2023年8月28日

全国紙4紙の社説がどれが産経新聞か区別がつかなくなっている件 核汚染水の海洋投棄をめぐって

  24日午後、岸田内閣の閣議決定を受けて、東京電力は福島第一原発の汚染水の海洋への投棄をはじめた。25日に中国政府は、日本からの水産物について全面的な禁輸措置をとると発表。

 で、翌26日の全国紙の社説は、いっせいに中国たたきで足並みをそろえている。読売や産経だけでなく、朝日も毎日も。もとよりこれら各紙のあいだには「右か左か」あるいは「右も左も」と言えるような差異や個性はなかったのだけれども。とはいえそれにしても、ここまで論調が一致するのはなかなかないことなのではないだろうか。タイトルだけ並べてみても、なかなかすごいものがある。


社説:中国が水産物全面禁輸 即時撤回へ外交の強化を | 毎日新聞(2023/8/26 東京朝刊 )

(社説)中国の禁輸 筋が通らぬ威圧やめよ:朝日新聞デジタル(2023年8月26日 5時00分)

社説:水産物の禁輸 中国は不当な措置を撤回せよ : 読売新聞(2023/08/26 05:00)

【主張】中国の水産物禁輸 科学無視の暴挙をやめよ - 産経ニュース(2023/8/26 05:00)


 上のそれぞれのタイトルをみてもわかるように、中国の禁輸措置が不当であり撤回すべきだという結論で4紙は一致しているが、その内容においても差異はきわめて小さい。紙名をかくして文章だけ読んで、それぞれがどこの社説なのか当てるのは、なかなか難しいのではないか。

 どの社説も、中国の禁輸措置には科学的な根拠はないと決めつけるいっぽうで、日本政府の「処理水」放出の決定に対してはまったくの無批判で追従するというものになっている。政府の主張をなぞるだけだから、どの社も同じような内容になる、ということなのだろう。

 そして、こっけいなのが、どの社説も禁輸措置を決めた中国の主張は科学的な根拠がないのだと言うのだけれど、その言い分がいずれも、すでに中国側から反論ずみの日本政府の主張をくり返したものにすぎない点である。

 以下のリンク先は駐日中国大使館報道官の声明(7月4日)である(日本語で書かれています)。これと上記の4紙の社説を読み比べてみるとおもしろい。


駐日中国大使館報道官、日本福島放射能汚染水海洋放出問題について立場を表明 - 中華人民共和国駐日本国大使館


 たとえば、毎日と産経のつぎの記述。


 放射性物質トリチウムを含む水は、中国など各国の原子力施設から海や河川に放出されている。日本政府は、処理水のトリチウム年間放出量が中国の主要原発を大きく下回ると強調している。[毎日新聞]


 トリチウムは放射性元素だが発する放射線は生物への影響を無視できるほど弱い。しかも口から摂取した魚介類や人体からも速やかに排出される。 

 そもそもトリチウムは、宇宙線と大気の作用で自然発生し、日本に1年間に降る雨には約220兆ベクレルが含まれている。それに対して今後、第1原発から計画的に放出されるトリチウムの量は年間22兆ベクレル未満にすぎない。それを海水で大幅に薄めて放出するので、生態系などへの影響は起きようがない。しかも中国の原発も大量のトリチウムを放出しているではないか。[産経新聞]


 ここで言われていることのひとつは、中国などの原発だってトリチウムを放出しているではないか、なぜ日本の放出だけが問題にされなければならないのか、というものだ。しかし、この点は、さきの中国大使館報道官の声明ですでに反論されている。


 日本側が福島核汚染水のトリチウム量と原発が正常に排出される冷却水のそれと同列に扱うのは、ストローマン論法であり、故意に世論をミスリードするように見える。福島核事故によって発生した核汚染水と原発の正常な運行による排出水とは本質的に違うのは基本の科学的常識である。両者には発生源も、放射性核種の種類も異なり、比べ物にはなれない。原発事故での融解炉心と直接接触した福島汚染水には猛毒とされているプルトニウム、アメリシウムなど超ウラン核種が含まれ、それらを海洋放出する前例はない。一方で、世界中の原発で何十年も安全に運行し、信頼されているシステムで処理した原発の排出水はそれとまったく別のものである。


 融解炉心と接触した福島の汚染水にはトリチウム以外の核種がふくまれるのであって、その放出は、融解炉心と接触しない冷却水の放出と同一視することはできない、というわけだ。

 上記の毎日や産経の主張は、論点をトリチウムのみに限定することで、その放出による環境への影響を小さくみつもろうとしているが、東京電力の放出しようとする「処理水」には他の核種もふくまれる。中国大使館の報道官は、そのトリチウム以外の核種については有効な処理技術がないものが多く存在し、今後それらが大量に長期にわたり放出されることによる環境への影響も楽観的に評価することはできない、ということを指摘している。


 福島核汚染水が福島原発事故で融解した原子炉の炉心と直接接触したもので、60種類以上の核種が含まれる。トリチウム以外にも有効性が認められる浄化技術がない核種が多数ある。そのうち、半減期の長い核種によって、 海流による拡散、そして生物濃縮が発生し、環境中の放射性核種の全体量の過剰増加を招きかねない。福島原発事故が今まで130万トン以上の核汚染水を形成しており、これほど莫大の量の、さらに成分が複雑である核汚染水の処理には前例がない。海洋放出が30年、ひいてはもっと長く続き、将来には新たな核汚染水の大量発生が予想される中、ALPSの有効性と完成度が第三者による評価を経てないため、装置の長期にわたる信憑性がまだまだ疑間が残っている。


 あと、上に引用した産経社説にある「海水で大幅に薄めて放出するので、生態系などへの影響は起きようがない」などというバカげた日本側の主張についても、中国の報道官氏はつぎのように批判している。


日本側が希釈で核汚染水の放射性物質の濃度を下げようとしているが、全放射性核種に対して全体量のコントロールを行わず、海洋放出の危害性を軽減化、隠蔽しようとしていることこそ、科学精神やプロフェショナリズムに背を向ける現れである。


 はい、ごもっともですね。としか言いようがない。

 毎日・朝日・読売・産経の8月26日の社説は、どれも日本政府の言い分に無批判に追従しながら、中国の主張は科学的根拠を欠いているなどと述べたてている。しかしその実、これら4紙の論説はすでに中国側から反論された主張をくり返しているにすぎない。いわば、中国からの反論が聞こえないふりをして、そのすでに反論ずみの日本政府の主張をワーワーわめきたてているにすぎないのだ。

 口先ではいさましく中国を罵倒する文句をつらねているが、しかしまったく中国に対し失礼なうえに内容において通用するはずもない主張を、国内の読者むけに書きたてている。一見したところ中国にむかってなにか言っているようにみえながら、実施のところは完全に内向きのパフォーマンスをしているにすぎない。これが、全国紙とよばれる4つの新聞が26日に発表した社説の質である。想像を絶する恥知らずぶりにあきれると同時に、なんとまあ読者もバカにされたものよね、とびっくりする。朝日新聞は「中国の居丈高な対応」などと書いてるけど、「居丈高」なのはどっちだろうね。

 朝日は「科学に基づいた協議の呼びかけに応じてこなかったのは中国の方だ」と書き、毎日は「日本政府は専門家による協議を呼びかけたが、中国は拒んできた。科学的に検証する必要があるなら応じるべきだろう」と書く。これも、この社説が書かれる前に先の中国の報道官によってとっくに反論済みの言説である。


 日本側のいわゆる中国側と協議したいという言い方から誠意が感じられない。今までバイやマルチの場で日本側と交流し、専門機関の意見や懸念を重ねて表明したにもかかわらず、中国側の立場を顧みず、規定のスケジュールで海洋放出をかたくなに進めている。もし日本側が今夏の放出開始を協議の前提として、自らの主張を中国側に押し付けようとするのなら、このような協議に実質な意義がないように思われる。もし本当に協議する誠意があるのなら、まず海洋放出計画を直ちに中止にし、それ以外あらゆる可能な対策を検討することや、利益関係者による独自のサンプリングと分析を容認することなど、確実に各方面の懸念を払拭するべきである。


 これまた、いちいちごもっともとしか言いようがないのではないか。

 「処理水」放出にはすでにさまざまな懸念が示されており、そのなかには「科学的な論拠に基づかない」(毎日)などと一蹴はできない懸念も、ふくまれているはずである。また、海洋放出以外のオプションも、指摘・提案されてきた。以下の引用も、上記リンク先の中国大使館報道官の声明から。


日本側が周辺近隣国など利益関係者と効果的な協議を経ず、一方的に海洋放出という誤った決定を下し、一方的にそれを発表するやり方は実際、海洋放出を唯一のオプションとして各国に押し付けようとしている。しかし、海洋放出は唯一のオプションでも、最も安全で、最善の対策でもない。海洋放出のほか、地層注入、水蒸気放出、水素放出と地下埋設などの対策が提起され、長期保存という方法を提案する専門家もいたにも関わらず、全部日本側に無視されてきた。


 これまでさまざまな懸念や代替案が示されてきたにもかかわらず、それらを検討したうえで反論ふくめて応えていくことをせず、聞こえないふりをして、海洋放出を強行した。これが日本政府と東京電力がたどった過程であり、これに追従して、やはり中国の示す懸念や代替案について聞こえないふりをして、日本政府の的はずれな中国批判をなぞってみせたのが、8月26日の全国紙4紙の社説である。

 さて、4紙の社説を読んでいてもうひとつ興味深いのは、それらがそろって、中国の禁輸の動機を矮小化しようと躍起になっているようにみえることである。つまり、中国が禁輸措置をとるのは、外交的な、あるいは貿易上の戦略からそうしているのだ、と。


[中国による禁輸措置は]巨大市場を武器に、貿易で他国に圧力をかける「経済的威圧」にも等しいふるまいだ。[朝日新聞]


先端半導体関連の輸出規制や台湾問題を巡り、日中関係がぎくしゃくする中、今回の禁輸を外交カードとして使っていると受け取られても仕方あるまい。[毎日新聞]


 台湾問題や半導体関連の輸出規制などで、米国と連携を強める日本に対し、揺さぶりをかけようとする意図がうかがえる。

 国際社会が中国に対して懸念している、貿易の制限で相手国に圧力をかける「経済的威圧」にほかならず、到底、容認できない。[読売新聞]


 理由は「中国の消費者の健康を守り、輸入食品の安全を確保するため」というが、不当な禁輸で日本の水産業に多大な経済的打撃を与える暴挙に他ならない。岸田文雄首相が即時撤廃を申し入れたのは当然だ。[産経新聞]


 これらの社説がなにを言いたいのか、あきらかだろう。中国は「中国の消費者の健康を守り、輸入食品の安全を確保するため」というけれど、それは表向きのタテマエにすぎず、ほんとうの動機はそこじゃないですよ、と。ほんとうは日本に圧力をかけ対抗していくための戦略的な手段として禁輸措置をとってるにすぎないんですよ、と。そう言いたいわけである。

 そのいっぽうで、核汚染水の海洋投棄をめぐって書かれたこの8月26日の朝日・毎日・読売・産経の社説において、環境や食の安全という観点はいっさい考慮されていない。4紙の社説のすみからすみまで読んでも、環境汚染や食の安全性という論点には、たったの一言の言及もないのである。

 放射性物質をふくんだ水を大量に長期間にわたって海に捨てるという話をしてるんですよ。なのに、禁輸措置や「風評被害」による漁業者の損失については語られても、環境破壊や水産物の汚染、人間の健康被害についての懸念はひとっこともふれられない。4つの新聞の社説をぜんぶ読んでも、まるで語られない。

 これらの社説の書きぶりには、二重の意味でおどろくべき無関心がおおっている。1つには、人間の健康や生命への無関心。私たちの健康や生命にダイレクトにかかわる環境や食品の問題なのに、そこについての言及がいっさいない。

 第2に、さきにみてきたように、他者がなにを考え、どのような理由から日本政府の措置に反対しているのか、そのことにまったく関心をはらおうとしない。相手の反論を無視し、聞こえないふりをしながら、しかし中国の措置は不当であると見当はずれな主張を書きたてている。見当はずれな主張になるのも当然である。だって、すでになされている相手の反論をぜんぜんふまえようとしない、聞こうともしないわけだから。

 この二重の無関心のなかで、中国なるものへの敵対心だけがどんどんあおられている。たいへんに不気味でおそろしい状況だと思う。


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 汚染水の海洋放出について、この間、オンライン上で読んだ記事で、勉強になったもの、参考になったものをリンクしておきます。


IAEA報告書は「処理水の海洋放出」を承認していない。中国を「非科学的」と切り捨てる日本の傲慢 | Business Insider Japan(Jul. 28, 2023, 07:15 AM)

議論再燃。「処理水海洋放出」は何がまずいのか? 科学的ファクトに基づき論点を整理する | ハーバー・ビジネス・オンライン(2019.09.27)

原発処理水放出、問題は科学データではなく東電の体質|ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト(2023年08月25日(金)22時05分)

【Q&A】ALPS処理汚染水、押さえておきたい14のポイント | 国際環境NGO FoE Japan(2023年8月1日作成 2023年8月21日更新)


2023年7月31日

産経新聞がクルド人へのヘイトスピーチを書き散らしている件

 

 以下の産経記事だが、これは典型的な差別扇動である。


【「移民」と日本人】病院でクルド人「100人」騒ぎ、救急受け入れ5時間半停止 埼玉・川口 - 産経ニュース(2023/7/30 13:30)


 この記事が伝えている事実は、おもに2つである。ひとつは、クルド人が多数あつまったということ。もうひとつは、それで騒ぎになったということである。

 人が多数あつまり、騒動になった、と。たんにそれだけのことを、なんの意味があってわざわざ報道するのだろうか。多数あつまったのがクルド人だと何か報道する価値が出てくるということなのだろうか。

 記事の以下のくだりなども、異様としか言いようがない。


 関係者によると、今月4日午後9時ごろから、同市内の総合病院「川口市立医療センター」周辺に約100人とみられる外国人が集まり始めた。いずれもトルコ国籍のクルド人とみられ、翌5日午前1時ごろまで騒ぎが続いたという。

 きっかけは、女性をめぐるトラブルとみられ、4日午後8時半ごろ、トルコ国籍の20代男性が市内の路上で複数のトルコ国籍の男らに襲われ刃物で切りつけられた。その後、男性の救急搬送を聞きつけた双方の親族や仲間らが病院へ集まり、救急外来の入り口扉を開けようとしたり、大声を出したりしたという。病院側は騒ぎを受けて警察に通報。その後、救急搬送の受け入れを停止した。


 「トルコ国籍のクルド人とみられ」る「約100人とみられる外国人」が、なぜ病院の周辺に集まったのか。その原因・背景について、「きっかけは、女性をめぐるトラブルとみられ、4日午後8時半ごろ、トルコ国籍の20代男性が市内の路上で複数のトルコ国籍の男らに襲われ刃物で切りつけられた」(「みられる」ばっかりだな)という以上の情報は、2000字ほどもある記事全体を読んでもなにも出てこない。

 また、病院にかけつけた人たちのなかに、どうして「救急外来の入り口扉を開けようとしたり、大声を出したりした」人がいたのか、産経の記事を読んでもさっぱりわからない。記者は関心をもたなかったし、読者もそんなことに関心をいだかないだろうと記者は考えたから、取材しなかった、あるいは取材していても書かなかった、ということなのだろうか。

 そのいっぽうで、記事では「午前1時ごろまで騒ぎが続いたという」「救急外来の入り口扉を開けようとしたり、大声を出したりしたという」と、(クルド人ではない)近隣住民の証言をひろったと思われる、伝聞表現の「という」がくり返される。

 では、この騒動でなにか重大な被害なり問題なりが起きたのかというと、記事を読むかぎりでは、とりたてて問題にすべき深刻な事態などなにも起きていないのである。上で引用した「病院側は騒ぎを受けて警察に通報。その後、救急搬送の受け入れを停止した」ということについても、騒動によって生じた深刻な事態など産経は発見できなかったようである。


 同病院は埼玉南部の川口、戸田、蕨(わらび)の3市で唯一、命に関わる重症患者を受け入れる「3次救急」に指定されている。

 地元消防によると、受け入れ停止となった時間は4日午後11時半ごろから翌5日午前5時ごろの約5時間半。この間、3市内での救急搬送は計21件あった。このうち搬送先が30分以上決まらないなどの「救急搬送困難事案」は1件だが、幸いにも命にかかわる事案には至らなかったという。


 結局のところ、産経がこの記事で報じている事実は、「クルド人とみられる人が、仲間の運び込まれた病院に100人ほど集まって、騒動になった」ということにすぎない。では、この場合の「騒動」とはいったい何だろうか。

 産経は消防署に電話したりして被害の事実を一所懸命さがしだそうとしたようだが、深刻な問題はとくにみつけられなかった。とどのつまり、産経がこの件に「騒動」としていちいち報道する意義なり価値なりをみいだすとすれば、それは以下のところにしかない。


 騒ぎを目撃した飲食店の女性は「男たちがわずかな時間に次々と集まってきた。サイレンが鳴り響き、外国語の叫び声が聞こえた。とんでもないことが起きたと思い、怖かった。こんな騒ぎは初めて。入院している方も休むどころではなかったのではないか」。

 別の住民男性(48)は「背丈が2メートルくらいのクルド人の若者が、片言の日本語で『親戚が刺された』と叫んでいた。病院前の道路にどんどん車が集まってきた」と話した。


 近隣住民がこわがっている、だから大変だ、というわけである。

 それにしても、産経新聞は住民のこんな声をひろいあげて記事に書いて、なにをやりたいのか。「わずかな時間に次々と集まってきた」のが日本人ではなく外国人(にみえる人)たちだったり、日本語ではない「外国語の叫び声が聞こえた」りすると、マジョリティの住民(日本人だったり日本語ネイティブだったりする人)にとって「怖かった」という感想になるのは、素朴な感情としてわからなくはない。でも、それは差別的な偏見が反映しての「怖かった」なわけで、そういう感情をいだくことがさも当然であるかのように新聞に書いてよいうのかというと、それはちがうだろう。

 「背丈が2メートルくらいのクルド人の若者が、片言の日本語で」というところも、これをいちいち記事に書くのは、クルドの人たちに対する読者の恐怖をあおろうとしているのだとしか考えられない。下劣にもほどがある。

 この記事はあきらかにつぎのようなメッセージを読者に発している。すなわち、「クルド人はこわい。また、地域住民(クルド人以外の)がクルド人をこわがるのは、おかしくはない」というものだ。これが差別扇動ではなくてなんだろう。

 産経記事は、「外国語の叫び声」や「背丈が2メートルくらいのクルド人の若者」の発する「片言の日本語」に恐怖するマジョリティ(多数派)地域住民の俗情に、力いっぱいおもねってみせている。他方で、クルドの人たちがそれぞれなにを考え病院にあつまってきたのか、あるいは川口や蕨の地域社会にどんな思いをいだいているのか、まったく関心をよせるそぶりすらみせない。この下劣な記事の中で、クルド人は多数派住民の視点を通して、あくまでも恐怖すべき対象として描かれている。しかし、脅威なのはむしろ多数派住民のほうなのではないのか。

 産経は、「同市[川口市]は全国で最も外国人住民の多い自治体で、クルド人の国内最大の集住地」であると書く。そして、つぎのように、川口市の人口にしめる外国人、またクルド人の割合が高いのだということを強調している。


 川口市は人口約60万人のうち外国人住民数が約3万9千人と人口の6・5%を占め、令和2年からは東京都新宿区を抜いて全国で最も外国人住民の多い自治体になった。トルコ国籍者も国内最多の約1200人が住んでおり、その大半がクルド人とみられるが、内訳や実態は行政も把握できていない。


 産経の記事はこのような文脈において、「同市では近年、クルド人と地域住民との軋轢(あつれき)が表面化している」と書くわけだから、クルド人が多い、あるいは増えていることによって、あつれきが生じているのだと言いたいのだろう。

 しかし、多い、増えている、とはいっても、60万人の川口市の人口のうちクルド人は1200人、わずか0.2%にすぎない。客観的な事実として、クルド人は圧倒的な少数派なのである。記事に述べられているように、蕨や川口はクルドが集住していることから「ワラビスタン」などとよばれるが、この地域の圧倒的多数派は日本人である。

 この地域のクルドの人たちが有志で清掃や見回りのボランティア活動を継続してきたことは、よく知られていると思う。少数者である自分たちが地域社会で受け入れられるためにかなりの神経と労力をつかわざるをえないのだ。それほど圧倒的な権力差があるということだ。

 ところが、今回の産経記事は、そこをあべこべにひっくりかえして、圧倒的な多数派住民が少数者を恐怖するのがあたかも自然であるかのように認識を転倒させる。まるで少数者(マイノリティ)が多数者(マジョリティ)をおびやかす脅威であるかのように。そのはてにあるのは、少数者に暴力をふるうことの正当化である。そういうわけで、この報道は看過できない。



 この産経の記事には、ほかにも批判すべき点がいくつもあるのですが、キリがないので、余力があるときに書けたらまたこのブログに書くことにします。


2023年7月28日

大阪刑務所が弱視の受刑者にルーペの使用を許可しなかったということについて


 大阪弁護士会が、大阪刑務所の元受刑者に対する処遇について人権侵害であるとの警告をおこなったということが、報道されている。


重度弱視 ルーペ使用認めず 大阪刑務所に大阪弁護士会が警告|NHK 関西のニュース(07月27日 16時08分)

視力0・01以下受刑者のルーペ使用、大阪刑務所が再び認めず…弁護士会「人権侵害」と警告 : 読売新聞(2023/07/28 07:05)


 警告書の概要と本文は、大阪弁護士会のウェブサイトで読むことができる。


刑務所内で重度視覚障害を有する受刑者が自弁ルーペの使用を不許可とされたことに関する警告 - 大阪弁護士会(2023年7月25日)


 大阪刑務所が重度の弱視元受刑者にルーペの使用を許可しなかった理由は、ルーペの金属部分を鋭く加工したり、レンズを使って発火させたりする危険があるというもの。しかし、弁護士会の警告書が以下のように指摘するとおり、これはまったく理由になっていない。


……金属製の板を研磨する等により悪用されることを防ぐためには、ルーペの使用後に回収するなど、適切な保管方法をとれば足りる。また、レンズによる発火は、直射日光など強い自然光が必要と考えられるところ、ルーペの使用場所や使用時間を別途管理するなどの方法により危険を避けることができる。


 ところで、この件で大阪弁護士会と大阪刑務所の対立する争点となっているのは、「刑事収容施設及び被収容者等の処遇に関する法律」の第41条についてのようである。同条では、「眼鏡その他の補正器具」等について「刑事施設の規律及び秩序の維持その他管理運営上支障を生ずるおそれがある場合を除き、自弁のものを使用させるものとする。」としている。刑務所側はルーペの使用が「刑事施設の規律及び秩序の維持その他管理運営上支障を生ずるおそれがある」として不許可にし、これに対して弁護士会がそのおそれはないと反論しているのが先の引用箇所である。

 でも、法律のドシロウトの感覚と言われるかもしれないけれど、この「刑事施設の規律及び秩序の維持その他管理運営上支障を生ずるおそれがある場合を除き」という規定がひどい、と思う。

 文字を読んで情報をえたり、手紙などで外部の人と通信したりできることは、基本的な人権である。刑務所がまずは尊重すべきなのはそこだろう。「眼鏡その他の補正器具」(弱視者にとってルーペは当然ここに含まれるだろう)の使用は原則として制限されてはならないはずだ。ところが、「刑事施設の規律及び秩序の維持その他管理運営上支障を生ずるおそれがある」という口実をつけて、基本的な人権を制限(侵害)するということが現におこなわれている。

 入管の収容施設なんかも同様で、「保安上の支障がある」という口実で、被収容者のあらゆる人権が制限される。

 人権の保障は、「保安上の支障」やら「施設の規律及び秩序の維持」やらよりも、より上位に位置づけられるべきもののはずだけど、刑務所や入管施設ではそこが完全に転倒している。そしてその転倒が常態化し、いわば「ふつうのこと」になっている。刑務所や入管施設の被収容者が「ここには(外の社会とちがって)人権はない」としばしば語るのは、そういうことではないのか。この転倒をあたりまえにしてはならない、と思う。


2023年7月3日

病院がオーバーステイの患者を通報するのは大問題


  鹿児島県内の病院が、診察を受けに来た外国人の患者を警察に通報。警察がこの人を「不法残留」の容疑で逮捕したという記事を読んだ。

 6月19日に南日本新聞がオンラインで報じている。ただ、記事を掲載しているのが、コメント欄での差別書き込みを放置し、差別主義者を積極的に呼び込むことで「炎上」騒動を起こしページビューをかせぐという差別便乗商法をとっている「Yahoo!ニュース」なので、記事へのリンクは貼りません。南日本新聞のサイトに同じ記事が掲載されていれば、そちらのリンクを紹介することもできるのですが、どうもそっちには掲載されてないようなので。

 まあそれはともかく、南日本新聞の報じるところによると、6月19日、この患者は受診したさいに身分証を提示しなかったため、病院が通報したのだそうだ。この人の在留期間は16日までで、3日ほどオーバーステイになっていたので、警察は逮捕した、と。

 こういうニュースに接してまず思うのは、「不法残留」とか「不法滞在」といった言葉がいかに非正規滞在外国人(在留期間がすぎたり、あるいは在留資格が取り消されたりした外国人)への偏見をもたらしているかということである。

 在留資格がないというのは、たんに入管局という行政機関が在留資格を許可していないということにすぎない。診療を受けに来た患者をいちいち病院が警察に通報しなければならない理由になるわけがない。そんなもんわざわざ通報するなら、日本人なんてだれひとりとして日本での在留資格なんて持ってない。診察受けに来た日本人みんな警察に突き出すんですか、という話である。日本人患者は入管局の認める在留資格なんかなくても通報しないのに、外国人患者の場合だけは在留カードを提示できなかったら警察に突き出すとか、そこに合理的な理由なんてありようがない。ところが、「不法残留」「不法滞在」という言葉とともに、それがさも危険な犯罪であるかのようなイメージが広がっているために、警察に通報などという無用な行為を病院などがしてしまうのではないのか。

 深刻なのは、こうして病院が非正規滞在の外国人を警察に通報するということをやってしまうと、非正規滞在の人は、通報されることを覚悟しないと病院に行けなくなってしまう、ということである。人の生き死ににかかわることなので、医療機関はよくよく考えてほしいと思う。



 以前このブログに書いた記事を下にリンクしておきます。

 上に書いたようなこととともに、国公立であれ民間であれ、医療機関には、オーバーステイの外国人が受診しにきた場合、通報しなくてもよいと、入管庁ですら言ってますよということも、書いてあります。

「不法残留」の通報は、人命や感染症対策よりも重要なのですか?

2023年6月29日

大村入管死亡事件について 6・24全国集会での発言



 

 6月24日に「これからの闘いに向けた全国集会」(主催:入管の民族差別・人権侵害と闘う全国市民連合)というのに参加してきました。改悪入管法が6月9日に可決・成立してしまったことを受け、これからの闘いをどう構想していくのか、というテーマの集会です。

 ここで「大村入管死亡事件について」と題して、すこし話をさせてもらいました。大村入管がナイジェリア人男性を餓死するにいたるまで放置した(見殺しにした)背景には、入管庁の収容や送還をめぐるどのような方針・指示があったのか。また、その方針・指示はこの見殺し事件のあと、かわったのか、かわらなかったのか。そういったことをお話ししました。

 そうして話した内容は、記録としてのちに参照できるようにしておく意義もあるのではないかと思い、このブログにのっけておきます。ただ、当日は途中までしか原稿を作っていかなかったので、冒頭の3分の1ぐらいをのぞいて、記憶で再現しています。実際にしゃべった内容とは、すこしずれていると思います。



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「死亡事件」ではなく「殺人事件」

 今日は6月の24日ですが、4年前、2019年の6月24日に、長崎の大村入管センターで、Aさんというナイジェリア人男性が亡くなりました。この4年前の今日起こった事件を忘れてはならない、心に刻まなければならないと思い、今日はその話をさせていただきます。

 「死亡事件」とよく言われるんですけど、Aさんの事件にしろ、ウィシュマさんの事件にしろ、「見殺し事件」と呼ぶべきじゃないかと思います。どちらも、死亡しつつある人を「助けられなかった」という事件ではないんです。だって、助けようとしなかったんだから。助けられる手段はあって、それはぜんぜん難しいことじゃなかった。でも、その助ける手段をとらずに見殺しにした。それは「死亡事件」というより、「見殺し事件」とか「殺人事件」と呼ぶのにふさわしいんじゃないでしょうか。

 具体的に話します。Aさんは、大阪入管と大村入管センターとあわせて、通算3年半ものあいだ入管施設に収容されていました。で、ここから出してほしいとハンガーストライキ、それも水すら飲まない絶食をおこなって、亡くなってしまったわけです。

 入管庁は、その年の10月に調査報告書(「大村入国管理センター被収容者死亡事案に関する調査報告書」)を出しています。これは入管の対応に問題はなかったというようなことを言っている報告書なのですが、Aさんが長期間拘束されて自由がないということを言って、「仮放免でも強制送還でもいいので、ここから出してください」と、そう訴えてハンストをしていたことが記録されているんです。なぜAさんが水すら飲まず完全絶食をしていたのか、大村入管は把握していた、ということです。ということは、入管は、仮放免の許可を検討するからハンストを中止して、医者の診察もうけてくださいと説得することができたし、そう説得すればAさんがハンストを中止する可能性は高かったはずです。

 実際、ハンストなどで危険な状態にある被収容者に対して、入管が仮放免許可をするからと言って食事をとるように説得するという例はぜんぜんめずらしくはないです。入管が収容して自由を制限している人の命を最優先するなら、そうするしかないわけです。ところが、大村のセンターは、そうしなかったんです。水も飲んでないわけだからそのまま放置してたら1週間か10日で死ぬことは分かりきったことなのに、ほったらかしにした。これは見殺しです。入管は「死亡事案」と呼んでいるのですが、「見殺し事件」「殺人事件」と呼ぶべきだと思います。



見殺し事件後も方針をかえなかった入管庁

 ウィシュマさんが見殺しにされた事件と同じですよね。ウィシュマさんはハンストではなく、食べたくても食べられない状態になっていたということでAさんとは違うのですけど、さきほどSTARTの支援者のお話にもあったように、命を救う方法がはっきりしていた、それもぜんぜん難しいことではなかった、でも入管はその方法をとらなかった、それで見殺しにしたということです。入管はAさんやウィシュマさんの命を軽くあつかいました。ではなにを入管が重視したのかといえば、収容を継続するということだったわけです。

 この、収容の継続を重視して、命を軽くあつかうという入管の姿勢は、Aさん事件のあとの入管の対応にはっきりとあらわれています。Aさんが6月24日に亡くなり、その3週間後の7月17日に、入管庁の長官の佐々木聖子さんという人が日本記者クラブで記者会見をしました*1。佐々木長官はここで「長期収容というのが非常に問題だという認識は非常に強く持って」いるとしつつも、「なんとしても送還を迅速におこなうことで長期収容を解消したいというのが入管の基本的な考え」であると述べました。迅速な送還によって、長期収容を解消しようというのが入管の考えだと言ったわけです。

 これは、ちょっとややこしい説明がいるんですけど、Aさんの事件のあとも、入管はこれまでの方針を維持しますよという宣言です。入管は、2010年から15年までのあいだは、長期収容と仮放免について、いまと少し違う方針をとっていました。それはどういうことかというと、「長期収容は問題だ」ということがまずあって、その長期収容を回避するために仮放免の制度を柔軟に活用しますと。そういう通達を入管内部で出し*2、プレスリリースも出し*3、国会答弁や国連なんかにもそう言っていたんです。仮放免を柔軟に活用して長期収容を回避するんだと。それが入管の公式の立場でした。

 ところが、2015年9月にその通達は廃止されました*4。仮放免制度を活用して長期収容を回避するという通達が廃止され、それで、あくまでも送還によって長期収容を解消するんだという方針になったわけです。結局それはムチャな話で、この方針によって2015年以降、全国の入管施設でどんどん収容が長期化していったということは、みなさんご存じのとおりですよね。この方針にのっとって、大村入管は瀕死のAさんに仮放免許可の打診をしなかった、そして見殺しにしたのです。

 ところが、入管庁の長官は、こういう痛ましい事件があってもなお、これまでの方針を変えません、維持しますと宣言した。反省しなかった。見直さなかった。そうして、ウィシュマさんの事件があったということです。Aさんを見殺しにした事件の再発防止に失敗したのです。



本庁指示にもとづく現場での蛮行

 収容が長期になっても仮放免はしないんだと、あくまでも送還が第一であってそのために収容を継続するんだと、そうした方針のもとで、Aさんが見殺しにされました。で、Aさんの死があっても、入管庁の長官はこの方針を改めない、維持すると記者会見の場で宣言しました。

 では、佐々木長官のこの宣言を受けて、入管センターなどの現場はどう対応したのか、ということをお話します。

 このときに入管がおこなった行為は、日本政府による蛮行・残虐行為として歴史に残り、何百年も語り継がれると思います。

 2019年の5月、6月ごろ――Aさんが大村でハンストをおこなったのと同時期ですが――牛久(東日本入管センター)でも、死ぬのを覚悟しての命がけのハンストをやる人が複数出てきていました*5。2015年ぐらいから始まる収容の長期化が、このころには被収容者たちにとって心身の限界にきていたということです。そして、Aさんの死後も、仮放免しないなら死ぬまで続けるという覚悟でのハンストをする人は、牛久でも大村でもつぎつぎに出てきて、やみませんでした。

 これに対し、入管は「仮放免します」と言ってハンストを中止するよう説得し、ハンスト者がハンストをやめると、自力でなんとか歩行できるぐらいまで体力が回復するのを待って仮放免するという対応をとりました。

 ところが、仮放免で収容を解くのはたったの2週間だけ。2週間後にふたたび収容するという措置を入管はとりました。こうしてまた収容された人がふたたび、あるいはみたびハンストすると、入管は2週間だけ仮放免してまた収容するということを、くり返したのです*6

 一度収容を解いて希望をもたせ、それをたたきつぶすということを、入管はくり返しやったわけです。収容が長期化しても仮放免はしない、あくまでも収容を継続し、送還・帰国に追い込むんだという2015年以来の方針は、2019年にAさんの事件があってもかわらなかった。この方針にのっとって、2週間だけ仮放免してまたつかまえるという、魚釣りのキャッチ・アンド・リリースみたいなすさまじい蛮行が、現場ではおこなわれました。

 Aさんの事件から、入管はある意味では教訓をえたといえばえたのです。ただし、それは、殺すところまで追い込んでしまったのはマズイということにすぎなかった。殺さない程度に痛めつけろという入管の考えが、この2週間仮放免と再収容のくり返しにはあらわれています。



改悪入管法成立後も連帯を

 2020年以降、コロナの感染拡大で、被収容者数を減らすという入管の方針があり、これに応じて収容の長期化はある程度解消してはいます。しかし、さきに述べた人命軽視の方針が続いていることは、ウィシュマさんの事件からもあきらかです。

 で、今回成立した改悪入管法。これは、いま述べてきたような送還強硬方針の延長線上にあるものです。この法律が成立してしまったということは、その以前からの送還強硬方針を入管が今後も続けていくのを後押しすることになると思います。そして、入管が送還を強硬にすすめていこうとしたときに、そのおもな方法は、収容です。仮放免者を再収容する、長期収容する、そうして痛めつけて、帰国を強要する、ということを今後ますます強化してくる可能性が高い。

 しかし、今回の入管法改悪に反対する運動が大きく盛り上がり、たくさんの人が入管の差別や人権侵害の問題に関心をもち、さらに行動にうつすのを目にして、とても勇気づけられました。入管を包囲する私たちの連帯は、いままでになく強くなっていると思います。長期収容させない。再収容させない。送還させない。入管が「送還忌避者」と呼ぶ、送還を拒否せざるをえない人びとについて、難民認定審査の適正化と在留特別許可によって入管に在留資格を出させる。そのために知恵を出し合い、ともに力を合わせましょう。



《注》

*1: 会見の動画は、以下のページにリンクされている。
 佐々木聖子・出入国在留管理庁長官 会見 | 日本記者クラブ JapanNationalPressClub (JNPC) 

*2: 2010年7月27日、法務省入国管理局局長長「退去強制令書により収容する者の仮放免に関する検証等について(通達)」   

*3: 2010年7月30日、法務省入国管理局「プレスリリース 退去強制令書により収容する者の仮放免に関する検証等について」   

*4: 2015年9月18日「退去強制令書により収容する者の仮放免措置に係る運用と動静監視について(通達)」 

 *5: 2019年5月ごろから東日本入管センターで命がけのハンストを実行する被収容者が出てきたことについて、以下は仮放免者の会による記録。
 長期収容への抗議を!(東日本入管でのハンストをめぐって)(2019年6月19日)
 東日本入管センターでのハンスト、50日近くになる人も(2019年6月25日) 

 *6: 以下は、2週間仮放免と収容のくり返しについて、東日本および大村の入管センターに対する抗議の記録。
 【抗議声明】入管による見せしめ・恫喝を目的とした再収容について(2019年7月29日)
 東日本入管センターに抗議しました――仮放免2週間ののちの再収容について(2019年8月6日)
 再収容および長期収容について抗議の申し入れ(8/21、東日本入管センターに)(2019年8月27日)
 【抗議のよびかけ】人命をもてあそぶ入管による再々収容について(2019年10月29日)
 10月30日 大村入管センターに抗議・申し入れ(被収容者死亡事件とハンスト者の再収容等について)(2019年11月5日)

2023年6月16日

「ルールを破る者のせいで」と言うまえに


  今回もまた入管法改悪に関係する話ですが。

 山本太郎参議院議員が、8日の参院法務委員会での法案の採決のさい、委員長席のほうに飛びかかるような動作をしたことが問題にされている。

 9日には与党の自民・公明、「ゆ」党の維新・国民民主ばかりか、野党の立憲までもが名をつらねるかたちで、山本氏に対する懲罰動議が共同提出された。採決にいたる法務大臣はじめ政府側の国会審議での不誠実さ(立法事実にいくつもの重大な疑念がつきつけられているのに、逃げまわってまともに応答しなかった)が問われないいっぽうで、これを体を使って阻止しようとした山本氏の行動ばかりが問題にされるのは、ほとんど「あべこべ」と言うしかないほどバランスを欠いている。

 この懲罰動議の動きに対しては、「入管事件を闘う大阪弁護士有志の会」がいち早く批判の声明を出している。

れいわ新選組代表山本太郎議員に対して懲罰しないことを求める声明


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 さて、ここまでが前振り。ここから本題です。

 山本氏の行動に対しては、入管法改悪への反対運動に取り組んできたひとのなかからも、批判が出ている。批判が出ること自体はあたりまえなのだけど、そのなかには「こういう批判はまずいのではないか」と思うものがあった。

 それは、山本氏の行動を「ルールを破る」ものだという点で批判するものである。いわく、ルールを守ってその枠のなかでやってきた多くの地道な活動が、山本氏の「ルールを破る」行動のせいで、これと同一視されレッテル貼りをされ否定されてしまうのだ、と。

 これはほんとうにまずい批判だと思う。そして、同様のロジックによる批判は、今後ともくり返し出てくるのではないかと、危惧している。

 そういうわけで、今回の山本氏の行動についての評価とはべつに、上記のようなロジックでの批判をどうとらえたらよいのか、今後のために少し考察しておきたいと思う。具体的なことはこういう不特定多数の人がアクセスできるところには書きにくいので書きませんが、そこは想像力とかでおぎなって読んでもらえるとありがたいです、すみませんが。


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 さて、この批判者の、自分(たち)はルールの枠内でやりたいという意思はもちろん否定すべきものではないです。私も、できるかぎりルールの中でやりたいと思うし、実際、そう思っていままでやってきました。ルールから外れると、権力からの弾圧も引き起こしやすいだけでなく、自分の身近にいる人たちとのあつれきを生むことも多い。

 でも、入管問題や非正規滞在の人の支援に取り組んでいると(他の取り組みでも多かれ少なかれ同様のことはあるのかもだけど)、ルールの枠内でやろうにも、それだけではどうにもならないという場面は出てきたりもする。いま危機にさらされてる命を守るには、ルールなんか守ってられないということもありうる。ここで私の言っている「ルール」には、違反すると刑罰を科されることもあるような法令もふくむ。警察が社会運動を弾圧しようとするさいには、まったく違法行為などなくても平気でこれをでっち上げることさえするくらいなのだから、支援者をなんらかの口実をつけて違法行為に問うことなど、弾圧する側からしたらいくらでも好きなようにできる。

 しかも、さきの批判者の理屈だと、なにをもって「ルールを破る」行動とするのかは、世間の多数者の見方・評価に依存するということにもなってしまう。入管問題に取り組む者の一部が「ルールを破る」行動をとることで、そうした活動をしている人全体がレッテル貼りをされ、世間から否定的にみられてしまうのが問題だというわけだから。このように世間の見方に依存するかたちで、「ルールを破る」行動はつつしまなければならないということが強く言われるようになれば、運動や支援は萎縮せざるをえないし、それが実現しうる可能性をみずからせばめてしまうことにもなるだろう。そこでは世間(マジョリティ)が反発しそうなことは、なかなかできなくなる。それはマイノリティの権利を獲得していこうとする運動において、自殺行為とすら言えるのではないか。

 それに、ルールそのものがかならずしも公平ではなく、より大きな権力を持った者に有利につくられているということも、しばしばある。力と権利をうばわれている者ほど、生きていくなかでルールを侵犯したとみなされるリスクがあちらこちらに転がっている。これを支援しようとする者も、当事者ほどではもちろんないにせよ、多少はそのリスクをかかえこむことになる。さらに、支援者自身がマイノリティ属性を多分にもつ場合も少なくないのであって、自身より弱い立場にある人を助けようとしたばかりに、自身も「ルール違反」に問われ、のっぴきならない状況に追い込まれてしまうということも、たびたびおこっている。

 今回、国会で成立してしまった改悪入管法は、「送還忌避」を犯罪「化」することで、在留資格を付与されていない外国人はもちろん、さらにその支援者も共犯者として、処罰の網にかけようとするものでもある。「ルールを破る」行動が入管問題に取り組む運動全体への世間のイメージ悪化をもたらし、その足をひっぱっているのだ、というような非難をしているようでは、それこそ「敵の思うつぼ」ではないだろうか。


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 くり返し言いますが、もちろん、ルールを侵犯せずにできるだけ穏当に運動をやりたいという意思は、否定されるべきものではない。自分は比較的安全な場所にいてそこから抗議しようということは、責められるようなことでない。人それぞれおかれている立場・状況はちがうのであって、ルールを侵犯しているとみなされるリスク、そうみなされたときにこうむる損害もちがう。

 しかし、自分たちはルールを守って「地道に」「まっとうに」やっているのに、ルールを破るあいつらのせいで、うちらのイメージも悪くなるじゃあないか、というふうに、自分たちとあいつらを切断してしまうのは、まずいと思う。そこをあっさり切断してしまうのではなく、つながる経路を残しながら連動し、ゆるやかであっても連帯していくことができればなあと、私は思う。そのための知恵と実践を今後、つみかさねていきたいものです。




2023年6月13日

「保安上支障がある」との理由で難民認定申請書の差入れを不許可にした事例(大阪入管)

 

 ツイッターで、東京入管職員が被収容者の難民申請を妨害しているとの投稿があった。


昨日東京入管へ行って分かったことだが、現在女性被収容者のブロックでは難民申請のための書類を職員が渡すのを拒否している。

外部の人が差し入れたものを記入し提出しようとしても職員に「受理しない」と言われるという。

たった1ヶ月前に男性の被収容者と面会した時はその場で申請書類を貰えた。

https://twitter.com/Tommyhasegawa/status/1667303311828217856


 私も1年半ほど前(2021年12月)に、大阪入管で似たようなケースに出くわしたことがある。やはり処遇部門の職員(入国警備官)が難民申請書を渡すのを拒否したという事例だ。

 ただし、上記のツイッターのケースは難民申請をする意思のある被収容者に申請用紙を手渡すのを拒否したというのに対し、私が出くわした大阪でのケースは、私が本人に難民申請用紙を差し入れようとしたのを、大阪入管が「保安上の理由」で許可しなかったというものであって、そこは同じではない。

 あとで言うように、大阪入管が面会を許可せずに翌日には送還を実施したため、私は結局このかたに会えず、難民申請をしたかったのかどうかの意思確認ができなかった。それで、この件は当時ちゃんと問題化しようとしなかったのだけど、やはり見すごせない問題がある。ということで、ここにとりあえず記録し、公開することにしました。



 ことの経緯は以下のとおり。

 2021年12月17日の昼ごろ、仮放免中の女性が難民申請の審査請求を棄却されて大阪入管に収容されたとの情報が、同国人のコミュニティから寄せられた。この人は妊娠しているということであった。

 妊娠しているにもかかわらず収容したということは、入管は収容が長引くのを想定していないはずで、つまり即日あるいは近日中に送還する準備(航空券や渡航証など)をすでに終えているだろうと考えられた。

 本人が帰国しても危険がなく送還に同意しているのであればいいが、私としては、このかたが難民申請していたらしいという情報が気になった。帰国しても危険はないのだろうか、と。

 また、入管職員が「難民申請は2回までしかできない」という虚偽の説明(実際は申請できる回数に上限はない)をしたという話を、この時期、複数の仮放免者から聞いていたので、この女性も虚偽の説明を受けて不本意ながら再申請を断念している可能性もありうると考えた。

 そういうわけで、このかたに面会して難民認定申請の再申請ができることをつたえたうえで、そうしたいとの意思確認ができれば、大阪入管に送還を中止して申請を受け付けるように申し入れよう、と。そのつもりで面会申出書を大阪入管で出した。同じ17日の16時少しまえであった。同時に、私の名刺と難民認定申請書(入管庁のウェブサイトからダウンロードして印刷したもの)を差し入れた。

 ところが、40分以上待たされたのち職員が出てきて、面会も差し入れも「保安上の理由」で許可しないと言われた。面会はともかく、名刺や申請書といった紙きれがどうして「保安上」の支障があるのか説明してほしいとくりかえし求めたが、職員はいっさいの説明をこばんだ。入管施設は、人を閉じこめて自由をうばう施設なので、「逃亡」につながるような物、あるいは自傷行為につながったり武器になりうるような危険物の外部からの差し入れは、「保安上の支障」があるので許可できないという理屈は理解できる。しかし、難民申請書がどう「保安上」問題になるのか、まったく理解ができない。

 結局、この日は面会も難民認定申請書の差し入れも許可されなかったためできなかった。そして、このかたは翌18日の便の飛行機で送還されてしまった。



 以上の経緯からみるに、大阪入管が私の面会と難民認定申請書の差入れを許可しなかった理由は、被収容者が難民申請をして翌日の送還を中止せざるをえなくなることを危惧したからだと考えるしかない。ということは、このかたがあらためて難民として保護を求める可能性があると大阪入管は認識したうえで、送還を強行したということだ。

 なお、私とはべつの、仲間の支援者が抗議の電話をかけてくれたのだが、大阪入管はこの支援者に「知らない人からの面会と差し入れということで、被収容者本人がことわったのです」と説明したそうだ。職員(処遇部門の面会担当)が私に説明した「保安上の理由」で「(大阪入管が)許可しなかった」という話と完全に矛盾する。

 後日、大阪入管に保有個人情報開示請求をかけてみたら、以下に画像をのせた文書が開示された(黒塗りは大阪入管が、青塗りは私がマスキングしたところ)。「保安上支障があるとして、面会及び差入れのいずれも不許可処分とし」たと、はっきり書いてある。「(入管は許可したけれど)被収容者本人がことわった」という話とはぜんぜんちがう。職員氏、しれっとウソつくなよなあ。びっくりするわ。

「〇〇〇〇の被収容者に対する支援者
の面会等申出に係る対応について」


 ところで、これも画像(記事末尾)で示したように、「電話記録書」という文書も開示された。大阪入管と本庁(入管庁)警備課とのあいだの電話の内容を記録した文書のようである。(本記事で紹介した文書はいずれも「大阪出入国在留管理局が保有する令和3年12月17日に開示請求者本人が提出した面会・物品授与許可申出書に係る警備処遇関係報告書(開示請求者本人の個人情報が含まれない書類を除く。)」として大阪入管から開示されたものである)

 例によって内容はすべて黒塗りにで日付すらかくされているが、私が12月17日に面会と差入れの申し出をしたのに対して、大阪入管が本庁に指示をあおいだ電話の会話内容が記録されていると考えてまちがいないだろう。だとすると、本庁の監督のもと、大阪入管は「保安上支障がある」との理由で、難民申請書が被収容者にわたるのを阻止したということになる。

 冒頭のツイッターに投稿された東京入管のケースもそうだが、送還を強行するために難民申請書が被収容者の手にわたらないようにしているということであって、つまり入管が収容して身体を拘束している人の申請を妨害し、その権利をうばっているのだ。

「電話記録書」1ページ

「電話記録書」2ページ

「電話記録書」3ページ