な意見があります」と語る人間が差別主義者でないわけがなかろう。

 今回の選挙で、玉木と国民民主党は、「終末期医療」の過剰、あるいは「尊厳死」の不足が、若い世代を圧迫しているのだと考えるような人間たちの支持をとりつけ、自分たちの政治的な資源にしようとした。玉木はまた、外国人の人権など認めるべきでないと考えるような者たちに迎合し、これを自身の政治的な資源として取り込もうともしている。こういう政党が今回の選挙で躍進し、大きな影響力をもちつつあるという状況が、おそろしいです。



*1: 玉木の発言は、10月12日の日本記者クラブ主催の党首討論会でのもの。玉木は自身の発言が多くの批判を受けると、「日本記者クラブで、尊厳死の法制化を含めた終末期医療の見直しについて言及したところ、医療費削減のために高齢者の治療を放棄するのかなどのご指摘・ご批判をいただきましたが、尊厳死の法制化は医療費削減のためにやるものではありません」などと同日中に釈明した。しかし、以下のように玉木は明確に「社会保障の保険料を下げる」「医療給付を抑え、若い人の社会保険料給付(ママ)を抑える」という文脈のなかで「終末期医療の見直し」「尊厳死の法制化」に言及しており、釈明で言っていることは自身の元の発言とまったく整合しない。

 「社会保障の保険料を下げるためには、われわれは高齢者医療、とくに終末期医療の見直しにも踏み込みました。尊厳死の法制化も含めて。こういったことも含め医療給付を抑え、若い人の社会保険料給付を抑えることが、消費を活性化して、つぎの好循環と賃金上昇を生み出すと思っています」

 この玉木発言については、医師の木村知氏による以下の批判を参照してほしい。

玉木雄一郎代表の「尊厳死の法制化」発言に恐怖で震えた…現場医師が訴える「終末期の患者は管だらけ」の大誤解 「死なせてほしい」という意思はきっかけ一つで変わる | PRESIDENT Online(プレジデントオンライン)(2024/10/22 7:00)



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2024年10月25日

「被収容者の支援をしていたつもりが入管を支援していた」ということが起こりかねない

 

 自分みたいな者にそんな適性があるともあまり思えないのだけれど、支援者みたいな役回りをする場面が私にもある。

 そんな場面で気をつけるようにしているのが、支援はやりすぎにならないようにしたほうがよい、ということ。支援しすぎてしまうことの弊害というのは、たしかにある。それはたとえば、相手が自分でできることをうばってしまうということである。

 支援しようとする人は、相手が支援を必要としているとみなして、だから自分が支援しなければならないのだと考える。ただ、相手が「支援を必要としている」ということは、その相手が「無力である」こととイコールではない。けれども、支援をしよう、支援をしなければならないと考える人は、ここを混同して支援を必要とする人を無力な存在とみなしてしまうことがある。

 相手を無力な存在とみなしてしまうと、相手にもいろいろとできる可能性・能力があるということが、あまり見えなくなってしまう。それで、支援者は、相手のできることをかわりにやってしまう。結果として、支援者が相手の可能性・能力を発揮する機会をうばってしまうことになりかねない。ものごとを判断するとか、自身のすべきことを決定するとか、そういった可能性・能力を発揮する機会さえ、支援者がうばってしまうということが、おこりうる。

 でもまあ、「やりすぎ」にならないように、支援者が自分自身で抑制するのは、思いのほか簡単ではない。だからこそ、支援しようとするときは、その支援のありようについて、ややひいた立場からツッコミを入れてくれる人が近くにいてくれたほうがよいと思う。たとえば「あなたは『〇〇しなければならない』と言うけれど、そう思ってるのは(支援を受ける)相手の人? それとも(支援者である)あなた自身?」みたいな問いである。団体として、あるいは複数の人が連携して支援をおこなう場合は、そのときどきでだれかがこういうツッコミを入れる役割を買って出るようにするとよいかもしれない。


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 さて、いま述べてきたようなものとは別種の(しかし、関係するかもしれない)「支援のやりすぎ」もある。

 入管施設での面会活動などをやっていると、そこに収容されている人から、衣料品や衛生用品の提供を要請されることがある。夏に収容された人が収容が長引くなかで冬用の服が必要になったりするし、歯ブラシや石けん、シャンプー、洗濯洗剤などは、ないと困るものだ。でも、支援者が費用を負担してこれらを差入れしてしまうのは、おかしいと言えばおかしい。だって、本来的には、これらは収容して自由をうばっている入管が責任をもって被収容者に提供すべきものでしょう。入管のすべき仕事の肩代わりを支援者がするのはおかしい。

 一応、最低限の衣服や衛生用品を用意できない人に対しては、入管がそれらを提供することにはなっているのだけれど、あれこれ理由をつけて十分にやらず、実際問題として足りないので支援者がこれをおぎなうということがある。

 衣類などは入管が提供することがあるぶんまだマシだが、より深刻なのが被収容者の通信費の問題である。日本の入管施設は、被収容者を監禁したうえに、携帯電話を取り上げて使用を禁じ、インターネットに接続した端末もいっさい使わせない。収容された人にとって、外部に連絡する手段は、郵便とバカ高い公衆電話(国内通話で携帯電話にかけて1,000円で14分しか話せない)ぐらいしかない。収容する側(入管)が、無制限にとはいかなくても、一定の範囲で費用を負担して被収容者の通信の機会を保証すべきだろう。

 ところが、入管が本来ならば果たすべき責任を果さないでいるために、支援者がこれを肩代わりせざるをえない場面が出てくる。弁護士会に連絡したいけれど所持金がほとんどないからできない、とか。そういったときに、仲間の被収容者や外部の支援者が電話カード代を援助する。

 こういった支援は、ボランティアの支援者が本来やる必要がないことをしてしまっているという意味では、過剰な支援であり、「やりすぎ」と言える。もちろん、衣服や石けん、電話代や切手など被収容者にとって切迫した必要性があるから私たちも差し入れることがあるのだけど、その「必要性」は入管の不作為によって作り出されたものだ。

 こうして入管の不作為が作り出した「必要性」をおぎなうということを支援者が無批判に続けていると、結局のところ、入管施設の劣悪な処遇を固定化することにすらなる。劣悪な処遇や人権侵害に対しては、当然ながら被収容者から抗議や改善要求が起こるものだ。抑圧や侵害が引き起こす当事者の抗議・改善要求に対して、連帯してともにたたかうのが支援者の本来的な役割だと私は思うけれど、入管に対しては無批判なまま、不足している衣服や歯ブラシや電話代を差し入れるということだけやっていては、それは入管の収容施設運営を助けることにしかならないのではないか。

 もちろん、衣料品や衛生用品、通信手段の援助をすることがわるい、ということではない。それをするにしても、入管の収容施設運営に対する批判や抗議も同時にしたほうがよいし、すくなくとも、(この文章の前半で述べた文脈にひきよせて言うなら)被収容者がもっているはずの、抗議や要求を通して状況をみずから改善していく能力や可能性をうばわないようにしたい。


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 いま述べてきたような問題が、入管施設の処遇の問題にとどまるならば、(もちろんそれも重要だけれども)いちいちブログで書くほどのことでもないかもしれない。しかし、6月の改悪入管法施行にともなって創設された監理措置制度において、上にみたようなのとも似た構造の問題が、はるかに深刻なかたちで生じつつある。

 監理措置は、退去強制手続き中の、また退去強制処分を受けた外国人の収容を(一時的に)解除して、収容施設の外での生活を(さまざまな制限をつけたうえで)認める制度である。収容を解いて外での生活を認める措置としては、従来から仮放免というものがあるが、今回の法改定でこの仮放免制度は維持しつつ、監理措置があらたに創設された。

 くわしい話をするとややこしくなるので今回はしないけれど、6月以降、入管は重病人以外は仮放免を許可しなくなっている。したがって、現に収容されている人たちからすると、日本から出国する以外で収容から解放されるためには、監理措置を申請するしか方法はないと思わされてしまうような状況になっている。ところが、この監理措置は非常に問題の大きな制度であって、これが定着すれば、仮放免者をはじめ非正規滞在の外国人への締め付け・圧迫が今まで以上に強くなるのは確実である。

 このブログで何度も書いているとおり*1、入管の収容は「劣悪」とかそういう形容ではまったく足りないような、出国強要を目的とした「拷問」であって、しかもそれを法務大臣も入管幹部もまったく隠そうとすらしていない。そういう拷問施設からどんなかたちであれ一日でも早く解放されたいということは、被収容者にとって切迫した必要性だったりする。なので、被収容者が監理措置申請できるようにみずから「監理人」を引き受けようという支援者が出てくることは、不思議ではない。

 しかし、ボランティアの支援者が無批判に「監理人」を引き受け、監理措置が新しい制度として定着していくと、どういうことが起きるか? そこはよくよく考え、当事者とも話し合わなければならない。

 ということで、その問題については、今度あらためて書きます。



追記(2024年11月10日)

最後に予告していた監理措置と監理人にかんする記事を公開しました。

支援者を人権侵害の共犯者にする 監理措置制度のやばさ(2024年11月10日)


*1: 以下の記事などを参照。

2024年10月10日

収容によりあなたが受ける不利益を考慮しても


 6月10日から、昨年成立した改悪入管法が施行されています。難民申請が3回目以降の人の強制送還が可能になったなど、非常に問題のある改悪です。

 仮放免制度とはべつに、収容解除のためのもうひとつの制度としてあらたに創設された監理措置も、ここではくわしく書かないけれど*1、深刻な人権侵害をもたらすだろうことが危惧されます。

 ただ、新法ではこの監理措置や仮放免について、不許可の場合には申請者に書面でその理由を示すことになりました。入管がどんなふうに理由を書いてくるんだろうか。そこは気になるところです。

 で、私が大阪入管で面会している被収容者のひとりが、監理措置を申請していたのですが、その人が「不決定」の通知をもらったので、その文書を見せてもらいました。「監理措置決定をしない理由」として、つぎのように書かれていました。


●●●●氏が監理人になろうとしていることを考慮しても、あなたには逃亡及び不法就労活動をするおそれが相当程度認められ、収容によりあなたが受ける不利益の程度その他の事情を考慮してもなお、あなたを送還可能のときまで収容しないことが相当とは認められません。


 他のケースを知らないのですが、おそらくこの不決定理由は定型文で、不決定通知を受け取った他の人たちも同様の「理由」を入管から示されているのではないでしょうか。

 しかしまあ、なんというか、すごいこと書いてますよね。「収容によりあなたが受ける不利益の程度その他の事情を考慮しても」とか書いてますが、入管の役人たちはその「不利益」がどういうものだと考えているのか。というか、まじめにそれを考えたことが少しでもあるのだろうか。

 人を拘束して自由をうばうということが、どれほど重大なことなのか。それは一日であれ大変なことです。ましてや、半年とか、あるいは年単位で人間を拘束するということは、きわめて重大な人権侵害であって、それ相応の理由がなければゆるされるものではない。

 入管での収容は、近年よく知られるようになりましたが、その期間の上限が決まっていません。無期限収容というやつです。事情があって帰国できないという人にとって、いつ出られるのか、見込みがたたない。しかも、刑罰などとちがって、なんのために自分が拘束されているのか、納得できるような理由などない。意味のわからない拘束が、いつまでとも知れず続く。強制送還されるのではないかという恐怖もストレスになる。

 こういう環境で閉じこめられ、自由をうばわれていれば、人間はそう時間をかけずに心身がおかしくなります。

 ところが、入管は言う。「あなたには逃亡及び不法就労活動をするおそれが相当程度認められ、収容によりあなたが受ける不利益の程度その他の事情を考慮してもなお」収容をこのまま続けるのが相当と判断したのだ、と。

 たかが、「逃亡」だとか、「不法就労活動」だとか、それしきの「おそれ」があるから、閉じこめておくのだ、というのです。「逃亡」や「不法就労」でだれか傷つく人でもおるの? そんなくっそくだらない理由で、人間の心身を破壊してもよいというの? 完全に軽重の判断が狂っているとしか言いようがないわけだが、こういう人間たちが権力ふるってるのは、ほんとうにおぞましいことです。うんこ。




*1: 監理措置の問題性については、以下の記事で述べています。

 監理措置は、従来からある(6月に施行された改悪入管法でも、変更点はありつつも一応維持されている)仮放免とおなじく、退去強制手続き中の人、あるいは退去強制処分を受けた人の収容を一時的に解除する措置です。

 しかし、仮放免に対して監理措置の特異性は、収容を解かれた外国人(「被監理者」)をスパイする役目を民間人(「監理人」)に負わせる、というところにあります。上にリンクした「監理措置とはなにか?〈3〉」で、監理人に課される報告義務について書いたことを、抜粋・再掲しておきます。

 このように、監理人に被監理者の生活・行動を日常的に監視させて入管に報告させ、被監理者がアルバイトして報酬を受け取ったり監理措置条件への違反があったりすればそれを入管にたれ込めと要求するのが、この監理措置制度です。

 従来の仮放免制度においても、入管は「動静監視」と称して、仮放免者の生活・行動を調査し把握しようとしてきました。この「動静監視」を民間人である監理人にも一部アウトソース(外部委託)しようというのが、監理措置制度であると言えるでしょう。監理人は被監理者をスパイする役割を負わされることになります。

 被監理者にとってみれば、家族や友人、あるいは支援者や弁護士など、自分を支援する立場の人間をつうじて、自身の行動を監視・監督されるということです。自分にとって身近な存在、しかも自分に必要な生活上の資源や情報を提供してくれる者から見張られるとなれば、ある面では入国警備官に監視される以上にその監視の強度は高くなるでしょう。

 入管の視点からいえば、被監理者に対する支援者らの親密さや信頼関係を資源として利用することで、より強度の高い監視・管理をおこなおうというのが、監理措置制度を創設した意図としてあるでしょう。入管という組織を動かしている連中の反社会性、邪悪さがよくあらわれています。