2024年3月21日

自治体の負担増加の原因は、「クルド人」ではなく入管行政

 

 以下、2月2日ということなので1か月半以上前の報道なのですが、おくればせながら興味深く読んだところです。


埼玉・川口市がクルド人めぐり国に異例の訴え なぜ?現場で何が? | NHK(2024年2月2日)


 川口市が国に対し、仮放免者の就労を可能にしてほしいなどの要望を出したことについて、その要望の背景を取材した報道です。

 人手不足が深刻なこの地域の解体業界で、仮放免の人もふくめたクルド人労働者が欠かせない担い手になっていること。また、クルドの子どもたちが市内の小学校などに通い、受け入れられていることなど。そうしたかたちで地域社会で共生がなされ、クルドの人たちもすでにそこに深く根ざしていることがうかがえる記事です。

 さて、このNHKの記事のなかの小見出しのひとつに、「教育や医療 増加する自治体の負担」というものがあります。自治体の負担を増加させている要因は何なのかという問いは、差別や排外主義におちいらないよう、注意深く語っていく必要があります。自治体の負担増という論点が、地域に新たに移住してきた人たちであったり貧困層であったりを差別・排除する言説につながっていくのは、しばしばみられるところです。この点を念頭において、記事の以下の部分を読んでいきます。


さらに、最近、市議会では医療費への懸念がたびたび取り上げられています。


川口市議会議員

「仮放免者は保険証もありませんから、請求される金額が高額になり、高額な医療費を払えずに滞納してしまうという事案もあります」


今、市の医療センターでは外国人による未払い金が7400万円ほどありますが、その中に仮放免のクルド人の治療費も含まれているとみています。


川口市は、実態に応じた制度の見直しが欠かせないと訴えます。


川口市 奥ノ木信夫市長

「人道的立場で、今にも赤ん坊が産まれそうな人は、病院で受け入れて診なければいけないし、病気で苦しんでいる人をほったらかして、うちでは診られませんとは言えません。

税金を払いたいし、保険証もほしいというクルド人は、いっぱいいるんですよ。在留許可や就労許可を国で出さないと、解決はしないと思います」


川口市の訴えを、国はどう受け止めているのか。出入国在留管理庁に聞きました。

出入国在留管理庁

「仮放免者の中で退去強制が確定した外国人は、速やかに日本から退去するのが原則となっています。よって仮放免者に国費で健康保険などの行政サービスの支援を行うことは困難です」


 「病気で苦しんでいる人」がいれば、その人を診察し治療するのが医療人というものだし、そのための仕組みや環境を整備するのが市や県などの行政にたずさわる人の仕事です。現にここに住んでいる人、ここにいる人のためにすべきことをする。そうした労働(この「労働」は賃金で報酬が支払われるものにかぎりません)の集積として地域社会が成り立っており、またその一部が自治体の施策としておこなわれるものであるわけです。

 ところが、このような地域社会の人びとのいとなみであったり、あるいは自治体の施策にとって、国の入管行政がまさに障害になっているということが、いま引用したところにあらわれている事態です。クルド難民たちを、「仮放免」という、堂々と就労することもできず、国民健康保険にも入れない状態にしばりつけ、医療費の滞納の原因を作っているのは、入管行政にほかなりません。

 入管庁の役人は「仮放免者に国費で健康保険などの行政サービスの支援を行うことは困難です」などと恥ずかしげもなく言っているようです。しかし、先の川口市長の発言のとおり「病気で苦しんでいる人をほったらかして、うちでは診られませんとは言えません」と考えるのがあたり前の医療人の立場だし、そのためのコーディネートをするのが市長ら行政の仕事です。

 それにしても入管はよくもまあ「行政サービスの支援を行うことは困難」などと言えるもんです。だいたい「行政サービス」を担っているのは、あんたら入管ではなく、地方自治体ですよね。入管のやっていることと言えば、住民のあいだに線引きをして、結果的に「行政サービスの支援」から排除される住民を作り出すことじゃないですか。上に述べたように、入管行政こそが「行政サービス」の阻害要因になっている。「行政サービスの支援を行うことは困難」? いや、ジャマしてるのはあんたたちではないですか、という。

 一方、自治体の現場の職員は、「住民」に対するサービスということを考えるのであって、ある住民が仮放免者であったり非正規滞在者であったりということは本質的な問題にはならないはずです。現行の制度では仮放免者や非正規滞在者は住民票に登録できませんが、行政サービスの観点からいえば、住民票はあくまでも住民の情報を登記する手段のひとつにすぎません。住民票がないから住民サービスから排除するというのでは、手段と目的が転倒してしまいます。

 ちなみに、10年ぐらい前までは、仮放免者が国民健康保険に加入していたり、生活保護を受けていたりというケースは、数は多くはないものの自治体によってはそれなりにありました。国(この場合は厚労省ですが)が横やりを入れて、そういったケースはなくなっていきましたが、自治体の行政の本来的なあり方からすれば、住民票の有無なんかよりも、その市区町村に居住の実態があるかどうかということのほうが、重要なのです。 

 記事に紹介された川口市長の発言をもう一度引きます。


「税金を払いたいし、保険証もほしいというクルド人は、いっぱいいるんですよ。在留許可や就労許可を国で出さないと、解決はしないと思います」


 入管は「仮放免者に国費で健康保険などの行政サービスの支援を行うことは困難です」などとくだらないことを言わずに、仮放免者の在留を正規化すれば、問題は解決するのです。在留資格を認められれば、就労できますし、国民健康保険にも加入できるので、医療費の滞納は減り、自治体の負担も軽減されます。

 入管がそれをせず、クルド人住民の多くを仮放免状態に放置していることで、自治体の負担増加をまねいているのだといえます。入管は社会に迷惑をかけるのをいいかげんやめてほしいものですね。



 ところで、この先は今回の本題からはそれる話です。NHK記事の以下の「監理措置」に関するところ、説明として適切ではないので、その点いちおう指摘しておきます。


川口市の要望については、2023年以降の国の方針によって、今後はある程度カバーされる可能性があると橋本さんは見ています。

政府は2023年8月、日本で生まれ育っていても在留資格がない小学生から高校生の外国人の子どもについて、親に国内での重大な犯罪歴がないなどの一定の条件を満たしていれば、親子に「在留特別許可」を与え、滞在を認める方針を示しました。

また、入管が認めた監理人と呼ばれる支援者らのもとで生活ができる「監理措置」という制度が改正入管法の下で近々導入され、就労をすることが可能になる予定です。


 たしかに、改定される入管法で創設される監理措置は、従来からある仮放免制度と異なり、就労が許可される場合があります。しかし、それはきわめて例外的な場面においてのみです。

 改定入管法のもとでは、退去強制処手続き中の人(退去強制処分を受けていない人)に監理措置が適用されたときに、入管は就労を許可することができるということになっています1。しかし、退去強制処分が出てしまった人については、全面的に就労は禁止されます2

 まず、NHK記事などでその困窮が問題にされている、在留の認められていないクルド人難民申請者の大多数は、すでに退去強制処分が出た人であって、就労不可です。そして、退去強制手続き中の人も、入管が在留を認めなければいずれ退去強制処分が出てしまいますから、そうなれば就労が許可されることはありません。

 しかも、監理措置制度では、許可を受けずに就労した場合に、刑事罰を科す規定まであります(第70条第9号、第10号)3

 つまり、監理措置においては、ごくごく例外的にしか就労は許可されないし、許可を受けない就労が犯罪化すらされるわけです。

 「川口市の要望については、2023年以降の国の方針によって、今後はある程度カバーされる可能性がある」というところ、「2023年以降の国の方針」が監理措置のことも指して述べているのであれば、この記述は明確にまちがいと言ってよいでしょう。



1: 第44条の5第1項「主任審査官は、被監理者の生計を維持するために必要であつて、相当と認めるときは、被監理者の申請(監理人の同意があるものに限る。)により、その生計の維持に必要な範囲内で、監理人による監理の下に、主任審査官が指定する本邦の公私の機関との雇用に関する契約に基づいて行う報酬を受ける活動として相当であるものを行うことを許可することができる。この場合において、主任審査官は、当該許可に必要な条件を付することができる。」 

2: 【改悪入管法を読む】監理措置とはなにか?〈2〉 

3: 【改悪入管法を読む】監理措置とはなにか?〈3〉



関連記事

産経新聞がクルド人へのヘイトスピーチを書き散らしている件(2023年7月31日)

【改悪入管法を読む】監理措置とはなにか?〈1〉(2023年12月2日)

【改悪入管法を読む】監理措置とはなにか?〈2〉(2023年12月6日)

【改悪入管法を読む】監理措置とはなにか?〈3〉(2023年12月14日)




2024年3月2日

法務省が検討中だという在留特別許可ガイドライン案がまたろくでもない


  法務省が在留特別許可のガイドラインの見直しを検討しているとの報道が出ています。


不法滞在外国人の在留 ガイドライン見直し案まとまる | NHK(2024年2月28日 11時55分)


 報道を引用します。


不法に滞在している外国人をめぐっては、出入国在留管理庁が、法務大臣の裁量で特別に在留を認める際の基準を定めたガイドラインを策定していますが、与野党内から「どのような時に在留が認められるのかが不明確だ」との指摘が出ていたことなどから、見直し案をまとめました。

それによりますと、▽在留資格がなくても親が地域社会に溶け込み、子どもが長期間、日本で教育を受けている場合や、▽正規の在留資格で入国し、長く活動していた場合、その後、資格が切れても在留を認める方向で検討します。

一方、▽不法入国などによって国の施設に収容され、その後、一時的に釈放された仮放免中に行方をくらませた場合や、▽不法滞在の期間が相当の長期間に及ぶ場合などは、在留を認めない方向で検討するということです。


 基準の緩和が一部検討されているようにもみえる一方で、最後に書かれている「不法滞在の期間が相当の長期間に及ぶ場合などは、在留を認めない方向で検討する」というところ、さらっと読み飛ばしてしまいそうになるかもですが、これはとんでもないです。

 正規滞在であれ、在留資格のない非正規滞在であれ、日本にいる期間が長期間におよぶ場合、一般論として地域社会に溶け込んでいたり、密接な人間関係をこの地で結んでいたりするものです。

 また、とくに非正規滞在者の在留が長期にわたっている場合、それは自国に帰ろうにも帰れない事情があるからだということも多々あります。在留資格のない状態では社会保障からも排除されるわけですし、就労先を探すにもきわめて不利なわけです。それに、長く離れていれば故郷の親が病気になったり亡くなったりなど、切実に帰りたくなる機会も出てくるものです。にもかかわらず在留資格のない状態での在留が長年にわたるのは、帰国できない深刻な事情があるからということも少なくないのです。

 ところが、報道されている法務省のガイドライン案では、その非正規滞在での在留期間が長くなるほど、在留を許可するにあたってマイナスに評価されるということになってしまいます。在留特別許可は、人道的な配慮をするための措置であって、懲罰のためのものではないにもかかわらずです。本来であれば在留期間が長くなるほど、人道措置として在留を認めるべき理由になるはずなのが、非正規滞在の場合、反対にそこがマイナスに評価される。あべこべにもほどがあります。


 で、ここからがとくに強調したいところなのですが、歴史的な経緯をふりかえったとき、「不法滞在の期間が相当の長期間に及ぶ場合などは、在留を認めない方向で検討する」という法務省の考えは、まったく道理に反しています。

 というのも、「不法滞在の期間が相当の長期間に及ぶ」ようなケースについて、そこに国・政府の責任がないとは言えないからです。法務省などの役人たちの呼ぶところの「不法滞在者」に一方的に責任を帰すことのできるようなものではありません。

 現在、退去強制処分を受けて仮放免の状態にある人たちが3,000人以上いますが、そのなかで来日時期がもっとも早い層は、1980年代の後半に来た人たちです。在留期間でいえば、35年ぐらいになる層。

 そのなかには、犯罪歴がないにもかかわらず、この間、一貫して在留資格がない状態で現在にいたるという人が相当数います。日本人や在留資格のある外国人と婚姻していない人や、婚姻していても実子のいない人などが、これまで在留特別許可の対象になってこなかったからです。

 「不法滞在の期間が相当の長期間に及ぶ場合などは、在留を認めない方向」でガイドラインが作られるならば、こうした人たちはますます在留を認められなくなるということになるでしょう。

 しかし、「不法滞在の期間が相当の長期間に及ぶ」ような状況は、非正規滞在者本人たちだけにその責任を帰すことはできません。

 バブル景気にわく80年代後半、日本人労働者が「3K」(きつい、汚い、危険)と呼んで忌避し、深刻な労働力不足にあった製造業などの中小零細企業には、外国人労働者によって救われたところも少なくありません。そこには、在留期間が切れて超過滞在(オーバーステイ)になった非正規滞在者も多くいました。

 90年代を通じて、非正規滞在の外国人は、中小零細の工場や建築現場などで欠かせない労働力としてありました。この時期、警察官が職務質問などで在留期間が過ぎていることを知っても、わざわざ摘発しないのが普通でした。

 関東地方で当時、非正規滞在の状態で暮らしていた外国人たちから、私自身そのような経験を数多く聞きました。あるフィリピン人からは、警察官はオーバーステイを問題にしないのがわかっていたから、交番で道を聞いたりということを当時は平気でできていたのだという話を聞いたこともあります。その人が言うには、ある時期から在留資格のない仲間たちがつぎつぎとつかまり送還されるようになり、職務質問などをされないように警察官を避けるようになったということでした。

 入管の民族差別・人権侵害と闘う全国市民連合の発行するパンフレット『なぜ入管で人が死ぬのか』(2022年発行)は、バブル期から日本で暮らす非正規滞在者の証言を紹介しています。


 1980年代末、20歳のとき渡日した非正規滞在のイラン人は、次のように述べています。

「警察がパスポートを見せろと度々尋ねてきた。パスポートを見てオーバーステイと分かっても摘発しなかった。街の祭りの後片付けを手伝っていたときには、警官は、頑張れよ、と声を掛けてきた。だからずっと日本に居られると思っていた。ところが 2005年に、突然、不法滞在で逮捕された。帰れというならもっと若い時になぜ言ってくれない。」

 また、同じバブル経済期に渡日した別の非正規滞在外国人は「警察に職務質問を受けて在留資格がないと分かってもパスポートの期限が切れておらず、工場で働いていることが分かれば『しっかり働けよ』と言って捕まえようとしなかった。だから真面目に働き、税金を払っていれば日本にずっといられる、と思った」と述べています。


 日本政府が、非正規滞在の外国人労働者の存在を許容しないという方向に政策転換したのは、2000年代に入ってからです。

 2003年10月に、法務省入国管理局、東京入国管理局、東京都、警視庁の四者による「首都東京における不法滞在外国人対策の強化に関する共同宣言」が出され、おなじ年の12月には政府の犯罪対策閣僚会議による「犯罪に強い社会の実現のための行動計画」が出ます。いずれの文書も、「不法滞在外国人」は「犯罪の温床」であると決めつけ、その摘発強化をうたったものです。後者の「行動計画」において、2004年からの5年間でいわゆる「不法滞在者」を半減するという計画が示されます。

 この政策転換のなかで、入管などが「送還忌避者」と呼ぶ、国外退去を求められているけれどこれを拒否している人が増大していったということ(2020年時点で3,000人超)。その増大した「送還忌避者」を強硬に送還する方針を2015年ごろに政府がたてて、これに固執し続けていることが入管施設での長期収容問題、あいつぐ死亡事件をはじめおびただしい数の人権侵害を生じさせているのだということ。こうしたことについて、さきのパンフレットではくわしく説明されています。

 私も作成にかかわっているので手前ミソにはなりますけれど、なかなかよくできたパンフレットなので、ぜひ手に取ってみてください。以下のリンク先から、PDF版が無料配布されています。


なぜ入管で人が死ぬのか | 入管の民族差別・人権侵害と闘う全国市民連合


 さて、政府が2000年代前半に非正規滞在外国人をめぐる政策を転換したことの是非については、ここで論じません。しかし、その存在をかつて事実上黙認していたことは、重要です。事実として、日本社会は非正規滞在外国人の労働力を活用してきたのであり、それは政府の黙認によって可能だったのです。

 そうして日本社会を支えてきた人たちを、政策が変わったからとか、もう用済みだからとか、排除するのだとしたら、それは無慈悲だというだけでなく、いちじるしく道理に反することです。

 ガイドライン案の「不法滞在の期間が相当の長期間に及ぶ場合などは、在留を認めない方向で検討する」というところは、撤回すべきです。バブル期から90年代を通じた政策があやまりだったというのであれば、その政策のツケを一方的に非正規滞在者にのみに押し付けるような恥知らずなことはすべきでありません。


2024年2月29日

卒業式の権威主義

 

 フェイスブックが「過去のこの日」などといって、何年か前の今日の投稿を表示してくれるのですが、そうか、今年も卒業式の季節ですね。子の卒業式に出席した日の投稿をこのブログにも再録しておきます。


 子の卒業式に出席してきました。コロナの感染防止ということで、生徒ひとりにつき保護者は1名までの出席ということで、今回は私がひとりで出てきました。

 毎度のことなのですが、開始そうそう「ご起立ください」と言われて起立すると突然テンスケをたたえる歌が流れてきたので、着席しました。戦争犯罪者とその地位を後継する一族が千代に八千代につづきますようになどというふざけた内容の歌を、500人ぐらいいる会場で(たぶんひとりだけ)すわって聞かされるという苦行に。

 校長は式辞にあたって壇上にあがると高いところにかかげられたクソ丸に真っ先に一礼するなど、なかなかスゴいものを見せられました。

 せっかくの祝福の儀式なのにこういうおかしなものを持ち込むのはやめてほしいよね。

 ほかにもひどく権威主義的な形式があちこちにみられて、いままでみた入学式・卒業式でもここまでのはみたことないという感じでした。根本には侵略戦争や植民地支配への無反省ということがあるのでしょうが、維新府政が続いていることでの教育の荒廃がすすんでいることのあらわれをみるような思いもしました。


 君が代を歌ったり日の丸をかかげたりという行為は、それ自体が侵略国家の国民の居直りとも言うべきで、悪質きわまりないものです。さらに、これを大人たちが権力をもって、さまざまなルーツをもつ子どもたちのいる学校という場所で強制しているということのろくでもなさ。今年もおなじ光景が、全国各地の学校でくり返されているのだろうということを思うに、あらためて慄然(りつぜん)とします。

 数年前に出席した卒業式(高校)では、上に書いたとおり、校長は壇上に上がるなり、まず日の丸に一礼をしました。卒業生たちやその保護者たちにではなく、来賓にむかってですらなく、一番先に頭をさげたのが日の丸に対してだったのです。

 この人は日々どこを向いて教育をやってるんだろうかと思いました。たかが儀礼的な様式じゃないかと言われれば、まあそうでしょうが、こうした儀礼的なふるまいが象徴している教師の日常や思考というのも、軽くみるべきではないとも思います。

 このときの卒業式では、卒業生の読んだ答辞は、内容としては心のこもったすばらしいものだと感じたのですが、儀式の形式がその内容とそぐわない残念なものになってしまっていました。卒業生はステージの下に立ち、壇上の校長にむかって、つまり校長をあおぎみるかっこうで答辞を読み上げる、という形式だったのです。

 校長の日の丸拝礼にしても、あおぎみての卒業生答辞にしても、これらは権威主義にほかなりません。だれが上位でだれが下位なのかを決め、その上下関係を目に見える形で表現するという儀式であるわけです。教師は生徒より上位であり、教師のなかでは校長が最上位にあり、しかしその校長より上位に日の丸が位置している。そういう上下関係を、あるべき秩序として維持しなければならない。こんな規範・価値観を儀式として表現する場にさきの卒業式はなっていたということです。

 こういう儀式への参加を学校教育の場などでくりかえし強いられると(私自身そういう教育をみっちりと受けてきたわけですけど)、それぞれが平等な立場から組織や共同体に参加し、いわば民主的に合意形成をはかっていく、みたいな能力や意思は破壊されちゃいますよね、と思います。破壊されたものを取り戻していくということを意識的にやらざるをえなくなる。これはなかなか難儀なことです。


2024年2月10日

差別は正しく「差別」と呼ばなければならない

  政府が、永住者の在留資格について、税金や社会保険料を納付しないケースなどで在留資格を取り消せるよう入管法を改悪する検討をしているとの報道が出ています。

税や保険料を納めない永住者、許可の取り消しも 政府が法改正を検討:朝日新聞デジタル(2024年2月5日 15時49分)

 記事の冒頭段落だけ引いておきます。


 政府は、「永住者」の在留許可を得た外国人について、税金や社会保険料を納付しない場合に在留資格を取り消せるようにする法改正の検討を始めた。外国人の受け入れが広がる中、公的義務を果たさないケースへの対応を強化し、永住の「適正化」を図る狙いだ。


 「適正化」ですって……!

 だれがそう言ったんでしょうか? 法務省か入管庁の役人の言葉なのでしょうけど、どういう意味で「適正化」などと言えるのか。「税金や社会保険料を納付しない場合に[永住者の]在留資格を取り消せるようにする」ことを「永住の適正化」と称するセンスには、驚愕(きょうがく)するほかありません。明白な差別ではないですか。

 これを報じる朝日新聞の記事では、「永住の『適正化』」と一応はカギカッコをつけてはいるものの、それを「適正化」なのだとする役人の言い分を、無批判にまとめるだけの記事になっています。カギカッコをつけるだけでごまかさずに、政府がもくろむ法改定が差別だということを指摘すべきではないでしょうか。

 当然ながら、「税金や社会保険料を納付しない場合」には、日本人であれ外国人であれ、おなじペナルティが科されることになっているわけです。滞納すれば督促状が送られてくる。それでも払わなければ延滞金を請求されます。預金や不動産など財産を差し押さえられることもあります。

 政府が「永住の適正化」と呼ぶ施策は、こうしたペナルティにくわえて、外国人の場合にのみ、さらに重ねてべつのペナルティをも科すということです。しかも、それは永住者の在留資格を取り消すという、きわめて重い不利益処分です。

 税金や社会保険料の未納・滞納という同一の行為について、特定の属性の住民にだけ特別に重いペナルティを科すのは、「差別」と呼ぶべき行為です。これを「永住の適正化」と言い表すのは、侵略を「進出」と呼び、敗走や撤退を「転進」、裏金作りを「収支報告書への不記載」と呼ぶのにも似た欺瞞(ぎまん)です。差別は正しく「差別」と呼ばなければなりません。

 さて、これも当然の話ですが、税や社会保険料をげんに負担しているのは、日本国民だけではありません。永住者の在留資格をもつ人もふくめ、外国人住民も、税や社会保険料の負担者です。その意味でも、日本社会は外国人をふくめた住民によってささえられているのであって、日本国民もそうした社会でささえられ生きているわけです。こうした認識からは、外国人の滞納者にのみことさら重いペナルティを科そうなどという、いまの政府のような発想がでてくるはずはありません。

 対して政府の発想は、「外国人が義務をはたさないために、国民が(日本人が)迷惑や過度な負担をこうむっている」という虚偽の、かつ差別的な認識に根ざしたものです。ここで「外国人が/国民が(日本人が)」という単純化された対立軸が設定されて、さらにマジョリティである「国民(日本人)」がいわば被害者側に位置づけられるという思考が、まさに差別的なのです。「在日特権」「逆差別」といったたわごととまさに同じ構造です。

2024年1月21日

ヤフーニュースのコメント欄と入管と

 

 1か月以上前の報道ですが。


【茨城新聞】不法滞在31年 容疑で85歳の韓国人逮捕 茨城県警水戸署(2023年12月9日(土))

31年間にわたり茨城県内で不法滞在を続けていたとして、県警水戸署は8日、入管難民法違反(不法残留)の疑いで、韓国籍の水戸市、無職、女(85)を逮捕した。

逮捕容疑は、在留期限が1991年12月末だったにもかかわらず、更新や変更を受けないまま、不法に残留した疑い。同署によると、容疑を認めている。同署員が8日、同市内で職務質問して発覚した。


 このかた、日本での暮らしがすくなくとも31年以上ということで、しかも在留期間が切れてからはおそらく一度も日本から出ていないのでしょうから、いまさら韓国に帰れと言われても相当にこまるのではないかなと想像します。

 上にリンクしたのは、茨城新聞のサイトなのですけれど、同じ記事は「Yahoo!ニュース」にも掲載されており、いつものごとく差別・排外主義にまみれたコメントがたくさんついています。「Yahoo!ニュース」については、私は前にこちらのブログ記事にも書いたとおり、リンクを貼らないことにしているので今回もリンクはしませんが、まあひどいものです。強制送還しろとのコメントがいくつもならんでいます。

 それらのコメントに共通するのは、自身の排外主義的な主張の盾(たて)として「法」を語っているというところです。日本は「法治国家」であるとか、「法は曲げられない」だとか、「不法」行為をおかした本人のせいなのだとか、いわば「法」を言い訳にするかたちで、強制送還すべき、あるいは強制送還するしかないのだというのです。

 また、こうした強制送還すべきと主張する言説の多くは、自身の主張を「法」に根拠を置く、いわば理性的なものと自負しているらしい一方で、自分と反対の立場の主張は「かわいそう」といった同情にもとづく感情論と決めつけているのが特徴的です。「強制送還に反対する者はかわいそうだなどと言うが、情で道理を曲げるわけにはいかない。日本は法治国家なのだから、不法滞在者は法を厳格に適用して強制送還すべきである」というわけです。

 なんだか、こういう「情」というものの価値を低くみたうえで、これに流されずに道理を通す理性的なオレ、みたいな自意識は、イヤなものです。こういう人間にはなりたくないなあ、ならないように気をつけよう、と思います。

 さて、Yahoo!ニュースのコメント欄やツイッターなどで排外主義言説をまきちらす右翼たちは、しばしば「不法滞在者は強制送還するのが法の正しい適用」「不法滞在者の在留を認めるのは法を曲げること」という前提で語ります。しかし、この認識は、入管法の理解としてもだいぶずれており、まちがっているように思います。

 現行の入管法では、たしかにいわゆる「不法残留」などを退去強制事由として規定しています。しかし、本人が在留を希望した場合、法務大臣がこの人の在留を特別に許可するかどうかの判断をしなければならないということも手続き上さだめられています。さきの報道の水戸市の女性についても、入管局の審査において不法残留であるとの認定がなされたとしても、本人が希望すれば、「違反」の事実以外の要素もふくめたもろもろの状況をみて在留特別許可をするかどうかの判断が、手続き上一応はなされるはずです。

 つまり、現行入管法においてさえも、いわゆる「不法滞在者」(クソな言葉だわ)を、必ずすべて送還しなければならない、あるいは送還できるという前提には立っていません。人道的にみて送還すべきではないということもあると想定されているからこそ、在留特別許可という措置が用意されているのでしょう。

 その意味で、「不法滞在」「不法残留」「不法入国」といった言葉をみると、「日本は法治国家だ!」「強制送還すべきだ!」となどとYahoo!ニュースのコメント欄などに書きこまずにはいられない右翼諸氏の主張は、本人たちがおそらく自己認識としていだいているようなイメージとは、正反対のものだということです。つまり、この人たちは、感情論とは対極にある冷静で理知的な議論を法の正しい理解にもとづいておこなっているつもりらしいのですが、実際のところは排外主義的な俗情をたれながしているにすぎない。

 しかし、いっそう深刻なのは、行政機関たる入管の役人たちの思考も、こういう右翼たちのそれとへだたってるとは思えないことです。たとえば、先日このブログで言及した*1つぎの事例などをみたときに。


「うれしいし驚きも」タイ人の母親のもとで日本で生まれた高校生と中学生の姉弟に在留特別許可 これまでは在留資格なく「仮放免」 | SBC NEWS | 長野のニュース | SBC信越放送(2023年12月26日(火) 12:09)


 報道されている在留の認められたきょうだいは、17歳と15歳です。このケースについて、入管は17年ものあいだ、日本生まれの未成年者を在留資格のないまま、また強制送還の対象としたまま、放置してきたわけです。人道上の配慮として在留を許可するという措置があるにもかかわらず、その措置をとらないという不作為を入管は17年間続けてきたのです。

 この不作為は、法にのっとった結果であるとか、あるいは現行制度のせいであるとか、のみ言うことはできません。在留を認めるという措置が可能でありながら、その措置を17年間にわたりとらなかったという入管の選択の結果なのです。それは「法」の必然的な帰結ではなく、それを選択した意思の帰結です。

 そして、今回、このきょうだいが在留を認められたのは、昨年8月に法務大臣が発表した特例的な政府方針、在留が長期化した子どもに対して、家族一体として在留特別許可をするという方針にもとづくものです。ところが、この長野県の家族のケースでは、在留が認められたのは子どもたちだけで、母親はまだ認められていません。「家族一体として」という方針を打ち出しながら、親子を分離するような措置をおこなっている。

 この入管の役人たちの不作為という選択から感じられる、暗い情念はいったい何なのでしょうか。それは、Yahoo!ニュースに排外主義的なコメントを書きこんでいる者たちの主張と、入管のとっている行動は、そうへだたっていないどころか、ぴったりと重なっているようにみえます。

 注でリンクした記事でも紹介しましたが、未成年の仮放免者とその家族に在留特別許可をせよと求める署名が呼びかけられています。署名は現在もひきつづき募集中です。


オンライン署名 ・ 日本に生まれ育った未成年の仮放免者とその家族に在留特別許可を! ・ Change.org




2024年1月8日

民主主義と災害


  年あけてそうそう元日に能登で大地震。だが、岸田首相はじめ自公政権の救助や被災者支援の動きがおどろくほどにぶい。被災者に無関心、ほとんど興味がないのだとしかみえない。

 岸田らが救助や被災者支援に本気で取り組む気がさらさらないのだということを示す例は枚挙にいとまがないが、一例をあげれば、つぎのニュース。


【速報】岸田首相は能登半島地震の物資支援のため9日に予備費使用の閣議決定を行うと表明した:時事ドットコム(2024年01月04日11時59分)



 この報道が1月4日(木)で、1日(月)の発災からすでに3日近く経過している。で、予備費使用を決める閣議をひらくのはさらに5日後の9日(火)まで待つのだそうだ。

 岸田らが、倒壊した建物の生き埋めになった住民や、避難所で寒さと飢えにされされている被災者に同情するような人間ではないのは今さらおどろかない。しかし、救助や支援をやる気がほとんどないことを隠そうともしない、やってるふりすらもはやしないのは、どういうことだろうか。それはそれでも自分らの権力や地位はおびやかされることはないと、たかをくくっているからだろう。

 こうした岸田らの態度をみながら、ずいぶん前に読んだアマルティア・センの文章を思い出した。そのなかに、飢饉と民主主義について述べられた、非常に印象深い一節があった。

 センは「世界の悲惨な飢饉の歴史の上で、比較的自由なメディアが存在した独立民主国家にあって、本格的な飢饉が発生した国は一つもない」として、以下のように述べる。


 飢饉は、自然災害のようなものとしばしば結びつけられてしまいます。たとえば、「躍進」期の中国に発生した大洪水、エチオピアの旱魃(かんばつ)、北朝鮮の凶作といった自然災害を、飢饉の単純な説明としてしまう論評がよくあります。しかし、実際には、そのような自然災害やもっとおそろしい災難に見舞われた多くの国々ですら、飢饉は起こっていないのです。なぜならば、それらの国々には、飢えの苦痛を軽減するために迅速に行動する政府が存在しているからです。飢饉の最初の犠牲者は最も貧しい人々ですから、たとえば、雇用計画などを立案して、飢饉の犠牲になる潜在的可能性の高い人々のために、その食糧購買力を高める新たな所得を創出すればよいのです。そうすれば、餓死は防止できます。1973年のインド、1980年代初頭のジンバブエやボツワナといった、世界で最も貧しい民主主義国ですら、実際に深刻な旱魃や洪水やその他の自然災害に見舞われた時には、食糧供給を行って飢饉の発生を被らずにすんだのです。

 飢饉は、それを防止しようという真剣な努力がありさえすれば、簡単に阻止できるものなのです。民主主義国家では選挙が行われ、野党や新聞からの批判にもさらされるので、政府はどうしてもそのような努力をせざるをえません。イギリス支配下にあったインドにおいて、独立直前まで飢饉が絶えることがなかったのも、当然でした。最後の飢饉が起こったのは、独立の4年前の1943年でしたが、当時子供であった私はそれを目撃しました。独立後のインドに、自由なメディアがあらわれて、複数政党制による民主主義体制が確立されると、飢饉は突然止んで二度と発生しなくなりました。

 実際には、飢饉の問題は民主主義がその本領を発揮するほんの一例にすぎませんが、多くの点で最も分析しやすいケースだと言えます。政治的・市民的権利は経済的・社会的破局の防止に、積極的な役割を果たすことができます。物事が順調に運び、すべてがいつものように滞りない状態にある場合には、民主主義が手段として果たす役割が切望されることはあまりないかもしれません。しかし、何らかの理由で、状況が急変するような場合には、民主的な統治が生み出す政治的インセンティヴが大きな実践的価値を持つのです。

アマルティア・セン『貧困の克服』(大石りら訳、集英社新書、2002年)


 もちろん飢饉と震災はおなじにあつかえないところもあるだろう。しかし、いま私たちが目にしているのは、まさしく「民主的な統治が生み出す政治的インセンティヴ」の欠如のために、「真剣な努力がありさえすれば」死なずにすんだはずの人間が殺されつつあるという状況だ。

 少しでも犠牲をなくすために必要なのは、自由なメディアであり、批判的な野党であり、自由で批判的な言論である。大きな災害などが起きたときには、権力に迎合的な言論がますます大きく強くなる傾向があるものだが、「非常時だから政府批判・与党批判はひかえよう」といった姿勢は、被害をおさえるということとは真逆の結果をもたらす。


 さて、冒頭でみたような、住民たちが倒壊した建物の生き埋めになっているのを首相らが平然とほったらかしているという事実が示しているのは、「民主的な統治が生み出す政治的インセンティヴ」がぜんぜん働いていないということであり、それは日本において民主主義が機能していないということにほかならない。

 センはおなじ文章のなかで、「民主主義とは正確にはいったい何なのでしょうか」という問いをたてて、つぎのように述べている。民主的な統治がなされているとみなされることのある日本の民主主義が、実際のところどれほど機能していると言えるのか、点検し考えなおすためのひとつの目安として、最後に抜粋しておきたい。


 民主主義とは正確にはいったい何なのでしょうか。私たちは、多数決原理が民主主義であると考えるべきではありません。民主主義がしっかり機能するためには、多くのさまざまな要求が満たされなくてはなりません。その中には、もちろん投票や選挙結果の尊重などが含まれますが、自由を守ること、法的権利や法的資格が尊重されること、自由な議論が交わされること、公正な意見と情報が検閲なしに公表されることなども保障されていなくてはなりません。選挙においては、反対陣営がそれぞれの主張を述べる十分な機会がなく、有権者が情報を得る自由を享受して対立候補たちの政見についてよく考えることができなければ、それはまさしく欠陥選挙といわなければなりません。民主主義は、さまざまな要求が満たされなければならないシステムで、多数決原理のような機械的な条件だけを切り離して採りいれているわけではないのです。

2023年12月30日

未成年仮放免者への在留特別許可について 特例措置を「特例」たらしめているもの


  日本の入管体制は、いわば「あべこべな世界」とでも言うべきものです。そこでは、「異常」としか言いようのないことがらが「普通のこと」としてまかりとおっている。「当たり前」のようにおこなわれていることは、ことごとく「おかしい」。そういう世界です。

 入管に関するニュースに接するとき、私たちはそこで報じられた出来事が「ニュース」、すなわち新奇な出来事として報じられるということの異常さに、しばしばめまいのような感覚をいだくことになるのです。報じられた出来事そのものに驚くというよりも、そこに「めずらしい」「特異な」「異例な」出来事であるという意味を与えている文脈のほうにこそ、驚かされることになります。

 たとえば、つぎのようなニュースに接したときに。


「うれしいし驚きも」タイ人の母親のもとで日本で生まれた高校生と中学生の姉弟に在留特別許可 これまでは在留資格なく「仮放免」 | SBC NEWS | 長野のニュース | SBC信越放送(2023年12月26日(火) 12:09)


 ここで報じられているのは、高校生・中学生の姉弟が在留資格を得たという事実です。しかし、そもそもこの事実にニュースとして報じるべき価値・意味を与えている文脈は何なのかということにこそ、着目しなければならないように思います。

 それは、日本生まれの人が、高校生・中学生の年齢にまでなりながら、在留資格をえられず、退去強制処分の対象になっていたということ、またそういうことが起こりうるのだということです。これは、法制度そのもの、あるいはこれまでの入管政策そのものに根本的な欠陥があるというほかない事態です。

 ところで、この姉弟への在留特別許可は、上の記事でも少しふれられていますが、今年8月に発表された政府方針にもとづくものです。入管法の改定法の可決・成立(6月)を受けて、8月4日、法務大臣は、在留が長期化した子どもに対して、家族一体として在留特別許可をし在留資格を与える方向で検討するとの政府方針を発表しました*1

 以下の画像は、その法務大臣会見の資料です。

2023.8.4法務大臣記者会見資料

入管法改定法の施行までに「今回限り」のいわば特例措置として
・日本で出生して
・小学校、中学校又は高校で教育を受けており、
・引き続き本邦で生活をしていくことを真に希望している
子どもとその家族
を対象として在留資格の付与を検討するとのことです。
 ただし、「親に看過し難い消極事情がある場合」は除外するとのこと。


 ここでもやはり問うべきなのは、そもそもこの特例措置を「特例」たらしめている文脈が何なのかということです。日本生まれの学齢期の子どもたちが、在留資格を与えられずにいわば送還対象とされた状態で、200人以上もこんにちまで放置されてきたわけです。これは、入管政策の不作為によるものにほかなりません。

 いま「特例」として在留特別許可をするかどうか入管は検討するのだといっているのですけれども、そもそも、その検討の対象となっている200人あまりの子どもたちにいまのいままで在留特別許可を「しない」という方針をとってきたのが入管です。親が超過滞在だったり非正規入国した経緯があったりということで、その子も在留の資格を認めないまま放置してきた。この、あきらかにおかしな従来の入管の方針が、今回の特例措置を「特例」たらしめているのです。常態がめちゃくちゃに異常なので、日本生まれの学齢期の子どもの在留は正規化しましょう、その子が日本で暮らしていくにあたって家族分離が生じないよう家族一体で正規化しましょうという、ごくごく当たり前の措置が「特例」としてなされることになるのです。

 さて、さきの姉弟のケースでは、「2人の母親は過去に非正規入国した経緯があ」るということで、今回の措置では在留特別許可がなされなかったということです。

 上の画像の法務大臣の会見資料でも、「親に看過し難い消極事情がある場合」は今回の措置の対象から除外するとし、その「看過し難い消極事情」の例として「不法入国・不法上陸」をあげています。

 この件にかかわらず、入管は、同じ入管法違反でも、超過滞在(入管の呼ぶところの「不法残留」)とくらべて非正規入国(入管用語で言う「不法入国・不法上陸」)をかなり重くみる方針をとっています。しかし、入管がこうしてとっている方針について、それが妥当なのかどうか、市民の側からも批判・検討されるべきではないかと思います。

 今回報道されている東京入管の措置は、姉弟に在留資格を認める一方でその母親には認めない(依然、退去強制処分が取り消されていない状態に置く)というものですから、家族をバラバラに引き裂くものです。子どもたちの在留は認めてやるが、母親は日本から出て行けと。ひどいものです。たんに(とあえて言いますけども)入国のさいに入管法に規定された手続きにのっとらなかったというだけのことで、国家がその権力を使って家族をバラバラにするような措置をとるのが許されるのでしょうか。私にはとうていそうは思えません。

 未成年の仮放免者とその家族に在留特別許可をせよという署名が呼びかけられています。オンラインでも署名できます。


オンライン署名 ・ 日本に生まれ育った未成年の仮放免者とその家族に在留特別許可を! ・ Change.org


 入管法改悪法の可決・成立に先立つ23年5月4日に始まった署名募集ですが、いまも募集は続いているので、よかったらぜひ署名や情報拡散をお願いします。



*1: 法務省:法務大臣臨時記者会見の概要(2023年8月4日(金))および画像の会見資料「送還忌避者のうち本邦で出生した子どもの在留特別許可に関する対応方針について」(出入国在留管理庁)参照。