法務省が在留特別許可のガイドラインの見直しを検討しているとの報道が出ています。
不法滞在外国人の在留 ガイドライン見直し案まとまる | NHK(2024年2月28日 11時55分)
報道を引用します。
不法に滞在している外国人をめぐっては、出入国在留管理庁が、法務大臣の裁量で特別に在留を認める際の基準を定めたガイドラインを策定していますが、与野党内から「どのような時に在留が認められるのかが不明確だ」との指摘が出ていたことなどから、見直し案をまとめました。
それによりますと、▽在留資格がなくても親が地域社会に溶け込み、子どもが長期間、日本で教育を受けている場合や、▽正規の在留資格で入国し、長く活動していた場合、その後、資格が切れても在留を認める方向で検討します。
一方、▽不法入国などによって国の施設に収容され、その後、一時的に釈放された仮放免中に行方をくらませた場合や、▽不法滞在の期間が相当の長期間に及ぶ場合などは、在留を認めない方向で検討するということです。
基準の緩和が一部検討されているようにもみえる一方で、最後に書かれている「不法滞在の期間が相当の長期間に及ぶ場合などは、在留を認めない方向で検討する」というところ、さらっと読み飛ばしてしまいそうになるかもですが、これはとんでもないです。
正規滞在であれ、在留資格のない非正規滞在であれ、日本にいる期間が長期間におよぶ場合、一般論として地域社会に溶け込んでいたり、密接な人間関係をこの地で結んでいたりするものです。
また、とくに非正規滞在者の在留が長期にわたっている場合、それは自国に帰ろうにも帰れない事情があるからだということも多々あります。在留資格のない状態では社会保障からも排除されるわけですし、就労先を探すにもきわめて不利なわけです。それに、長く離れていれば故郷の親が病気になったり亡くなったりなど、切実に帰りたくなる機会も出てくるものです。にもかかわらず在留資格のない状態での在留が長年にわたるのは、帰国できない深刻な事情があるからということも少なくないのです。
ところが、報道されている法務省のガイドライン案では、その非正規滞在での在留期間が長くなるほど、在留を許可するにあたってマイナスに評価されるということになってしまいます。在留特別許可は、人道的な配慮をするための措置であって、懲罰のためのものではないにもかかわらずです。本来であれば在留期間が長くなるほど、人道措置として在留を認めるべき理由になるはずなのが、非正規滞在の場合、反対にそこがマイナスに評価される。あべこべにもほどがあります。
で、ここからがとくに強調したいところなのですが、歴史的な経緯をふりかえったとき、「不法滞在の期間が相当の長期間に及ぶ場合などは、在留を認めない方向で検討する」という法務省の考えは、まったく道理に反しています。
というのも、「不法滞在の期間が相当の長期間に及ぶ」ようなケースについて、そこに国・政府の責任がないとは言えないからです。法務省などの役人たちの呼ぶところの「不法滞在者」に一方的に責任を帰すことのできるようなものではありません。
現在、退去強制処分を受けて仮放免の状態にある人たちが3,000人以上いますが、そのなかで来日時期がもっとも早い層は、1980年代の後半に来た人たちです。在留期間でいえば、35年ぐらいになる層。
そのなかには、犯罪歴がないにもかかわらず、この間、一貫して在留資格がない状態で現在にいたるという人が相当数います。日本人や在留資格のある外国人と婚姻していない人や、婚姻していても実子のいない人などが、これまで在留特別許可の対象になってこなかったからです。
「不法滞在の期間が相当の長期間に及ぶ場合などは、在留を認めない方向」でガイドラインが作られるならば、こうした人たちはますます在留を認められなくなるということになるでしょう。
しかし、「不法滞在の期間が相当の長期間に及ぶ」ような状況は、非正規滞在者本人たちだけにその責任を帰すことはできません。
バブル景気にわく80年代後半、日本人労働者が「3K」(きつい、汚い、危険)と呼んで忌避し、深刻な労働力不足にあった製造業などの中小零細企業には、外国人労働者によって救われたところも少なくありません。そこには、在留期間が切れて超過滞在(オーバーステイ)になった非正規滞在者も多くいました。
90年代を通じて、非正規滞在の外国人は、中小零細の工場や建築現場などで欠かせない労働力としてありました。この時期、警察官が職務質問などで在留期間が過ぎていることを知っても、わざわざ摘発しないのが普通でした。
関東地方で当時、非正規滞在の状態で暮らしていた外国人たちから、私自身そのような経験を数多く聞きました。あるフィリピン人からは、警察官はオーバーステイを問題にしないのがわかっていたから、交番で道を聞いたりということを当時は平気でできていたのだという話を聞いたこともあります。その人が言うには、ある時期から在留資格のない仲間たちがつぎつぎとつかまり送還されるようになり、職務質問などをされないように警察官を避けるようになったということでした。
入管の民族差別・人権侵害と闘う全国市民連合の発行するパンフレット『なぜ入管で人が死ぬのか』(2022年発行)は、バブル期から日本で暮らす非正規滞在者の証言を紹介しています。
1980年代末、20歳のとき渡日した非正規滞在のイラン人は、次のように述べています。
「警察がパスポートを見せろと度々尋ねてきた。パスポートを見てオーバーステイと分かっても摘発しなかった。街の祭りの後片付けを手伝っていたときには、警官は、頑張れよ、と声を掛けてきた。だからずっと日本に居られると思っていた。ところが 2005年に、突然、不法滞在で逮捕された。帰れというならもっと若い時になぜ言ってくれない。」
また、同じバブル経済期に渡日した別の非正規滞在外国人は「警察に職務質問を受けて在留資格がないと分かってもパスポートの期限が切れておらず、工場で働いていることが分かれば『しっかり働けよ』と言って捕まえようとしなかった。だから真面目に働き、税金を払っていれば日本にずっといられる、と思った」と述べています。
日本政府が、非正規滞在の外国人労働者の存在を許容しないという方向に政策転換したのは、2000年代に入ってからです。
2003年10月に、法務省入国管理局、東京入国管理局、東京都、警視庁の四者による「首都東京における不法滞在外国人対策の強化に関する共同宣言」が出され、おなじ年の12月には政府の犯罪対策閣僚会議による「犯罪に強い社会の実現のための行動計画」が出ます。いずれの文書も、「不法滞在外国人」は「犯罪の温床」であると決めつけ、その摘発強化をうたったものです。後者の「行動計画」において、2004年からの5年間でいわゆる「不法滞在者」を半減するという計画が示されます。
この政策転換のなかで、入管などが「送還忌避者」と呼ぶ、国外退去を求められているけれどこれを拒否している人が増大していったということ(2020年時点で3,000人超)。その増大した「送還忌避者」を強硬に送還する方針を2015年ごろに政府がたてて、これに固執し続けていることが入管施設での長期収容問題、あいつぐ死亡事件をはじめおびただしい数の人権侵害を生じさせているのだということ。こうしたことについて、さきのパンフレットではくわしく説明されています。
私も作成にかかわっているので手前ミソにはなりますけれど、なかなかよくできたパンフレットなので、ぜひ手に取ってみてください。以下のリンク先から、PDF版が無料配布されています。
さて、政府が2000年代前半に非正規滞在外国人をめぐる政策を転換したことの是非については、ここで論じません。しかし、その存在をかつて事実上黙認していたことは、重要です。事実として、日本社会は非正規滞在外国人の労働力を活用してきたのであり、それは政府の黙認によって可能だったのです。
そうして日本社会を支えてきた人たちを、政策が変わったからとか、もう用済みだからとか、排除するのだとしたら、それは無慈悲だというだけでなく、いちじるしく道理に反することです。
ガイドライン案の「不法滞在の期間が相当の長期間に及ぶ場合などは、在留を認めない方向で検討する」というところは、撤回すべきです。バブル期から90年代を通じた政策があやまりだったというのであれば、その政策のツケを一方的に非正規滞在者にのみに押し付けるような恥知らずなことはすべきでありません。
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