2022年1月26日

入管庁が人権について現場職員に説教たれる資格があるのか?


【ふりがなを つける】(powered by ひらがなめがね)



 入管庁が職員向けに「使命と心得」なる文書を策定したのだそうだ。失笑するほかない。



 スリランカ国籍のウィシュマ・サンダマリさん(当時33)が昨年3月に収容先の施設で病死した問題を受け、出入国在留管理庁は25日、職員の意識改革のための「使命と心得」を策定したと公表した。「秩序ある共生社会の実現に寄与する」ことを使命に掲げ、「誠心誠意、職務の遂行に当たらなければならない」とした。


 14日付で策定された「使命と心得」は、ウィシュマさんの死亡問題について昨年8月にまとめた調査報告書に盛り込んだ改善策の柱。職員に「人権意識に欠ける」発言があり、体調などの情報共有への取り組みが不十分だったことを踏まえ、使命の実現のため留意が必要な事項として、「人権と尊厳を尊重し礼節を保つ」「風通しの良い組織風土を作る」など8点を挙げた。そのうえで職員に「高い職業倫理」や「絶え間ない自己研鑽(けんさん)」を求めた。

入管庁、職員向け「使命と心得」策定 スリランカ女性の収容死受け:朝日新聞デジタル(伊藤和也 2022年1月25日 10時01分)



 内容だけ読めばもっともらしいことを言っているようだが、問題は「だれが」それを言っているのかということだ。


 「秩序ある共生社会の実現に寄与する」だとか、「人権と尊厳を尊重し礼節を保つ」だとか、まあご立派なことを言っているが、入管幹部は数年前にはこれらとまったく正反対の指示を出しているのである。


 2016年4月7日、法務省入国管理局長(当時)の井上宏は、「安全・安心な社会の実現のための取組について」なる通知を出している。入国者収容所長(牛久と大村の入管センター)と各地方入管局長にむけた通知である。


 この通知のなかで、井上は、「不法滞在者」と「送還忌避者」を「我が国社会に不安を与える外国人」であるとし、これらを「大幅に縮減」するために、「送還忌避者の発生を抑制する適切な処遇」を実施せよとの指示を出している。


 ようするに、収容所でつらいめにあわせ、いびりたおして、「我が国社会」から出ていくようにしむけろ、それが入管収容施設の「適切な処遇」なのだ、と井上は言っているわけだ。


 この2016年通知については、以下の記事に全文を画像で掲載し、批判している。不逞外国人は収容施設で虐待してわが国から追い返せという内容の指示を入管局長がほんとうに文書で出しているのです。ウソだと思うかたは、一読してご自身の目でたしかめてください。


「送還忌避者の発生を抑制する適切な処遇」とはなにか? 国家犯罪としての入管収容(2021年10月28日)


 それにしても、6年前の入管局長通知では、劣悪な処遇で収容することで日本からたたき出せという内容の指示を出しておきながら、その同じ口でよくもまあ「人権と尊厳を尊重し礼節を保」ちなさいなどと現場職員に説教をたれるものだ。ふざけるのもたいがいにすべきである。


 ウィシュマ・サンダマリさんを死亡させた事件を反省し、再発防止に取り組もうとするうえで、入管庁が人権について現場職員に説教するなどまったくのナンセンスである。だって、いびりたおして自国へ追い返せと指示を出してたのは入管の幹部どもなのだから。収容所に閉じ込め拷問して帰国へと追い込むことで「送還忌避者」を「大幅に縮減」すべきだというのは、入管幹部が決めた方針であって、現場職員たちが勝手に判断してやったことではない。


 犯罪組織のボスが、手下に指示して犯罪を実行させておきながら、その責任を問われると「若い衆にはよく言い聞かせておきますから」などと言ったとして、それでだれが納得するだろうか。首謀者をこそ追及し、罪に問うべきだろう。もちろんここで「犯罪組織」うんぬんと書いたのは、比喩でもたとえ話でもないです。


2022年1月10日

「どっちの拷問が人道的か?」強制収容所の処遇改善についての考察


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  かつて大阪府茨木市にあった西日本入国管理センター(2015年に閉鎖)の2001年頃の被収容者に対する処遇について、先輩の支援者から話を聞く機会があった。記録として残すべき重要な歴史の一部分だと思うので、書きとめておきたい。



かつて開放処遇はなかった!

 私が非常におどろいたは、当時は開放処遇というものがなかったということだ。


 現在では、全国のどの入管施設でも、一日のうち一定の時間帯は被収容者が自分の居室から共同スペースに出ることのできる開放処遇が実施されている。開放処遇の時間帯には、被収容者は洗濯機を使用したり、シャワーをあびたり、他の部屋の人と交流したりということができる。


 参考までに、現在の大阪入管での被収容者の一日のスケジュールを紹介しておく。


7:40~ 朝食

9:00 点呼

9:30~11:30 開放処遇

11:30~13:30 施錠

11:40~ 昼食

13:30~16:30 開放処遇

16:30~ 施錠

17:00 点呼

17:10~ 夕食


 開放処遇は、午前2時間と午後3時間のあわせて5時間。のこりの19時間は、居室に施錠されて閉じ込められる。


 それぞれの居室(雑居房)は大阪入管の場合は定員6名。ただし、定員いっぱい収容されるということは、昨今ではほとんどないので、ひとつの部屋に1~4名ぐらい。いまはコロナ禍で入管は被収容者数を減らすようにしているので、ひとりに1部屋がわりあてられていることが多いけれど、1日のほとんどを外からカギのかけられた小さな部屋ですごさなければならない。


 ひどいあつかいである。こんなものが人権を尊重した処遇だと考える人はいないだろう。もしいるならば、その人は自分の倫理観を深刻にうたがったほうがよい。


 ところが、20年前はこのたった5時間の開放処遇すらなかったのだという。1日のうち居室から出られるのは、シャワーや洗濯のための15分だけ。ほかに運動場に30分出ることの許される日があるが、毎日ではない。その何日かに1回の30分の運動時間も、雨がふれば中止。


 外部との通信もきびしく制限されたそうだ。外部に電話をかけるのは事前申し込み制で、弁護士への連絡か、帰国の準備のための家族への連絡か、この2通り以外では許可されなかった。


 このような状況で精神を正常にたもつことは容易でないだろう。実際、弁護士が代理人になって裁判を起こしても、判決が出るまで裁判を維持できるのは非常にまれであったという。裁判の途中でほとんどの人は収容にがまんできなくなって帰国してしまうからだ。



一定程度の「改善」

 こうしたすさまじく劣悪な処遇が、西日本入管センターにおいて「改善」されはじめたのが2003年ごろだったという。


 2001年9月11日、米国の世界貿易センタービルと国防総省がハイジャックされた航空機による自爆攻撃を受けると、米国は「対テロ戦争」と称し、翌月にはNATO軍とともにアフガニスタンへの侵略を開始。


 米軍などによる罪のないアフガニスタンの人びとに対する軍事攻撃・殺戮が始まったおなじ10月に、日本政府はアフガニスタン国籍の難民申請者をつぎつぎと摘発し、入管施設に収容した。この一斉収容事件については、弁護士の児玉晃一氏が当時のことを証言したインタビュー記事がいくつかあるので、ぜひ読んでみてほしい。


日本はアフガニスタンからの難民にどう向き合ってきたのか | Dialogue for People(2021.9.10)

9.11同時多発テロ後、突然収容された日本の難民申請者たち。あれから難民の収容は変わったか? - 認定NPO法人 難民支援協会(2019.7.17)


 さて、この、入管がアフガニスタン人難民申請者を一斉収容した事件をきっかけに、入管収容の実態が報道もされ、社会問題化したのだという。


 こうして入管施設のあり方への社会的な批判が高まったことをおそらくは背景にして、入管は被収容者に対する処遇を一定程度「改善」する取り組みを始める。大阪の西日本入国管理センターでは、2003年の1月から7月にかけて収容所内の改修工事をおこなって各居室の外に被収容者が共同で使えるスペースをつくり、開放処遇を順次開始していったのだという。



どちらの拷問が人道的か?

 入管施設に閉じ込められた人たちにとって、開放処遇があるかないかというのは、たしかに大きなちがいのあることであろう。一日中を歩きまわれるスペースもないような小さな雑居房ですわっているか横になっているかしてすごすのと、わずか5~6時間であってもその小さな房から出ることができるのとでは、心身にあたえる影響はぜんぜんちがってくるだろう。西日本入管センターでも、開放処遇のなかった時代には、6か月をこえるような長期収容の例はごくまれだったのだそうだ。帰国できない事情のある人でも短期間でほとんどの人がまんできずに音をあげるほどに収容が過酷だったからだ。


 でも、そのいっぽうで、「そこに本質的なちがいがあるのだろうか?」ということも問わなければならないと思う。一日のうち何時間かせまい居室から出ることができるといっても、たんにそれは施錠された檻がすこし大きくなるにすぎない。自由がうばわれていることにはかわりがないのだ。


 それだけではない。2003年から西日本入管センターが開放処遇をはじめたといっても、その前後で入管にとっての収容の目的がかわったわけではない。被収容者を精神的肉体的に痛めつけて帰国に追い込むこと。これが入管の一貫した収容の目的である。


 開放処遇の導入によって生じたのは、短期間で急いで帰国に追い込むか、長期収容によって時間をかけて帰国に追い込むかのちがいでしかない*1。社会状況の動向に適応させて拷問のやり方をかえただけのことだ。


 監禁して自由をうばい、心身の健康をおのずとくずすような状況に被収容者を置くことで、日本から出ていくように強要する。これは苦痛や恐怖を与えて相手の意思を変更させようとする行為であって、比喩でも誇張でもなく拷問とよぶべきものだ。相手の心身に激しい苦痛を短期間にたたきこむか、それとも6か月、1年、2年と長い時間をかけて心身に徐々に蓄積していくように苦痛を与えていくか。どちらのほうが人道的だろうかと問うのはナンセンスだ。いずれにしても、拷問であることにちがいはないのだから。



処遇は問題の本質ではない

 ここまで、もっぱら開放処遇のあるなしという一点のみで私は語ってきた。もちろん、この開放処遇の有無やその時間の長さは、被収容者に対する処遇のさまざまにある要素のうちのひとつにすぎない。しかし、医療や食事の質、運動時間や最大限の自由の確保など処遇の他の要素についても、その「改善」というものが、ほんとうに施設に収容された人の人権保障にはつながるものなのかということは、よくよくうたがってかかったほうがよい。とくに当局が処遇問題の改善に取り組もうとしているかのようにみずからを宣伝するときには*2


 入管施設について処遇問題は、重要ではないとは言わないけれども、けっして本質ではない。


 たとえば、2021年3月に名古屋入管でウィシュマさんが見殺しにされた事件は、医療体制などの処遇の不備によっておこったものではない。入管が早期に仮放免を許可するか、外部病院に入院させて点滴治療をするか、あるいは亡くなってしまった日の少しでも前に救急車を呼んでいれば、ウィシュマさんが命をうばわれることはなかった。収容を継続すること、またこれによって送還を遂行するということに固執したことで入管はウィシュマさんの命をうばったのである。


 また、2019年6月に大村入管センターでナイジェリア人被収容者が長期収容に抗議するハンストのすえに餓死した事件も、やはり収容継続に固執するあまり、入管が見殺しにしたというものである。長期収容によって死に追いやったのであって、処遇問題によっておきた事件ではない。


 処遇の改善をはかっても、入管施設内であいついでいる自殺をふくめた死亡事件をふせいだり、人権侵害をなくしたりといった問題解決には、かならずしもつながらない。ある意味での処遇改善が長期収容を可能にしている側面すらあるのだ。問題の本質は、日本政府やそのもとで動いている入管という組織が収容という措置を帰国強要のための拷問としておこなっていることにある。処遇はあくまでも二次的な問題にすぎない。収容期間に上限を設定するなどして長期収容という拷問をやめさせれば、医療をはじめとした処遇の問題の多くは格段に小さくなるはずである。

 



1: 現在、入管が「送還忌避者」を帰国に追い込むために長期収容という手段を自覚的・戦略的にもちいているということ、またそのことを法務大臣や入管庁の広報がもはや隠そうともせず公言していることについては、このブログでも以下の記事などで何度か述べている。
日本社会の問題として考える――入管の人権侵害(その1)(2021.12.5)
公然化されつつある拷問――出国強要の手段としての無期限長期収容(2021.4.3) 

 

2: なお、入管幹部は近年、処遇改善に取り組むどころか、これとまったく反対の指示を全国の収容施設の長にむけて出していることはつけくわえておかなければならない。「送還忌避者の発生を抑制する適切な処遇」に取り組めとの内容をふくむ2016年の法務省入管局長通達である。これはようするに、処遇を劣悪なものにとどめることによって「送還忌避者」を帰国に追い込めと命じていると解釈するほかない。この通達の問題については以下の記事で述べている。

2022年1月5日

ヒステリックな声


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(1)こっちを巻きこまないでほしい

 先日、入管の収容施設の前で30人ほどで抗議行動をおこなっていたときのこと。


 近隣の学校の学生さんたちが苦情を言ってきた。勉強しているところに私たちの抗議の声がうるさくて集中できないのだという。私たちは、拡声器を使って入管の7階と8階の収容場に声が届くように声をあげていた。収容されている人たちからの「ありがとう」「助けてください」とさけぶ声も、聞こえていた。学生さんたちが言うには、自分たちは近く国家試験をひかえているのだけれども、私たちの抗議の声がけっこう声がひびいてしまっており、勉強のさまたげになっているのだということだった。


 公共の場でおこなわれる抗議というのは、他人の生活に介入することになることもしばしばで、その介入のしかたはある意味で暴力的でもありうる。自室や教室などで勉強している人にとって抗議の声はジャマな騒音でしかないだろうし、デモ行進はこれもまた迷惑な交通渋滞をひきおこすことがある。


 抗議をジャマだ迷惑だと言う側からは、「時と場所をえらんでやればいいじゃないか」と言われることがある。でも、時と場所を選んでいられないことだってある。路上で倒れてうごけなくなっている人は、通行人に助けをもとめるのに時と場所をえらんでる余裕はない。自分以外のだれかが助けを必要としているという場合でもおなじだ。危機にひんしているだれかを自分ひとりでは助けられないときは、ほかのだれかに呼びかけて手をかしてもらうしかない。それも時と場所をえらんではいられない。


 私たちが抗議をしているのも、それぐらいせっぱつぱった事情があってのことだ。人の生き死ににかかわることで、声をあげている。


 抗議の声や行動がうっとおしく感じる人は、それぞれの生活があり事情があってそう感じているのだということは、わかっている。国家試験はその人にとっての一大事だろうし、重要な商談があって渋滞にはまってる場合じゃないということだってあるだろう。でも、抗議する者にとって、そんなのかまってられないということだってある。


 そこにはある種の敵対性があるのだということは否定できない。敵対性は、抗議する者とその抗議しようとする相手とのあいだにあるだけではない。抗議者とこれをジャマに思う通行人や近隣住民とのあいだにも、それはたしかにある。


 抗議の声をやかましく感じ、デモを迷惑だと言う人は、試験勉強したり商談にむかおうとしたりしている自分をそこに「巻きこまないでほしい」と思うだろう。そう思うのは、その抗議の内容が自分と無関係だと考えるからだ。そういう人は抗議者に「ヨソでやってくれよ」と言うだろう。でも、この社会の差別や政治の作為・不作為によってだれかが命や生活を破壊されようとしているとき、それと無関係な第三者なんてものは存在しない。だから、抗議者は公共の場所、通行する人たちや職場や学校がそこにある人たちの視界や耳にいやおうなしに入ってくる場所に立ち声をあげる。



(2)だまらせたい、耳をふさぎたい

 さて、国家試験の勉強をしているところに、前の道路で拡声器をつかった抗議行動をされたら、うるさいと感じるのは当然でもある。しかし、抗議の声がうるさく感じられるのは、かならずしもその声の物理的な大きさだけに由来するわけではない。


 自分自身がまさに抗議によって問われているという自覚が多少なりともある人は、それが自分とはまったく無関係だと思って聞いている人以上に抗議の声をうるさく感じることがあるだろう。たとえば、女性があげる性差別への抗議の声を男性はしばしばうるさく粗暴なものとしてあつかう。実際、女性による抗議の声は、男性によってヒステリックなもの、論理性に欠けた感情的なものとして表象されてきた。


 自分自身のあり方が問われているということ、自身があたりまえであると感じてきたことが男性という属性に付与された不当な特権であるということ。そのことが抗議によって自身につきつけられている。そう自覚しつつも、その認識を否認しようとする身ぶりが、抗議の声をヒステリックなものと決めつける男性のふるまいにほかならない。


 他者の声にヒステリーという意味づけをするところには、ひとつには、うるさいから相手をだまらせたいというおもわくがある。と同時に、そこには相手の抗議・批判をまともにとりあう必要のないものとして矮小化しようという意思がはたらいている。相手の言葉を矮小化したいのは、それによって自分が問われているということ、その批判が必ずしもマトはずれなものではないということを、多少なりとも理解しているからだ。無視できないということがわかっているからこそ、それを矮小化しようとするのである。相手の言葉をとるにたらないものと矮小化するのは、相手をだまらせるためというよりも、自分(たち)の耳をふさいで相手の声を聞こえなくしようとする身ぶりである。


 声がヒステリックに聞こえるのは、聞いている側がそう意味づけているからであって、抗議者の声にそう聞こえる原因があると考えるべきではない。また、抗議の声をヒステリックなものとしてあつかおうとするのは、それを向けられた者がこれを拒絶しようとしているということであって、それは同時に声が届いているということのあかしでもある。抗議の声が自分にとって無視できないものだと受け取っているからこそ、これをヒステリックな声であるとして拒絶しようとするのだ。


 だから、抗議をおこなう側にとって、相手がうるさく感じないように、自分の声がヒステリックなものと受け取られないようにするのは、意味がないし、本末転倒ですらある。



(3)小さな声を、聴く力

 岸田首相は、昨年9月の自民党総裁選で「聞く力」が自身のアピール・ポイントだと語っていたようだ。また、連立与党の公明党は、2019年から「小さな声を、聴く力」というキャッチコピーをつけたポスターを街頭などに貼りだしている。


 しかし、権力をもつ者がアピールする「聞く力」などというものを真に受けるべきではない。どの声を聞き、また、どの声を聞かずに無視するのか。それを思うがままに選択できるということが、権力をもつということだからだ。「小さな声を、聴く」などと言っている政治家も、こっちがほんとうに小さな声でうったえたら聞こえないふりをしてくるかもしれない。しかたなく大きな声を出したら「うるさい」と言われて聞いてくれないということもある。聞きたい声だけを聞き、聞きたくない声は聞こえなかったことにする。その選択ができるということが権力なのだ。


 これは首相や与党政治家といった、多数の人間に政治権力を行使できる立場にある者たちだけに関係する話ではない。上司と部下、教師と学生といった非対称な権力関係が生じる場面すべてにあてはまる話である。2人の人間がいて、そこに権力差があるとき、権力の小さい者は相手の声を無視するということがむずかしい。しかし、権力の大きい者にとっては、相手の声を聞いたり聞こえなかったふりをしたりという選択が容易にできる。


 権力の大きい者は、相手が小声でささやくのに対し、聞こえていないふりができる。相手が大声をだせば、さすがに聞こえていないふりをするのはいくらか難しくはなるだろう。しかし、その場合でも権力の大きい者は、相手の声は聞くにあたいしないのだということを言いたてることができる。あなたの言い方はヒステリックだから、粗暴だから、私を傷つけるから、だから聞く必要はないのだ、私が耳をかたむけないのはあなたに原因があるのだ、と。聞いてほしければ、感情的にならずに冷静に話してくれ、と。トーン・ポリシングというやつだ。


 抗議の声をあげようとする者は、こうしたトーン・ポリシングに耳をかす必要はない。自分の声を相手が聞こうとしないのは、それがヒステリックだからではない。粗暴だからではない。冷静さを欠いているからではない。礼儀にかなっていないからでもない。そこに権力差があるからだ。相手が自分の声を無視できる権力をもっているからだ。



(4)いきり立ったヒステリックな人々

 脚本家の太田愛氏のブログ記事が話題になっている。


相棒20元日SPについて(視聴を終えた方々へ) | 脚本家/小説家・太田愛のブログ


 この記事では、元日に放送されたテレビ朝日のドラマ『相棒』に、太田氏の脚本にはなかったシーンが不本意なかたちで入っていたということが、以下のように述べられている。



右京さんと亘さんが、鉄道会社の子会社であるデイリーハピネス本社で、プラカードを掲げた人々に取り囲まれるというシーンは脚本では存在しませんでした。


あの場面は、デイリーハピネス本社の男性平社員二名が、駅売店の店員さんたちが裁判に訴えた経緯を、思いを込めて語るシーンでした。現実にもよくあることですが、デイリーハピネスは親会社の鉄道会社の天下り先で、幹部職員は役員として五十代で入社し、三、四年で再び退職金を得て辞めていく。その一方で、ワンオペで水分を取るのもひかえて働き、それでもいつも笑顔で「いってらっしゃい」と言ってくれる駅売店のおばさんたちは、非正規社員というだけで、正社員と同じ仕事をしても基本給は低いまま、退職金もゼロ。しかも店員の大半が非正規社員という状況の中、子会社の平社員達も、裁判に踏み切った店舗のおばさんたちに肩入れし、大いに応援しているという場面でした。


同一労働をする被雇用者の間に不合理なほどの待遇の格差があってはならないという法律が出来ても、会社に勤めながら声を上げるのは大変に勇気がいることです。また、一日中働いてくたくたな上に裁判となると、さらに大きな時間と労力を割かれます。ですが、自分たちと次の世代の非正規雇用者のために、なんとか、か細いながらも声をあげようとしている人々がおり、それを支えようとしている人々がいます。そのような現実を数々のルポルタージュを読み、当事者の方々のお話を伺いながら執筆しましたので、訴訟を起こした当事者である非正規の店舗のおばさんたちが、あのようにいきり立ったヒステリックな人々として描かれるとは思ってもいませんでした。同時に、今、苦しい立場で闘っておられる方々を傷つけたのではないかと思うと、とても申し訳なく思います。どのような場においても、社会の中で声を上げていく人々に冷笑や揶揄の目が向けられないようにと願います。



 私はこの放送を見ていないのだけれど、声をあげる者、権力にあらがう者を粗暴な存在としておとしめる表現は、この国ではありふれている。「いきり立ったヒステリックな人々として描かれる」のは、たとえばフェミニズムをおとしめるのに定番のイメージとなっている。太田氏のブログは、不公正や差別に立ち向かい声をあげるという行為に対し悪意をもってことさら否定的に描写しようとするドラマ制作者のありようを記録し、これを問題化したという点で、貴重なものだと思う。



(5)ヒステリックでなにがわるい?

 さて、太田氏は「今、苦しい立場で闘っておられる方々を傷つけたのではないかと思うと、とても申し訳なく思います」と書き、また「社会の中で声を上げていく人々に冷笑や揶揄の目が向けられないようにと願います」と書いている。こうした発言は、不公正や差別にあらがい声をあげていこうとする人びとに寄り添っていこうとするものなのだとは思う。


 でも、そうやって寄り添おうとしたり、あるいはともに声をあげようとしたりするときに、「いきり立ったヒステリックな人々」とみられ「冷笑や揶揄の目」を向けられながら、それでも声をあげてきた先人たちへのリスペクトはもち続けていたい。これは私自身のこととしてそう思っている。


 声をあげるときに、相手からそれがヒステリックな声と受け取られないように、いきり立った人たちと自分が同類だとみられないように、あるいは世間からスマートにみられるようにと自己規制したくなったら、それはまちがった方向に進みつつある兆候である。それは、世間の多数者や権力のある者に自分がみばえよくうつるようにありたいという誘惑であって、声のもつ力をそぐものである。


2021年12月22日

議論があることはかならずしもよいことではない――玉木雄一郎氏の人権否定発言について


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 武蔵野市議会で審議されていた住民投票条例案が21日、否決され、成立しなかった。


 産経新聞によると、国民民主党代表の玉木雄一郎氏は、条例案が外国人住民にも投票権を認めていたことについて、「こういうことが(外国人に対する)地方参政権の容認につながっていく。否決されて安心したというのが率直な思いだ」と述べたそうだ。


国民民主・玉木氏「否決され安心」 武蔵野条例案 - 産経ニュース(2021/12/21 17:40)


 産経の同じ記事によると、玉木はこうも言ったのだという(太字での強調は引用者)。


 玉木氏は今回の住民投票条例案に関し「外国人の権利の保護を否定するものではないが、極めて慎重な議論が必要だ」と指摘。その上で「憲法に外国人の権利をどうするのかという基本原則が定められておらず、ここが一番の問題」との認識を示した。

 さらに、「まずは外国人の人権について憲法上どうするのか議論すべきで、そういう議論がなく拙速に外国人にさまざまな権利を認めるのは、極めて慎重であるべきだ」と強調した。


 「外国人の権利の保護を否定するものではない」と言っているが、玉木氏は明確に外国人の権利を否定している。


 玉木氏は、「まずは外国人の人権について憲法上どうするのか議論すべきで、そういう議論がなく拙速に外国人にさまざまな権利を認めるのは、極めて慎重であるべきだ」と言っている。なるほど、「議論すべき」だと。なんとなくいいことを言っているようにも聞こえますね。議論することは大事だ、と。なるほど。


 しかし、ここで問題になっているのは、「外国人の人権」である。それ、議論が必要なんですか? 「外国人の人権」を認めるべきかどうか、議論しないと決められないんですか? あと憲法がどうのと言ってますけど、憲法で人権をいかに制約するかとか議論するつもりなんですか? おそろしい!


 もうすこしわかりやすいよう、親切に説明してみますね。


 「玉木雄一郎をぶっ殺そうと思うんだけど、みなさんの意見はどうですか?」と私が議論を提案したとします。玉木氏は「なにおそろしいこと言ってんの!」と思うんじゃないですか。そしたら、私は玉木氏に言うわけです。「おまえに聞いてないよ。あっち行け」。


 私はなにも極端なたとえ話をしているわけではない。人権というのは、自分が住んでる国や地域の意思決定への参加の権利もふくめて、その人の生き死ににかかわることがらだからだ。外国人の人権について「議論すべき」だという玉木氏の発言は、それ自体が「外国人の権利の保護を否定するもの」にほかならない。しかも、その議論は、当の外国人住民ぬきでやるというわけでしょう。


 「議論があることはよいことだ」ということをおっしゃるかたはよくいる。でも、「議論がある」ということ自体、また「議論の余地があると考えられている」ということ自体が、その社会のマジョリティがマイノリティにむけている暴力性をしめしている、という場合がある。「外国人の人権を認めるべきかどうか」「女性の人権をどの範囲まで認めるべきか」「障害者に人権はあるか」「セクシュアルマイノリティの人権を認めてもよいか」。そういった議論が推奨される社会、そこに議論の余地があると考えられている社会がだれをおびやかしているかということに、マジョリティはなかなか気づきにくい。


 これは玉木氏だけの問題ではない。げんに、武蔵野市の住民投票条例案については、外国人住民の投票権を認めるべきかどうかということが、なんと議論の対象になったのである。そしてこうした侮蔑的な暴力的な「議論」がなされてしまうのは、いまに始まったことではない。そのこと自体が深く恥ずべき事態であって、同時に私は強いいきどおりをおぼえる。玉木氏のような差別主義者は「もっと議論を」と言うだろうが、私は「もっと怒りを」と言うところから始めたい。



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追記(12月23日、20:29)


 上の産経の報道を受けて、玉木氏は自身のツイッターにつぎのように投稿している。

外国人の人権享有主体性については様々な意見があります。100%これが正しい、これが間違っているというものではありません。我が党としては、憲法上の位置付けをどうするかも要検討としています。だだ今回は民主的手続きを経て否決された以上、慎重に対応すべきでしょう。

 やはりこの人は筋金入りの差別主義者なのだなとあらためて確信するとともに、上に述べてきたことにもうひとつ付け加えるべきことがあると思った。

 それは、玉木氏はみずからは議論しないということだ。「議論が必要だ」「議論すべき」「様々な意見があります」「要検討」とは言うけれど、そう言うだけで、議論はしていないし、しようともしていない。ただただ、「外国人には人権がある」という自明な、また自明でなければならない命題について、議論の余地があるのかのようにほのめかし、これに留保をつけようとしている。遊ぶように差別を遂行しているのだ。

 つまるところ、本文とおなじ結論にゆきつく。こういう不誠実のきわみのような連中にむかって議論しようとしても徒労に終わるしかないのであって、怒りをあらわすところから始めるしかない。

2021年12月19日

「どうして逃げるんですか?」


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(1)


 警察官の職務質問というやつ。クソうざいですよね、あれ。


 法律では職務質問はあくまでも任意で、警官が質問に答えさせることを私たちに強制する権限などないはず。けれど、やつらは行く手をさえぎったり、取り囲んだりして、答えることをこちらに強制しようとしてくる。


 あるとき、「任意ですよね。拒否します」と言って立ち去ろうとした私に、やつらは「どうして逃げるんですか?」と言ってきた。


 逃げる? 私は行きたいところに行くだけだ。自分の意思で自分の行き先を決めるのであって、あんたたちから逃げているわけではないのに。


 ところが、私が私の勝手で歩いているという、その私の行為が、警官には「逃亡」とうつるらしい。何なのだろう、これは。


 まず、ただ歩いているという私の行為を「逃亡」とみなしているのは警官である。それを「逃亡」たらしめているのは、私の行為の性質ではない。警官の思考が、私の行為を「逃亡」と意味づけている。


 そして、私の行為を「逃亡」とみなす警官は、私が自由な存在であることを認めていない。やつらは、私を拘束してもよいのだと、そういう権限が自分たちにはあるのだと思い込んでいる。だから、自分の思い通りにならない行動をとって立ち去ろうとする私に、「どうして逃げるんですか?」という質問をむけてくるのである。


 立ち去ろうとするのは私の勝手だ。もし、警官もそれが私の勝手だとみなすならば、歩き去っていく私の行為は、たんに歩き去っていくという他者の行為にすぎず、それを「逃亡」と認識することはないだろう。自分は相手を拘束してよいという思い上がり、また相手を拘束しようという意思が、他者の行為を「逃亡」とみなす条件なのではないか。




(2)


 産経新聞がつぎのような記事を出している。


<独自>仮放免外国人195人が逃亡 保証人に偏り - 産経ニュース(2021/12/16 20:40)


 仮放免されている外国人が「逃亡」するケースが増加しており、その「逃亡」事例が特定の身元保証人にかたよっているのだという内容の記事だ。もっぱら入管庁の提供する統計に依存した記事で、その背景を取材したり、統計の方法への批判的な考察をへたりした形跡はない。ただただ入管の役人のリークをそのまま書き写しただけのもののようだ。簡単なお仕事でいいですね。


 この記事は、政府がめざしている入管法改定にむけての世論誘導のためのものであろう。仮放免者と一部の支援者を攻撃しこれを危険視する感情をあおることで、記事中にも言及のある「監理措置」制度の新設にむけての世論づくりをしようということだろう。


 この「監理措置」に対する批判はあらためてしなければならないし、仮放免者を「逃亡」に追い込んでいるのは入管庁の非人道的な施策であるということも言わなければならない。というのも、仮放免者の多くは、帰国しようにもそうできない事情をかかえているのであって、日本での在留を切実に望んでいる人たちだからだ。在留資格がいっそう遠のくような「逃亡」など、だれがしたくてするだろうか。それに、「逃亡」してしまうと、警官に職務質問でもされれば、ただちに「不法残留」として逮捕され入管収容施設に送られる、そういう不安をたえずかかえながら生きていくしかない。ある意味、仮放免状態にもまして過酷な状態である。「逃亡」する人の多くは、そうしたくてそうするわけではない。「逃亡」するのにもそれぞれ理由があり、その理由はかならずしも本人に責任があるものではない。


 でも、ここではその話はしない。「どうして逃げるのか?」 その理由を論じるべき局面はたしかにあるだろうし、わたしもそうすることがあるわけだけれども。しかし、それより先に言うべきもっと大事なことがあると思うからだ。それは、仮放免者は人間だということである。言うまでもないあたりまえのことだけれど、それがあたりまえだと思われていないから、上記の産経新聞の記事のようなものが書かれるのである。




(3)


 さきの産経新聞の記事は、「仮放免外国人195人が逃亡」という見出しをかかげている。まるでライオンか毒ヘビが逃げ出したかのような書きぶりである。相手が自分と対等な人間だと思っていたら、こんな無礼な言葉えらびができるわけがない。


 「仮放免」というのは、退去強制の対象となっている外国人を入管収容施設から一時的に出所させる措置である。定期的に入管局に出頭すること、入管局の許可した住所に住むことなどが義務づけられている。入管が「逃亡」と呼んでいるのは、仮放免者が出頭せず、居所が不明になるという事態だ。ようするに、入管にとって、連絡のとれない、どこに住んでいるのかわからない状態になったということだ。


 入管は仮放免者に対して、身体を拘束(収容)すべき存在とみなしている。一時的に収容は解いているけれど、本来は施設に収容して送還すべき対象なのだと考えている。だから、仮放免したひとがどこにいるかわからなくなったら、それを「逃亡」といいあらわす。入管の立場からそれが「逃亡」と呼ばれることは、理屈として理解できる。


 けれども、仮放免者が人間であるとともに、仮放免者でない人もふくめた私たちも人間である。私たちと入管の立場はちがうし、入管の言葉づかいに私たちがならうべき理由もない。産経新聞や、その下劣な記事を掲載したYAHOOニュース(こちらはリンクを貼らないが)も、人間を毒ヘビあつかいして侮蔑する記事を自身のニュースサイトにのせない自由も、じつはあったのだ。


 くりかえすが、入管は仮放免者を拘束すべき存在とみなすからこそ、「逃亡」という言葉を使う。でも、在留資格がまだ認められていないけれど私たちの社会でともに生きている住民、また、国籍国に帰るのは危険だからとここに残ることを希望している人たちは、「拘束されてしかるべき存在」なのか? 私はそうは思わない。あなたはどう思いますか?


 「どうして逃げるんですか?」 その問いを口にするまえに、私がその問いを発するべき立場なのか考えたい。たとえば、知り合いや家族が私との連絡をたってゆくえ知らずになったら、それを「逃亡」「逃げた」と言いあらわすだろうか? それを「逃亡」「逃げた」と言いあらわしたくなるのは、どんなときだろうか? 仮放免者、あるいは技能実習生について「逃亡」という言葉が使われることがしばしばあるけれど、そのことに違和感をおぼえないとしたら、それはなぜなのだろうか?


2021年12月5日

日本社会の問題として考える――入管の人権侵害(その3)


【ふりがなを つける】(powered by ひらがなめがね)



日本社会の問題として考える――入管の人権侵害(その1)(その2)からのつづき


増加していく仮放免者


 【資料6】(退令仮放免者数の推移)をみながら話します。


【資料6】


 2010年のハンストなどがあって、長期収容はいっときだいぶ緩和されました。そのあとも紆余曲折もありながら、仮放免者が再収容されるということも減りました。これも当事者の闘いによるものです。10年3月に成田でガーナ人が亡くなった事件があったあとに、力づくでの送還が中止されたということもあります。そういうことがあって、2010年から退令仮放免者が増加していきます。


 で、ここが今日いちばんお話したいポイントのひとつなんですけど、どうしてこういうことが起きるのかということです。入管が仮放免許可を出すということは、いったんはその人を送還することを断念したということです。そういうケースがこの時期に2015年まで大きく増えていく。なぜかということです。


 さっき言ったように、退去強制処分が出て、しかし退去を拒否している人というのは、処分が出た人全体からみて、ごく少数、例外中の例外なんです。長期収容にたえぬいて、それでも帰らない、で、仮放免で出てくるというのはなおさらです。そういう人はよほどの事情、帰れない事情があるんです。難民もそうだし、家族が日本にいる人、日本での生活が長くなったという人もそうです。帰るに帰れないんです。そうでなかったら、仮放免になるまでたえられないです。


 そういう仮放免者などが増えるのは、入管は本人たちが悪いのだと言ってます。入管は、仮放免者など退去強制処分が出ているけれどこれをこばんでいる人を「送還忌避者」と呼んでいます。「送還忌避」する人がいっぱいいて、それが問題だと言ってます。


 私は、それは責任転稼もいいとこだと思います。入管が生み出してるんです、「送還忌避者」を。



入管が「送還忌避者」を生み出している


 ひとつには、難民認定。今日はじめてこの話をしますが、難民として認定する人数も率も少なすぎるんです。このあたりのことは、ネットなど調べるのも簡単なので、あまり話しませんけど、たとえば、2019年の認定数が44人、認定率が0.4%です。ヨーロッパの先進国がそれぞれ何万人単位で認定している、パーセンテージでも何十パーセントという単位です。むこうが「割」なのに対して、「厘」ですからね日本は。少ないにしても少なすぎる。難民を認定して保護することをろくにせずに、ばんばん退去強制処分を出したら、入管の言うところの「送還忌避者」になっていくのは当たり前でしょう。


 もうひとつは、非正規滞在者に在留資格を出してこれを正規化するということを十分にやってこなかったことです。入管の言葉でいえば「送還忌避者」なり「不法滞在者」なりを減らす方法は、送還だけではないわけです。在留特別許可(在特)という措置が現行法でもあります。


 さきほどお話したように、2003年からの5か年計画では、法務省は半減計画の半分をこの在特で達成しました。でも在特で正規化されたのはおもに日本人の配偶者がいる人。その線引きから外れた人は取り残されました。その後、在特の基準は厳格化されて、日本人や永住者の配偶者がいても夫婦の間に実子ができないと許可が出ないようになってます。入管の、あるいは日本政府の都合で恣意的な線引きをして、ごくごくせまい範囲でしか在留の正規化に取り組んでこなかった。そのことが、入管のいう「送還忌避者」というかたちで現在まで積み重なってきたのです。


 いま仮放免状態にある人で、退去強制処分を受けてから最長の人で20年ぐらいという人が何人かいるらしいです。10年こえてる人はたくさんいます。ぜんぜんめずらしくない。そういう人は10年以上のあいだ、仮放免という無権利状態におかれていたり、その間、2回、3回と収容されたりしています。こうした長く日本で暮らしてきた人たちがその在留が非正規状態のまま放置されてる。さらに新たに入国してくる人のなかにも、やはり自国に帰れない事情のある人はいるわけですから、「送還忌避者」としてどんどん新たに積み重なっていく。



ふたたび強硬方針にかじを切った入管


 この2010年以降の仮放免者が増えていく過程というのは、結婚していない人もふくめて、とくに日本在留が長くなっている人から、この仮放免者たちを正規化していくよい機会だったと思います。ところが、政府は2015年にその反対の方向にかじをきりました。「送還忌避者」を送還によって減らすのだというやり方に固執して、仮放免者を再収容していく方向にかじをきったのです。


 上の【資料6】のグラフをもう一度みてください。仮放免者数が15年をピークに減り始めてますね。これは仮放免者をどんどん再収容したことによるものです。


 2015年9月 法務省入管局長が「退去強制令書により収容する者の仮放免措置に係る運用と動静監視について」という通達を地方入管局長らにむけて出します。この通達には2つ要点があります。簡単に言うと、仮放免者の再収容をすすめよということが1点、それと2点目に、仮放免の許可の判断を厳しくせよということを言ってます。


 この通達が出たことを契機に、全国の入管施設で仮放免許可が出なくなってきて、収容が長期化する、それと仮放免されていた人がどんどん再収容されていくということがおこってきたのです。同時に、在留特別許可の基準がやはり2015年ごろから厳しくなっています。「送還忌避者」を減らすというときに、送還だけでなく、在特による正規化という方法もあるのですけど、この時期から送還一本やりで減らそう、そのために再収容・長期収容でどんどん帰国に追い込むのだという方針をとったということです。


 そのあとに起こったことは、いろいろ報道もされるようになったので、ご存じのかたも多いかと思います。あまりにひどい事件・事例があげればきりがないほどあるのですが、今日はそうなった歴史的な経緯のほうを重点的に話したかったので、2015年以降の事例についてはひとつひとつあげることはしません。入管の施設でこの間、収容中の死亡事件がどれだけ起こっているのかということだけ、以下に示しておきます。


2015年9月 法務省入管局長「退去強制令書により収容する者の仮放免措置に係る運用と動静監視について(通達)」

2017年3月 ベトナム人被収容者死亡(東日本入管センター)。

2018年4月 インド人被収容者自殺(東日本入管センター)。

2018年11月 中国人被収容者死亡(福岡入管)

2018年12月 入管法改定。在留資格「特定技能」の新設、出入国在留管理庁の設置など。外国人労働者の受け入れ拡大へ。

2019年6月 ナイジェリア人被収容者がハンストのすえ餓死(大村入管センター)。

2020年5月1日 入管庁「入管施設における新型コロナウイルス感染症対策マニュアル」(入管施設感染防止タスクフォース)

2020年10月 インドネシア人被収容者死亡(名古屋入管)

2021年2月 政府が入管法改定案を国家に提出。4月に参院で審議入り。政府が法案を取り下げ、廃案に。

2021年3月 スリランカ人被収容者死亡(名古屋入管)


 ここに収容施設での死亡事件をあげていますけど、これだけあるんです。その背後に、長期収容で体をこわしたり、ろくに医療を受けられずに死にかけたり、職員から集団を暴行を受けたり、という悲惨な事例、いちじるしい人権侵害が数えきれないほどあります。


 収容長期化の状況は、昨年、コロナの感染拡大を受けて仮放免許可をいっぱい出して、全体としては緩和しました。それでもいまだ長期収容に苦しんでいる人はいて、大阪入管にもなんと収容期間が7年をこえた人がいます。また、仮放免されても、健康保険に入れない、社会保障から排除されている、就労もできないなど、無権利状態です。コロナ禍で仮放免者の生活の困窮も深刻化しています。




3.まとめ


 話をまとめます。


 80年代後半のバブル期以降はとくに、日本にはさまざまな国籍のたくさんの外国人が暮らすようになってきたのですけど、それは日本社会がその人たちを労働力などとして必要とし、呼びこんできた結果であるわけです。そうして国境をこえて日本にやって来る人たちについて、これまでの日本の政策、それは入管政策に限らないことですが、2つの点をちゃんと想定してこなかったのだと思っています。


 ひとつは、日本にやって来る人の一定数は、日本社会に定住することになるということです。もちろん、出稼ぎのつもりで来る人もいます。しかし、何年か日本で働いて、お金かせいでから帰るというそういうつもりの人のなかに、一部であっても、ここに定着し、人間関係や生活基盤ができてくる人たちがでてくるのは避けられないのです。労働力ほしさで呼びこんでおいて、あとで違反があっただのなんだの言って追い返すという、そんな身勝手なあり方でいいんですか、ということ。そういう観点から入管政策を見直す必要があると思います。


 もうひとつは、難民について。難民が日本に来るのは、日本の国が国境を開いているからです。国境を開いているというのは、日本が一応は難民条約に入ってて難民を受け入れますよと言っている(実際はほとんど受け入れていないのですけど)ということだけではありません。


 労働力めあてで外国人を呼びこんでるでしょう。今日お話したようなかたちのほかにも、技能実習生や留学生の「受け入れ」の拡大だって、労働者がほしくてそういう利害関係のある人や団体が政治にはたらきかけて政策が決定されてるところはあるでしょう。さまざまなかたちで日本が外国人を呼びこんできたわけで、そのなかには出身国での迫害をのがれてきた人は当然ながら一定数いるんです。だって、危険だから逃げようという人からしたら、行き先はかならずしも選べないのであって、行けるところ、入国できそうなところにとりあえず行こうとするでしょう。


 ところが、入管なんかは、「あなた働きに来たんでしょ、だったら難民じゃないでしょ」とそういう予断・偏見をもってみている。そこには、アジアやアフリカから来て建設現場とか飲食店とかコンビニとかで働いている人たちへの蔑視もあるんじゃないですか。そういう "外国人は日本側の都合で入れたり排除したりしてもよい、そういう権利が自分たちにはあるんだ" という思い込みというか、思い上がりがある。入管職員だけじゃないでしょうけどね。しかし、入管という組織はそういう考えで動いてきたところです。そうやって労働行政の下請けをやってきた。


 で、難民認定率が異常に低いのはなぜなのかということは、いろんな説明ができるだろうし、なされてもいるのでしょうけど、根本のところは外国人労働力の導入と排除をになう組織が、難民認定という仕事もやっているというところに問題があるのだと思っています。


 最後に。変な図を書きましたけど。「入管行政の規定要因」という図です。



 入管行政は、さまざまな利害関係を反映して動いているのだということは言えるでしょう。ひとつは、人手不足で外国人労働者がほしいという業界の働きかけ・圧力がたえずあるはず。他方で、反対に、外国人を入れたくない、排除したいという勢力も入管行政に影響を与えている。右翼なんかももちろん排外主義的な、外国人を排除せよというような主張をするわけですけど、法務省の官僚なんかは極端な右翼と似たり寄ったりの思想の連中がごろごろいるんでしょ。その人たちがどういう利害関係を反映してるのかよくわかりません。ともかく、もっと呼び込めという圧力と、排除しろという圧力の両方が同時にかかっている。そのなかで状況に応じて、東によったり西によったりしながら、外国人を入れたり排除したりということをおこなっているのが入管の業務ということだと考えています。


 ただ、それでいいのかということを問いたいと思います。外国人をたんに労働力という手段としてのみみて、その「必要性」に応じて入れたり排除したりをもっぱら日本側の都合でおこなう。そういうことだけで入管行政が動くということでいいのか。そんなきみらの都合だけで決められたら困るよということで、入管に収容された人、仮放免されてる人は、すでに抵抗・闘争をしてきたということがありあます。さっきお話をしてくれたAさんにしても、そうしてここにいるわけです。よくぞ、収容所から生きて出てきてくれたと思います。


 図に書いたのですけど、日本の市民社会というか、世論というか、私たちも、入管行政を規定していく要因として、もっとちゃんとやっていかなければならないのではないかということです。きみらの勝手な都合で私たちの仲間を収容とか送還とかしないでくれ、と。きみらが勝手な都合で在留資格を出さないせいで、私たちの仲間は健康保険にも入れないではないか、いいかげんにしろよ、と。そうやって、入管行政に働きかける規定要因というか、プレーヤーとしていっしょに参加していきましょう、という、漠然としてますけど呼びかけをして、お話を終わりたいと思います。(了)


日本社会の問題として考える――入管の人権侵害(その2)


【ふりがなを つける】(powered by ひらがなめがね)


 

日本社会の問題として考える――入管の人権侵害(その1)のつづき



2.日本社会のなかの入管


入管ってなに?


 入管とはなにかというところからまずお話します。入管は「出入国在留管理庁」という名前の組織です。東京とか大阪とかにそれぞれ地方局がありまして、こちらの名称は、大阪であれば「大阪出入国在留管理局」といいます。


 どんな仕事をしているのかということは、この組織の名前があらわしています。「出入国の管理」、それと「在留の管理」。そして、組織の名前には出てこないけど、「難民の認定」。この3つが入管の仕事だというふうに理解しておいたらよいと思います。


 3つのうち、1つめ(出入国管理)と3つめ(難民の認定)というのは、なんとなくイメージできるかなと思うので、2つめの「在留管理」というのを少し説明しておきます。


 在留管理というのは、もっぱら外国人の管理にかかわります。外国人が日本にいるためには、在留資格が必要とされます。外国人は国家が資格を認める限りにおいて日本にいられますよというのが入管制度の根幹にある考え方です。日本人は資格を問われることはありませんが、外国人は日本にいるということに資格を求められるのです。


 こうした考え方にもとづいて入管の実務がおこなわれます。入管は、外国人ひとりひとりについて、在留資格を認める認めないの判断をします。認める場合には、その人に応じた在留資格を付与します。在留資格にはいろいろ種類があってひとりひとりに応じてそれを割り当てるということです。で、在留資格を認めないという場合には、その人を排除する。退去強制などです。これが在留管理ということです。


 一定の外国人は受け入れ、その他は排除すると。じゃあ、どういう観点、基準からその線引きをしているのか? 個々の事例をみていくかぎり、理解できません。当事者からしたら、不条理の世界です。なぜそういうことになるかといと、その線引きは日本の国家の都合、政府の方針でなされるからです。ひとりひとりの外国人の事情は入管にとって関係ないんです。それではよくないですよね、変えなきゃいけないですよね、というところが、今日の話の最後で述べることです。


 では、その国家・政府の都合はなにかということですけど、入管政策は外国人をいかに労働力として利用するかという観点によって動いてきたといって過言でないです。そのことを1980年代の後半からの歴史をざっとふりかえりながらみていきたいと思います。


 入管という組織はもっと古いわけで、ほんとうは、そもそも入管の制度と組織が戦後、在日朝鮮人などの旧植民地出身者を「外国人」として「管理」するために作られてきたということをみなければならないのですが、今日は時間がないのと私の力量が足りないということで、その話はしません。



非正規滞在の外国人労働者


 まず、【資料3】のグラフ(不法残留者数の推移)をみながら、話をしていきます。


【資料3】



 これは入管の出している統計資料から作ったグラフです。「不法残留者」というのは官製用語、警察や入管が使う言葉です。「不法」というと、なにかひどく悪いことをしたかのような印象を受けますが、たんに外国人が決められた在留期間をこえて日本にいるということにすぎません。同じことをオーバーステイとも言います。こちらのほうがニュートラルな言葉だと思います。


 このグラフをみてわかるとおり、このオーバーステイの人数は、80年代後半に急激に増えています。その後、93年をピークにして少しずつ減っていくと、こういう推移になっています。

 80年代の後半というのは、バブルの時代ですね。【資料4】をみてください。


【資料4】(『朝日新聞』1989年10月24日 朝刊)


 当時、深刻な人手不足の状況があったのです。「3K」という言葉があったのですが、「きつい」「危険」「きたない」といって、工場や建築業などのきつい仕事に日本人の労働者がなかなか集まらない。それで、工場などが仕事はたくさんあるんだけど、働く人がいないから受注できず、倒産するしかない。そういう「人手不足倒産」が社会問題になっていました。


 そういう人手不足のなかで、「3K」と呼ばれた過酷な仕事をこの時期にになってきたのが、オーバーステイの外国人労働者だったのです。



日系人と技能実習生


 さて、1990年に入管法が改定されます。この改定の重要なポイントのひとつは、日系人の2世、3世、それからその家族を工場などで就労できる形で呼びこめるようにしたということです。この法改定でも、外国人労働者の受け入れは「専門的な知識,技術,技能を有する外国人」に限るという従来からの建前が維持されたんですけど、その抜け道をかいくぐるかたちで呼びこめるようにしたわけですね。


 もうひとつ、93年にあの悪名高い技能実習制度ができます。この技能実習制度というのは、表向きは外国人実習生に日本の技術を教えて国際貢献するんだということになっているんですが、そういうふうに制度が使われていないことは、いまでは報道などがたくさんあってみなさんご存じかと思います。外国人に技能を教えてあげるための制度ではなく、募集しても日本人が来ない職場で外国人に働いてもらうための制度ですよね、実態は。


 こうして90年代になって、日系人の三世を中心とした人たち、それから技能実習生を労働者として受け入れます。いずれも正面からの受け入れとは言えません。人権の保障とか公的な支援の仕組みもろくすっぽ用意せずに、労働力ほしさに抜け道作って受け入れたわけです。「受け入れ」とは言えませんね。「呼び込んだ」とか「引っ張り込んだ」とかの言い方のほうが適切かと思います。



すでに、なくてはならない存在だった


 上の【資料3】をもういちどみてください。オーバーステイの人の数はさきほどもみたとおり、1993年の30万人弱をピークに、このあとずっと減っていきます。バブルが崩壊したのが91年です。日系人など在留資格のある正規滞在者を外国人労働者として活用するというのが、建て前のうえでは政府の方針でした。そういうこともあって在留資格のない非正規滞在の外国人はだんだんと減っていくわけですけれど、でもこの間もそうしたビザのない外国人が支えてきた職場というのはたくさんありました。すでに日本の産業構造のなかで不可欠の存在となっていたのです。


 そういうわけで、90年代をつうじて、当局も、ビザのない外国人が町工場や建設現場などで働いているのを黙認していました。当時の話を私も当事者たちからたくさん聞くのですが、たとえば車を運転していて追突事故を起こしちゃったと。で、警察を呼んで、罰金とかを払うことになったのだけど、ビザがないことはなにもとがめられなかったという話をフィリピン人から聞きました。当時、在留資格がなくても市役所に行って外国人登録ができたんですけど、外国人登録証明書には「在留資格なし」って書かれるんですね。その外国人登録証明書を警察官にみせても、「不法滞在」だなんだと言われなかった。入管職員はともかく、末端の警察官には「不法滞在」が犯罪だという認識は当時はなかったということだと思います。



「不法滞在者半減5か年計画」


 それが一変するのが2000年代に入ってからです。


2002年 品川に東京入管の現庁舎(最大収容800人)が完成、使用開始

2003年10月 法務省入管、東京入管、東京都、警視庁の四者が、「首都東京における不法滞在外国人対策の強化に関する共同宣言」

同年12月 政府の犯罪対策閣僚会議が発表した「犯罪に強い社会の実現のための行動計画」→「不法滞在者の半減5か年計画」



 2003年に四者宣言、それと行動計画というのがでます。これらは「不法滞在者」というものを「犯罪の温床」であると決めつけ、その対策が必要だとする内容のものです。後者の「行動計画」のなかで、2004年から08年までの5年間を「不法滞在者の半減5か年計画」と位置づけています。


 このころからです、いわゆる「不法滞在者」をどんどん摘発して送還していくんだというふうになったのは。


 【資料5】をみてください。「外国人頼み 零細企業直撃」と記事の見出しにありますけれど、摘発のようすなんかも書かれてます。この記事では、工場関係者の話として、今まで黙認してきたじゃないか、これからどうやって産業をつないでいけばよいのかという困惑してる言葉も紹介されていてなかなか興味深い記事です。


【資料5】(『日本経済新聞』2003年12月24日 夕刊)


 ちなみに、東京入管、最近は報道されることも増えたので、建物の映像をみたことがある人もいるかと思うのですが、品川にある現庁舎が完成し使用を開始したのが、2002年です。品川の現庁舎は、最大収容800人ということらしいですが巨大な収容場をそなえています。これは大規模摘発をやるために作ったわけです。そうやって準備して2003年、04年ごろから集中摘発をやっていきます。


 半減5か年計画の結果、「不法残留者」の数は、ほぼ半減しました。5ヶ年計画1年目の2004年が219,418人、5年目の08年で113,072人です。ただし、減ったうちのすべてが摘発・送還によるのではなくて、半分ぐらいは在留の正規化、つまり在留資格を出すことによるものだったんです。


 オーバーステイなど国外退去を強制する対象になることがらが入管法ではいくつか規定されているのですが、これらにあたる人を法務大臣の権限でいわば「救済」して在留を認めるという制度があります。これを在留特別許可(在特)といいます。これは法務大臣の裁量で、実際のところは入管の裁量でできるわけです。5か年計画のあいだ、入管はいわゆる「不法滞在」になってる人の出頭をうながすいっぽうで、在留特別許可もいまよりは積極的に出していました。日本人と結婚しているようなケースではどんどん在留を認めた。


 こうして入管は、摘発・送還を強力にすすめるいっぽうで、在特も積極的に出していくことで、非正規滞在者を半減させました。



「救済」範囲はあくまでも国の都合できまる


 さて、ここでちょっと考えたいのですが、ここで在留特別許可を認められた人と認められなかった人がいる、そのちがいはどこからくるのかということです。入管は基準を公開したわけではないですが、このときの基準、在特をだすかださないかという基準があったはずです。


 その基準の設定、線引きはどのような観点からおこなわれたのでしょうか。その線引きは退去強制の対象になっている外国人の都合とは関係ないところでおこなわれたということはたしかです。だって、半減計画のなかで数値目標があるわけでしょう。摘発・送還もあわせていわゆる「不法滞在者」を半分に減らすんだと、そのなかでどれくらいの人に在特を出せば目標を達成できるのか、そういう観点で基準が設定されているのだと考えられます。徹頭徹尾、日本の国の側の都合から、ビザをだして在留を正規化するかどうかという線引きがおこなわれているということです。


 じゃあ、その「日本の国の側の都合」とはいったいなんなのか、ということですね。それはつきつめれば、労働力などとしてどれぐらいの数の外国人が必要なのか、ということでしょう。入管行政はこういうところに規定されている、いわば入管という組織は労働行政の下請けをやってるということだと思います。このことは難民の認定のあり方をも規定してしまっている。それでいいんですかということを、今日のお話では問いたいです。この点はあとでまたふれます。



「不法滞在者」の存在を許容しない新制度


 話を先にすすめます。


 2009年に入管法が改定されます。その重要な内容を2点あげます。


 ひとつは、不法就労助長罪が厳格化されたということです。これは、在留資格がない、あるいは就労許可のない外国人をやとったり、仕事をあっせんしたりすると罪に問われるというものですが、この年の法改定の重大な変更点は、過失でも罪に問えるようになったことです。つまり、場合によっては、自分の雇った外国人の就労許可がなかったときに、雇い主は「知らなかった」ではすまない、罪に問われてしまうということがおこりうるようになったんです。この厳格化というのは、非正規滞在の人が生きていくための就労機会をつぶして、兵糧責めのように生活できなくして追い込むと、それで国外に排除しようという施策です。これは2010年から施行されました。


 もう1点、2009年の法改定の重要なポイントは、在留カードというのが交付されるようになりました。こちらは2012年7月の施行です。この法改定は、外国人登録制度の廃止なんかもともなっていて、外国人住民を管理する国の制度を一新するような大改革だったのですが、きょうはあまりそこにふれません。さきほど、外国人登録証明書というのが、非正規滞在の外国人にも発行されたという話をしましたが、これにかわる在留カードは、在留資格のない人には発行されません。対象外なんです。


 不法就労助長罪の厳格化、それと在留カードの話をしましたけれど、ようするに、この2009年の入管法改定は、非正規滞在の外国人は存在しない、またいっさい存在してはいけないのだという前提の新しい制度を作ろうというものであったのです*4




長期収容による送還強硬方針とその失敗


 この新しい法律は2009年7月8日に国会で成立したのですが、その直後から入管収容施設の運用が一変します。この時期はまだ私は入管での面会活動などは始めてなかったので、先輩支援者から聞いた話です。法案成立してまもなく、仮放免が以前では許可されていたようなケースでもぱたっと許可が出なくなり、収容が長期化しだしたのだそうです。さっきお話したように、長期収容は帰国に追い込むための手段です。非正規滞在者の存在を許容しない新たな制度の開始にむけて、入管は排除・追い出しのための仕事をこうしてになおうとしたわけです。


 しかし、2009年からの入管の強硬方針は、挫折することになります。その経緯を今日はくわしく述べることはしませんが、収容施設での死亡者や送還中の死亡者があいついで出たこと、それと当事者の抵抗・闘争が入管を挫折させ、強硬な送還政策の断念に一度は追い込んだのです。被収容者の組織的なハンストが、死亡事件とともに報道され、国会でも取り上げられます。


 その結果、2010年7月に法務省入国管理局がプレスリリースを出します。「退去強制令書により収容する者の仮放免に関する検証等について」という題のプレスリリースです。「被収容者の個々の事情に応じて仮放免を弾力的に活用することにより、収容長期化をできるだけ回避するよう取り組む」ということを言っています。実際に、この前後で入管はどんどんと仮放免を許可していくわけです(【資料6】)。


【資料6】


 「仮放免」というのは、一時的に収容を解くという措置です。ただし、これは在留資格ではないので、国民健康保険に入れないとか社会保障から排除されています。また、就労しないとか、居住地の都道府県を出る場合は入管から許可をもらわないといけないとか、条件がつきます。そして、退去強制処分が出たままなので、いつ収容されるか、いつ送還されるかというおそれがあるわけです。


日本社会の問題として考える――入管の人権侵害(その3)につづく



4: 2009年の入管法改定が、非正規滞在外国人の生存の手段を徹底して破壊していくこと指向したものである点は、「在留カードと読み取りアプリ」という記事で批判した。