2022年11月19日

屈服させるための暴力

【ふりがなを つける】(powered by ひらがなめがね)


 少し前のニュースだが、勾留中に警察官から虐待を受けた人が東京都に慰謝料等を求める裁判を起こしたとのこと。


新宿署で勾留中に「パンツ一丁」で拘束、下着汚すと「みっともねえな」と侮辱 20代男性が提訴 - 弁護士ドットコムニュース(2022年09月28日 09時56分)

訴状によると、男性は、勾留中の今年7月、体調を崩した同室の男性のために「毛布1枚だけでも入れてやってくれませんか」と頼んだところ、留置担当の警察官に「保護室」と呼ばれる別室に連れて行かれた。

さらに「パンツ一丁」の下着姿にされて、身体を拘束された。トイレにも行かせてもらえず、そのまま下着を汚してしまい、涙を流していたところ、警察官は「みっともねえな」と言い放ち、侮辱したという。


 警官どもがなんのためにこういう行為をするかといえば、わかりきったことだ。屈服させるためである。自尊心をうばうことで、力の優位を示す。抵抗しようなどという気が起きないように暴力をふるうのだ。

 こういう他者を服従させるための暴力は、社会のすみずみにありふれているものだけれど、どこであってもゆるされるべきではない。警察官のような公的機関の権力をあたえられている人間であればなおさらのこと、このような暴力はゆるされない。

 上にリンクした記事は、警察官の事例だけれど、入管の収容施設でも、これと本質的に同じかたちの暴力が職員によって日々ふるわれている。その一例として、現在、大阪地裁で被害者による国賠訴訟のおこなわれている事件をとりあげておきたい。


仮放免者の会(PRAJ): 大阪入管暴行事件で和解成立 / 大阪入管でのもうひとつの暴行事件裁判にも注目を(2022年10月3日)


 2017年12月に起きた大阪入管職員たちによる暴行事件である。くわしくは、リンク先の記事の「Bさん事件の概要」以下を読んでいただきたい。

 大阪入管での事件は、冒頭にみた新宿警察署での暴行事件と同様、「保護室」への隔離のもとでの暴行であった。被害者のBさんは、カギのかかった部屋に「隔離」され、すでに自由を奪われた状態だった。にもかかわらず、入管職員たちはBさんにわざわざ後ろ手錠をかけて14時間以上にわたり放置した。トイレに行くこともゆるさず、Bさんが便で下着をよごしてもそのままほったらかしである。さらに、後ろ手錠で身動きのできないBさんの腕をねじりあげ、骨折させる暴行までくわえている。

 なんのために入管職員たちはこういうことをするのだろうか? 答えはあきらかだ。屈辱をあたえて自尊心をうばい、力の優位を示して、被収容者を屈服させるためである。

 これほどの野蛮がまかりとおっているのが、入管というところだ。職員の人権意識が足りないとか、たんにそういう問題ではない。だって、Bさんを暴行した職員たちはだれひとり処分されていないし、大阪入管局長ら幹部もなんら責任を問われていないのだから。入管は組織としてこの職員たちの行為を容認しているのである。人間をしばりあげて長時間トイレに行かせずに便をたれながさせるという行為を職員がおこなっても、問題にせずだれの責任も追及しない。そういう組織なのだ、現状は。

 そもそもこの大阪入管の事件は、組織内の処分ですまされるような問題ではなく(それすらなされていないのだが)、刑事責任に問うべきものだろう。ところが、刑事事件として捜査すべき警察も、さきの新宿警察署の事件からもうかがえるように、人を屈服させるためにふるう暴力を肯定・容認・活用する野蛮さにおいて入管とかわらない。

 そういうわけで、「私はゆるさない」という意思表示を私はしたいと思う。

 被害者のBさんが国に賠償をもとめて2020年2月に起こした裁判は、現在もつづいている。次回の期日は以下の日時にておこなわれる。

2022年11月21日(月)、11:00から

大阪地方裁判所1006法廷


2022年9月19日

専門的な知識がないと救急車を呼べないのか?

【ふりがなを つける】(powered by ひらがなめがね)



  2014年に東日本入管センターに収容されていたカメルーン人男性(「Wさん」とします)が死亡した事件について、遺族が国に賠償を求めていた裁判。16日に水戸地裁で、国に165万円の賠償を命じる判決が出ました。


8年前入管施設で外国人男性死亡 国に賠償命じる判決 水戸地裁 | NHK(2022年9月16日 19時21分)


 判決は、職員がWさんを救急搬送しなかったことについて注意義務をおこたったと判断したものの、そのこととWさんの死亡とのあいだの因果関係までは認定しなかったということのようです。


 入管が救急搬送をしなかったことをふくめ、Wさんに診療を受けさせるのをおこたったことが、死亡原因についての評価をむずかしくしているわけですから、因果関係がはっきりしないことをもって国の責任が限定的にしか認められない(賠償金額が低くなる)というのは、原告(遺族)にとってきわめて不公平だなと思います。国はみずからの過失のおかげで責任を回避できたということになってしまうのであって、遺族にとってこんな不条理な話はないでしょう。


 さきのNHKのニュースでは、原告の弁護団長の児玉晃一弁護士の「どこまで立証すれば死亡との関係が認められるのか、という感じだ。国の施設で亡くなった人について、国が死因がわからないとしてしまえば『おとがめ無し』になってしまうのではないか」という発言が紹介されています。


 さて、判決では否定されたものの、この裁判で国はおどろくべき主張をしています。「専門的な知識のない職員が救急搬送の必要性があると認識するのは難しかった」として、Wさんの死亡に対する国の責任を否定しているのです。なんという詭弁でしょうか。


 入管の職員は、被収容者を拘束して自由をうばっているわけです。被収容者からすれば、体調がわるくても自分で病院に行くこともできないし、救急車を自分で呼ぶことすらできない。入管の職員はそうした自由をうばい制限しているからこそ、必要に応じて被収容者に診療を受けさせ、その生命・健康をまもる責任・義務があるのです。


 Wさんは亡くなる前日の3月29日昼前にはベッドから転落し、午後7時過ぎにはくり返し「アイム ダイイング(死にそうだ)」と声をあげていたことが、監視カメラの映像からあきらかになっています。ところが、Wさんを拘束し、Wさんがみずから救急車を呼ぶ自由をうばっていた職員たちは、救急車を呼びませんでした。これは「専門的な知識のない職員が救急搬送の必要性があると認識するのは難しかった」といってすむ話なのでしょうか。


 はっきり言えることは、Wさんが亡くなる前日の状況を、入管の職員たちではなく、仲間の被収容者たちが目にしたなら、Wさんをなんとか病院に連れて行って治療を受けられるよう手をつくしたはずだということです。


 実際、Wさんが亡くなる3日前の3月27日、その容態悪化に危機感をもった被収容者たちは、Wさんを病院に連れていくよう職員たちに要求しています。このとき、Wさんはまだ他の被収容者たちと共用の区画に収容されていました。以下は、仮放免者の会とBONDが、Wさんを知る被収容者たちからの聞き取りにもとづいて入管に出した申入書からの抜粋です。


 カメルーン人・Wさん死亡については、法務省入管は医療態勢の問題があることを認めた。Wさんの容態悪化の経緯について、同じ9寮Aブロックの被収容者たちから聞き取りしたところ、人によって証言に違いがあったが、遅くとも亡くなる3週間前には居室に閉じこもり、明らかな衰弱が認められる状態であったと思われる。Wさん自身は、他の被収容者に自分は糖尿病であると話していた。また3月27日(木)の午前中、目が見えなくなり、歩くことができなくなったWさんの容態悪化に、同ブロックの被収容者たちは、このままではWさんが死亡すると危機感を持ち、即時の受診を求めた。昼食時間の正午になっても彼らは居室に戻らずWさんの即時の受診を求め、12時半ころに、職員が「病院に連れていく」と言ってWさんを連れ出した。法務省入管の説明によれば、Wさんは16日に脚の痛みを訴えたが、医師の診察は27日だったとの事だが、同ブロック被収容者から聞いたところでは、脚の痛みという範囲ではなく、糖尿病への治療が何もおこなわれず、また官給食も他の被収容者と同じ物が支給されており、糖尿病の進行が疑われる。少なくとも27日の午前から正午過ぎにかけて同ブロックの被収容者たちが要求したものは、脚の痛みに限定した診療ではない。

  なぜ東日本センターは、27日に至るまでWさんを受診させなかったのか、また27日以降にしてもなぜWさんの諸症状に対する総合的な診察を受けなせなかったのか。28日にはWさんは知人と面会しているが、その時は、Wさんは職員に両脇を抱えられて面会室に入って来、極度に衰弱した状態だったと聞いている。27日以降に限定して考えても、28日、29日と、一日一日、死へと向かうWさんを救急搬送していれば、30日の死亡は回避できたかもしれない。1


 もし、この仲間の被収容者たちが、亡くなる前日(29日)のWさんの状況を見たならば、なんとかして命を救おうと動いたはずです。ところが、27日以降、Wさんは9寮Aブロックから連れ出され、仲間たちの目の届かないところに移されてしまっていました。Wさんがベッドから落ちもだえ苦しむ様子を見ることができ、119番に電話をかけて救急搬送を要請することが可能だったのは職員たちだけでした。そして、職員たちは、Wさんを拘束して自由をうばっていた以上、その生命・健康を守る責任がありました。


 9寮Aブロックの仲間たちも、入管によって収容され身体を拘束されていました。Wさんに対して入管職員の負っているような責任があったわけではありません。しかし、Wさんの亡くなる前日の状況を知ったら、救急車を呼ぶよう職員たちに強く働きかけたであろうことは、27日の行動からみて、まちがいありません。当然ながら、被収容者たちは「専門的な知識のない」人たちです。


 国は裁判で「専門的な知識のない職員が救急搬送の必要性があると認識するのは難しかった」と主張しました。しかし、この理屈はまったくおかしなものです。「救急搬送の必要性があると認識するのは難しかった」というと、まるで職員が救急搬送の必要性があると《判断できなかった》かのように聞こえます。しかし、職員は救急搬送の要請を「しなかった」のであって、その行為が示しているのは、「救急搬送の必要性がない」と《判断した》ということなのです。救急搬送の必要性を《判断できなかった》のではなく、その必要性がないと《判断した》のです。「専門的な知識」をもった医者でもないくせに。


 「専門的な知識がないから救急搬送の必要性が認識できなかった」などという言い訳は通用しません。専門的な知識がないからこそ、異常な様子がみられたときには早急に専門家(医師)にみせ、その判断をあおがなければならないのですから。専門的な知識がないにもかかわらず、救急搬送の必要性がないとの勝手な判断をしたという点で、職員の責任は問われなければならないのではないでしょうか。そして、こうしたあきらかに非常識な判断を職員がおこなっているというところには、個々の職員の問題にとどまらない、入管という組織のあり方の問題があるのではないでしょうか。




1: 仮放免者の会(PRAJ): 医療問題の抜本的改革をもとめる緊急申し入れ(東日本入管センターに)

2022年5月2日

外国人登録令と日本国憲法 憲法記念日の前日に


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  きょう5月2日が何の日なのか、あらためて思い起こしておこうと思います。


 1947年の5月2日は、天皇裕仁が最後の勅令「外国人登録令」1を出した日です。これは、旧植民地(朝鮮・台湾)の出身者を「外国人」とみなし、「外国人登録」を義務づけたものです。新しい憲法の施行を翌日にひかえた日、大日本帝国憲法が効力をもつ最後の日に天皇が発したこの勅令は、日本の入管制度、外国人管理制度の起源(のひとつ)と位置づけることのできるものです。


 外国人登録令の第11条は、「台湾人のうち内務大臣の定めるもの及び朝鮮人は、この勅令の適用については、当分の間、これを外国人とみなす。」としています。「みなす」と言っているところがミソです。朝鮮人や台湾人はこの当時日本国籍をもつ日本国民であったわけです。それを「外国人とみなす」として日本に在留する朝鮮人・台湾人に外国人登録を強制し、管理の対象としたのです2


 その5年後、サンフランシスコ講和条約の発効(1952年4月28日)にともない、日本政府は、朝鮮人・台湾人の日本国籍を、本人たちの意思にかかわらず一方的に剥奪しました。もちろんこれ自体がきわめて不当な措置ですが、この国籍剥奪までの5年間、日本政府は、朝鮮・台湾の出身者を日本国民だけれども「外国人とみなす」という奇怪な身分に置きました。


 こうして入管制度・外国人管理制度の始まりが、管理すべき対象としての「外国人」なる存在を“みいだした”、あるいはもっといえば“あらたに作り出した”ところにあったのだという点は重要な意味をもっているのではないでしょうか。


 さて、外国人登録令は、日本国憲法が効力を発する47年5月3日のまさに前日に公布され同時に施行された、という点も見過ごせません。


 日本国憲法は、いくつかの条文で権利の主体を「国民」と表現しています。たとえば基本的人権について規定する第11条は「国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる」となっています。この憲法が施行される前日の5月2日になって急遽「外国人」とみなされることになった朝鮮人・台湾人は、この新しい憲法が基本的人権を保障している「国民」にふくまれたのでしょうか?


 さきにみた外国人登録令第11条の規定は、「台湾人のうち内務大臣の定めるもの及び朝鮮人は、この勅令の適用については、当分の間、これを外国人とみなす」というものでした。「外国人とみなす」ということが適用されるのはあくまでも「この勅令」(外国人登録令)であって、憲法にこの規定が適用されるというわけではないでしょう。その意味で、憲法の「国民」には旧植民地出身者である朝鮮人・台湾人をもふくまれたと解釈するのが妥当なように思えます。そもそも、この人たちは当時の制度上、日本国民であることは疑いようのない人びとであったわけです。「外国人」ではなく日本国民であることは動かしようのない事実であったからこそ、外国人登録令はわざわざそれを「外国人とみなす」ということにしなければならなかったのでしょう。


 でも、実際問題として、日本国憲法が施行されたのちも、旧植民地出身者は国民でありながら国民としての権利をうばわれていたのはあきらかです。日本国籍をもつはずの在日朝鮮人らは、外国人登録を強制されました。「公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である」という条文(第15条)のある新憲法施行後も、国民として選挙権を行使することはできませんでした。そして、日本政府は52年の講和条約発効を機に国籍を剥奪した3


 こうしてふりかえってみると、現在の入管制度にもつながる日本の外国人政策は、その出発点から徹底して道理を欠いたムチャクチャ、デタラメなものだったということが言えると思います。


 と同時に、(詩的にすぎる表現かもしれませんが)日本国憲法はそれが効力を持ち始めた最初の日から「外国人」の権利についてはすでに死んでいたのだという思いをいだかざるをえません。それを生かす機会はいく度もあったかもしれません。しかし、生かせないまま今日にいたっているのだということには、あらためて向き合わなければならないと思っています。



1: 外国人登録令の条文は以下で読めます。
  外國人登錄令 - Wikisource
 また、ウェブ上で読める解説として、以下のページがくわしいです。
 外国人登録令(1947年) | key-j 


2: このように外国人登録令は、日本国民であるはずの朝鮮人と台湾人を、国民ではないものとしてあつかうというものでした。これとよく似ているのが、1945年12月の衆議院議員選挙法の改定です。従来の選挙法では、女性の選挙権・被選挙権を認めない一方で、朝鮮・台湾の成人男性は「国民」として選挙権・被選挙権を行使することができました。ところが、女性の参政権を認めた45年の選挙法改定は、「戸籍法の適用を受けざる者の選挙権および被選挙権は、当分の内、これを停止す」との附則によって、朝鮮人・台湾人の男性の選挙権・被選挙権を停止するものでした。朝鮮人・台湾人の戸籍は朝鮮・台湾にあり、内地に戸籍を移すことは禁じられていました。こうした戸籍法の規定をつかって、朝鮮人と台湾人を選挙から排除したのです。45年に成立した戦後の新しい選挙法は、旧植民地出身者を「国民でありながら国民ではないもの」としてあつかうものであったと言えるでしょう。 


3: 今回の記事でとりあげた外国人登録令や、注2でふれた朝鮮人・台湾人の参政権を停止した措置については、田中宏『在日外国人 新版 ――法の壁、心の溝――』(岩波新書、1995年)などを参照しています。


2022年4月10日

ウクライナ「避難民」を利用した改悪入管法案再提出の動きについて

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 昨年5月に廃案になった改悪入管法案について、夏の参議院選挙後に再提出しようという動きがあるようです。以下、報道から引用します。


 今回の避難民は自ら来日を希望した人たちだが、受け入れる側の日本では戦争の危険にさらされて逃れてきた人たちを想定して在留資格を与える仕組みが整備されていない。実は、そうした人たちを対象に、政府が2021年に国会に提出した入管法改正案には、人種や宗教、国籍、政治的問題で迫害を受ける恐れがある「難民」に準じ、「補完的保護対象者」として保護する規定を盛り込んでいたが、廃案となった。

受け入れ先とマッチ未知数 求められる個別支援 ウクライナ避難民 | 毎日新聞 2022/4/5 21:29(最終更新 4/5 21:30)


 政府は、ロシアのウクライナ侵攻を踏まえ、難民条約上の狭義の「難民」に該当しない紛争避難者らを、「準難民」として保護する制度の創設を急ぐ方針だ。昨年廃案になった入管難民法改正案に盛り込まれており、夏の参院選後に想定される臨時国会での再提出を目指す。

 同条約は、難民について「人種、宗教、国籍、特定の社会的集団の構成員、政治的意見」を理由に「迫害」を受ける恐れがある外国人と定義。日本政府はこれに照らし、国家間の紛争から逃れた人は、条約上の「難民」に当たらないと解釈する立場だ。今回のケースも「避難民」と表現している。

 改正案は、紛争避難者を「補完的保護」の対象とし、難民に準じた扱いを可能にする制度の創設が柱の一つだった。欧州各国にも同様の仕組みがあり、認定されれば、定住資格など手厚い保護を受けられる。

「準難民」制度の創設目指す 入管法改正案、今秋にも再提出―政府:時事ドットコム 2022年04月07日07時05分


 入管庁のリークした情報をそのまま報道しているということでしょうが、ほとんどデマと言ってよいような内容をふくんでいます。


 この両記事では、

  • 現行の入管法ではウクライナ「避難民」に在留資格を与えて保護するのに必要な枠組みが整備されていない
  • 昨年、野党と世論の強い反対で廃案になった入管法改定案にはウクライナ「避難民」のような紛争避難者を「準難民」として保護する「補完的保護」の制度がもりこまれていた

ということが述べられています。


 つまりは、昨年の政府法案が通っていれば「避難民」を保護できたのに、野党が廃案に追い込んだためにそれができなくなったというわけです。だから、あらためて入管法を再提出するのだ、と。


 しかし、戦争避難者の保護に入管法の改定が必要とは思えません。現行法のもとでも、難民認定審査の過程で、難民として認定するかどうかとはべつに、人道上の配慮として在留をみとめるかどうかという判断はなされているからです。難民としては認定しないけれど在留特別許可を出すということはできるし、入管は現にそれを(十分といえるかどうかはべつにして)おこなってはいるわけです。かりに戦争避難者を難民とみなさないのだとしても、在留資格を与えて保護することは可能です。わざわざあらたな制度を作らなければならない理由はありません。


 そもそも在留資格を与えるということに関して、入管という役所はきわめて大きな裁量をもたされています。この点で現行の入管法が支障になるわけがないのです。


 裁量の大きさを示す格好の事例が過去にあります。難民の受け入れではありませんが、日系人労働者の「受け入れ」です。1990年以降、ブラジルやペルーなどからたくさんの日系人が来日しています。言うまでもなく、労働力を必要とした日本が呼び込んだわけです。非正規滞在外国人の代理人を多くつとめてきた弁護士の著書から引用します。


  ……1990年、法務省は、日系3世や非日系人である2世や3世の家族が、同年施行の法改正で新設された就労に制限がない「定住者」という在留資格に該当するとの解釈を明らかにする告示(「出入国管理及び難民認定法第七条第一項第二号の規定にもとづき同法別表第二の定住者の項の下欄に掲げる地位を定める件」平成2年5月24日法務省告示第132号)を出した。そして、同じく法改正で導入された在留資格認定証明書制度と相まって、日系人やその家族が就労目的で広く来日できるようになった。

 すると、多くの人材派遣業者(コントラティスタ)が、ブラジルやペルー、ボリビアのアヘンシア(航空券の手配や日本のコントラティスタとの契約手続きをしてくれる業者)、日本への出稼ぎを熱望する日系人はもちろん、それまで「日系人」であることを特に意識もしなかった人びとまで巻きこんで、戸籍その他の必要な書類を用意して、日本に迎え入れた。……

ななころびやおき著『ブエノス・ディアス、ニッポン 外国人が生きるもうひとつのニッポン』(ラティーナ、2005年)


 「定住者」というのは、就労可能な在留資格で、かつその就労の内容に制限がありません。たとえば、「技能」という就労系の在留資格で調理師として働くひとは、他の職種に転職したり失業したりすると在留資格をうしないかねませんが、「定住者」の場合、そうした条件がないので比較的安定した在留資格と言えます。


 で、このとき日系人の3世らに「定住者」の在留資格を出せるようにしたのは、上の引用にあるように、法の解釈でやったわけです。


 1990年、およそ30年前になりますが、日本政府がこうして法解釈によって日系人を労働者として呼び込めるようにした背景には、いわゆる「単純労働」をになう外国人労働者を呼び込めるようにしてほしいという財界からの要望・圧力がありました。バブル期で「3K」(「きつい」「きたない」「危険」)と呼ばれた職場を日本人の若い労働者が敬遠したということもありました。すでに80年代から、そうした職場をイランやパキスタン、バングラデシュなどの出身の非正規滞在の外国人労働者がささえていたという状況があったのですが、人手不足に悩む業界から、外国人労働者を正規に受け入れられるように制度作りをしてほしいという声は大きかったのです。


 ところが、日本政府は、就労を目的とする外国人の「受け入れ」は、「専門的な知識,技術,技能を有する外国人」に限定するという建前を、2018年の入管法改定(在留資格「特定技能」の新設)までとってきました。つまり、専門の技術職ではない工場労働者などを外国から「受け入れ」るための在留資格は用意されていない。そこで、「定住者」という就労にしばりのない在留資格に日系人3世らがあてはまりますよという法解釈を大臣が「告示」というかたちで出すことで、この人たちを呼び込めるようにしたわけです。


 在留資格を与えるということに関しては、このように入管の胸先三寸で「なんでもできる」「なんとでもなる」と言っても過言でないのが、日本の在留資格制度であるわけです。


 戦争避難者に在留資格を与えて保護するのに入管法を変える必要がある? うそっぱちもいいとこです。そんなこと、法解釈でいくらでもできるじゃないですか。「定住者」の在留資格を出せばよいのですよ。入管が入管法を変えたいのは、べつの意図があると考えるべきです。


 入管の役人が「現行法では〇〇ができないから、法改正が必要」(「〇〇」にはほとんどの人が賛成するようなよいことが入る)などと言ったら、その言葉はよくよく疑って聞いたほうがよいでしょう。入管法を変える必要があるとすれば、それは入管をしばる仕組みを作って外国人の人権が保障されるようにするという方向での改正以外にありえません。で、入管の裁量・権限をせばめるような法改正の必要性を入管の役人自身が言い出すとは考えられませんから、そこは入管に批判的な世論をつくっていくことでしか実現できないだろうと思います。


 以上、いわゆる「戦争避難民」に在留資格を出して保護するうえで入管法改定が必要だというのはウソだということを述べてきましたが、今回のウクライナ「避難民」の保護を口実にした政府や入管当局の言い分のウソは、これにとどまりません。つぎの記事が私の知らなかったことも指摘・解説されていて、勉強になりました。


ウクライナ侵攻から考える、日本の難民受け入れの課題とは? | Dialogue for People(ダイアローグフォーピープル) 安田 菜津紀 2022.3.10

ウクライナ難民受入に、「入管法政府案」再提出は必要なのか? 高橋済弁護士インタビュー | Dialogue for People(ダイアローグフォーピープル) 安田 菜津紀 2022.4.8


 ひとつめの記事は、紛争から避難してきた人も「難民」と定義しうるということ、紛争からの避難者を「難民」ではなく「避難民」とする日本政府の理解は難民条約解釈の国際的スタンダードから乖離していることが指摘されています。入管法を変えなくても、ウクライナから逃れてくるひとを「難民」と認定して保護することは可能であるということになります。


 ふたつめの記事では、そもそも昨年廃案になった政府法案の「補完的保護」では、今回のウクライナ避難民は保護できないということが指摘されています。


 それにしても、戦争から逃げてくる人たちを利用して法案再提出にむけての世論づくりをしようとし、しかもその内容がウソ八百という、法務省の役人どもの恥知らずぶりはびっくりするほかありません。


2022年3月7日

ウィシュマさんの1周忌に


【ふりがなを つける】(powered by ひらがなめがね)

 


 3月6日(日)、名古屋入管が収容していたスリランカ人女性ウィシュマ・サンダマリさんを見殺しにしてからちょうど1年になります。


 この日、全国8か所(札幌、仙台、東京、浜松、名古屋、京都、大阪、高知)で、追悼のデモやスタンディングがおこなわれました。「3.6ウィシュマさん一周忌全国一斉追悼アクション」と題して、入管の民族差別・人権侵害と闘う全国市民連合の呼びかけでおこなわれた行動です。


 私は、このうち大阪でのデモに参加してきました。デモ出発前に扇町公園でおこなわれた集会で、お話する時間をいただいたので、以下のようなスピーチをしました。インターネットに配信された動画から文字起こししたものです。じっさいは「えー」とか「あのー」とかいっぱい言ってるんですが、そこは割愛してます。



 こんにちは。永井といいます。10年ぐらい、面会の活動なんかをしてきました。


 今日は、ウィシュマさんが亡くなって1周忌ということで、追悼の行動ということで私たち呼びかけさせてもらったんですけども、この事件、何だったのかということを考えたときに、さっき弁護士の先生たちからもそういう話ありましたけれど、「医療体制の不備」の問題じゃないんですよ、これ。


 先月のすえに入管庁の有識者会議ていうのが「提言」という報告書をまとめました。そこでなに言ってるかというと、これがほんとふざけた内容で、医療体制に不備があったからこれを改善しましょう、具体的には常勤の医者を増やしましょうとかね、そういうことを言ってるんです。


 でも、当時の医療の体制でもウィシュマさんの命は救えたんです。


 入管には車があります。車を運転できる職員もいます。担架もあります。車いすもあります。病院に運べたんですよ。


 で、電話もあるんですよ、入管には。だから救急車をよべたんです、119番して。


 それをやらなかったからウィシュマさんは死んだんです。これは、「医療体制の不備のせいで救おうとした命が救えなかった」んじゃなくて、見殺しにしたんですよね。


 これは犯罪です。これは人殺しで、さきほどからいろんな人が言ってますけども、収容する、送還する、そのことを人命よりも優先させた。そのことで見殺しにしたんです。


 それは、入管庁の指示のもとで起こったことです。


 だから、人殺しには責任とらせなきゃいけない、ということだと私は思ってます。


 だから、追悼ということでさっきも黙祷したんですけども、この現状のもとでは、ウィシュマさんうかばれないと思います。だから、責任追及する、で、入管庁の幹部、入管庁の長官、法務大臣、この人たちを罪人としてきちんと責任追及するっていうことこそ、やらなきゃならないことだと思います。


 なので、静かに追悼するということも、さっき私も黙祷しましたけれど、気持ちとしては怒りの声をあげたい。怒りの気持ちをもってみなさんと歩きたいと思っています。


 以上です。ありがとうございます。



 大阪での集会・デモは、たぬき御膳さんとIWJさんが動画配信してくれております。つぎのリンク先で見ることができます。


3.6ウィシュマさん大阪一周忌追悼アクション / たぬき御膳のたぬキャス

ライブ #723439788 / IWJ・エリアCh6

3・6 ウィシュマさん大阪一周忌追悼アクション デモ / IWJ・エリアCh6


 ちなみに、奇しくもウィシュマさんの亡くなる1日前にあたる2021年3月5日、当時の法務大臣上川陽子は、閣議後の記者会見でつぎのような発言をしています。


 2点目の収容期間の上限を設けるということについてでありますが,収容期間の上限を設けますと,送還をかたくなに忌避し,収容期間の上限を経過した者全員の収容を解かざるを得なくなるということになります。また,収容を解かれることを期待しての送還忌避を誘発するおそれもあるということでありまして,適当ではないと考えたところでございます。(法務省:法務大臣閣議後記者会見の概要)


 収容期限の上限を設定していない(理論上は10年でも20年でも永久に収容できる)いまの入管制度について、国連などから国際人権規約に違反しているとの指摘があるわけですが、そうした指摘を反映させて制度を見直す考えはないのかというような意味の記者の質問をうけての上川の答えが、これなのです。


 この上川発言については、このブログでこれまでもコチラの記事などで問題にしています。


 上川は、入管収容施設で「送還をかたくなに忌避し」ている人たちの「収容を解かれることを期待」する気持ちを打ち砕くために、収容期限に上限をもうけないのだと、そうはっきり明言したわけです。希望をうばう、絶望させる、そのために「閉じ込める」「自由をうばう」という暴力をもちいているのだ、と。


 悪いことはこっそりやっても悪いし、かくさず堂々とやっても悪いことにかわりないのですが。しかし、収容や送還という暴力を使うことを法律によって認められた組織のトップが、「われわれの言うことを聞かせるために収容所に閉じ込めるのだ」「そのさい、『出られるかも』なんて期待をいだかせないように収容期間の上限はきめないのだ」などと、記者会見で堂々と悪びれもせずにしゃべっている。そういう組織が人を殺さないわけがないのです。さきほどこの上川発言が「奇しくも」ウィシュマさんの亡くなる前日になされたということを書いたのですけれど、こんな組織が運営する組織で人が職員に見殺しにされて命をうばわれるのは、ある意味で「不思議ではない」ということも言える。


 で、もうひとつ言わなければならないのは、悪事がかくされずにおおっぴらにおこなわれるのは、悪いことをやっても「他人からとめられない」と思われているからでもあるということです。だから、入管の職員でない私たちにも責任がある。私たちはとめなければならないし、こんなことをくりかえさせてはいけない。そういう責任はやはり負っているのだと思います。



関連する記事など

出入国在留管理官署の収容施設における医療体制の強化に関する有識者会議 | 出入国在留管理庁

報告書「入管収容施設における医療体制の強化に関する提言」(概要)(PDF:516KB) | 出入国在留管理庁

報告書「入管収容施設における医療体制の強化に関する提言」(PDF:951KB) | 出入国在留管理庁

ウィシュマ・サンダマリさん一周忌の日に誓う(指宿昭一)

ウィシュマさん一周忌で遺族ら追悼 入管の対応改善求め全国で一斉デモ - TBS NEWS(YouTube)

外国人も同じ人間 ウィシュマさん一周忌 真相を求め法要やデモ | 毎日新聞(YouTube)

外国人も同じ人間 ウィシュマさん一周忌 真相を求め法要やデモ | 毎日新聞 2022/3/6 19:00(最終更新 3/6 22:08)


2022年2月3日

差別扇動家 石原慎太郎の死によせて


【ふりがなを つける】(powered by ひらがなめがね)



 石原慎太郎が死んだそうだ。


 石原は、外国人、女性、障害者、同性愛者など、思いつくかぎりのありとあらゆるマイノリティに対して差別的な暴言・罵倒をくり返した人物である。しかし、石原はそれを理由に政治的に失脚することもなかったし、マスメディアで発言する機会をうしなうこともなかった。こうして石原を死ぬまでのうのうと生き延びさせてしまったのは、とても残念だし、深く恥ずべきことだ。


 石原慎太郎は、この社会の差別主義が人格として具現したような存在だと言ってもよいだろうと思う。だから、石原慎太郎という人間が一人くだばってこの世から消え去っても、なにも喜べるようなことではない。この人物のかずかずの暴言はエキセントリックにもみえるが、日本社会の質をたしかに反映したものであって、石原ひとりを切断したところでこの社会がいくらかでもまともになるということは、残念ながら、ないのである。


 石原が東京都知事選に初当選したのは1999年4月。以来、2012年10月に国政転出のために4期途中で辞任するまで、13年半にわたって都知事の地位にあった。


 石原は、知事就任1年後の2000年4月9日、陸上自衛隊・練馬駐屯地での式典で、いわゆる「三国人発言」をおこなう。


 今日の東京を見ますと、不法入国した三国人、外国人が非常に凶悪な犯罪をですね、繰り返している。東京の犯罪の性質は昔と異なってきている。もし大きな災害が起こったときには大きな大きな騒擾事件すらですね想定される。そういう状況であります。こういうものに対処するためには、なかなか警察の力をもっても限りとする。ならばですね、そういう時に皆さんに出動願って、災害救助ばかりでなく治安の維持も、ひとつ皆さんの大きな目的として遂行していただきたいということを期待しております。


 この発言は、「外国人」という特定の属性と「凶悪な犯罪」というものを結びつけて語っており、しかも東京都知事という地位と立場でなされた発言であるという点で、きわめて悪質な差別扇動というべきものである。


 さらに石原は「大きな災害が起こったときには大きな大きな騒擾事件すら」想定されるという言い方をしている。これは、聴衆に1923年の関東大震災を思い起こさせようとするものだ。この大震災においては、「朝鮮人が井戸に毒を入れている」「朝鮮人が暴動を起こしている」といった流言飛語が流れ、こういったデマをもとに日本人たちは自警団を組織して関東地方各地で朝鮮人らを虐殺してまわった。その虐殺につながったデマを、2000年の石原は、なぞり再現するように「三国人」「外国人」による災害時の「騒擾事件」の可能性に言及しているのだ。最低最悪の差別扇動であり、虐殺の教唆とすら言いうる内容である。武装した軍事組織にむかってこんな演説をぶつなど、絶対に許されるべきではなかったし、いまなお批判しなければならないと、あらためて思う。


 そして、いまふりかえってみると、この石原発言は、暴言・放言にとどまらなかった。このような差別扇動家を必要とし利用する者たちがいたのであり、この差別主義者は日本社会の異端どころか主流なのである。まあ、ベストセラー作家でもあり、なおかつ4回も東京都知事に選挙でえらばれるような人物が異端なわけがないのだけれど。


 このブログでも何度かふれているが*1、2000年代に入ってから、日本政府は、在留資格のない非正規滞在外国人の存在を一定程度黙認する方針から、これを「不法滞在者」として徹底的に排除していこうという方針へと転換した。とくに2004年から08年までは「不法滞在者の半減5か年計画」に位置づけられ、徹底的な摘発がおこなわれた。


 「5か年計画」が始まる前年の2003年10月に、法務省入国管理局、東京入国管理局、東京都、警視庁の四者が「首都東京における不法滞在外国人対策の強化に関する共同宣言」というものを出している。「不法滞在者」というものを「犯罪の温床」であると決めつけ、その対策が必要だとする内容である。摘発強化や退去強制などによって都内の「不法滞在者」を半減させるのだということもうたっている*2


 この四者宣言が、石原の「三国人」発言と同様の差別扇動文書であることは、あらためて指摘するまでもないであろう。「不法滞在」というのは、たんに在留資格がないというだけのことであって、そのような状態にある人をひとくくりにして「凶悪犯罪」と結びつけるのは、あきらかに差別・偏見をあおり助長する行為である。これを行政機関がおこなうのは、なおさら許されるべきでない。ところが、その許されるべきでないことを行政機関が公然と宣言しているわけで、差別扇動家・石原の暴言は、この時点でもはや「特殊なもの」「例外的なもの」ではなくなってしまっているのである。


 そして、このろくでもない四者宣言に、入管や警察組織とともに、東京都(石原都政下である)が参加しているということの異常さをあらためて確認しておきたい。住民のよりよい生活のために仕事をするはずの地方自治体が、なんで「ここに住んでいる」ことを犯罪化し、これを取り締まるのに加担するのか。ここに住んでいる人どうしが支えあうための機関が、どうして「ここに住んでいる」ということを理由にした「摘発」に協力するのか。それは地方自治体の意義・役割をみずから否定することではないのか。しかも、2012年に外国人登録制度が廃止されるまで、東京都など自治体は、非正規滞在外国人からも住民税を徴収してきたくせに、である。




 さて、上の画像は現在の東京都のウェブサイト*3を写メったものである。なんで地方自治体のサイトにこんなもんのせるのか。これが異常だということを感受する感覚をうしなわないようにしよう。石原慎太郎が知事をしりぞいてから10年近くたったいまも、東京都はこのありさまである。石原慎太郎は、その死後も、これからも、何度も何度も葬っていかなければならない。あんなくだらない人物を想起するのは不愉快きわまりないけれど、それだけ日本社会の現状はろくでもないということなのだから、しかたがない。




1: たとえば、以下の記事など。

日本社会の問題として考える――入管の人権侵害(その2)

2: 四者宣言については、以下のサイトで全文掲載のうえ批判的な検討がなされている。

2022年1月26日

入管庁が人権について現場職員に説教たれる資格があるのか?


【ふりがなを つける】(powered by ひらがなめがね)



 入管庁が職員向けに「使命と心得」なる文書を策定したのだそうだ。失笑するほかない。



 スリランカ国籍のウィシュマ・サンダマリさん(当時33)が昨年3月に収容先の施設で病死した問題を受け、出入国在留管理庁は25日、職員の意識改革のための「使命と心得」を策定したと公表した。「秩序ある共生社会の実現に寄与する」ことを使命に掲げ、「誠心誠意、職務の遂行に当たらなければならない」とした。


 14日付で策定された「使命と心得」は、ウィシュマさんの死亡問題について昨年8月にまとめた調査報告書に盛り込んだ改善策の柱。職員に「人権意識に欠ける」発言があり、体調などの情報共有への取り組みが不十分だったことを踏まえ、使命の実現のため留意が必要な事項として、「人権と尊厳を尊重し礼節を保つ」「風通しの良い組織風土を作る」など8点を挙げた。そのうえで職員に「高い職業倫理」や「絶え間ない自己研鑽(けんさん)」を求めた。

入管庁、職員向け「使命と心得」策定 スリランカ女性の収容死受け:朝日新聞デジタル(伊藤和也 2022年1月25日 10時01分)



 内容だけ読めばもっともらしいことを言っているようだが、問題は「だれが」それを言っているのかということだ。


 「秩序ある共生社会の実現に寄与する」だとか、「人権と尊厳を尊重し礼節を保つ」だとか、まあご立派なことを言っているが、入管幹部は数年前にはこれらとまったく正反対の指示を出しているのである。


 2016年4月7日、法務省入国管理局長(当時)の井上宏は、「安全・安心な社会の実現のための取組について」なる通知を出している。入国者収容所長(牛久と大村の入管センター)と各地方入管局長にむけた通知である。


 この通知のなかで、井上は、「不法滞在者」と「送還忌避者」を「我が国社会に不安を与える外国人」であるとし、これらを「大幅に縮減」するために、「送還忌避者の発生を抑制する適切な処遇」を実施せよとの指示を出している。


 ようするに、収容所でつらいめにあわせ、いびりたおして、「我が国社会」から出ていくようにしむけろ、それが入管収容施設の「適切な処遇」なのだ、と井上は言っているわけだ。


 この2016年通知については、以下の記事に全文を画像で掲載し、批判している。不逞外国人は収容施設で虐待してわが国から追い返せという内容の指示を入管局長がほんとうに文書で出しているのです。ウソだと思うかたは、一読してご自身の目でたしかめてください。


「送還忌避者の発生を抑制する適切な処遇」とはなにか? 国家犯罪としての入管収容(2021年10月28日)


 それにしても、6年前の入管局長通知では、劣悪な処遇で収容することで日本からたたき出せという内容の指示を出しておきながら、その同じ口でよくもまあ「人権と尊厳を尊重し礼節を保」ちなさいなどと現場職員に説教をたれるものだ。ふざけるのもたいがいにすべきである。


 ウィシュマ・サンダマリさんを死亡させた事件を反省し、再発防止に取り組もうとするうえで、入管庁が人権について現場職員に説教するなどまったくのナンセンスである。だって、いびりたおして自国へ追い返せと指示を出してたのは入管の幹部どもなのだから。収容所に閉じ込め拷問して帰国へと追い込むことで「送還忌避者」を「大幅に縮減」すべきだというのは、入管幹部が決めた方針であって、現場職員たちが勝手に判断してやったことではない。


 犯罪組織のボスが、手下に指示して犯罪を実行させておきながら、その責任を問われると「若い衆にはよく言い聞かせておきますから」などと言ったとして、それでだれが納得するだろうか。首謀者をこそ追及し、罪に問うべきだろう。もちろんここで「犯罪組織」うんぬんと書いたのは、比喩でもたとえ話でもないです。