かつて大阪府茨木市にあった西日本入国管理センター(2015年に閉鎖)の2001年頃の被収容者に対する処遇について、先輩の支援者から話を聞く機会があった。記録として残すべき重要な歴史の一部分だと思うので、書きとめておきたい。
かつて開放処遇はなかった!
私が非常におどろいたは、当時は開放処遇というものがなかったということだ。
現在では、全国のどの入管施設でも、一日のうち一定の時間帯は被収容者が自分の居室から共同スペースに出ることのできる開放処遇が実施されている。開放処遇の時間帯には、被収容者は洗濯機を使用したり、シャワーをあびたり、他の部屋の人と交流したりということができる。
参考までに、現在の大阪入管での被収容者の一日のスケジュールを紹介しておく。
7:40~ 朝食
9:00 点呼
9:30~11:30 開放処遇
11:30~13:30 施錠
11:40~ 昼食
13:30~16:30 開放処遇
16:30~ 施錠
17:00 点呼
17:10~ 夕食
開放処遇は、午前2時間と午後3時間のあわせて5時間。のこりの19時間は、居室に施錠されて閉じ込められる。
それぞれの居室(雑居房)は大阪入管の場合は定員6名。ただし、定員いっぱい収容されるということは、昨今ではほとんどないので、ひとつの部屋に1~4名ぐらい。いまはコロナ禍で入管は被収容者数を減らすようにしているので、ひとりに1部屋がわりあてられていることが多いけれど、1日のほとんどを外からカギのかけられた小さな部屋ですごさなければならない。
ひどいあつかいである。こんなものが人権を尊重した処遇だと考える人はいないだろう。もしいるならば、その人は自分の倫理観を深刻にうたがったほうがよい。
ところが、20年前はこのたった5時間の開放処遇すらなかったのだという。1日のうち居室から出られるのは、シャワーや洗濯のための15分だけ。ほかに運動場に30分出ることの許される日があるが、毎日ではない。その何日かに1回の30分の運動時間も、雨がふれば中止。
外部との通信もきびしく制限されたそうだ。外部に電話をかけるのは事前申し込み制で、弁護士への連絡か、帰国の準備のための家族への連絡か、この2通り以外では許可されなかった。
このような状況で精神を正常にたもつことは容易でないだろう。実際、弁護士が代理人になって裁判を起こしても、判決が出るまで裁判を維持できるのは非常にまれであったという。裁判の途中でほとんどの人は収容にがまんできなくなって帰国してしまうからだ。
一定程度の「改善」
こうしたすさまじく劣悪な処遇が、西日本入管センターにおいて「改善」されはじめたのが2003年ごろだったという。
2001年9月11日、米国の世界貿易センタービルと国防総省がハイジャックされた航空機による自爆攻撃を受けると、米国は「対テロ戦争」と称し、翌月にはNATO軍とともにアフガニスタンへの侵略を開始。
米軍などによる罪のないアフガニスタンの人びとに対する軍事攻撃・殺戮が始まったおなじ10月に、日本政府はアフガニスタン国籍の難民申請者をつぎつぎと摘発し、入管施設に収容した。この一斉収容事件については、弁護士の児玉晃一氏が当時のことを証言したインタビュー記事がいくつかあるので、ぜひ読んでみてほしい。
日本はアフガニスタンからの難民にどう向き合ってきたのか | Dialogue for People(2021.9.10)
9.11同時多発テロ後、突然収容された日本の難民申請者たち。あれから難民の収容は変わったか? - 認定NPO法人 難民支援協会(2019.7.17)
さて、この、入管がアフガニスタン人難民申請者を一斉収容した事件をきっかけに、入管収容の実態が報道もされ、社会問題化したのだという。
こうして入管施設のあり方への社会的な批判が高まったことをおそらくは背景にして、入管は被収容者に対する処遇を一定程度「改善」する取り組みを始める。大阪の西日本入国管理センターでは、2003年の1月から7月にかけて収容所内の改修工事をおこなって各居室の外に被収容者が共同で使えるスペースをつくり、開放処遇を順次開始していったのだという。
どちらの拷問が人道的か?
入管施設に閉じ込められた人たちにとって、開放処遇があるかないかというのは、たしかに大きなちがいのあることであろう。一日中を歩きまわれるスペースもないような小さな雑居房ですわっているか横になっているかしてすごすのと、わずか5~6時間であってもその小さな房から出ることができるのとでは、心身にあたえる影響はぜんぜんちがってくるだろう。西日本入管センターでも、開放処遇のなかった時代には、6か月をこえるような長期収容の例はごくまれだったのだそうだ。帰国できない事情のある人でも短期間でほとんどの人がまんできずに音をあげるほどに収容が過酷だったからだ。
でも、そのいっぽうで、「そこに本質的なちがいがあるのだろうか?」ということも問わなければならないと思う。一日のうち何時間かせまい居室から出ることができるといっても、たんにそれは施錠された檻がすこし大きくなるにすぎない。自由がうばわれていることにはかわりがないのだ。
それだけではない。2003年から西日本入管センターが開放処遇をはじめたといっても、その前後で入管にとっての収容の目的がかわったわけではない。被収容者を精神的肉体的に痛めつけて帰国に追い込むこと。これが入管の一貫した収容の目的である。
開放処遇の導入によって生じたのは、短期間で急いで帰国に追い込むか、長期収容によって時間をかけて帰国に追い込むかのちがいでしかない*1。社会状況の動向に適応させて拷問のやり方をかえただけのことだ。
監禁して自由をうばい、心身の健康をおのずとくずすような状況に被収容者を置くことで、日本から出ていくように強要する。これは苦痛や恐怖を与えて相手の意思を変更させようとする行為であって、比喩でも誇張でもなく拷問とよぶべきものだ。相手の心身に激しい苦痛を短期間にたたきこむか、それとも6か月、1年、2年と長い時間をかけて心身に徐々に蓄積していくように苦痛を与えていくか。どちらのほうが人道的だろうかと問うのはナンセンスだ。いずれにしても、拷問であることにちがいはないのだから。
処遇は問題の本質ではない
ここまで、もっぱら開放処遇のあるなしという一点のみで私は語ってきた。もちろん、この開放処遇の有無やその時間の長さは、被収容者に対する処遇のさまざまにある要素のうちのひとつにすぎない。しかし、医療や食事の質、運動時間や最大限の自由の確保など処遇の他の要素についても、その「改善」というものが、ほんとうに施設に収容された人の人権保障にはつながるものなのかということは、よくよくうたがってかかったほうがよい。とくに当局が処遇問題の改善に取り組もうとしているかのようにみずからを宣伝するときには*2。
入管施設について処遇問題は、重要ではないとは言わないけれども、けっして本質ではない。
たとえば、2021年3月に名古屋入管でウィシュマさんが見殺しにされた事件は、医療体制などの処遇の不備によっておこったものではない。入管が早期に仮放免を許可するか、外部病院に入院させて点滴治療をするか、あるいは亡くなってしまった日の少しでも前に救急車を呼んでいれば、ウィシュマさんが命をうばわれることはなかった。収容を継続すること、またこれによって送還を遂行するということに固執したことで入管はウィシュマさんの命をうばったのである。
また、2019年6月に大村入管センターでナイジェリア人被収容者が長期収容に抗議するハンストのすえに餓死した事件も、やはり収容継続に固執するあまり、入管が見殺しにしたというものである。長期収容によって死に追いやったのであって、処遇問題によっておきた事件ではない。
処遇の改善をはかっても、入管施設内であいついでいる自殺をふくめた死亡事件をふせいだり、人権侵害をなくしたりといった問題解決には、かならずしもつながらない。ある意味での処遇改善が長期収容を可能にしている側面すらあるのだ。問題の本質は、日本政府やそのもとで動いている入管という組織が収容という措置を帰国強要のための拷問としておこなっていることにある。処遇はあくまでも二次的な問題にすぎない。収容期間に上限を設定するなどして長期収容という拷問をやめさせれば、医療をはじめとした処遇の問題の多くは格段に小さくなるはずである。
注
1: 現在、入管が「送還忌避者」を帰国に追い込むために長期収容という手段を自覚的・戦略的にもちいているということ、またそのことを法務大臣や入管庁の広報がもはや隠そうともせず公言していることについては、このブログでも以下の記事などで何度か述べている。日本社会の問題として考える――入管の人権侵害(その1)(2021.12.5)
公然化されつつある拷問――出国強要の手段としての無期限長期収容(2021.4.3)
「送還忌避者の発生を抑制する適切な処遇」とはなにか? 国家犯罪としての入管収容 (2021.10.28)
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