2024年4月16日

「痛みで沈静化させる必要があった」 入管、また犯罪を自白

  東日本入管センター職員による被収容者への集団暴行事件。暴行を受けたクルド人のデニズさんが国に賠償を求めた裁判の控訴審で、国に22万円の賠償を命じた一審判決を支持する判決が出たとのことです。


入管職員の暴行「合理的に必要な限度を超えた」と東京高裁 クルド人男性に国が22万円支払う一審判決を支持:東京新聞 TOKYO Web(2024年4月11日 19時23分)


 上記リンク先の東京新聞の報道によると、この控訴審で国側がとんでもない主張をしているようです。


 判決によると、デニズさんは2019年1月18日夜、居室内で睡眠薬の提供を拒否され、大声を出すなどして抗議。処遇室への移動を命じられ抵抗したため、複数の警備官が体を押さえつけた。警備官がデニズさんの顎の下の「痛点」を20秒以上強く押したり、後ろ手に手錠をかけた腕を持ち上げたりした行為を違法と認定した。

 控訴審で国は「痛みで沈静化させる必要があった」などと主張。弁護側は「もともと暴れておらず制圧の必要がなかった」とし、高裁はいずれも認めなかった。デニズさんの代理人の大橋毅弁護士は「デニズさんと相談して上告するかどうか検討する」と語った。


 国側が公然と「痛みで沈静化させる必要があった」と主張しているのは、おどろくべきことです。

 そもそも「痛みで沈静化させる」っていったい何なんですか。ぜんぜん意味がわかりません。「沈静化」とは、「落ち着かせる」ということでしょうか。デニズさんが興奮して落ち着かない状態にあったのだとして、「痛み」を与えたら興奮がおさまって落ち着く、などということがありますか??? ふつうは「沈静化」どころか、いっそう興奮するのではないですか。

 ところが、「痛みで沈静化させる必要があった」などというアホな書面を書いた国側の代理人の訟務検事ども、それからそんな書面を書かせた入管の役人どもは、そうではないようです。この人たちは、他者から痛いめにあわされたら、落ち着くんですって!

 私はこいつら一人ずつぶんなぐってやりたいですね。それで「痛い」「やめろ」「なにをするんだ」とか怒ってきたら、「落ち着けよ。おまえら痛みで沈静化するんだろ? ほら沈静化させてやるよ」と言ってもう一発ずつなぐりとばしてやりたい。

 もし「痛みで沈静化させ」たように暴力をふるった者の目に見えるなどということがあるとすれば、それはその暴力を受けた相手がはげしい痛みや恐怖のために、抗議や抵抗する意思をうしなったか、あるいはその意思を表現しなく(できなく)なったからです。このように、暴力をふるうことで痛みや恐怖を与え、その相手の意思や行動を変えようとする行為を、ふつう「拷問」といいます。

 つまり、「痛みで沈静化させる必要があった」ということを国側が法廷で主張したということは、デニズさんに対して「必要があったので拷問しました」と自白したことになります。ところが、判決は入管職員の違法行為を認定したものの、国に支払いを命じた賠償金は22万円!

 賠償金の額がどのように計算されて決まるのか知りませんが、公務員による「拷問」が賠償金たったの22万円ってどういうことなのでしょうか。下手人(=入管)が「あれは拷問でした」と自白しているのに?

 日本国憲法第36条には「公務員による拷問及び残虐な刑罰は、絶対にこれを禁じる」と書かれています。自民党は、この条文の「絶対に」を削除して、「公務員による拷問及び残虐な刑罰は、これを禁止する」とする「憲法改正草案」を発表しています。つまり、公務員は必要とあれば拷問してもよい、というふうに、自民党は憲法を変えようとしているわけです。

 でも、わざわざ憲法を変えるまでもありませんね。公務員が暴行をはたらいて被害者から訴えられた裁判で、国側が事実上「あれは拷問だった」と悪びれもせずに認めている。しかも、それでも裁判官は入管職員の行為が憲法の禁じる「公務員による拷問」であると認定しない。賠償金もたったの22万円。改憲を待つまでもなく第36条はもはや死文化しているのではないでしょうか。



 最初にリンクして紹介した東京新聞の記事を書かれた池尾伸一さんは、ご自身のフェイスブックに以下のように投稿しています。


この裁判で腰が抜けるほど驚いたのは入管庁がデニズさんの顎下の「痛点」を押し続けた理由を「痛みによりおとなしくさせる必要があった」と正面から主張したことです。「痛み」を行政手段に使うのは近代国家ではありえない話。入管の人権感覚まひを象徴する発想です。

さらに驚いたのは、デニズさん側が勝ったのに、裁判所が国に命じたデニズさんへの賠償金が22万円だったこと。弁護士費用にもなりません。

政府も裁判所も一体どうなっているのでしょうか。国際的な人権感覚がここまで遅れて、経済だけでなく人権でも、歯止めなく「下流国家」に向かっているようです。


 「腰が抜けるほど驚いた」という池尾さんの感想に、強く共感をおぼえます。これはおどろかなければおかしい、おどろくべきことなのです。



 入管が長期収容を帰国強要の手段としておこなっていること、そしてそのことを隠してすらいないことを、私はくりかえし問題にしてきました。このブログでも、たとえば以下の記事で書いたように、そればっかり書いているぐらいです。


「すがってはいけないワラ」とか言うなら浮き輪でも投げて助けろよ 入管法審議での維新・梅村氏の発言について(2023年5月13日)

「強制送還を忌避」させないための無期限収容 入管庁西山次長の国会答弁は憲法36条への挑戦ではないのか?(2023年4月21日)


 入管が長期収容を通じて帰国を強要しているということ。つまり、それは「収容」という措置を相手の意思を変えさせるための手段としてもちいているということであり、精神的・肉体的な苦痛を与えることで他者を自分たちの思うように行動させようとしているということです。まさしく「拷問」と呼ぶべきことを入管はおこなっているのですが、もっとおどろくべきことは、上にリンクした記事で述べたように、法務大臣も入管庁次長もそのことを事実上みとめる「自白」をぽろぽろこぼしているという事実です。入管庁の公式ウェブサイトでも、入管のおこなう長期収容が帰国強要を目的にしたものであることを、正直に告白しています。

 ところが、法務大臣も入管庁次長もその発言を追及されて辞職に追い込まれることはなく、こんにちにいたるわけです。

 入管という組織が野蛮におおわれているのは明白ですが、その野蛮さはいまやまったくかくされていないのです。入管が拷問をおこなっている事実は、秘密でもなんでもない。だって、そこのトップやら幹部やらがそう自白しているのだから。

 問題なのは、私たちがそれを容認するのか、しないのかというところです。いちいちおどろくことをやめて、あたりまえなものとしてこれを受け入れてしまうならば、われわれもまた野蛮から抜け出す機会をうしなうことになるのではないでしょうか。(了)


◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆


 4月28日に改悪入管法施行反対などをテーマに全国での街頭行動がよびかけられています。


【4.28全国一斉行動の呼びかけ】 #入管法改悪反対 - 入管の民族差別・人権侵害と闘う全国市民連合



 以下、大阪・東京でのデモの告知もはっておきます。


【大阪】

2024年4月28日(日)
13:00 扇町公園集合・集会
14:00 デモ出発→西梅田公園流れ解散




【東京】

日時:2024年4月28日(日)、13:30集合、14:00デモ隊出発
場所:上野恩賜公園 湯島口(池之端1丁目交差点近く)













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