(1)
前回のブログ記事で、福島みずほさんが入管庁に開示させた資料(「送還忌避者」数の推移についての統計など)について、書きました。
これを書いたのは、私なりにつぎのような問題意識があってのことです。
2015年あたりに、あきらかに送還(と在留特別許可による在留の正規化)に関して入管政策の大きな変化がありました。この時期から顕在化していく長期収容・再収容の問題というのは、その政策の変化の結果として起こってくるわけです。政策が変わるということは、そこに意思決定があったということです。そうである以上、政策として検証・評価がなされるべきであって、その意思決定に関わった者たちの責任も問われなければなりません。
いっぽうではたしかに、法律(入管法)の問題、仕組みの問題というのは大事です。人権侵害を防止するために入管をしばる仕組みを、法律を、作らなけばならない。そう思います。
しかし、同時に、政策として、われわれが「送還一本やり方針」と呼んでいるものを決めた者たちがいる、その結果としてひどいことがいっぱい起こった。そこを追及しないとダメだとも思う。責任の追及なしに、実効性のある仕組みは作れないし、再発防止もできない。
もちろん仕組み・制度や構造の問題を軽視すべきではないけれど、仕組みそのものが人を殺すわけではない。人間たちの意思が働いて、そいつが仕組みや構造を使って人をふみつけ、支配し、あるいは殺している。入管という行政機関がとってきた方針を、だれがどうやって決めたのか、だれが命令したのか、問わなければならない。行為の責任を問い、それがまちがいであった、正しくなかったということの合意を作っていくこと。それは私たちが前に進むために絶対に欠かせないことだと思います。
(2)
文書の内容は画像のとおりですが、「不法滞在者」や「送還忌避者」を「我が国社会に不安を与える外国人」ときめつけたうえで、その「対策」の強化に取り組めと指示したものです。
まず、国の出している文書で「我が国社会に不安を与える外国人」などと公然と差別を扇動してるのは、まったくひどいものです。在留資格がないからといって、そのような外国人の存在は私にとってべつに「不安」でもなんでもないです。むしろ、人権をふみにじりまくっているような国の機関こそが、私にとってはるかに「不安を与える」存在です。
そして、この文書には、さらにおどろくべきことが書いてあります。じつは、私は、この文書は何年も前から知ってはいたのですが、はずかしながら、以下の内容の問題性には、先輩の支援者から指摘されるまで気づいておりませんでした。この文書は、すみやかに実施すべき取り組みの2点目としてつぎのように書いてあります。
不法滞在者等の効率的・効果的な摘発、送還忌避者の発生を抑制する適切な処遇および積極的な送還執行について、様々な工夫や新たな手法を取り入れるなど、我が国社会に不安を与える外国人の効率的・効果的な排除に、具体的かつ積極的に取り組んでいくこと。[太字による強調は引用者]
注目すべきは、「送還忌避者の発生を抑制する適切な処遇」というくだりです。
「処遇」というのは、この文書が入国者収容所長らにあてたものですから、収容施設における被収容者に対する「処遇」を指すものと考えてよいでしょう。医療・衛生や食事、運動の機会・環境、彩光、風通しなどです。
この「処遇」について、なんと「送還忌避者の発生を抑制する適切な処遇」をするようにとの指示が、法務省入管局長から出ているのです。そうした「処遇」をひとつの手段にもちいて、「我が国社会に不安を与える外国人の効率的・効果的な排除」に取り組め、と。
「送還忌避者の発生を抑制する適切な処遇」とはなんでしょうか? 難民申請者など自国での身の危険からのがれたい、あるいは日本に家族がいるなど、退去強制処分が出ていても事情があってこれをこばんでいる人。そうした人たちが日本にのこることをあきらめ、送還を受け入れるような処遇を収容施設で実施せよ、と。ここではそう指示されているわけです。
「もうここにはいたくない」と思わせるような医療や食事、また、行動の制限など。収容されている人たちががまんできなくなるような処遇こそが「適切な処遇」であり、それを実施せよという指示を、法務大臣につぐ入管組織のトップが出しているのです。ウィシュマさんふくめ、入管施設で死亡者があいついでいるのは、こうした文脈で起きているのだということを理解する必要があります。
(3)
刑法には、「過失致死罪」というのと「傷害致死罪」というのがあり、これらは区別されるそうです。わざとではない過失で人を死なせてしまうのが「過失致死罪」。これに対し、わざと人を負傷させ、その結果、死なせてしまうのが「傷害致死罪」。
ウィシュマさん死亡事件について、入管庁が任命した調査チームによる調査報告書も、名古屋入管の医療体制や情報共有に問題があったということは認めています。
不十分な医療体制のためにウィシュマさんが亡くなったということならば、それは「(業務上)過失致死」といったところでしょうか。
しかし、名古屋入管がウィシュマさんに十分な医療を提供しなかったことは、「送還忌避者の発生を抑制する適切な処遇」を実施せよという、当時の法務省入国管理局長 井上宏の指示に合致しているのではないでしょうか。
入管施設での被収容者への処遇について規定した「被収容者処遇規則」という法務省令があります。その第1条では、「この規則は、出入国管理及び難民認定法(昭和二十六年政令第三百十九号)により入国者収容所又は収容場(以下「収容所等」という。)に収容されている者(以下「被収容者」という。)の人権を尊重しつつ、適正な処遇を行うことを目的とする」とさだめられています。さきの井上の指示は、被収容者の「人権を尊重」した処遇をおこなうという、処遇規則の目的とするところとは両立しようがないものでしょう。名古屋入管の職員たちの行為は、処遇規則には反していたかもしれませんが、井上の指示のとおりだったとも言えるのではないか。
調査報告書は、名古屋入管の看守勤務者たちがウィシュマさんに対しひどい暴言をはいていたこともあきらかにしています。これらも「送還忌避者の発生を抑制する適切な処遇」を実施しろという指示に忠実に従った行為だったと評価すべきではないのか。
収容されている人がいやがるような処遇、がまんできなくなるような処遇を実施せよという指示がなされ、そのなかで医療が十分に受けられずに命を落とした人がいる。これはたんなる「過失」ではないでしょう。不十分な医療体制のために意図せずあやまって死にいたらしめてしまった、というだけのことではない。問題はよりいっそう重大なものです。
(4)
人をなぐっていたら、その人はぐったりして動かなくなった。そのままほったらかしにしていたら、死んでしまった。
たとえば、このような場面があったとします。この場合、ぐったりして動かない人をほったらかしにしたこと、病院につれていくなど命を救う手立てをとらなかったことも、もちろん責められるべきでしょう。しかし、なによりもまず責められるべきは、なぐったという行為です。あたりまえです。
入管施設で医療放置の結果、被収容者が亡くなったという事件についてもおなじことが言えるはずです。
被収容者の生命と健康を守る義務を負っている入管が、その責任をはたさず、命を救うために必要な措置をとらなかったということは、もちろん大変に重大な問題です。
しかし、問題はそれだけにとどまらない。劣悪な処遇を帰国強要の手段としてもちいてきたのだという、その暴力こそが糾弾されるべきです。それは、「送還忌避者の発生を抑制する適切な処遇」を実施せよとの入管局長の命令にあるように、「過失」などではなく、意図的・組織的にふるわれてきた暴力なのです。
(5)
さきの「調査報告書」では、ウィシュマさんの1回目の仮放免申請を名古屋入管が不許可にした経緯も記されています。この申請に対する決裁書には、「一度、仮放免を不許可にして立場を理解させ、強く帰国説得する必要あり」との記載もあるということです。
つまりは、退去強制処分の対象なのだというおのれの「立場」を理解させ、帰国するよう強くうながすために仮放免を不許可にして収容を継続したのだということです。おまえは退去強制処分をくだされた者であり、この国にいることを許されない「立場」なのだ、その「立場」をわきまえろ、と。
自由をうばったり苦痛をあたえたりして相手をこらしめ、「立場」をわきまえさせて言うことを聞かせようとすること。DV加害者が配偶者や子にふるうようなかたちの暴力を、国の機関が外国人に対してふるっているわけです。しかも、それはたんに現場の職員たちの判断だけでおこなわれているものとはいえない。入管組織の幹部たちの指示・命令のもとふるわれている暴力です。
だから、入管収容の問題は、方針をきめ指示・命令を出してきた者たちの責任を問うところに向かわなければならないのだと思っています。重大で深刻な国家犯罪としていずれ追及しなけばならない問題だということです。
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