入管施設収容 カメルーン人男性死亡 2審も賠償命じる 東京高裁 | NHK | 茨城県(2024年5月16日 18時46分)
入管職員が注意義務をおこたったとして国の責任を認めた一審判決(ただし死亡との因果関係は認めず)が、維持されたそうです。
ところで、入管施設での死亡事件がくり返されていることについて、しばしば施設の「医療体制」の問題として語られます。このNHKの報道も一見したところ、そうみえなくもない。
入管施設の医療をめぐっては3年前、スリランカ人のウィシュマ・サンダマリさんが名古屋市にある入管施設で体調不良を訴えて死亡した問題でも体制面などの課題が明らかになりました。
(中略)
出入国在留管理庁によりますと、ウィシュマさんの問題で課題として指摘された常勤の医師については、診療室がある収容施設6か所のうち、4か所に配置できているということです。
先月には定員も2人に増やしましたが、医師の確保が難しいことから来月からは別の医療機関との兼業も可能にするとしています。
また、施設内で対応できないケースに備えて外部病院との連携も進めているということです。
職員の意識改革をはかる研修や、救急対応が必要になった場合のマニュアル整備なども行っているということで、出入国在留管理庁は、「改善できる点は継続していきたい」としています。
しかし、入管施設でのあいつぐ死亡事件を「医療体制」の問題として語るのは、かなりズレています(ただし、このNHK記事は、カメルーン人男性の亡くなった経緯をくわしく追うことで、またあとでみるように指宿弁護士のコメントを紹介することで、「医療体制」が問題の本質ではないことを示す構成にじつはなっています)。
2014年の牛久入管でのカメルーン人にしても、2021年の名古屋入管でのウィシュマさんにしても、入管職員の医療ネグレクトによって亡くなっています。あきらかに深刻な病変がみられたあとも救急搬送しなかったすえに亡くなっているという点で、2つの事件は共通しています。
入管施設の医療体制に不備があるのはそのとおりでしょうが、電話があるんだから救急車ぐらい呼べるでしょう。また、呼べば救急車は来るでしょう。牛久入管も名古屋入管も、孤島や車の通れないところにあるわけじゃないのだから。
「医療体制の不備」によって亡くなったということであるなら、それは「(救おうとしたが)救えなかった」という問題ですが、この2つの死亡事件はあきらかにそうではない。「救えたはずの命を救おうとせず救わなかった」結果として2人を死に追いやったのであって、問題は入管という組織をつらぬく外国人に対する人命軽視です。
さきのNHKの記事は、入管の言うような「医療体制の強化」が問題の本質ではないことを指摘した指宿弁護士のコメントで結ばれています。
一方、ウィシュマさんの遺族の代理人をつとめる指宿昭一弁護士は、「入管はウィシュマさんの死の責任を認めておらず、根本的な反省はしていないと思う。外国人の命や健康を守る意志を誰も持っておらず、組織としての明確な方針が無かったから亡くなったのであり、組織として反省しないことには、医療体制の強化と言っても実効性はない」と指摘しています。
ウィシュマさん死亡事件のあと、入管庁は、死因は明らかにならなかったと言って名古屋入管の責任を否定したうえで、ただし改善すべき問題点として「医療体制の不備」があったとしました(2021年8月10日「名古屋出入国在留管理局被収容者死亡事案に関する調査報告書」)。さらに、入管庁はこの「調査報告書」にもとづき、有識者会議に「入管施設における医療体制の強化に関する提言」(2022年2月28日)をまとめさせました。
この一連の過程は、入管の医療ネグレクトによるウィシュマさんの死を「医療体制の不備」の問題へと矮小化し、あるいはすり替え、入管の責任を否定するという、まさに詐術と言うべきものでした。
だまされてはいけません。入管施設での死亡事件をくり返さないために必要なのは、「医療体制の強化」ではありません。必要なのは、入管の犯罪を問い、その責任を追及することです。その意味で、国の責任を認める一審判決が東京高裁で維持されたことは、前進と思います。
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