2021年11月9日

ねむりにつくのが憂うつで


【ふりがなを つける】(powered by ひらがなめがね)



 ここ数日、口のなかの知覚過敏の症状が悪化している。とても痛い。


 起きて活動しているあいだは、体全体でさまざまなな刺激をうけとっているせいか、口内の痛みはさほど自覚しない。痛みというのは、まぎれるものなのだな。


 ところが、横になってうとうとしはじめると、痛みが起きだしてくる。視覚や聴覚、全身の肌の感覚が刺激をうけとる活動をやすみはじめると、まぎれていた痛みがやかましく自己の存在を主張しだす。暗闇の静寂のなか、痛みだけがくっきりと輪郭をもって自己主張してくる。


 この何日間かそういうのをくりかえしているので、ふとんに入るのが憂うつだ。ねむいのだけど、ねようとすると痛みにねむりがさまたげられる。ねむいのになかなかねむれず、ねむれるまで痛みにたえなければならないはめになる。


 というわけで、こうして不本意ながら夜ふかししているのです。


2021年10月28日

「送還忌避者の発生を抑制する適切な処遇」とはなにか? 国家犯罪としての入管収容

 


(1)


 前回のブログ記事で、福島みずほさんが入管庁に開示させた資料(「送還忌避者」数の推移についての統計など)について、書きました。


福島みずほ議員が入管に開示させた「送還忌避者」数の推移について


 これを書いたのは、私なりにつぎのような問題意識があってのことです。


 2015年あたりに、あきらかに送還(と在留特別許可による在留の正規化)に関して入管政策の大きな変化がありました。この時期から顕在化していく長期収容・再収容の問題というのは、その政策の変化の結果として起こってくるわけです。政策が変わるということは、そこに意思決定があったということです。そうである以上、政策として検証・評価がなされるべきであって、その意思決定に関わった者たちの責任も問われなければなりません。


 いっぽうではたしかに、法律(入管法)の問題、仕組みの問題というのは大事です。人権侵害を防止するために入管をしばる仕組みを、法律を、作らなけばならない。そう思います。


 しかし、同時に、政策として、われわれが「送還一本やり方針」と呼んでいるものを決めた者たちがいる、その結果としてひどいことがいっぱい起こった。そこを追及しないとダメだとも思う。責任の追及なしに、実効性のある仕組みは作れないし、再発防止もできない。


 もちろん仕組み・制度や構造の問題を軽視すべきではないけれど、仕組みそのものが人を殺すわけではない。人間たちの意思が働いて、そいつが仕組みや構造を使って人をふみつけ、支配し、あるいは殺している。入管という行政機関がとってきた方針を、だれがどうやって決めたのか、だれが命令したのか、問わなければならない。行為の責任を問い、それがまちがいであった、正しくなかったということの合意を作っていくこと。それは私たちが前に進むために絶対に欠かせないことだと思います。




(2)


 今回は、前回記事でもすこしふれた入管の通知文書をとりあげます。2016年4月7日に入国者収容所長(牛久と大村の入管センター所長)と地方入管局長にむけて出された「安全・安心な社会の実現のための取組について」と題された通知です。通知の発出主として法務省入国管理局長 井上宏の名前が記されています。


 文書の内容は画像のとおりですが、「不法滞在者」や「送還忌避者」を「我が国社会に不安を与える外国人」ときめつけたうえで、その「対策」の強化に取り組めと指示したものです。


 まず、国の出している文書で「我が国社会に不安を与える外国人」などと公然と差別を扇動してるのは、まったくひどいものです。在留資格がないからといって、そのような外国人の存在は私にとってべつに「不安」でもなんでもないです。むしろ、人権をふみにじりまくっているような国の機関こそが、私にとってはるかに「不安を与える」存在です。


 そして、この文書には、さらにおどろくべきことが書いてあります。じつは、私は、この文書は何年も前から知ってはいたのですが、はずかしながら、以下の内容の問題性には、先輩の支援者から指摘されるまで気づいておりませんでした。この文書は、すみやかに実施すべき取り組みの2点目としてつぎのように書いてあります。


 不法滞在者等の効率的・効果的な摘発、送還忌避者の発生を抑制する適切な処遇および積極的な送還執行について、様々な工夫や新たな手法を取り入れるなど、我が国社会に不安を与える外国人の効率的・効果的な排除に、具体的かつ積極的に取り組んでいくこと。[太字による強調は引用者]


 注目すべきは、「送還忌避者の発生を抑制する適切な処遇」というくだりです。


 「処遇」というのは、この文書が入国者収容所長らにあてたものですから、収容施設における被収容者に対する「処遇」を指すものと考えてよいでしょう。医療・衛生や食事、運動の機会・環境、彩光、風通しなどです。


 この「処遇」について、なんと「送還忌避者の発生を抑制する適切な処遇」をするようにとの指示が、法務省入管局長から出ているのです。そうした「処遇」をひとつの手段にもちいて、「我が国社会に不安を与える外国人の効率的・効果的な排除」に取り組め、と。


 「送還忌避者の発生を抑制する適切な処遇」とはなんでしょうか? 難民申請者など自国での身の危険からのがれたい、あるいは日本に家族がいるなど、退去強制処分が出ていても事情があってこれをこばんでいる人。そうした人たちが日本にのこることをあきらめ、送還を受け入れるような処遇を収容施設で実施せよ、と。ここではそう指示されているわけです。


 「もうここにはいたくない」と思わせるような医療や食事、また、行動の制限など。収容されている人たちががまんできなくなるような処遇こそが「適切な処遇」であり、それを実施せよという指示を、法務大臣につぐ入管組織のトップが出しているのです。ウィシュマさんふくめ、入管施設で死亡者があいついでいるのは、こうした文脈で起きているのだということを理解する必要があります。




(3)


 刑法には、「過失致死罪」というのと「傷害致死罪」というのがあり、これらは区別されるそうです。わざとではない過失で人を死なせてしまうのが「過失致死罪」。これに対し、わざと人を負傷させ、その結果、死なせてしまうのが「傷害致死罪」。


 ウィシュマさん死亡事件について、入管庁が任命した調査チームによる調査報告書も、名古屋入管の医療体制や情報共有に問題があったということは認めています。


名古屋出入国在留管理局被収容者死亡事案に関する調査報告について | 出入国在留管理庁


 不十分な医療体制のためにウィシュマさんが亡くなったということならば、それは「(業務上)過失致死」といったところでしょうか。


 しかし、名古屋入管がウィシュマさんに十分な医療を提供しなかったことは、「送還忌避者の発生を抑制する適切な処遇」を実施せよという、当時の法務省入国管理局長 井上宏の指示に合致しているのではないでしょうか。


 入管施設での被収容者への処遇について規定した「被収容者処遇規則」という法務省令があります。その第1条では、「この規則は、出入国管理及び難民認定法(昭和二十六年政令第三百十九号)により入国者収容所又は収容場(以下「収容所等」という。)に収容されている者(以下「被収容者」という。)の人権を尊重しつつ、適正な処遇を行うことを目的とする」とさだめられています。さきの井上の指示は、被収容者の「人権を尊重」した処遇をおこなうという、処遇規則の目的とするところとは両立しようがないものでしょう。名古屋入管の職員たちの行為は、処遇規則には反していたかもしれませんが、井上の指示のとおりだったとも言えるのではないか。


 調査報告書は、名古屋入管の看守勤務者たちがウィシュマさんに対しひどい暴言をはいていたこともあきらかにしています。これらも「送還忌避者の発生を抑制する適切な処遇」を実施しろという指示に忠実に従った行為だったと評価すべきではないのか。


 収容されている人がいやがるような処遇、がまんできなくなるような処遇を実施せよという指示がなされ、そのなかで医療が十分に受けられずに命を落とした人がいる。これはたんなる「過失」ではないでしょう。不十分な医療体制のために意図せずあやまって死にいたらしめてしまった、というだけのことではない。問題はよりいっそう重大なものです。




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 人をなぐっていたら、その人はぐったりして動かなくなった。そのままほったらかしにしていたら、死んでしまった。


 たとえば、このような場面があったとします。この場合、ぐったりして動かない人をほったらかしにしたこと、病院につれていくなど命を救う手立てをとらなかったことも、もちろん責められるべきでしょう。しかし、なによりもまず責められるべきは、なぐったという行為です。あたりまえです。


 入管施設で医療放置の結果、被収容者が亡くなったという事件についてもおなじことが言えるはずです。


 被収容者の生命と健康を守る義務を負っている入管が、その責任をはたさず、命を救うために必要な措置をとらなかったということは、もちろん大変に重大な問題です。


 しかし、問題はそれだけにとどまらない。劣悪な処遇を帰国強要の手段としてもちいてきたのだという、その暴力こそが糾弾されるべきです。それは、「送還忌避者の発生を抑制する適切な処遇」を実施せよとの入管局長の命令にあるように、「過失」などではなく、意図的・組織的にふるわれてきた暴力なのです。




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 さきの「調査報告書」では、ウィシュマさんの1回目の仮放免申請を名古屋入管が不許可にした経緯も記されています。この申請に対する決裁書には、「一度、仮放免を不許可にして立場を理解させ、強く帰国説得する必要あり」との記載もあるということです。


 つまりは、退去強制処分の対象なのだというおのれの「立場」を理解させ、帰国するよう強くうながすために仮放免を不許可にして収容を継続したのだということです。おまえは退去強制処分をくだされた者であり、この国にいることを許されない「立場」なのだ、その「立場」をわきまえろ、と。


 自由をうばったり苦痛をあたえたりして相手をこらしめ、「立場」をわきまえさせて言うことを聞かせようとすること。DV加害者が配偶者や子にふるうようなかたちの暴力を、国の機関が外国人に対してふるっているわけです。しかも、それはたんに現場の職員たちの判断だけでおこなわれているものとはいえない。入管組織の幹部たちの指示・命令のもとふるわれている暴力です。


 だから、入管収容の問題は、方針をきめ指示・命令を出してきた者たちの責任を問うところに向かわなければならないのだと思っています。重大で深刻な国家犯罪としていずれ追及しなけばならない問題だということです。


2021年10月12日

福島みずほ議員が入管に開示させた「送還忌避者」数の推移について


【ふりがなを つける】(powered by ひらがなめがね)



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 福島みずほ参議院議員が、入管庁から重要な資料を出させてくれました。これによって、2008年からの「送還忌避者」の人数の推移の統計、それからその「送還忌避者」の数字をどのように出しているのかという算出方法があきらかになりました。(上のグラフは、入管庁の出してきた資料をもとに福島みずほ事務所が作成したものを表示しています)


送還忌避者の人数について(入管庁によるデータ開示) | 社民党 福島みずほ 参議院議員(比例区)


 入管庁はこれまで、「送還忌避者」の存在、あるいはその「増加」を、長期収容の正当化の根拠としてきました。また、政府は5月にいったん断念しましたが、送還に関する権限強化をねらった入管法改悪の口実としてきたのも、この「送還忌避者」の存在だったわけです。


 ところが、入管庁は、2020年6月末時点とか12月末時点での「送還忌避者」数を公表しながらも、それ以前の年ごとの推移だとか、算出方法については、問われても明らかにしてきませんでした*1。それが今回の福島議員の働きかけによって、ようやく明らかになったということです。




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 で、この「送還忌避者」数の推移のデータをどう読むか、です。大前提としてまずおさえておかなければならないのは、その人数が増えたり減ったりするのは、入管政策の効果・結果としてほぼほぼ解釈できるということです。社会学的な(というのかな?)個々人の意図をこえたもろもろの複雑な要因があってこの数字が増減しているというふうに考えると、この数字の意味を読みあやまると思います。それは単純に意識的に目的をもっておこなわれた政策の結果として理解できるものにすぎないのです。「送還忌避者」数とは、入管政策の結果のあらわれにすぎないと言ってほぼまちがいない。


 福島さんが開示させた資料によると、「送還忌避者」の人数は2016年をピークにその後、減少しつづけています。では、なぜ「送還忌避者」が減るのか?*2 個別にみて「送還忌避者」だった人が「送還忌避者」でなくなるのは、つぎの3とおりです。


  1. 送還の執行
  2. 在留の正規化
  3. 死亡


 2は、在留資格を出すということです。退去強制令書が取り消されて送還の対象ではなくなるということなので、「送還忌避者」ではなくなります。退去強制令書が取り消されるのは、法務大臣による在留特別許可を受けたとき、それと難民申請者については難民認定されたときです。ただ、2015年か16年あたりから、検証ははぶきますが、前者の在留特別許可(在特)の基準を法務省はきびしくしました。後者の難民認定数が一貫してお寒い数字なのは、周知のとおり。


 つまり、それまで増加を続けていた「送還忌避者」数が、2016年の4,038人から減少に転じ、2020年の3,103人までの4年間でおよそ23%も減ったのは、2ではなく、1の送還によるものが要因として圧倒的に大きいということです。


 2015から16年というのは、入管が在特の基準をきびしくしたと同時に、きわめて強硬な送還方針をとりはじめた時期でもあります。15年9月18日に法務省入国管理局長は、「退去強制令書により収容する者の仮放免措置に係る運用と動静監視について」という通達を出しています。この通達の内容は、ようするに、仮放免されている人の再収容を進めろということがひとつ、そして、第2に収容されている人を簡単に仮放免するなということです。この通達後に、仮放免者の再収容が激増し、いったん収容された人は仮許可が出ず、収容が長期化していきます。


 で、入管にとっての送還の主要な手段というのが、まさにこの長期収容であるわけです。収容(監禁)して自由をうばい、閉鎖空間で苦しめてみずから帰国に追い込む*3。こうした拷問としか言いようのないやり方を徹底的におこなって「送還忌避者」を減らしていこうという方針を明確に打ち出したのが、上でのべた15年9月の入管局長通達です。「送還忌避者」数が2016年をピークにしてその後20年まで減少してきたのは、この送還強硬方針の「成果」と言えるでしょう。




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 で、この4年で23%減という数字をどう評価するか?


 一方で、私はこの数字は大変なものだと思います。それは、収容された人たちと面会してきて、どんな人たちがどのようにして「帰国」に追い込まれてきたかを具体的に目にしてきたからでもあります。


 日本に子や年老いた親を残していくしかない人、国籍国にはもはや知り合いがひとりもいないという人も「帰国」に追い込まれた。帰れば身の安全はないと長期収容にたえていた人も、ここにいては医療ネグレクトで殺されるのではないかと悩んだすえに難民申請を取り下げて「帰国」した。それぞれに帰れない事情をかかかえていた、たくさんの人、そのひとりひとりが、期限のさだめのない長期収容のなかで苦しみ、絶望して日本を出ていった。


 4,000人以上にのぼった「送還忌避者」が、4年間で1,000人近くおよそ4分の1ほど、入管の役人の使う言葉で言えば「縮減」した。これが、2015年以降の送還一本やり方針(在特基準を厳格化するとともに再収容・長期収容で徹底的に送還へと追い込む)の「成果」です。送還された人だけでなく収容された人、その家族など、ひとりひとりの人生や痛めつけられた心身を思えば、なんとむごたらしいことか。




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 他方で、この23%「縮減」という「成果」については、べつの見方もできるように思います。あれだけ人間の生命と自由をもてあそんだ犯罪的な所業を続けてきたにもかかわらず、その「縮減」幅は――こういう言い方が不謹慎なのは自覚していますが、入管がやってることは不謹慎どころではなく非道・邪悪なことです――4分の1にもみたないのです。これは政策として大失敗ではないのか。


 先の2015年の通達以降、入管に収容中の人6名が亡くなりました。うち1名(昨年名古屋入管で亡くなったインドネシア人)については詳細不明ですが、3人はあきらかに長期収容の犠牲者といえます。この間、入管収容施設では、自殺未遂が頻発し、職員による暴行事件があいつぎ、医療や処遇の劣悪さもしきりと報道されてきたとおりですが、これらは収容の長期化、長期被収容者の激増によって多発・深刻化した問題であると言えます。以前は例外的であった2年以上の超長期収容は常態化し、3年や4年をこえる人すらめずらしくなくなりました。昨年、新型コロナウイルスの感染対策として積極的に仮放免許可を出して被収容者を出所させるようになるまでこうした状況がつづきました。


 通達後、入管はもはやなりふりかまわずに仮放免者を再収容しまくり、重病があってもろくに医療を受けさせないまま収容をつづけ(そのくせ、脳梗塞やガンなどが発覚すると「死ぬなら外で死んでくれ」と言わんばかりにあわてて仮放免で放り出す)、被収容者をいじめたおし、暴行し、看守職員ですらたえきれずに大量に離職していくような地獄を現出させてあらゆる非道のかぎりをつくし、しかし、「送還忌避者」全体の4分の1も「縮減」できなかったのです。


 わたしがいきどっているのは、「縮減できなかった」という事実に対してではありません。「縮減」できない、入管が思うような「成果」などあげられないということはとっくにあきらかになっていたはずなのに、この悪魔の所業としか言いようのない方針を撤回せず、これを継続した(継続している)ということ。そのことに対して、わたしはいきどおっています。


 そもそも、入管はこの6年にわたる送還強硬方針のゴールをどこに設定していたのでしょうか。そもそもゴールを設定していたのでしょうか。「送還忌避者」の人数をどこまで「縮減」するつもりだったのか。


 2016年4月7日には、法務省入管局長が「安全・安心な社会の実現のための取組について」という通知文書で、「送還忌避者」を「我が国社会に不安を与える外国人」と決めつけたうえで、これを「大幅に縮減する」することが「喫緊の課題」だと言っています。


 「大幅に縮減」? 「大幅」とはどのくらいでしょう? 半減? 8割減? すくなくとも、4分の1にみたない「縮減」で「大幅」とは言えないのではないでしょうか? 「成果」の面でみて、15年以降の送還一本やりでの「送還忌避者」の「縮減」のくわだては大失敗だったと言えるでしょう。それとも、「大幅」な「縮減」が達成できるまで、またもや再収容と超長期収容を手段にした出国強要を続けるのでしょうか。あと何年かけて? さらに何人殺すまでやめないつもりなのか。




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 今回開示された入管庁の資料からはっきりしたのは、送還一本やりで「送還忌避者」を「大幅に縮減」しようとしても、それは不可能であるということです。収容施設での虐待・拷問を手段とする帰国強要を継続したとしても、今後5年や10年で「大幅に縮減」するというのは「達成」できない。できるわけがないことに今後も固執すれば、また犠牲者が出るでしょう。入管にとっての「成果」もあがらず、ただただ犠牲だけが積みあがっていく。そこに到達しうるゴールはありません。漫然と――まさに「漫然と」としか言いようがない――虐待・人権侵害をつづけていくことになる。こんなことはもうやめるべきです。


 さきにみたように、「送還忌避者」だった人が「送還忌避者」でなくなるには3通りあります。送還されるか、在留資格を認められるか、死亡するか、です。入管はひとつめの送還一本やりでやってきて、暴虐のかぎりをつくしてきて、それでも「成果」をあげられなかった。これを「大幅に縮減」するには、みんな死に絶えてしまうのを待つのでなければ、在特基準を緩和して、また難民認定をちゃんとやって、在留を正規化していく方向に舵をきるしかないのです。


 「死に絶えるのを待つのでなければ」と書いたのは、冗談ではありません。入管が「送還忌避者」と称する人たちのうち、日本での生活がもっとも長い人たちは、バブル期(80年代の半ばから後半)から日本で暮らしている人たちです。当時、日本社会が労働「力」として呼び込んだ若者たちは、だんだんと還暦をこえてきています。仮放免者は高齢化がすすみ、しかし、在留資格がないため健康保険には入れない。解決を先送りしている時間はないのです。




*1: 入管庁が資料開示をこばんでいたことについては、過去記事「私が入管法改悪に反対する理由――送還強硬方針からの撤退を!」注1でふれました。 

 

*2: なぜ送還忌避者数が2016年まで増えつづけていたのか、という問題も重要で、これも入管政策のありようから説明できるのですが、今回はその話はしません。 


*3: 入管は、以下の2つの記事で指摘したとおり、無期限長期収容を送還(出国強要)の手段として自覚的・戦略的にもちいているのだということをいまや公然と認めつつあるようです。

公然化されつつある拷問――出国強要の手段としての無期限長期収容
上川法務大臣のおどろくべき発言 拷問を送還の手段にもちいることはゆるされるのか?

2021年9月19日

「不法残留」の通報は、人命や感染症対策よりも重要なのですか?


【ふりがなを つける】(powered by ひらがなめがね)


 

 新型コロナにかかって自分で救急車を呼んだ外国籍の方が、オーバーステイであることが「判明」し、病院を退院後に逮捕されたということが報道されている。兵庫県での事例だ。


新型コロナで療養中に不法残留が判明 スリランカ人の男、中等症で入院 退院後に逮捕|事件・事故|神戸新聞NEXT(2021/9/18 18:20)


 この人がオーバーステイであることを、どういう経緯で警察が知ることになったのか、報道からはわからない。だれかが警察か入管に通報したのだろう。だれが通報したのか知らないが、そういうことはやめてほしい。


 ここで報道されているような出来事があると、オーバーステイ状態にある人は、「摘発」を覚悟しないと救急車を呼んだり病院に行ったりできなくなってしまう。今回の報道されているケースでどうだったのかは不明だが、病院や保健所、消防署の職員が警察や入管に通報することがありうるのだということになれば、オーバーステイの人たちは、深刻な体調不良があっても医療にかかることをますますためらうようになるだろう。


 入管庁の公表している資料によると、2020年1月時点での「不法残留者」数は8万人強。法務省や入管・警察などがわざわざ「不法」という言葉をくっつけて否定的な印象づけをしているけれど、たんに入管に許可された在留期間をこえて在留しているということにすぎない。すくなくとも、本人が治療を求めてきたところを警察や入管に通報して逮捕させなければならないような緊急の必要性などまったくない。それどころか、通報することによって、上に述べたように、本人だけでなく他のオーバーステイ状態にある人たちの命も危険にさらすことになる。ましてや、感染した疑いがあってもこわくて病院に行けないような状況を作ってしまうことは、防疫、あるいは感染症対策としても愚策中の愚策と言うべきだろう。


 あるいは、「違反」は「違反」なのだから、しかるべき機関に通報するのは当然じゃないかと考えるむきもあるのかもしれない。しかし、そう考えるのだとしても、まっさきに優先すべきことがそれなのか、よく考えてほしい。治療の必要な人を治療することや、感染症が広がらないように対策することをむずかしくしてまで、オーバーステイを通報することが大事なのですか、と。





 さて、ここから先で書くことは、余談といえば余談なのですが、広く知られてほしいなあと思う情報です。


https://www.mhlw.go.jp/content/000798935.pdf


 リンクしたのは、厚生労働省のサイトで公表されている「新型コロナウイルス感染症対策を行うに当たっての出入国管理及び難民認定法第62条第2項に基づく通報義務の取扱いについて」という文書です。厚生労働省新型コロナウイルス感染症対策推進本部というところが、各地方自治体にむけて今年の6月28日に「事務連絡」として出したものです。


 入管法はその第62条第2項で、公務員の通報義務というものをさだめています。オーバーステイなど退去強制の対象になる外国人をみつけたら通報せよというものです。これはあくまでも原則です。


 いっぽうで、この原則に対して例外もあるよ、ということを法務省入管(当時)は2003年の通知で示しています。つまり、通報することで行政目的が達成できなくなるような場合は、通報しなくてもよいですよ、としているわけです。たとえば、市役所にDV(ドメスティック・バイオレンス)の被害を相談に来た人や、国公立の病院に来た患者を、「不法残留」だからといっていちいち入管に通報していたら、オーバーステイなどの人は安心して市役所や病院に来れなくなってしまいます。役所などにとっては、被害者の保護や患者への医療提供といった行政目的を達せられなくなってしまう。そういった場合は通報しなくてもよいです、通報義務の例外としますよ、と入管も言ってるのです。


 上のリンク先の文書は、新型コロナウイルスにおいても、公務員の通報義務の例外にあたるので、オーバーステイなどの人を見つけても通報しなくてよいということを、厚労省がわざわざ示したものです。しかも、入管法のさだめる通報義務は公務員に課されたものだから、民間病院の職員にはそもそも通報義務なんてないですからねということまで、いちいち書きそえられています。


 国でさえ、新型コロナウイルスについて、このように言ってるのです。最初に述べた兵庫県の事例では、だれが通報したのかわかりませんが(通報者が公務員なのかそうでないのかもふくめ)、通報は正しい選択ではなかったと断言できるのではないでしょうか。


2021年7月22日

在留カードと読み取りアプリ


【ふりがなを つける】(powered by ひらがなめがね)

 


1.在留カード読みとりアプリ


 出入国管理庁(入管庁)がそのウェブサイトで、「在留カード等読取アプリケーション」なるものを無料配布している。


在留カード等読取アプリケーション サポートページ | 出入国在留管理庁


 これは、外国人住民の持つ在留カードや特別永住者証明書が偽造されたものかどうかを調べることができるアプリだ。このアプリを入れたスマートフォンを在留カードなどにかざすと、カードに埋め込まれたICチップに記録されたデータを読み込むことができるというもののようだ。


 入管庁がこうしたアプリを無料でだれでもダウンロードできるかたちで配布しているということについては、当然ながら批判がなされている。たとえば、以下の東京新聞記事では、「アプリが差別を助長する可能性を想定できなかったのか」(伊藤和子氏)、「外国人の監視に市民が動員される」(鈴木江理子氏)といった批判的なコメントが紹介されている。


【動画あり】「外国人監視に市民を動員」入管庁が在留カード真偽読取アプリを一般公開 難民懇が問題視:東京新聞 TOKYO Web(2021年6月15日 20時37分)


 これらの批判には全面的に同意しつつ、しかし同時に、そもそも在留カードというものを通してなされてきた外国人管理システム自体を批判的にみていかなければならない、ということも思う。今回のアプリ以前に、在留カードそのものを批判的に問わなければならない。




2.2012年に導入された在留カード


 さて、くだんのアプリは、在留カードの偽造を見分け、これを防止することを目的にしたものだろう。在留カードを偽造して売っている人がいるわけで、そうした行為がよいことだとは思わないけれど、これを買う人たちには切実な事情があることもある。なぜ偽造カードが必要とされるのかという点は、考える必要があるだろう。


 在留カードの導入がきまったのは、2009年の入管法改定によってである。それ以前の制度においては、外国人の在留情報は、2つの法律のもとで二元的に管理されていた。入管法と外国人登録法である。入管法にもとづいて入国管理局が外国人の出入国と在留の管理をおこなう一方、市区町村が外国人登録に関わる実務をになっていた。この従来の制度のもとでは、オーバーステイなどで在留資格のない外国人でも自分の住んでいる市区町村に届け出れば外国人登録をすることができ、限定的ながら一部の住民サービスを受けることもできた。


 2009年に入管法が改定されるとともに外国人登録法は廃止されることになり、2012年7月から外国人の在留情報は国(入管)によって一元的に管理されることになった。従来の「外国人登録証」にかわり、「在留カード」または「特別永住者証明書」が交付されることになった。しかし、在留資格のない非正規滞在外国人は交付を受けられず、住民登録から排除された、住民としていわば存在しないかのようにあつかわれることになったのである。


 入管の公表している統計によると、この新しい在留管理制度の施行された2012年の時点での「不法残留者」数は6万人超。これほどの規模の非正規滞在住民の存在をまったく前提としない(あるいは不在を前提とする)かたちで、在留カードは導入されたのである。




3.在留カードが導入された文脈


3ー1 「不法滞在者半減5カ年計画」(2003年~)


 この在留カードの導入は、2000年ごろに始まる、非正規滞在外国人を日本社会から徹底的に排除し、いわば「撲滅」しようとするかのようなもろもろの政策との関連において、理解する必要があると思う。


 これは私の個人的な記憶によるものなので、いずれちゃんと客観的に検証しなければならないと思っているのだけれど、「不法滞在者」「不法滞在外国人」という、従来はさほど一般的ではなかった用語がマスコミにあふれだしたのは2000年前後だったと思う。「ピッキング」「サムターン回し」といった手口で建物に侵入しての窃盗が「不法滞在外国人」による犯行だというかたちでテレビや新聞でさかんに報道されたのだ。


 いまにして考えてみると、警察当局を情報源とするこうした報道は、その後の非正規滞在外国人に対する摘発強化にむけての計画された政治的プロパガンダであったのだろう。2003年10月に法務省入管、警察庁、警視庁、東京入管の4者による「首都東京における不法滞在外国人対策の強化に関する共同宣言」が出され、同年12月には政府の犯罪対策閣僚会議が「犯罪に強い社会の実現のための行動計画」を発表した。これらは「不法滞在者」が「犯罪の温床」であるという差別的な決めつけをおこなったうえで、これに対する摘発強化が必要だと述べた文書である。


 後者の「行動計画」が「不法滞在者半減5カ年計画」に位置づけた翌04年から08年までの入管と警察の連携しての徹底した摘発がおこなわれ、結果的にこの5年のあいだに入管の推定する「不法滞在者」数は約25万人から13万人ほどまでほぼ「半減」している。2000年ごろに「不法滞在外国人」という言葉が窃盗などの犯罪と結びつけられたかたちでマスコミに氾濫しだしたのは、この大摘発作戦にむけてのプロパガンダによるものと考えるのが自然だ。


 ちなみに、東京都港区にある現在の東京入管の庁舎が完成し、その使用が開始されたのが2002年。収容人数800人とされる巨大収容場をそなえた新庁舎の建設も、大規模な摘発を想定してのものだろう。



3ー2 不法就労助長罪の厳格化


 こうして、政府は2003年ごろから在留資格のない人に対する徹底的な摘発と送還をおこなってきたわけだが、そのいっぽうで、非正規滞在者が日本社会でなんとか生き抜いていくための条件をつぶしていくということもすすめてきた。2009年の入管法改定には、非正規滞在外国人にとって死活問題となりうる重大なポイントが、在留カードの導入のほかにもあった。不法就労助長罪の厳格化である。


 不法就労助長罪とは、「不法就労」となる外国人を雇用したり仕事をあっせんしたりする行為であり、罰則として3年以下の懲役または300万円以下の罰金が規定されている。09年の改定では、この不法就労助長罪が、過失であっても適用されることになった。つまり、この法改定により、在留資格や就労許可がない外国人をそうと知らずに雇った場合でも、雇い主などが罪に問われうることになったのである。


 さらに、同じ年の法改定では、この不法就労助長行為があらたに退去強制事由にくわえられた。外国人がこの罪に問われた場合に、在留資格を取り消され退去強制(強制送還)の対象になることもありうるようになったのだ。


 こうして、雇用する側にとって、非正規滞在者を雇うことは大変なリスクをともなうようになった。雇用者が外国人の場合はそのリスクは致命的ですらある。退去強制によって日本での生活も事業もすべて失いかねないのだから。


 この不法就労助長罪の厳格化は、非正規滞在外国人が生活の糧をえるために働く場所を徹底してつぶしていこうとするものだ。なんらかの経緯で在留資格のない状態で日本に滞在している人たちの多くは、生活のために就労せざるをえない。就労の機会は、社会保障から疎外された非正規滞在外国人にとってはなおさら生存に不可欠な条件でもありうるのだ。


 それにしても、在留資格のない状態で日本に滞在するということがたとえ問題だと考えるにしても、現にこの社会で生きている人間の生存の条件を破壊してまうのは、いくらなんでも度をこしているのではないか。




4.在留カードの偽造よりはるかに重大な問題


 以上みてきたような経緯をふまえつつ、在留カードの導入、そして問題になっているアプリについて考えてみたい。


 バブル期以降1990年代を通じて、日本政府は非正規滞在外国人の存在を一定程度黙認し、これを労働力として活用するという政策を事実上とってきた。こうして日本社会は、非正規滞在者の労働力に依存してきたわけだが、これを徹底的に排除していこうという方向への転換を政府が明確に打ち出し始めたのが2003年ごろ。00年代を通じて、「不法滞在者」に対する集中的な摘発がおこなわれるいっぽう、その就労機会をつぶして社会から締め出していこうということがくわだてられてきたのだということが言える。


 2012年に廃止された外国人登録法のもとでは、もちろんこの法自体は外国人住民をもっぱら管理するためのものであったのだが、在留資格のない外国人でも居住地の自治体に届け出れば住民登録ができた。地方自治体はこれをもとにして在留資格がなくても住民としてあつかい、社会保障制度を限定的ながらも適用する余地があったのであり、実際にそうした例は少なくなかった。ところが、外登法が廃止され同時に在留カードが導入されて以降は、非正規滞在の外国人はほぼ完全に社会保障から排除されることになった。


 こうして、2000年代以降の政策は、非正規滞在外国人がかろうじて生きていくことを可能にする、社会のすき間のようなところすら破壊しつぶしていくことを指向したものだった。在留資格のない人に対する摘発・送還というかたちでの排除が強化されたのと同時に、在留資格がない人の生存できない国づくり・社会づくりが進められていったのである。まさにこうした国づくり・社会づくりにおいて導入されたのが在留カードである。


 09年の法改定によって、不法就労助長罪は、過失でも適用されるようになった。雇用主にとっては、雇用しようとする人が外国人である場合、在留資格があるのか、就労許可の範囲内なのか、確認しなければ自身に危険がおよぶ。「知らなかった」ではすまなくなったわけで、外国人を雇用するさいに在留カードを確認することが雇用者らに義務づけられたということだ。


 こうなると、就労機会から締め出された非正規滞在外国人のなかには、生きるために偽造在留カードを使わざるをえない人もでてくる。だったら自分の国に帰ればよいじゃないかと言う人もいるだろうが、身に危険がおよぶおそれがあるなど「帰国」できない事情をかかえている人も少なくない。そのうえ、問題の在留カード読みとりアプリである。それはさらに徹底して非正規滞在者などの生存手段をつぶしていこうというものだ。


 「不法滞在」「不法就労」だとか、偽造在留カードを使うことだとか、それは今ある法に違反する行為であるとはいえ、他人を傷つけたりその財産を盗んだりするものではまったくない。これに対して、上にみてきたような為政者の所業は、「不法滞在者」とされた人間の生存の手段を破壊していこうとするもので、端的に言えば「人殺し」である。ある人がルールに違反している状態にあるからといって、その人の生存手段をうばってよいはずがない。


 非正規滞在者らを就労機会から締め出そうとして日本政府が執拗におこなってきた諸政策は、たとえるならば、懲罰的な動機によって特定の住民の水道や電気を止めてしまうとか、ホームレス状態にある人を野宿している公園から締め出すとか、そういった行為に近い。また、生存するうえで必要になっている条件を破壊していくというやり口は、雑草や害虫を駆除するやり方にそっくりである。あるいは戦争状態における軍事的な作戦のようでもある。この社会に暮らす人間たちが生きられるようにするための施策ではなく、特定のカテゴリーに位置づけられた住人を生きられなくする施策である。


 「不法就労」やら偽造在留カードとやらを問題にするまえに、私たちの社会はやるべきことがある。それは、ここに暮らすあらゆる人間の生存を保証し尊重しなければならないという社会的な合意をつくることである。こんなことも満足にできていないような現状で、「不法就労」の防止だとか在留カード偽造の防止だとか、くだらないことをほざいてる場合ではないのだ。人間を害虫のようにあつかう国家をただしていくことこそ優先してとりくまなければならない課題であって、批判的に問われるべきなのは「不法滞在者」などではなく日本国のあり方である。


2021年5月11日

12日の強行採決阻止を! 入管法改悪法案


【ふりがなを つける】(powered by ひらがなめがね)


 

 入管法改悪法案、先週7日の法務委員会では採決が見送られて審議が開かれましたが、与党はあす(12日)の委員会での強行採決をまたねらっているようです。


与党、入管法改正案12日採決の構え 野党、徹底審議を要求:時事ドットコム(2021年05月10日20時19分)


 7日の委員会にさいしては、わたしは自民・立憲民主両党の国対委員長に強行採決をしないで(応じないで)という内容のファックスを送ったのですが、今回は与野党5人の国会議員にやはり拙速な採決はしないようにとのファックスを送りました。


 与党議員に送ったのは、だいたいつぎのような内容です。

  • 名古屋入管での死亡事件の徹底検証、また退去強制・収容をめぐっての政府の従来の政策や現行の法制度のあり方の徹底的点検が不可欠
  • しかるに、死亡事件の解明すすまず、そのために必要な法務大臣・入管庁の情報提供はきわめて消極的
  • このような状況での法案の採決はあってはならない。


 野党議員、たとえば立憲民主党の議員には、以下の内容で送りました。

  • (上記と同様の観点から)名古屋入管での死亡事件についての真相解明、情報提供が議論と採決の前提だとの御党の姿勢を支持する
  • 法案の拙速な採決には応じず、廃案にむけ非妥協的に政府与党との論戦にのぞまれるようをお願いします


 どの議員に送ったらよいかについては、以下のサイトなどを参考にしました。


Open the Gate for All : あなたの入管法改悪に反対する声を 議員に送ろう


 入管の収容施設での死亡事件が頻発している事実からは、外国人に対する退去強制や入管施設での収容をめぐっての政府の従来の政策、また、現行の法制度のあり方を、徹底的に点検すべき必要性が示されているように思います。その意味で、名古屋での事件の検証・真相究明は、いま何よりも優先して取り組まれるべき課題です。


 しかも、法務大臣と入管庁は、スリランカ人被収容者が死亡する前の収容場居室の監視カメラ映像の遺族ならびに国会議員への開示を拒んでいるなど、真相究明に必要な情報提供にきわめて消極的です。


 それどころか、入管庁は、野党議員の調査を妨害してすらいる。


今日午後、法務委理事会メンバーで、名古屋入管スリランカ人女性死亡事件の関連資料を閲覧した(2回目)。またしても手書きによる書き写しを強いられ、2時間かけて血液検査結果や看護師メモを書き写した。手書きは許しがたいが、内容は質疑に活かしたい。

[藤野保史議員のツイッター(午後6:34 ・ 2021年5月10日)]


 手書きで写すのはよくて資料をコピーや写真にとるのはダメだという合理的な理由があるわけがないのであって、入管庁は調査妨害のためにこういうことをさせているのです。

 このような法務大臣と入管庁の姿勢のために、死亡事件についての解明が進まず、法案そのものの検討にも入れていない状況です。


 どう考えても、採決なんてすべき状況ではありません。


2021年5月8日

だれが上映を中止に追い込んだのか? 警察と右翼の共犯関係について


【ふりがなを つける】(powered by ひらがなめがね)



 8日から神奈川県厚木市の「あつぎのえいがかんkiki」で上映される予定だった映画『狼をさがして』が、上映中止に追い込まれた。


【重要】『狼をさがして』上映中止のお知らせ | あつぎのえいがかんkiki


 劇場のウェブサイトに当初掲載されていた「『狼をさがして』上映中止の経緯」という文書(なぜか削除されていて現在は読めない)では、経緯がつぎのように説明されていた。



今回の上映中止の経緯についてご報告致します。

4/30に神奈川県厚木警察署より、右翼団体から道路使用許可の申請があり5/8と5/9の2日間、劇場のまわりで街宣車数十台で街宣活動を行う、とのご連絡がございました。

その後、配給会社太秦様にご相談させていただき、

  1. 騒音等で近隣住民や隣接している各店舗様にご迷惑をおかけすることは誠に心苦しい。
  2. 見物人が密となり、新型コロナウイルス感染拡大が懸念される。

両社とも、上記の件を危惧し、太秦様の了解のもと上映を中止させていただく運びとなりました。

 



 この「経緯」をみるかぎり、たんに右翼による妨害で上映が中止に追い込まれたということではないようにも思える。「厚木警察署が、右翼の威力をちらかせて上映中止をうながした」と言いきれるまでの根拠はないにしても、警察がここではたしている役割は無視できないのではないだろうか。両者の共犯関係と言うべきものがあるのではないか。


 厚木警察署と劇場のあいだで具体的にどのようなやりとりがあったのか、上記の文書で説明されている以上の事実は、わからない。ただ、かりに、警察が劇場側に「右翼が妨害にくるぞ」という事実だけをつたえ、それを傍観・容認する姿勢をみせたのだとすれば、それは警察が右翼を道具に使って劇場を恫喝しているのとかわらない。そこまであからさまではなかったとしても、違法な妨害があった場合に警察は断固としてとりしまるつもりだという意思を明確に示さなければ、劇場側としては上映のリスクを重く考えざるをえないであろう。


 この厚木の件ではどうだったのか、はっきりしたことはわからないにせよ、こうした場合に、警察は劇場側を恫喝することが可能な立場にあるということは、確認しておきたい。そして実際、警察がそうした行動をしてきた前例がたくさんあるのも事実だ。


 6,7年前、わたしが関東にいたころ、皇居のはしっこをかするようなコースでのデモを警察署に届け出に行ったことがあった。このとき、警察官(丸の内警察署でした)は、コースを変更するようにしつこく要求してきたのだが、その理由が「右翼がさわいでデモ参加者が危険にさらされるかもしれないから」というものだった。いや、こちらとしてはデモコースの詳細を事前に公表するつもりはないので、きみらがわざわざ教えないかぎり右翼がそれを知ることはないのですけどね。


 最終的に私たちは当初の予定していたコースでの届け出を押しとおしたのだけど、警察官が「右翼がね、来るかもしれないからね」などとしつこく言ってきて、やたらと時間がかかったのをおぼえている。


 警察はデモや表現行為をコントロールしようとするために、このように右翼の暴力をちらつかせるだけではない。右翼に実際に暴力をふるわせるということすらしてきた。


 2017年11月には、自衛隊立川基地での航空祭に抗議行動していた立川自衛隊監視テント村の車が右翼7~8名の襲撃を受け、フロントガラスやサイドミラーなどを破壊されるという事件があった。このとき、10名ほどの私服公安警官がおり、さらに立川警察署の制服警官も10名ほどかけつけたが、1時間にわたって右翼の暴力行為を制止しようもせず放置していたという。


立川テント村宣伝カーへの右翼の襲撃を許さない  抗議声明とカンパのお願い - ?? OUT!

https://twitter.com/orandger/status/933589711179808769


 この事件の1年前には、東京都武蔵野市でおこなわれた天皇制に反対するデモが、3~40人の右翼に襲われるという事件が起きている。デモ参加者に負傷者が出て、デモを先導する車のフロントガラス等が破壊されるなどの被害があった。襲撃は500人ほどの機動隊員が「警備」するなか堂々とおこなわれ、右翼の逮捕者はすくなくともこの日にはでていないのだという。


東京新聞 16年11月23日朝刊 - ?? OUT!


 これらの襲撃において、警察と右翼の共犯関係をはあきらかだ。実行犯は右翼だが、主犯は警察である。官(警察)が民間(右翼)に業務をアウトソーシングしたわけである。


 これらの例にかぎらず、右翼の暴力・テロ行為を警察がしばしば黙認してきたということは、よく知られていることがらでもある。とりわけ、ときに国家や世間とのあつれきを生じさせるような表現行為にかかわってきた者にとって、警察が右翼の乱暴狼藉をスルーし、そのことで暴力を代行させることすらしてきたことは、周知の事実である。そうした文脈において、右翼の街宣予定の情報を事前に劇場側につたえたという厚木警察署の行為を理解する必要があるのではないか。


 朝日新聞は、厚木の上映中止についてつぎのように報じている。


 [配給会社の]太秦と市によると、同館が入る建物には公共施設もあり、市や警察は上映を前提に警備を申し出た。しかし同館と太秦が協議し、他店舗への説明や映画館スタッフの負担を考慮して中止を決めたという。太秦の小林三四郎代表は「中止に追い込まれることに忸怩(じくじ)たる思いはある。ふんばれよ、と言える態勢がなかった」と話した。

[右翼団体の街宣予定受け ドキュメンタリー映画上映中止:朝日新聞デジタル(2021年5月6日 18時10分)] 


 警察は「上映を前提に警備を申し出た」というのだが、かりに警察官が口先ではそのようなことを言ったのだとしても、この組織が実際におこなってきた行動を知っていれば、そんな言葉を真に受けられるわけがないのではないか。


 上の新聞報道の見出しは「右翼団体の街宣予定受け ドキュメンタリー映画上映中止」となっている。はっきりと見えている現象としてはそのとおりなのだろうが、右翼だけを問題にしてすむこととは思えない。右翼の暴力行為を許容し、あるいはときに暴力行為の担い手としての右翼を飼いならし利用してきたのはだれなのか、問われるべきだと思う。