2023年12月30日

未成年仮放免者への在留特別許可について 特例措置を「特例」たらしめているもの


  日本の入管体制は、いわば「あべこべな世界」とでも言うべきものです。そこでは、「異常」としか言いようのないことがらが「普通のこと」としてまかりとおっている。「当たり前」のようにおこなわれていることは、ことごとく「おかしい」。そういう世界です。

 入管に関するニュースに接するとき、私たちはそこで報じられた出来事が「ニュース」、すなわち新奇な出来事として報じられるということの異常さに、しばしばめまいのような感覚をいだくことになるのです。報じられた出来事そのものに驚くというよりも、そこに「めずらしい」「特異な」「異例な」出来事であるという意味を与えている文脈のほうにこそ、驚かされることになります。

 たとえば、つぎのようなニュースに接したときに。


「うれしいし驚きも」タイ人の母親のもとで日本で生まれた高校生と中学生の姉弟に在留特別許可 これまでは在留資格なく「仮放免」 | SBC NEWS | 長野のニュース | SBC信越放送(2023年12月26日(火) 12:09)


 ここで報じられているのは、高校生・中学生の姉弟が在留資格を得たという事実です。しかし、そもそもこの事実にニュースとして報じるべき価値・意味を与えている文脈は何なのかということにこそ、着目しなければならないように思います。

 それは、日本生まれの人が、高校生・中学生の年齢にまでなりながら、在留資格をえられず、退去強制処分の対象になっていたということ、またそういうことが起こりうるのだということです。これは、法制度そのもの、あるいはこれまでの入管政策そのものに根本的な欠陥があるというほかない事態です。

 ところで、この姉弟への在留特別許可は、上の記事でも少しふれられていますが、今年8月に発表された政府方針にもとづくものです。入管法の改定法の可決・成立(6月)を受けて、8月4日、法務大臣は、在留が長期化した子どもに対して、家族一体として在留特別許可をし在留資格を与える方向で検討するとの政府方針を発表しました*1

 以下の画像は、その法務大臣会見の資料です。

2023.8.4法務大臣記者会見資料

入管法改定法の施行までに「今回限り」のいわば特例措置として
・日本で出生して
・小学校、中学校又は高校で教育を受けており、
・引き続き本邦で生活をしていくことを真に希望している
子どもとその家族
を対象として在留資格の付与を検討するとのことです。
 ただし、「親に看過し難い消極事情がある場合」は除外するとのこと。


 ここでもやはり問うべきなのは、そもそもこの特例措置を「特例」たらしめている文脈が何なのかということです。日本生まれの学齢期の子どもたちが、在留資格を与えられずにいわば送還対象とされた状態で、200人以上もこんにちまで放置されてきたわけです。これは、入管政策の不作為によるものにほかなりません。

 いま「特例」として在留特別許可をするかどうか入管は検討するのだといっているのですけれども、そもそも、その検討の対象となっている200人あまりの子どもたちにいまのいままで在留特別許可を「しない」という方針をとってきたのが入管です。親が超過滞在だったり非正規入国した経緯があったりということで、その子も在留の資格を認めないまま放置してきた。この、あきらかにおかしな従来の入管の方針が、今回の特例措置を「特例」たらしめているのです。常態がめちゃくちゃに異常なので、日本生まれの学齢期の子どもの在留は正規化しましょう、その子が日本で暮らしていくにあたって家族分離が生じないよう家族一体で正規化しましょうという、ごくごく当たり前の措置が「特例」としてなされることになるのです。

 さて、さきの姉弟のケースでは、「2人の母親は過去に非正規入国した経緯があ」るということで、今回の措置では在留特別許可がなされなかったということです。

 上の画像の法務大臣の会見資料でも、「親に看過し難い消極事情がある場合」は今回の措置の対象から除外するとし、その「看過し難い消極事情」の例として「不法入国・不法上陸」をあげています。

 この件にかかわらず、入管は、同じ入管法違反でも、超過滞在(入管の呼ぶところの「不法残留」)とくらべて非正規入国(入管用語で言う「不法入国・不法上陸」)をかなり重くみる方針をとっています。しかし、入管がこうしてとっている方針について、それが妥当なのかどうか、市民の側からも批判・検討されるべきではないかと思います。

 今回報道されている東京入管の措置は、姉弟に在留資格を認める一方でその母親には認めない(依然、退去強制処分が取り消されていない状態に置く)というものですから、家族をバラバラに引き裂くものです。子どもたちの在留は認めてやるが、母親は日本から出て行けと。ひどいものです。たんに(とあえて言いますけども)入国のさいに入管法に規定された手続きにのっとらなかったというだけのことで、国家がその権力を使って家族をバラバラにするような措置をとるのが許されるのでしょうか。私にはとうていそうは思えません。

 未成年の仮放免者とその家族に在留特別許可をせよという署名が呼びかけられています。オンラインでも署名できます。


オンライン署名 ・ 日本に生まれ育った未成年の仮放免者とその家族に在留特別許可を! ・ Change.org


 入管法改悪法の可決・成立に先立つ23年5月4日に始まった署名募集ですが、いまも募集は続いているので、よかったらぜひ署名や情報拡散をお願いします。



*1: 法務省:法務大臣臨時記者会見の概要(2023年8月4日(金))および画像の会見資料「送還忌避者のうち本邦で出生した子どもの在留特別許可に関する対応方針について」(出入国在留管理庁)参照。

2023年12月14日

【改悪入管法を読む】監理措置とはなにか?〈3〉


【改悪入管法を読む】監理措置とはなにか?〈1〉〈2〉からのつづき


1.はじめに

 改悪入管法で創設されることになっている監理措置制度についての記事は、3回目となる今回で最後です。この制度の最大の問題点は、「監理人」として入管が選定した人間に、「被監理者」(監理措置を受けて収容を解かれた人)の生活・行動を監視させるというところにあります。「監理人」には入管への届出・報告義務が課され、報告をおこたると罰則の対象になります。

 今回の記事では、その「監理人」について、新しい入管法が条文でどう規定しているのか、というところからみていきます。



2.「監理人」について

 改定法で「監理人」について規定しているのは、監理措置Aは第44条の3の各項、監理措置Bは第52条の3の各項です。この「監理人」の規定の内容は、監理措置Aと監理措置Bとでほぼ同じです。なので、ここでは基本的には監理措置Bのほうの条文だけをみていくことにします。


(1)監理人の選定

52条の3第1項(監理措置B)

「監理人は、次項から第五項までに規定する監理人の責務を理解し、当該被監理者の監理人となることを承諾している者であつて、その任務遂行の能力を考慮して適当と認められる者の中から、監理措置決定をする主任審査官が選定するものとする。」


 監理人を選定するのは主任審査官(各地方入管局の局長など)です。



(2)監理人の責務

 上でみた52条の3第1項に書かれているように、同条の第2項から第5項で「監理人の責務」なるものが規定されています*1

 さて、現行の仮放免制度においては、入管局は仮放免を許可するにあたって、多くの場合、身元保証人をたてることを求めてきます。仮放免される人の家族・親族や友人のほか、支援者や弁護士が身元保証人になっています。監理措置制度における「監理人」は、この仮放免の保証人と一見似ているようにみえますが、じつはまったく異なります。

 仮放免の保証人は、「下記の者が仮放免許可された上は、法令を遵守する(させる)とともに、仮放免に付された従う(従わせる)ことを誓約します」と書かれた書面に署名を求められます。しかし、そもそも入管法上、「保証人」についての規定は何もありません。

 これに対し、監理措置制度における監理人には、入管法で「監理人の責務」なるものが規定されているわけです。まずこの点が、監理措置が仮放免と大きく異なる点です。

 では、その「責務」の内容をひとつひとつみていきましょう。


第52条の3第2項(監理措置B)

「監理人は、自己が監理する被監理者による出頭の確保その他監理措置条件の遵守の確保のために必要な範囲内において、当該被監理者の生活状況の把握並びに当該被監理者に対する指導及び監督を行うものとする。」


 ここが監理措置制度の問題の核心部分です。監理措置とは、監理人に被監理者の生活状況を監視し把握させ、監理措置条件に違反していないかその行動を見張らせるという制度であるわけです。


第52条の3第3項(監理措置B)

「監理人は、自己が監理する被監理者による出頭の確保その他監理措置条件の遵守の確保に資するため、当該被監理者からの相談に応じ、当該被監理者に対し、住居の維持に係る支援、必要な情報の提供、助言その他の援助を行うように努めるものとする。」


 この項を読むと、この新しい制度で監理人を引き受ける者として、支援者なども想定されているように思えます。現行の仮放免制度では、支援者や弁護士が身元保証人を引き受けているケースが少なくありません。入管施設に収容された人のなかには、仮放免の保証人を頼める家族や親族が日本におらず、たよりにできる同国人のコミュニティもないという人は少なくありません。そうした人は、支援者や弁護士に保証人を引き受けてもらわなければ、仮放免を申請することができないわけです。

 入管の収容が収容される人にとってきわめて過酷なものであること、医療放置や職員による暴行などの人権侵害事件が横行していることは、近年たびたび報道され、多くの人が知るところとなっています。そもそも、このブログでも何度も書いてきたように、劣悪な環境での長期収容を入管は帰国強要の手段として意図的・戦略的にもちいてきたのであり、そのことを法務大臣や入管幹部らは隠してすらいません*2

 まぎれもなく入管収容施設でおこなわれていることは拷問であり、長期間収容されて心身を破壊される人はあとをたたず、難民申請者は外部との通信をいちじるしく誓約された環境に収容されて自分が難民であることの立証作業を入管によって日々妨害されています。

 支援者や弁護士が仮放免の保証人を引き受けてきたのは、こうした入管による人権侵害を許せないからであって、またそこに支援が切実に必要とされているからにほかなりません。入管の手先になるために保証人を引き受けている支援者や弁護士などおりません。

 ところが、監理措置においては、監理人はいわば入管の手先として被監理者を監視し、その行動を監督することがその「責務」として課されるのです。被監理者にとっては、監理措置によって収容施設から出ることができても、生活状況や行動(日々どのようにすごしているのか、外出先、家賃や医療費・生活費などをそれぞれどうやって捻出しているのか、報酬を受ける活動をしていないか、など*3)を、入管への届出・報告義務を課された監理人によって監視・監督されるということになります。

 (1)でみたように、監理人を選定するのは入管(主任審査官)ですから、現在仮放免の保証人を引き受けている支援者のすべてを、入管が監理人として選定するとはかぎらないわけですけれども、支援者にとって、仮放免の保証人になるのと監理措置における監理人になるのとでは、その意味あいはまったく異なってきます。



(3)監理人に課される届出義務

 「監理人の責務」としてつぎに規定されているのは、主任審査官に対する届出と報告の義務です。

 まず、届出の義務について。どのようなときに監理人は届け出をしなければならないとされるのか、以下にまとめておきます*4


監理措置A(第44条の3第4項)

▼被監理者がつぎのいずれかに該当することを知ったとき。

  • 逃亡し、又は逃亡すると疑うに足りる相当の理由がある。
  • 証拠を隠滅し、又は隠滅すると疑うに足りる相当の理由がある。
  • 監理措置条件に違反した。
  • 主任審査官の許可を受けないで報酬を受ける活動を行った、又は収入を伴う事業を運営する活動を行った。
  • 被監理者に課された届出義務(第44条の6)に違反した。

▼被監理者が死亡したとき。

▼上記のほか、監理措置を継続することに支障が生ずる場合として法務省令で定める場合に該当するとき。


監理措置B(第52条の3第4項)

▼被監理者がつぎのいずれかに該当することを知ったとき。

  • 逃亡し、又は逃亡すると疑うに足りる相当の理由がある。
  • 収入を伴う事業を運営する活動若しくは報酬を受ける活動を行い、又はこれらの活動を行うと疑うに足りる相当の理由がある。
  • 監理措置条件に違反した。
  • 被監理者に課された届出義務(第52条の5)に違反した。

▼被監理者が死亡したとき。

▼上記のほか、監理措置を継続することに支障が生ずる場合として法務省令で定める場合に該当するとき。


 前回記事で述べたように、監理措置Bは全面的に就労が禁止される(例外なし)のに対し、監理措置Aは就労(報酬を受ける活動)が許可される場合があります。

 監理措置Aにおいて被監理者が許可外の就労をした場合、監理措置Bにおいて被監理者が就労した場合、監理人は主任審査官にこれを届け出なければならないということになります。また、被監理者の「逃亡」や監理措置条件違反にも監理人は届出義務が課されています。

 なお、上の監理人が届出を義務づけられている事項のうち黄色くマークした部分は、監理措置の取消し事由(監理措置A:第44条の4第2項, 監理措置B:第52条の4第2項)にもなっています。したがって、これらを監理人が届け出た場合、監理措置は取り消されて被監理者が収容されてしまうということになりえます。

 そして、あとで述べるように届出をしなかったり、虚偽の届出をした場合、監理人は罰則(10万円以下の過料)の対象となります。たとえば、被監理者が自身や家族の生活のためにアルバイトをしたのを知ったとき、監理人がこれを入管に届け出れば被監理者は収容されてしまうでしょう。しかし、届け出なければ監理人自身が罰則を科されるかもしれないということです。



(4)監理人に課される報告義務

 上の届出義務にくわえ、監理人は主任審査官に対する報告義務が規定されています。


監理措置B:「主任審査官は、被監理者による出頭の確保その他監理措置条件の遵守の確保のために必要があるときは、法務省令で定めるところにより、監理人に対し、当該被監理者の生活状況、監理措置条件の遵守状況その他法務省令で定める事項の報告を求めることができる。この場合においては、監理人は、法務省令で定めるところにより、当該報告をしなければならない。」(第52条の3第5項)


 監理措置Aについても、ほぼ同じ内容の規定があります(第44条の3第5項)。

 条文は、「主任審査官は、……監理人に対し……報告を求めることができる」という書き方をしているので、一見したところ、なにか特別な場合にだけ「報告を求める」のかなという印象も受けるのですけれども。しかし、「報告を求める」かどうかの判断は結局入管がすることになるので、すべてのケースで監理人は報告を要求されると考えたほうがよいでしょう。そして、入管(主任審査官)が求めたら、監理人は「当該報告をしなければならない」とその報告を義務づけられます。

 このように、監理人に被監理者の生活・行動を日常的に監視させて入管に報告させ、被監理者がアルバイトして報酬を受け取ったり監理措置条件への違反があったりすればそれを入管にたれ込めと要求するのが、この監理措置制度です。

 従来の仮放免制度においても、入管は「動静監視」と称して、仮放免者の生活・行動を調査し把握しようとしてきました。この「動静監視」を民間人である監理人にも一部アウトソース(外部委託)しようというのが、監理措置制度であると言えるでしょう。監理人は被監理者をスパイする役割を負わされることになります。

 被監理者にとってみれば、家族や友人、あるいは支援者や弁護士など、自分を支援する立場の人間をつうじて、自身の行動を監視・監督されるということです。自分にとって身近な存在、しかも自分に必要な生活上の資源や情報を提供してくれる者から見張られるとなれば、ある面では入国警備官に監視される以上にその監視の強度は高くなるでしょう。

 入管の視点からいえば、被監理者に対する支援者らの親密さや信頼関係を資源として利用することで、より強度の高い監視・管理をおこなおうというのが、監理措置制度を創設した意図としてあるでしょう。入管という組織を動かしている連中の反社会性、邪悪さがよくあらわれています。



(5)監理人に対する罰則(行政罰としての「過料」)

 入管法は第70条以下が罰則の規定となっています。

 第77条の2は「次の各号いずれかに該当する者は、10万円以下の過料に処する。」としており、今回の法改定では、その第2号から第6号がそれぞれ監理人の届出・報告義務違反への罰則として新設されました。各号は以下のとおりです。


  • 第2号「第44条の3第4項の規定による届出をせず、又は虚偽の届出をした者」(→監理措置Aについての届出義務違反)
  • 第3号「第44条の3第5項の規定による報告をせず、又は虚偽の報告をした者」(→監理措置Aについての報告義務違反)
  • 第4号「第44条の3第7項(第52条の3第6項において準用する場合を含む。)の規定による届出をせず、又は虚偽の届出をした者」(→監理措置AおよびBについて、監理人を辞任する場合の届出義務違反)
  • 第5号「第52条の3第4項の規定による届出をせず、又は虚偽の届出をした者」(→監理措置Bについての届出義務違反)
  • 第6号「第52条の3第5項の規定による報告をせず、又は虚偽の報告をした者」(→監理措置Bについての報告義務違反)



3.被監理者に対する罰則規定

 今回の法改定で創設された監理措置制度では、被監理者に対する罰則(刑事罰!)が規定されています。この点も、従来の仮放免制度との大きな違いです。


(1)就労に対する罰則

第70条 次の各号のいずれかに該当する者は3年以下の懲役若しくは禁錮若しくは3百万円以下の罰金に処し、又は懲役若しくは禁錮及び罰金を併科する

……

第9号(新設) 第44条の2第7項に規定する監理措置決定を受けた者で、第44条の5第1項の規定による許可を受けないで報酬を受ける活動を行ったもの又は収入を伴う事業を運営する活動を行ったもの(在留資格をもって在留する者を除く。)

第10号(新設) 第52条の2第6項に規定する監理措置決定を受けた者で、収入を伴う活動を行ったもの又は報酬を受ける活動を行ったもの


 第9号は監理措置A、第10号は監理措置Bについての規定です。

 仮放免については、現行法・改定法いずれにおいても、就労は仮放免の条件違反には問われうるものの、刑事罰の対象ではありません。今回創設される監理措置制度は、就労を監理措置条件違反に問うだけでなく、これを犯罪化して刑罰の対象にするという点で、ある種の一線をこえた悪法だと言うべきです。

 ごくごく当たり前のことを言いますが、家族などをふくめて支援を受けられる人間関係がとぼしい人、あるいは資産のない人にとって、就労は生きて抜いていくのに欠かせない重要な条件になることがあります。社会保障からほとんど排除されている非正規滞在の外国人にとっては、なおさらそうです。したがって、就労を禁止するということが、ときとして「死ね」と言っているにひとしい場合が存在するわけです。就労を犯罪化し刑事罰を科す監理措置制度は、生きること、生きようとすること自体を犯罪として罰しようとするものです。これは、たかが(とあえて言いますが)国家の出入国管理の業務を、人間の生存権よりも大事にする立法であり、物事の軽重についての価値のつけかたが完全に狂っているとしか言いようがありません。

 なお、2の(3)(4)で述べたように、監理人には届出・報告の義務が課されます。監理人にとっては、法に規定された義務を果たすことで、なんの罪もない、たんに仕事をしてその対価として報酬を受け取っただけの被監理者を刑務所に送るということに、なりかねません。



(2)「逃亡」に対する罰則

第72条 次の各号のいずれかに該当する者は、1年以下の懲役若しくは20万円以下の罰金に処し、又はこれを併科する

……

第3号(新設) 第44条の2第1項若しくは第6項又は第52条の2第1項若しくは第5項の規定に基づき付された条件に違反して、逃亡し、又は正当な理由がなくて呼出しに応じない者

……

第6号(新設) 第54条第2項の規定により仮放免された者で、同項の規定に基づき付された条件に違反して、逃亡し、又は正当な理由がなくて呼出しに応じないもの


 監理措置制度においては、上記第6号のとおり、被監理者の「逃亡」についても、監理措置条件違反に問うばかりではなく、刑事罰が規定されています。

 上の第3号は、仮放免者の「逃亡」についての罰則規定で、これも今回の改定法で新設されたものです。現行法では、仮放免者の「逃亡」は仮放免条件違反に問われ、仮放免取消し(→収容)の理由にはなりましたが、刑事罰の対象ではありませんでした。



4.おわりに

 以上、監理措置制度の問題点をみてきました。改悪入管法は2024年6月までの施行が予定されているわけですけれど、ここで創設される監理措置制度もまた、この法律の施行を許してはならない重要な理由のひとつと言えます。

 監理措置については、入管の民族差別・人権侵害と闘う全国市民連合が「人間破壊の『監理措置制度』導入反対と入管への要請」と題する反対声明を出しています。短い文章でわかりやすく監理措置の問題性を指摘していますので、一読をおすすめします。

「監理措置制度」反対  声明文 | 入管闘争市民連合



【注】

*1: 監理措置Aにおいては第44条の3第2項から同5項で「監理人の責務」が規定されています。条文の内容は監理措置Bのそれとほぼ同じ。 

*2: 入管が長期収容が帰国強要の手段として意図的・戦略的にもちいてきたということは、以下の記事などで述べました。 
「すがってはいけないワラ」とか言うなら浮き輪でも投げて助けろよ 入管法審議での維新・梅村氏の発言について(2023年5月13日) 
「強制送還を忌避」させないための無期限収容 入管庁西山次長の国会答弁は憲法36条への挑戦ではないのか?(2023年4月21日) 
「送還忌避者の発生を抑制する適切な処遇」とはなにか? 国家犯罪としての入管収容(2021年10月28日) 
公然化されつつある拷問――出国強要の手段としての無期限長期収容(2021年4月3日) 

*3: ここであげた例は、いずれも現行の仮放免制度において、入国警備官が、自宅訪問や隠密におこなう監視・尾行、本人との面接などを通じて、現に調査している事項です。つまり、収容を解かれた人についてこういったことを入管は把握したいということであって、それは監理措置においても同様だと推測できます。 

*4: 条文をそのまま引くとややわずらわしいので、言葉をかえたり省略したりしながらまとめています。

2023年12月6日

【改悪入管法を読む】監理措置とはなにか?〈2〉


【改悪入管法を読む】監理措置とはなにか?〈1〉のつづき


1.はじめに

 施行をひかえた*1改定入管法では、従来からある仮放免制度が一応は維持されるいっぽうで、監理措置という収容解除のための新しい制度が創設されることになります。前回記事では、改定法の条文を引きながら、仮放免制度についての変更点をみました。新たな入管法では、仮放免はきわめて限定的な場合にのみ適用される例外的な措置と位置づけられており、収容解除の制度としては監理措置に事実上の一本化をしたいというのが入管の意図なのだろうと考えられます。

 今回の記事では、その監理措置という制度がいかに深刻な問題をはらんでいるのか、改定入管法の条文を参照しつつ、みていきます。



2.原則「収容」の例外としての監理措置

 さて、監理措置がどういう制度なのかをみていくまえに、収容の制度について、大まかに理解しておく必要があります。入管法上の「収容」には2つの種類があります。


A)違反の「容疑」を審査するための収容(収容令書にもとづく収容)

  • 最大60日間。
  • 退去強制手続き(違反審査、口頭審理、異議申し立て、法務大臣裁決)をへて、「放免(在留継続)」「在留特別許可」「退去強制令書(退令)発付」のいずれかの処分を決する。

B)退去強制処分を受けたひとの収容(退去強制令書にもとづく収容)

  • 収容期間の上限なし。
  • 送還のための身体拘束。


 Aの収容は、退去強制(強制送還)すべきかどうかを決める手続きをおこなうための収容です。その手続きのやり方などについては非常に大きな問題があるのですが、この記事ではふれません。

 Bの収容は、Aの結果、退去強制処分が決まった人をただちに送還できないときに、「送還可能なときまで」収容するというものです(現行法第52条第5項、改定法第52条第7, 8項)。収容期間の上限はさだめられておらず、そのことが長期収容問題の大きな原因となっています。

 ABいずれについても、入管法上、収容すること(監禁して自由を奪うこと)が原則となっており、収容を解くための監理措置(あるいは仮放免)は、あくまでも例外的な措置として位置づけられています。野蛮な制度ですね。

 この「収容(身体拘束)が原則」「収容解除は例外」という構図は、現行法・改定法とも変わりません。



3.監理措置Aと監理措置B

 このAとBの収容に対応して、監理措置にも2種類あります。ここでは便宜上「監理措置A」と「監理措置B」と呼ぶことにします(法律に「A」とか「B」とか書いてあるわけではありません)。改定法においてそれぞれを規定する条文の番号もあげておきます。


監理措置A:退去強制手続き中(退令未発付)の監理措置
  • 第44条の2(収容に代わる監理措置)
  • 第44条の3(監理人)
  • 第44条の4(監理措置決定の取消し)
  • 第44条の5(報酬を受ける活動の許可等
  • 第44条の6(被監理者による届出)
  • 第44条の7(違反事件の引継ぎ)
  • 第44条の8(監理措置決定の失効)
  • 第44条の9(事実の調査)

監理措置B:退去強制を受ける者(被退令発付者)の監理措置
  • 第52条の2(収容に代わる監理措置)
  • 第52条の3(監理人)
  • 第52条の4(監理措置決定の取消し)
  • 第52条の5(被監理者による届出)
  • 第52条の6(監理措置決定の失効)
  • 第52条の7(事実の調査)


 入管法上の位置づけの異なる2つの収容に対応して、監理措置Aと監理措置Bがあるわけなので、上記のようにその決定であったり取消しであったりといった手続きはそれぞれ別々の条文で規定されています。

 監理措置を受けて収容を解除される人(「被監理者」といいます)にとっての大きな違いは、監理措置Aは、就労(報酬を受ける活動)が許可される場合があるという点です*2

 もういっぽうの監理措置Bは、就労は禁止であり、そこに例外はありません。就労が認められないのは仮放免も同じなのですが、これに関して監理措置は仮放免と大きな違いがあります。それはあとで(次回記事で)述べます。

 では、監理措置がどのような制度なのか、以下、条文をみていくことにします。



4.だれがどんなときに監理措置を決定するのか?

 監理措置の決定は、主任審査官がします(監理措置A:第44条の2第1項, 監理措置B:第52条の2第1項)。「主任審査官」というのは、地方入管局(東京入管、名古屋入管、大阪入管等)の局長・次長などです。

 その主任審査官がどのようなときに監理措置の決定をするのかは、つぎのように規定されています。


監理措置A:「容疑者が逃亡し、又は証拠を隠滅するおそれの程度、収容により容疑者が受ける不利益の程度その他の事情を考慮し、容疑者を収容しないでこの章に規定する退去強制の手続を行うことが相当と認めるとき」(第44条の2第1項, 同第6項)

監理措置B:退去強制を受ける者が「逃亡し、又は不法就労活動をするおそれの程度、収容によりその者が受ける不利益の程度その他の事情を考慮し、送還可能のときまでその者を収容しないことが相当と認めるとき」(第52条の2第1項, 同第5項)


 監理措置を決定するのは、主任審査官が「相当と認めるとき」ということであって、結局のところ入管の判断しだいということになりますね。

 なお、監理措置は被収容者がこれを主任審査官に請求できるということも規定されています(監理措置A:第44条の2第4項, 監理措置B:第52条の2第4項)。つまり、監理措置は、請求(申請)を受けて主任審査官が決定する場合と、請求(申請)を待たずに主任審査官が職権で決定する場合があるということになります。職権のと請求のがある点は、仮放免と同じです。



5.監理措置条件(違反すると監理措置取消&保証金没取)

 監理措置を決定する場合、主任審査官は「監理措置条件」というものを付けることになっています(監理措置A:第44条の2第1項, 監理措置B:第52条の2第1項, 同第5項)。

 「監理措置条件」とは、つぎのようなものです。


監理措置A:「住居及び行動範囲の制限、呼出しに対する出頭の義務その他逃亡及び証拠の隠滅を防止するために必要と認める条件」(第44条の2第1項)

監理措置B:「住居及び行動範囲の制限、呼出しに対する出頭の義務その他逃亡及び不法就労活動を防止するために必要と認める条件」(第52条の2第1項)


 あとでみるようにこの「条件」には、違反した場合のいわば事実上のペナルティが規定されています。監理措置の取消と保証金の没取です。監理措置が取り消されるということは、収容されるということを意味します。

 つまり、収容(監禁)という事実上のペナルティを脅しにして、収容を解除された人の行動をコントロールしようというのが、この「監理措置条件」というものだと言ってよいでしょう。「条件を守らなかったら収容するぞ」というわけです。

 従来からある仮放免制度も、同様に「条件を守らなかったら収容するぞ」という脅しをもちいながら、収容を解かれた人をコントロールしようという仕組みになっています。

 仮放免が許可された人には、その人の名前や顔写真、国籍、住所などが記された「仮放免許可書」という書面が個々人ごとに交付されます。その裏面に「仮放免の条件」が記載されています。以下は、大村入管センターから仮放免された人の仮放免許可書の裏面に記載された「仮放免の条件」の例です(個人を特定できないよう内容を一部改変するとともに伏字にしています)。


(1)住居

大阪府●●市●●1丁目●‐● 203号室

(2)行動範囲

長崎県から住居の存在する大阪府までの経路(住居に到着するまでに限る)及び住居の存在する大阪府

(3)出頭を命じられたときは、指定された日時及び場所に出頭しなければなりません。

(4)仮放免の期間

令和●年●月●日から令和●年●月●日17時00分まで

(5)その他

令和●年●月●日13時00分に大阪入国管理局審判部門へ出頭すること。
職業又は報酬を受ける活動に従事できない。


仮放免許可書の裏面(例)
「仮放免の条件」が記載されている。

 これら「仮放免の条件」に違反した場合は、仮放免取消し(→収容)と保証金没取の対象になります。このうち保証金没取については、前回記事で述べたように今回の法改定で保証金についての規定そのものものが削除されることになったので、改定法施行後は仮放免されるときに保証金納付が求められることがなくなるはずです。

 さて、新しく創設される監理措置の「条件」も、さきの条文をみるかぎりでは、「仮放免の条件」と同様のものが付けれれるのではないかと思われます。

 では、監理措置条件に違反した場合にどうなるのか。条文にどう書かれているのか、みておきます。

 第1に、保証金没取の対象となります。今回の入管法改定において、仮放免にともなって保証金を納付させる制度は廃止されましたが、新しく創設された監理措置制度においては、主任審査官は「3百万円を超えない範囲内で法務省令で定める額の保証金」を納付させることができると規定されています(監理措置A:第44条の2第2項, 同第6項、監理措置B:第52条の2第2項, 同第5項)。被監理者が監理措置条件に違反した場合、主任審査官は「保証金の全部又は一部を没取するものとする」と規定されています(監理措置A:第44条の4第5項, 監理措置B:第52条の4第4項)。

 第2に、「監理措置条件」に違反した場合、主任審査官は監理措置を取り消すことができると規定されています(監理措置A:第44条の4第2項, 監理措置B:第52条の4第2項)。この場合の監理措置の取消しは、収容されるということを意味します。


 以上、今回の記事では、

  • 「収容」を原則とする制度において、例外的な収容解除として、監理措置が位置づけられている
  • 監理措置には「監理措置条件」が付けられ、これに違反した場合に事実上のペナルティとして監理措置が取り消されることがある

といったことをみてきたわけですが、これらは従来からある仮放免とも共通した点であります。

 監理措置制度のはらむ深刻な問題は、これから述べるにあります。次回記事で、仮放免とも比較しながら、監理措置の問題性をみていきたいと思います。


【改悪入管法を読む】監理措置とはなにか?〈3〉につづく



【注】

*1: 施行日は改定法の附則の第1条に「この法律は、公布の日から起算して1年を超えない範囲内において政令で定める日から施行する」と規定されています。公布日が2023年6月16日なので、そこから「起算して1年を超えない範囲内」のどこかで施行されることになっています。 

*2: 第44条の5第1項「主任審査官は、被監理者の生計を維持するために必要であつて、相当と認めるときは、被監理者の申請(監理人の同意があるものに限る。)により、その生計の維持に必要な範囲内で、監理人による監理の下に、主任審査官が指定する本邦の公私の機関との雇用に関する契約に基づいて行う報酬を受ける活動として相当であるものを行うことを許可することができる。この場合において、主任審査官は、当該許可に必要な条件を付することができる。」


2023年12月2日

【改悪入管法を読む】監理措置とはなにか?〈1〉


1.はじめに

 6月に国会で強行採決された改悪入管法。公布日から1年以内(来年6月16日までのどこか)に施行されることになっています。

 この改悪入管法は、3回目以降の難民申請者の強制送還を可能にする点などが、大きな問題として広く認識されていると思います。しかし、それと比べるとあまり共有されていないですが、「監理措置」というあらたに作られた制度もまた相当に深刻な問題点をはらんでいます。

 「監理措置」制度の問題の深刻さを理解・共有するうえでやっかいなのは、この制度を入管がどのように運用するつもりなのか、いまだによくみえてこないというところです。国会審議でも、また強行採決後いまにいたるまでも、政府や入管庁はそこを十分に説明してきたとはいえません。

 そこで、改悪法の条文を読みながら、「監理措置」制度が条文でどのように規定されているのかを確認し、それが入管によってどのように運用されうる制度なのか、考える材料を共有できたらと思います。



2.「仮放免」と「監理措置」――2つの制度の併存

 従来の入管制度においても、「仮放免」という、収容を解除して施設から出所させる制度がすでにあります。改定入管法では、この仮放免制度が一応は残されるいっぽうで、新たに監理措置という制度が設置されました。 つまり、仮放免と監理措置という2つの収容解除のための制度が併存するということになります。 そういうわけで、以下のようなところが疑問点としてうかんできます。


(1)監理措置は仮放免とどうちがうの?(監理措置のなにが問題なのか?)

(2)監理措置はどのようなケースに適用されるのか?

(3)仮放免はどのようなケースに適用されるのか?(現行法で仮放免されている人は、改定法施行後も仮放免が「更新(延長)」されるのか?)


 このブログ記事では、(1)(2)(3)の疑問点を念頭に、改定法が現行法とどう変わったのか、条文をみていきます。

 ただし、条文の文言だけでは、改定法施行後に入管がそれをどう運用していくのか、わかりません。また、入管がどのように法を運用するのかは、さまざまな要因(対抗運動や世論の動向などもふくむ)によって変わってくるということも、重要です。そうしたところを頭に入れて、今後おきてくる事態にどうのぞんだらよいのか、考えていく必要があります。



3.仮放免について変更点

 さて、このブログ記事では監理措置という新たな制度がどのように改定入管法で規定されているのかをみていくのですけれど、そのまえに、仮放免についての規定がどう変わったのか、ということをおさえておきましょう。

 仮放免の制度自体は、改定された入管法においても一応は維持されます。入管施設に収容されている人やその代理人らが仮放免を請求(申請)できること(第54条第1項)、また、入国者収容所長らがその請求(申請を)待たずに職権での仮放免もできるということ(第54条第2項)も、改定法で変わりません。

 しかし、以下の第54条第2項の変更は、今回の法改定をすすめてきた入管庁の意図がよくあらわれているようにもみえ、今後、新しい入管法を入管庁がどのように運用しようとしているのか読みとるうえでも重要なところだと思われます。


現行法 第54条第2項
「入国者収容所長又は主任審査官は、前項の請求により又は職権で、法務省令で定めるところにより、収容令書又は退去強制令書の発付を受けて収容されている者の情状及び仮放免の請求の理由となる証拠並びにその者の性格、資産等を考慮して3百万円を超えない範囲で法務省令で定める額の保証金を納付させ、かつ、住居及び行動範囲の制限、呼出しに対する出頭の義務その他必要と認める条件を付して、その者を仮放免することができる。」
改定法 第54条第2項
「入国者収容所長又は主任審査官は、前項の請求により又は職権で、収容令書又は退去強制令書の発付を受けて収容されている者について、健康上、人道上その他これに準ずる理由によりその収容を一時的に解除することを相当と認めるときは、法務省で定めるところにより、期間を定めて、かつ、住居及び行動範囲の制限、呼出しに対する出頭の義務その他必要と認める条件を付して、その者を仮放免することができる。」


 大きな違いは2つあります。


(1)許否判断における考慮要素

 まず、許否判断における考慮要素(許可/不許可を判断するうえで何を考慮するのか?)について、以下のように変わっています。


現行法「収容されている者の情状及び仮放免の請求の理由となる証拠並びにその者の性格、資産等を考慮して

   ↓

改定法「健康上、人道上その他これらに準ずる理由によりその収容を一時的に解除することを相当と認めるとき


 上の現行法は、よくもわるくも、この考慮要素があいまいで漠然としか規定されていなかったと言えます。

 これが改定法になると、「健康上、人道上その他これらに準ずる理由」とかなり明示的・限定的になっています。「健康上」というのは、収容・送還にたえられない重病人、「人道上」はたとえば未成年者などが想定されているのでしょうか。

 しかし、従来の仮放免制度の運用の実態をみると、もっと広い要素が考慮されてきたのは確かです。

 たとえば、難民申請している人が、難民該当性の立証作業を理由に仮放免を申請し、これが認められて仮放免を許可されたと考えられるケースは多々みうけられます。難民認定手続きにおいて、難民申請者が難民に該当することを立証する責任は、申請者本人に課されています。証拠の資料などは申請者が自分で収集してきて提出しろということが求められているわけです。ところが、収容(=監禁)によって自由をうばわれ、人と会うことも家族・親族や知人との通信もいちじるしく制限され、インターネットに接続することすらできない環境で、立証作業などできるわけがありません。収容は、入管の難民申請者に対する立証妨害と言えます。そこで、難民該当性の立証のために必要であるということが、難民申請者にとって仮放免を請求する理由になるわけです。

 ところが、改定法の規定を読むかぎりでは、こうした理由での仮放免は想定していないように思われます。この立法に大きく関与してもきた入管の役人の想定では、仮放免は重病人など収容を継続できないと入管が判断した場合にのみ適用し、難民該当性の立証作業や訴訟準備を理由とする収容解除は監理措置でおこなうといった使い分けを考えているのではないかと想像できます。


(2)保証金についての規定が削除されている

 さきにみた第54条第2項のもうひとつ重要な変更点は、現行法にある「3百万円を超えない範囲で法務省令で定める額の保証金を納付させ」という保証金についての規定が削除されていることです。

 現行の仮放免制度の運用では、請求(申請)による仮放免の場合、保証金の納付が入管から要求されています(入国者収容所長らの職権での仮放免の場合は、保証金の納付は要求されていないようです)。仮放免された人が「逃亡」した場合、納付された保証金は没取するとの規定が第55条第3項にあります*1。この保証金には、「逃亡」に事実上のペナルティを科し、これを防止するという意味あいがあるわけです。

 ところが改定入管法では、仮放免の保証金に関する規定は、その没取の規定もふくめ、すべて削除されています。なお、「保証書」というものを規定した条文も現行法にはあるのですが(仮放免される人以外の人が差し出す保証書によって保証金に代えることができるというもの。第54条第3項*2)、これも改定法では削除されています。

 いっぽうで、新しく作られた監理措置については、あとでみるように主任審査官は「三百万円を超えない範囲内で法務省令で定める額の保証金」の納付を監理措置の条件とすることができるという規定がもうけられています(第44条の2第2項、第52条の2第2項)。


(1)(2)から推測できること――仮放免は例外的な措置に?

 こういったところをみると、改定法施行後は、仮放免制度は入管が収容して面倒をみきれない重病人などの収容を解除する(「放り出す」という表現が適切かもしれません)場合など、きわめて例外的・限定的な場面でしか適用しないということが、入管当局の想定としてはあるのではないかと考えられます。考慮要素を「健康上、人道上その他これらに準ずる理由」とせまく限定して規定したのも、また、保証金納付を仮放免については不要とするのも、仮放免はあくまでも例外的措置と位置づけ、収容解除は監理措置に事実上の一本化をしたいという入管の意図のあらわれではないでしょうか

 ただし、この記事の最初のほうでも述べたように、法律がどのように運用されるのかということは、それを運用する入管の意図だけで決まるものではなく、世論の動向などをふくんださまざまな要素によっても変わってきます。つぎの記事では、その点をふまえながら、今回の法改定で創設されることになった「監理措置」とはどういう制度なのか、入管法の条文をみていきます。


【改悪入管法を読む】監理措置とはなにか?〈2〉につづく



【注】 

*1: 現行法第55条第3項「入国者収容所長又は主任審査官は、逃亡し、又は正当な理由がなくて呼出に応じないことを理由とする仮放免の取消をしたときは保証金の全部、その他の理由によるときはその一部を没取するものとする。」

*2: 現行法第54条第3項「入国者収容所長又は主任審査官は、適当と認めるときは、収容令書又は退去強制令書の発付を受けて収容されている者以外の者の差し出した保証書をもつて保証金に代えることを許すことができる。保証書には、保証金額及びいつでもその保証金を納付する旨を記載しなければならない。」

2023年9月25日

「懸賞生活」のこととか


  以下の記事を興味深く読んだ。


「『電波少年』懸賞生活は一種の洗脳。自殺も考えるほど苦悩」なすび激白、イギリスで半生が映画化の今とは | 女子SPA!(2023.09.21)


 「懸賞生活」は、「電波少年」という番組(日本テレビ)内のコーナーとして1998年1月から翌年4月まで放送された企画とのこと。

 私は当時、テレビのチャンネルを変えるときにこれをちらっと見かけたことはあるような気がするが、ちらっと一瞬だけ見る以上のことはなかったと思う。なので、上の記事を読んで、またネット上を検索して、どういう番組だったのか概要を今になって知ったのだけど、ひどいものですね。

 「人は懸賞だけで生きていけるか?」というテーマで、芸人をアパートに監禁し、着ていた衣服もすべて没収し、ハガキを書いて応募して当たった懸賞だけで生活させるというもの。こうした生活を続けることが、懸賞の品物の価格が一定額に達するまで強いられる。

 拷問とか虐待と呼ぶほかないような行為をみせものとしてテレビで流すのは、倫理的なタガがはずれているようでこわい。おまけに、撮影されている映像がテレビで放送されていることは本人に知らされていなかったという。放送倫理的にめちゃくちゃにもほどがある。

 上の記事は、「懸賞生活」に出演(というのか?)していたなすびさんのインタビューで、当時のつらかった記憶も語られている。つぎのくだりが印象的だった。


――そこまでのレベルで辛い企画だったことを私も今知りました。

「やってることはほぼ拷問(ごうもん)でしょ。スタッフがあの生活を強いて、一人の人間を貶(おとし)めることができるという恐怖を終わった後も感じました。

視聴者から『またやってください』って言われることも怖かった。『あれを笑って見てたの?』『まだ見たいと思うの?』って、正直かなり人間不信にもなりましたね」


 あからさまに残虐な行為がおこなわれていることを私たちははっきりと見ていながら、その出来事をみせものとして私たちの世界から切断することができるということ。おそろしいものを目にしながら、それをおそろしいと感じずに笑ってみていられるのだということ。そういった自身の認識や感情の操作を、私たちはとくに意識もせずにやってのけてしまうのだということに、おそろしさを感じる。

 ただ、海外ではこれを見てドン引きしている人も多いみたい。「懸賞生活」の映像はネット上にちらばっており、これを見た海外メディアからなすびさんにインタビューや取材のオファーがたびたびあるのだという。なすびさんの半生を追ったドキュメンタリー映画も制作され、トロント国際映画祭で上映されたところだとのこと。


――今こうして海外からの反響を受けて、当時を振り返って改めて思うことは?

「『電波少年的懸賞生活』って今でいうとリアリティーショーやYouTubeの走りなんですよね。掘り下げていくと、あの番組は現在では身近な企画のパイオニアだったんだと思います。

海外との大きな違いとしては、あれは日本ではあくまでもバラエティ番組。面白おかしいものとして受け入れられていた。でも、予備知識のない海外の方からすると、かなりネガティブな意味での衝撃映像だったみたいです」


――お笑いとしては捉(とら)えられていない?

「もの凄く真剣に見てますね。『こんな過酷なことを強いるなんて信じられない』『テレビで放送しちゃいけないもの』『拉致、隔離、これは犯罪だ』なんて言われてますよ。

過去に取材をしてくれた海外メディアも、だいたいが『テレビ局を訴えた方がいい』という切り口なんです。人権侵害だ、と。海外の人たちにとっては相当なカルチャーショックだったみたいですね」


 問わなければならないのは、なぜ海外の人にはネガティブな衝撃映像と受けとられるのかということより、反対に、なぜ日本では「バラエティ番組」「面白おかしいもの」として通用してしまう(してしまった)のか、ということだと思う。なぜなんでしょうかね。

 海外の人なら「拉致、隔離、これは犯罪だ」と言うような出来事が、なぜ日本では「バラエティ番組」として娯楽の対象となるのか。どうして「人権侵害だ」とはなかなかならないのか。

 海外の人びと(ってひとくくりに語ろうとするのはムチャすぎるのだけど)はどうなのか知らないが、日本の人びとには、冗談として受け取られるべき行為は、人権侵害や加害行為とみなさないという不思議な思考がなにか常識のように共有されている。冗談なのだからシリアスに受け取るな、目くじらをたてるなというわけだ。そして、なにが冗談でなにがそうでないのかを決定するのは、その場で大きな権力をもっている者やマジョリティである。

 陸上自衛隊郡山駐屯地での強制わいせつ事件の刑事裁判で、被告人の元自衛官のひとりは「(被害者を)押し倒したあと、腰を降るなどの動きをしたが、下半身は接触しておらず、周囲の笑いを取るためでわいせつなことをしようとは思わなかった」と証言し、無罪を主張している*1。弁明として成り立つわけのないバカげた主張だが、この人は(その弁護人も)「笑いを取るため」という動機が、自身の行為の加害性を打ち消す根拠として説得力をもつと考えているからこそ、こんな主張を堂々と法廷でするのだろう。そして残念ながら、ある行為が冗談としておこなわれたのだとその場の多数派が解釈すれば、その行為の加害性が深刻に受け止められなくなるのが、日本社会である。だからこのばかばかしい弁明は、日本社会のコードにしたがったものでもある。

 ところで、先のインタビュー記事は「前編」で、そのつづきの「後編」があるのだけど、これが読んでなかなかもやもやする。


懸賞生活を耐え抜いたなすび「『電波少年』の辛い経験があったから…」エベレストに挑み続け4回目で登頂成功、売名と叩かれても | 女子SPA!(2023.09.22)


 タイトルのとおり、この後編記事では「『電波少年』の辛い経験」は、その後のなすびさんの「糧」となったできごととして、位置づけられている。そういうふうになすびさん本人が自身の過去と現在を語ることを責めることはもちろんできない。でも、他者である私たち(それもその人権侵害をみせものとして鑑賞する位置にあった者)が、その語りをそのままなぞるように読んでしまってよいのだろうか。

 なすびさんにとってその後の「糧」になったのだからと、その受けた被害(と言うべきでしょう)をわれわれがポジティブに意味づけしてしまうのは、人権侵害の加害性を消去することではないのか。

 のちのち被害者の「糧」になろうがなるまいが、人権侵害は人権侵害、加害行為は加害行為である。そう認識することをはばむ磁場のような力の働きがある社会だからこそ、無粋(ぶすい)にみえてもいちいち言っていかないといけないのだと思う。



《注》

*1: 「腰を振る動きは笑いを取るため」謝罪から一転、被告3人が無罪主張【五ノ井里奈さん性被害事件・初公判詳報】 | TBS NEWS DIG(2023年6月30日(金) 11:30)

2023年9月17日

「全てのお弁当&定食に福島のお魚をもれなくもりつけます」(府庁食堂)

  大阪府咲州(さきしま)庁舎の食堂。入管に行ったときにたまにランチに寄るのですが、先日みたらこんなの(↓)をやってました。


福島のみんなを応援しよう.

がんばろう福島 そして頑張れ知事

キャンペーン! パート1

みんなで福島のお魚を食べよう!!

全てのお弁当&定食に福島のお魚を

もれなくもりつけます


 東京電力が核燃料と接触した汚染水を垂れ流している福島近海でとれた魚を、「もれなくもりつけ」てくれるのだそうだ。どの弁当・定食を選んでも、「福島のお魚」から逃れることはできない。大阪府庁の食堂で食事をするかぎり、「福島のお魚」の入っていないメニューは選択できないのである*1

 なんというか、この「福島のお魚」を忌避するなんてゆるさないぞ的な姿勢が、不気味すぎる。全メニューに「もれなくもりつけます」というこの執念は、どこからくるの?

 そもそも、福島のお魚を食べることで福島のみんなを応援しようという言いようが、倒錯しているにもほどがある。福島の漁業関係者に損害をあたえているのはだれか。東京電力と日本政府である。東京電力による核汚染水の海洋投棄について、政府は地元の漁業者の反対を無視してゴーサインを出した。そのことが中国の禁輸措置をまねいて漁業者に大打撃を与えたのである。「福島のみんなを応援」したいなら、日本政府と東京電力に汚染水の海洋投棄をやめさせる以外にない。

 それに、禁輸措置で損害をこうむっている漁業者は、福島のそれにはかぎらないのであって、なんで「福島のみんなを応援しよう」「みんなで福島のお魚を食べよう」となるのか。しかし、ここは、あんがい重要なポイントであるような気がする。

 この「食べて応援」キャンペーンとは、健康被害の懸念が高い食品は避けようという市民の意思・行動に対する憎悪に動機づけられているのではないだろうか。だから、禁輸措置で損害を受けた日本の漁業者全般ではなく、「福島のみんな」を応援しようという形をとるのではないのか。

 問題とされているのは、漁業者などが現にこうむっている損害ではなく、放射能汚染された食品を避けようという行動をとる市民の存在であり、そうした市民が増えていくことの懸念である。そう考えると、なぜキャンペーンが「福島のお魚を食べよう」という形になるのか、理解ができる。これは福島応援ではなく、「福島のお魚を(公然と)忌避するやつはゆるさない」「汚染を問題視する言説はゆるさない」というキャンペーンなのではないか。

 「全てのお弁当&定食に福島のお魚をもれなくもりつけます」という、この執拗さも同じ動機から説明できるのではないだろうか。食品の放射能汚染と健康への影響に関心をもつこと、そうした関心にもとづいて自分たちの口に入るものを選択しようという意思・行動への憎悪のあらわれこそが、この「もれなくもりつけます」なのではないか。

 ところで、さきの「福島のみんなを応援しよう」のポップ、「がんばろう福島」はともかく、そのうしろの「そして頑張れ知事」はなに? 知事って吉村のことか? 府庁の食堂の業者が府知事になにか忖度しようとしているんだろうなというのがみえ、ここにも維新府政の腐臭がただよってるのでした。






《注》

*1: ただし、じつは私が行った日は「唐揚げ定食」(460円)というのがありました。全メニューのうちこれだけは魚が入っていないようだったので、これを選んで食べました。こっそり「逃げ道」を用意しておいたということなのか。



《関連》

大阪府/報道発表資料/府庁食堂で福島県産の魚介類を使用したメニューを提供します!

宇宙広場で考える: 全国紙4紙の社説がどれが産経新聞か区別がつかなくなっている件 核汚染水の海洋投棄をめぐって(2023年8月28日)

2023年8月28日

全国紙4紙の社説がどれが産経新聞か区別がつかなくなっている件 核汚染水の海洋投棄をめぐって

  24日午後、岸田内閣の閣議決定を受けて、東京電力は福島第一原発の汚染水の海洋への投棄をはじめた。25日に中国政府は、日本からの水産物について全面的な禁輸措置をとると発表。

 で、翌26日の全国紙の社説は、いっせいに中国たたきで足並みをそろえている。読売や産経だけでなく、朝日も毎日も。もとよりこれら各紙のあいだには「右か左か」あるいは「右も左も」と言えるような差異や個性はなかったのだけれども。とはいえそれにしても、ここまで論調が一致するのはなかなかないことなのではないだろうか。タイトルだけ並べてみても、なかなかすごいものがある。


社説:中国が水産物全面禁輸 即時撤回へ外交の強化を | 毎日新聞(2023/8/26 東京朝刊 )

(社説)中国の禁輸 筋が通らぬ威圧やめよ:朝日新聞デジタル(2023年8月26日 5時00分)

社説:水産物の禁輸 中国は不当な措置を撤回せよ : 読売新聞(2023/08/26 05:00)

【主張】中国の水産物禁輸 科学無視の暴挙をやめよ - 産経ニュース(2023/8/26 05:00)


 上のそれぞれのタイトルをみてもわかるように、中国の禁輸措置が不当であり撤回すべきだという結論で4紙は一致しているが、その内容においても差異はきわめて小さい。紙名をかくして文章だけ読んで、それぞれがどこの社説なのか当てるのは、なかなか難しいのではないか。

 どの社説も、中国の禁輸措置には科学的な根拠はないと決めつけるいっぽうで、日本政府の「処理水」放出の決定に対してはまったくの無批判で追従するというものになっている。政府の主張をなぞるだけだから、どの社も同じような内容になる、ということなのだろう。

 そして、こっけいなのが、どの社説も禁輸措置を決めた中国の主張は科学的な根拠がないのだと言うのだけれど、その言い分がいずれも、すでに中国側から反論ずみの日本政府の主張をくり返したものにすぎない点である。

 以下のリンク先は駐日中国大使館報道官の声明(7月4日)である(日本語で書かれています)。これと上記の4紙の社説を読み比べてみるとおもしろい。


駐日中国大使館報道官、日本福島放射能汚染水海洋放出問題について立場を表明 - 中華人民共和国駐日本国大使館


 たとえば、毎日と産経のつぎの記述。


 放射性物質トリチウムを含む水は、中国など各国の原子力施設から海や河川に放出されている。日本政府は、処理水のトリチウム年間放出量が中国の主要原発を大きく下回ると強調している。[毎日新聞]


 トリチウムは放射性元素だが発する放射線は生物への影響を無視できるほど弱い。しかも口から摂取した魚介類や人体からも速やかに排出される。 

 そもそもトリチウムは、宇宙線と大気の作用で自然発生し、日本に1年間に降る雨には約220兆ベクレルが含まれている。それに対して今後、第1原発から計画的に放出されるトリチウムの量は年間22兆ベクレル未満にすぎない。それを海水で大幅に薄めて放出するので、生態系などへの影響は起きようがない。しかも中国の原発も大量のトリチウムを放出しているではないか。[産経新聞]


 ここで言われていることのひとつは、中国などの原発だってトリチウムを放出しているではないか、なぜ日本の放出だけが問題にされなければならないのか、というものだ。しかし、この点は、さきの中国大使館報道官の声明ですでに反論されている。


 日本側が福島核汚染水のトリチウム量と原発が正常に排出される冷却水のそれと同列に扱うのは、ストローマン論法であり、故意に世論をミスリードするように見える。福島核事故によって発生した核汚染水と原発の正常な運行による排出水とは本質的に違うのは基本の科学的常識である。両者には発生源も、放射性核種の種類も異なり、比べ物にはなれない。原発事故での融解炉心と直接接触した福島汚染水には猛毒とされているプルトニウム、アメリシウムなど超ウラン核種が含まれ、それらを海洋放出する前例はない。一方で、世界中の原発で何十年も安全に運行し、信頼されているシステムで処理した原発の排出水はそれとまったく別のものである。


 融解炉心と接触した福島の汚染水にはトリチウム以外の核種がふくまれるのであって、その放出は、融解炉心と接触しない冷却水の放出と同一視することはできない、というわけだ。

 上記の毎日や産経の主張は、論点をトリチウムのみに限定することで、その放出による環境への影響を小さくみつもろうとしているが、東京電力の放出しようとする「処理水」には他の核種もふくまれる。中国大使館の報道官は、そのトリチウム以外の核種については有効な処理技術がないものが多く存在し、今後それらが大量に長期にわたり放出されることによる環境への影響も楽観的に評価することはできない、ということを指摘している。


 福島核汚染水が福島原発事故で融解した原子炉の炉心と直接接触したもので、60種類以上の核種が含まれる。トリチウム以外にも有効性が認められる浄化技術がない核種が多数ある。そのうち、半減期の長い核種によって、 海流による拡散、そして生物濃縮が発生し、環境中の放射性核種の全体量の過剰増加を招きかねない。福島原発事故が今まで130万トン以上の核汚染水を形成しており、これほど莫大の量の、さらに成分が複雑である核汚染水の処理には前例がない。海洋放出が30年、ひいてはもっと長く続き、将来には新たな核汚染水の大量発生が予想される中、ALPSの有効性と完成度が第三者による評価を経てないため、装置の長期にわたる信憑性がまだまだ疑間が残っている。


 あと、上に引用した産経社説にある「海水で大幅に薄めて放出するので、生態系などへの影響は起きようがない」などというバカげた日本側の主張についても、中国の報道官氏はつぎのように批判している。


日本側が希釈で核汚染水の放射性物質の濃度を下げようとしているが、全放射性核種に対して全体量のコントロールを行わず、海洋放出の危害性を軽減化、隠蔽しようとしていることこそ、科学精神やプロフェショナリズムに背を向ける現れである。


 はい、ごもっともですね。としか言いようがない。

 毎日・朝日・読売・産経の8月26日の社説は、どれも日本政府の言い分に無批判に追従しながら、中国の主張は科学的根拠を欠いているなどと述べたてている。しかしその実、これら4紙の論説はすでに中国側から反論された主張をくり返しているにすぎない。いわば、中国からの反論が聞こえないふりをして、そのすでに反論ずみの日本政府の主張をワーワーわめきたてているにすぎないのだ。

 口先ではいさましく中国を罵倒する文句をつらねているが、しかしまったく中国に対し失礼なうえに内容において通用するはずもない主張を、国内の読者むけに書きたてている。一見したところ中国にむかってなにか言っているようにみえながら、実施のところは完全に内向きのパフォーマンスをしているにすぎない。これが、全国紙とよばれる4つの新聞が26日に発表した社説の質である。想像を絶する恥知らずぶりにあきれると同時に、なんとまあ読者もバカにされたものよね、とびっくりする。朝日新聞は「中国の居丈高な対応」などと書いてるけど、「居丈高」なのはどっちだろうね。

 朝日は「科学に基づいた協議の呼びかけに応じてこなかったのは中国の方だ」と書き、毎日は「日本政府は専門家による協議を呼びかけたが、中国は拒んできた。科学的に検証する必要があるなら応じるべきだろう」と書く。これも、この社説が書かれる前に先の中国の報道官によってとっくに反論済みの言説である。


 日本側のいわゆる中国側と協議したいという言い方から誠意が感じられない。今までバイやマルチの場で日本側と交流し、専門機関の意見や懸念を重ねて表明したにもかかわらず、中国側の立場を顧みず、規定のスケジュールで海洋放出をかたくなに進めている。もし日本側が今夏の放出開始を協議の前提として、自らの主張を中国側に押し付けようとするのなら、このような協議に実質な意義がないように思われる。もし本当に協議する誠意があるのなら、まず海洋放出計画を直ちに中止にし、それ以外あらゆる可能な対策を検討することや、利益関係者による独自のサンプリングと分析を容認することなど、確実に各方面の懸念を払拭するべきである。


 これまた、いちいちごもっともとしか言いようがないのではないか。

 「処理水」放出にはすでにさまざまな懸念が示されており、そのなかには「科学的な論拠に基づかない」(毎日)などと一蹴はできない懸念も、ふくまれているはずである。また、海洋放出以外のオプションも、指摘・提案されてきた。以下の引用も、上記リンク先の中国大使館報道官の声明から。


日本側が周辺近隣国など利益関係者と効果的な協議を経ず、一方的に海洋放出という誤った決定を下し、一方的にそれを発表するやり方は実際、海洋放出を唯一のオプションとして各国に押し付けようとしている。しかし、海洋放出は唯一のオプションでも、最も安全で、最善の対策でもない。海洋放出のほか、地層注入、水蒸気放出、水素放出と地下埋設などの対策が提起され、長期保存という方法を提案する専門家もいたにも関わらず、全部日本側に無視されてきた。


 これまでさまざまな懸念や代替案が示されてきたにもかかわらず、それらを検討したうえで反論ふくめて応えていくことをせず、聞こえないふりをして、海洋放出を強行した。これが日本政府と東京電力がたどった過程であり、これに追従して、やはり中国の示す懸念や代替案について聞こえないふりをして、日本政府の的はずれな中国批判をなぞってみせたのが、8月26日の全国紙4紙の社説である。

 さて、4紙の社説を読んでいてもうひとつ興味深いのは、それらがそろって、中国の禁輸の動機を矮小化しようと躍起になっているようにみえることである。つまり、中国が禁輸措置をとるのは、外交的な、あるいは貿易上の戦略からそうしているのだ、と。


[中国による禁輸措置は]巨大市場を武器に、貿易で他国に圧力をかける「経済的威圧」にも等しいふるまいだ。[朝日新聞]


先端半導体関連の輸出規制や台湾問題を巡り、日中関係がぎくしゃくする中、今回の禁輸を外交カードとして使っていると受け取られても仕方あるまい。[毎日新聞]


 台湾問題や半導体関連の輸出規制などで、米国と連携を強める日本に対し、揺さぶりをかけようとする意図がうかがえる。

 国際社会が中国に対して懸念している、貿易の制限で相手国に圧力をかける「経済的威圧」にほかならず、到底、容認できない。[読売新聞]


 理由は「中国の消費者の健康を守り、輸入食品の安全を確保するため」というが、不当な禁輸で日本の水産業に多大な経済的打撃を与える暴挙に他ならない。岸田文雄首相が即時撤廃を申し入れたのは当然だ。[産経新聞]


 これらの社説がなにを言いたいのか、あきらかだろう。中国は「中国の消費者の健康を守り、輸入食品の安全を確保するため」というけれど、それは表向きのタテマエにすぎず、ほんとうの動機はそこじゃないですよ、と。ほんとうは日本に圧力をかけ対抗していくための戦略的な手段として禁輸措置をとってるにすぎないんですよ、と。そう言いたいわけである。

 そのいっぽうで、核汚染水の海洋投棄をめぐって書かれたこの8月26日の朝日・毎日・読売・産経の社説において、環境や食の安全という観点はいっさい考慮されていない。4紙の社説のすみからすみまで読んでも、環境汚染や食の安全性という論点には、たったの一言の言及もないのである。

 放射性物質をふくんだ水を大量に長期間にわたって海に捨てるという話をしてるんですよ。なのに、禁輸措置や「風評被害」による漁業者の損失については語られても、環境破壊や水産物の汚染、人間の健康被害についての懸念はひとっこともふれられない。4つの新聞の社説をぜんぶ読んでも、まるで語られない。

 これらの社説の書きぶりには、二重の意味でおどろくべき無関心がおおっている。1つには、人間の健康や生命への無関心。私たちの健康や生命にダイレクトにかかわる環境や食品の問題なのに、そこについての言及がいっさいない。

 第2に、さきにみてきたように、他者がなにを考え、どのような理由から日本政府の措置に反対しているのか、そのことにまったく関心をはらおうとしない。相手の反論を無視し、聞こえないふりをしながら、しかし中国の措置は不当であると見当はずれな主張を書きたてている。見当はずれな主張になるのも当然である。だって、すでになされている相手の反論をぜんぜんふまえようとしない、聞こうともしないわけだから。

 この二重の無関心のなかで、中国なるものへの敵対心だけがどんどんあおられている。たいへんに不気味でおそろしい状況だと思う。


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 汚染水の海洋放出について、この間、オンライン上で読んだ記事で、勉強になったもの、参考になったものをリンクしておきます。


IAEA報告書は「処理水の海洋放出」を承認していない。中国を「非科学的」と切り捨てる日本の傲慢 | Business Insider Japan(Jul. 28, 2023, 07:15 AM)

議論再燃。「処理水海洋放出」は何がまずいのか? 科学的ファクトに基づき論点を整理する | ハーバー・ビジネス・オンライン(2019.09.27)

原発処理水放出、問題は科学データではなく東電の体質|ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト(2023年08月25日(金)22時05分)

【Q&A】ALPS処理汚染水、押さえておきたい14のポイント | 国際環境NGO FoE Japan(2023年8月1日作成 2023年8月21日更新)


2023年7月31日

産経新聞がクルド人へのヘイトスピーチを書き散らしている件

 

 以下の産経記事だが、これは典型的な差別扇動である。


【「移民」と日本人】病院でクルド人「100人」騒ぎ、救急受け入れ5時間半停止 埼玉・川口 - 産経ニュース(2023/7/30 13:30)


 この記事が伝えている事実は、おもに2つである。ひとつは、クルド人が多数あつまったということ。もうひとつは、それで騒ぎになったということである。

 人が多数あつまり、騒動になった、と。たんにそれだけのことを、なんの意味があってわざわざ報道するのだろうか。多数あつまったのがクルド人だと何か報道する価値が出てくるということなのだろうか。

 記事の以下のくだりなども、異様としか言いようがない。


 関係者によると、今月4日午後9時ごろから、同市内の総合病院「川口市立医療センター」周辺に約100人とみられる外国人が集まり始めた。いずれもトルコ国籍のクルド人とみられ、翌5日午前1時ごろまで騒ぎが続いたという。

 きっかけは、女性をめぐるトラブルとみられ、4日午後8時半ごろ、トルコ国籍の20代男性が市内の路上で複数のトルコ国籍の男らに襲われ刃物で切りつけられた。その後、男性の救急搬送を聞きつけた双方の親族や仲間らが病院へ集まり、救急外来の入り口扉を開けようとしたり、大声を出したりしたという。病院側は騒ぎを受けて警察に通報。その後、救急搬送の受け入れを停止した。


 「トルコ国籍のクルド人とみられ」る「約100人とみられる外国人」が、なぜ病院の周辺に集まったのか。その原因・背景について、「きっかけは、女性をめぐるトラブルとみられ、4日午後8時半ごろ、トルコ国籍の20代男性が市内の路上で複数のトルコ国籍の男らに襲われ刃物で切りつけられた」(「みられる」ばっかりだな)という以上の情報は、2000字ほどもある記事全体を読んでもなにも出てこない。

 また、病院にかけつけた人たちのなかに、どうして「救急外来の入り口扉を開けようとしたり、大声を出したりした」人がいたのか、産経の記事を読んでもさっぱりわからない。記者は関心をもたなかったし、読者もそんなことに関心をいだかないだろうと記者は考えたから、取材しなかった、あるいは取材していても書かなかった、ということなのだろうか。

 そのいっぽうで、記事では「午前1時ごろまで騒ぎが続いたという」「救急外来の入り口扉を開けようとしたり、大声を出したりしたという」と、(クルド人ではない)近隣住民の証言をひろったと思われる、伝聞表現の「という」がくり返される。

 では、この騒動でなにか重大な被害なり問題なりが起きたのかというと、記事を読むかぎりでは、とりたてて問題にすべき深刻な事態などなにも起きていないのである。上で引用した「病院側は騒ぎを受けて警察に通報。その後、救急搬送の受け入れを停止した」ということについても、騒動によって生じた深刻な事態など産経は発見できなかったようである。


 同病院は埼玉南部の川口、戸田、蕨(わらび)の3市で唯一、命に関わる重症患者を受け入れる「3次救急」に指定されている。

 地元消防によると、受け入れ停止となった時間は4日午後11時半ごろから翌5日午前5時ごろの約5時間半。この間、3市内での救急搬送は計21件あった。このうち搬送先が30分以上決まらないなどの「救急搬送困難事案」は1件だが、幸いにも命にかかわる事案には至らなかったという。


 結局のところ、産経がこの記事で報じている事実は、「クルド人とみられる人が、仲間の運び込まれた病院に100人ほど集まって、騒動になった」ということにすぎない。では、この場合の「騒動」とはいったい何だろうか。

 産経は消防署に電話したりして被害の事実を一所懸命さがしだそうとしたようだが、深刻な問題はとくにみつけられなかった。とどのつまり、産経がこの件に「騒動」としていちいち報道する意義なり価値なりをみいだすとすれば、それは以下のところにしかない。


 騒ぎを目撃した飲食店の女性は「男たちがわずかな時間に次々と集まってきた。サイレンが鳴り響き、外国語の叫び声が聞こえた。とんでもないことが起きたと思い、怖かった。こんな騒ぎは初めて。入院している方も休むどころではなかったのではないか」。

 別の住民男性(48)は「背丈が2メートルくらいのクルド人の若者が、片言の日本語で『親戚が刺された』と叫んでいた。病院前の道路にどんどん車が集まってきた」と話した。


 近隣住民がこわがっている、だから大変だ、というわけである。

 それにしても、産経新聞は住民のこんな声をひろいあげて記事に書いて、なにをやりたいのか。「わずかな時間に次々と集まってきた」のが日本人ではなく外国人(にみえる人)たちだったり、日本語ではない「外国語の叫び声が聞こえた」りすると、マジョリティの住民(日本人だったり日本語ネイティブだったりする人)にとって「怖かった」という感想になるのは、素朴な感情としてわからなくはない。でも、それは差別的な偏見が反映しての「怖かった」なわけで、そういう感情をいだくことがさも当然であるかのように新聞に書いてよいうのかというと、それはちがうだろう。

 「背丈が2メートルくらいのクルド人の若者が、片言の日本語で」というところも、これをいちいち記事に書くのは、クルドの人たちに対する読者の恐怖をあおろうとしているのだとしか考えられない。下劣にもほどがある。

 この記事はあきらかにつぎのようなメッセージを読者に発している。すなわち、「クルド人はこわい。また、地域住民(クルド人以外の)がクルド人をこわがるのは、おかしくはない」というものだ。これが差別扇動ではなくてなんだろう。

 産経記事は、「外国語の叫び声」や「背丈が2メートルくらいのクルド人の若者」の発する「片言の日本語」に恐怖するマジョリティ(多数派)地域住民の俗情に、力いっぱいおもねってみせている。他方で、クルドの人たちがそれぞれなにを考え病院にあつまってきたのか、あるいは川口や蕨の地域社会にどんな思いをいだいているのか、まったく関心をよせるそぶりすらみせない。この下劣な記事の中で、クルド人は多数派住民の視点を通して、あくまでも恐怖すべき対象として描かれている。しかし、脅威なのはむしろ多数派住民のほうなのではないのか。

 産経は、「同市[川口市]は全国で最も外国人住民の多い自治体で、クルド人の国内最大の集住地」であると書く。そして、つぎのように、川口市の人口にしめる外国人、またクルド人の割合が高いのだということを強調している。


 川口市は人口約60万人のうち外国人住民数が約3万9千人と人口の6・5%を占め、令和2年からは東京都新宿区を抜いて全国で最も外国人住民の多い自治体になった。トルコ国籍者も国内最多の約1200人が住んでおり、その大半がクルド人とみられるが、内訳や実態は行政も把握できていない。


 産経の記事はこのような文脈において、「同市では近年、クルド人と地域住民との軋轢(あつれき)が表面化している」と書くわけだから、クルド人が多い、あるいは増えていることによって、あつれきが生じているのだと言いたいのだろう。

 しかし、多い、増えている、とはいっても、60万人の川口市の人口のうちクルド人は1200人、わずか0.2%にすぎない。客観的な事実として、クルド人は圧倒的な少数派なのである。記事に述べられているように、蕨や川口はクルドが集住していることから「ワラビスタン」などとよばれるが、この地域の圧倒的多数派は日本人である。

 この地域のクルドの人たちが有志で清掃や見回りのボランティア活動を継続してきたことは、よく知られていると思う。少数者である自分たちが地域社会で受け入れられるためにかなりの神経と労力をつかわざるをえないのだ。それほど圧倒的な権力差があるということだ。

 ところが、今回の産経記事は、そこをあべこべにひっくりかえして、圧倒的な多数派住民が少数者を恐怖するのがあたかも自然であるかのように認識を転倒させる。まるで少数者(マイノリティ)が多数者(マジョリティ)をおびやかす脅威であるかのように。そのはてにあるのは、少数者に暴力をふるうことの正当化である。そういうわけで、この報道は看過できない。



 この産経の記事には、ほかにも批判すべき点がいくつもあるのですが、キリがないので、余力があるときに書けたらまたこのブログに書くことにします。


2023年7月28日

大阪刑務所が弱視の受刑者にルーペの使用を許可しなかったということについて


 大阪弁護士会が、大阪刑務所の元受刑者に対する処遇について人権侵害であるとの警告をおこなったということが、報道されている。


重度弱視 ルーペ使用認めず 大阪刑務所に大阪弁護士会が警告|NHK 関西のニュース(07月27日 16時08分)

視力0・01以下受刑者のルーペ使用、大阪刑務所が再び認めず…弁護士会「人権侵害」と警告 : 読売新聞(2023/07/28 07:05)


 警告書の概要と本文は、大阪弁護士会のウェブサイトで読むことができる。


刑務所内で重度視覚障害を有する受刑者が自弁ルーペの使用を不許可とされたことに関する警告 - 大阪弁護士会(2023年7月25日)


 大阪刑務所が重度の弱視元受刑者にルーペの使用を許可しなかった理由は、ルーペの金属部分を鋭く加工したり、レンズを使って発火させたりする危険があるというもの。しかし、弁護士会の警告書が以下のように指摘するとおり、これはまったく理由になっていない。


……金属製の板を研磨する等により悪用されることを防ぐためには、ルーペの使用後に回収するなど、適切な保管方法をとれば足りる。また、レンズによる発火は、直射日光など強い自然光が必要と考えられるところ、ルーペの使用場所や使用時間を別途管理するなどの方法により危険を避けることができる。


 ところで、この件で大阪弁護士会と大阪刑務所の対立する争点となっているのは、「刑事収容施設及び被収容者等の処遇に関する法律」の第41条についてのようである。同条では、「眼鏡その他の補正器具」等について「刑事施設の規律及び秩序の維持その他管理運営上支障を生ずるおそれがある場合を除き、自弁のものを使用させるものとする。」としている。刑務所側はルーペの使用が「刑事施設の規律及び秩序の維持その他管理運営上支障を生ずるおそれがある」として不許可にし、これに対して弁護士会がそのおそれはないと反論しているのが先の引用箇所である。

 でも、法律のドシロウトの感覚と言われるかもしれないけれど、この「刑事施設の規律及び秩序の維持その他管理運営上支障を生ずるおそれがある場合を除き」という規定がひどい、と思う。

 文字を読んで情報をえたり、手紙などで外部の人と通信したりできることは、基本的な人権である。刑務所がまずは尊重すべきなのはそこだろう。「眼鏡その他の補正器具」(弱視者にとってルーペは当然ここに含まれるだろう)の使用は原則として制限されてはならないはずだ。ところが、「刑事施設の規律及び秩序の維持その他管理運営上支障を生ずるおそれがある」という口実をつけて、基本的な人権を制限(侵害)するということが現におこなわれている。

 入管の収容施設なんかも同様で、「保安上の支障がある」という口実で、被収容者のあらゆる人権が制限される。

 人権の保障は、「保安上の支障」やら「施設の規律及び秩序の維持」やらよりも、より上位に位置づけられるべきもののはずだけど、刑務所や入管施設ではそこが完全に転倒している。そしてその転倒が常態化し、いわば「ふつうのこと」になっている。刑務所や入管施設の被収容者が「ここには(外の社会とちがって)人権はない」としばしば語るのは、そういうことではないのか。この転倒をあたりまえにしてはならない、と思う。


2023年7月3日

病院がオーバーステイの患者を通報するのは大問題


  鹿児島県内の病院が、診察を受けに来た外国人の患者を警察に通報。警察がこの人を「不法残留」の容疑で逮捕したという記事を読んだ。

 6月19日に南日本新聞がオンラインで報じている。ただ、記事を掲載しているのが、コメント欄での差別書き込みを放置し、差別主義者を積極的に呼び込むことで「炎上」騒動を起こしページビューをかせぐという差別便乗商法をとっている「Yahoo!ニュース」なので、記事へのリンクは貼りません。南日本新聞のサイトに同じ記事が掲載されていれば、そちらのリンクを紹介することもできるのですが、どうもそっちには掲載されてないようなので。

 まあそれはともかく、南日本新聞の報じるところによると、6月19日、この患者は受診したさいに身分証を提示しなかったため、病院が通報したのだそうだ。この人の在留期間は16日までで、3日ほどオーバーステイになっていたので、警察は逮捕した、と。

 こういうニュースに接してまず思うのは、「不法残留」とか「不法滞在」といった言葉がいかに非正規滞在外国人(在留期間がすぎたり、あるいは在留資格が取り消されたりした外国人)への偏見をもたらしているかということである。

 在留資格がないというのは、たんに入管局という行政機関が在留資格を許可していないということにすぎない。診療を受けに来た患者をいちいち病院が警察に通報しなければならない理由になるわけがない。そんなもんわざわざ通報するなら、日本人なんてだれひとりとして日本での在留資格なんて持ってない。診察受けに来た日本人みんな警察に突き出すんですか、という話である。日本人患者は入管局の認める在留資格なんかなくても通報しないのに、外国人患者の場合だけは在留カードを提示できなかったら警察に突き出すとか、そこに合理的な理由なんてありようがない。ところが、「不法残留」「不法滞在」という言葉とともに、それがさも危険な犯罪であるかのようなイメージが広がっているために、警察に通報などという無用な行為を病院などがしてしまうのではないのか。

 深刻なのは、こうして病院が非正規滞在の外国人を警察に通報するということをやってしまうと、非正規滞在の人は、通報されることを覚悟しないと病院に行けなくなってしまう、ということである。人の生き死ににかかわることなので、医療機関はよくよく考えてほしいと思う。



 以前このブログに書いた記事を下にリンクしておきます。

 上に書いたようなこととともに、国公立であれ民間であれ、医療機関には、オーバーステイの外国人が受診しにきた場合、通報しなくてもよいと、入管庁ですら言ってますよということも、書いてあります。

「不法残留」の通報は、人命や感染症対策よりも重要なのですか?

2023年6月29日

大村入管死亡事件について 6・24全国集会での発言



 

 6月24日に「これからの闘いに向けた全国集会」(主催:入管の民族差別・人権侵害と闘う全国市民連合)というのに参加してきました。改悪入管法が6月9日に可決・成立してしまったことを受け、これからの闘いをどう構想していくのか、というテーマの集会です。

 ここで「大村入管死亡事件について」と題して、すこし話をさせてもらいました。大村入管がナイジェリア人男性を餓死するにいたるまで放置した(見殺しにした)背景には、入管庁の収容や送還をめぐるどのような方針・指示があったのか。また、その方針・指示はこの見殺し事件のあと、かわったのか、かわらなかったのか。そういったことをお話ししました。

 そうして話した内容は、記録としてのちに参照できるようにしておく意義もあるのではないかと思い、このブログにのっけておきます。ただ、当日は途中までしか原稿を作っていかなかったので、冒頭の3分の1ぐらいをのぞいて、記憶で再現しています。実際にしゃべった内容とは、すこしずれていると思います。



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「死亡事件」ではなく「殺人事件」

 今日は6月の24日ですが、4年前、2019年の6月24日に、長崎の大村入管センターで、Aさんというナイジェリア人男性が亡くなりました。この4年前の今日起こった事件を忘れてはならない、心に刻まなければならないと思い、今日はその話をさせていただきます。

 「死亡事件」とよく言われるんですけど、Aさんの事件にしろ、ウィシュマさんの事件にしろ、「見殺し事件」と呼ぶべきじゃないかと思います。どちらも、死亡しつつある人を「助けられなかった」という事件ではないんです。だって、助けようとしなかったんだから。助けられる手段はあって、それはぜんぜん難しいことじゃなかった。でも、その助ける手段をとらずに見殺しにした。それは「死亡事件」というより、「見殺し事件」とか「殺人事件」と呼ぶのにふさわしいんじゃないでしょうか。

 具体的に話します。Aさんは、大阪入管と大村入管センターとあわせて、通算3年半ものあいだ入管施設に収容されていました。で、ここから出してほしいとハンガーストライキ、それも水すら飲まない絶食をおこなって、亡くなってしまったわけです。

 入管庁は、その年の10月に調査報告書(「大村入国管理センター被収容者死亡事案に関する調査報告書」)を出しています。これは入管の対応に問題はなかったというようなことを言っている報告書なのですが、Aさんが長期間拘束されて自由がないということを言って、「仮放免でも強制送還でもいいので、ここから出してください」と、そう訴えてハンストをしていたことが記録されているんです。なぜAさんが水すら飲まず完全絶食をしていたのか、大村入管は把握していた、ということです。ということは、入管は、仮放免の許可を検討するからハンストを中止して、医者の診察もうけてくださいと説得することができたし、そう説得すればAさんがハンストを中止する可能性は高かったはずです。

 実際、ハンストなどで危険な状態にある被収容者に対して、入管が仮放免許可をするからと言って食事をとるように説得するという例はぜんぜんめずらしくはないです。入管が収容して自由を制限している人の命を最優先するなら、そうするしかないわけです。ところが、大村のセンターは、そうしなかったんです。水も飲んでないわけだからそのまま放置してたら1週間か10日で死ぬことは分かりきったことなのに、ほったらかしにした。これは見殺しです。入管は「死亡事案」と呼んでいるのですが、「見殺し事件」「殺人事件」と呼ぶべきだと思います。



見殺し事件後も方針をかえなかった入管庁

 ウィシュマさんが見殺しにされた事件と同じですよね。ウィシュマさんはハンストではなく、食べたくても食べられない状態になっていたということでAさんとは違うのですけど、さきほどSTARTの支援者のお話にもあったように、命を救う方法がはっきりしていた、それもぜんぜん難しいことではなかった、でも入管はその方法をとらなかった、それで見殺しにしたということです。入管はAさんやウィシュマさんの命を軽くあつかいました。ではなにを入管が重視したのかといえば、収容を継続するということだったわけです。

 この、収容の継続を重視して、命を軽くあつかうという入管の姿勢は、Aさん事件のあとの入管の対応にはっきりとあらわれています。Aさんが6月24日に亡くなり、その3週間後の7月17日に、入管庁の長官の佐々木聖子さんという人が日本記者クラブで記者会見をしました*1。佐々木長官はここで「長期収容というのが非常に問題だという認識は非常に強く持って」いるとしつつも、「なんとしても送還を迅速におこなうことで長期収容を解消したいというのが入管の基本的な考え」であると述べました。迅速な送還によって、長期収容を解消しようというのが入管の考えだと言ったわけです。

 これは、ちょっとややこしい説明がいるんですけど、Aさんの事件のあとも、入管はこれまでの方針を維持しますよという宣言です。入管は、2010年から15年までのあいだは、長期収容と仮放免について、いまと少し違う方針をとっていました。それはどういうことかというと、「長期収容は問題だ」ということがまずあって、その長期収容を回避するために仮放免の制度を柔軟に活用しますと。そういう通達を入管内部で出し*2、プレスリリースも出し*3、国会答弁や国連なんかにもそう言っていたんです。仮放免を柔軟に活用して長期収容を回避するんだと。それが入管の公式の立場でした。

 ところが、2015年9月にその通達は廃止されました*4。仮放免制度を活用して長期収容を回避するという通達が廃止され、それで、あくまでも送還によって長期収容を解消するんだという方針になったわけです。結局それはムチャな話で、この方針によって2015年以降、全国の入管施設でどんどん収容が長期化していったということは、みなさんご存じのとおりですよね。この方針にのっとって、大村入管は瀕死のAさんに仮放免許可の打診をしなかった、そして見殺しにしたのです。

 ところが、入管庁の長官は、こういう痛ましい事件があってもなお、これまでの方針を変えません、維持しますと宣言した。反省しなかった。見直さなかった。そうして、ウィシュマさんの事件があったということです。Aさんを見殺しにした事件の再発防止に失敗したのです。



本庁指示にもとづく現場での蛮行

 収容が長期になっても仮放免はしないんだと、あくまでも送還が第一であってそのために収容を継続するんだと、そうした方針のもとで、Aさんが見殺しにされました。で、Aさんの死があっても、入管庁の長官はこの方針を改めない、維持すると記者会見の場で宣言しました。

 では、佐々木長官のこの宣言を受けて、入管センターなどの現場はどう対応したのか、ということをお話します。

 このときに入管がおこなった行為は、日本政府による蛮行・残虐行為として歴史に残り、何百年も語り継がれると思います。

 2019年の5月、6月ごろ――Aさんが大村でハンストをおこなったのと同時期ですが――牛久(東日本入管センター)でも、死ぬのを覚悟しての命がけのハンストをやる人が複数出てきていました*5。2015年ぐらいから始まる収容の長期化が、このころには被収容者たちにとって心身の限界にきていたということです。そして、Aさんの死後も、仮放免しないなら死ぬまで続けるという覚悟でのハンストをする人は、牛久でも大村でもつぎつぎに出てきて、やみませんでした。

 これに対し、入管は「仮放免します」と言ってハンストを中止するよう説得し、ハンスト者がハンストをやめると、自力でなんとか歩行できるぐらいまで体力が回復するのを待って仮放免するという対応をとりました。

 ところが、仮放免で収容を解くのはたったの2週間だけ。2週間後にふたたび収容するという措置を入管はとりました。こうしてまた収容された人がふたたび、あるいはみたびハンストすると、入管は2週間だけ仮放免してまた収容するということを、くり返したのです*6

 一度収容を解いて希望をもたせ、それをたたきつぶすということを、入管はくり返しやったわけです。収容が長期化しても仮放免はしない、あくまでも収容を継続し、送還・帰国に追い込むんだという2015年以来の方針は、2019年にAさんの事件があってもかわらなかった。この方針にのっとって、2週間だけ仮放免してまたつかまえるという、魚釣りのキャッチ・アンド・リリースみたいなすさまじい蛮行が、現場ではおこなわれました。

 Aさんの事件から、入管はある意味では教訓をえたといえばえたのです。ただし、それは、殺すところまで追い込んでしまったのはマズイということにすぎなかった。殺さない程度に痛めつけろという入管の考えが、この2週間仮放免と再収容のくり返しにはあらわれています。



改悪入管法成立後も連帯を

 2020年以降、コロナの感染拡大で、被収容者数を減らすという入管の方針があり、これに応じて収容の長期化はある程度解消してはいます。しかし、さきに述べた人命軽視の方針が続いていることは、ウィシュマさんの事件からもあきらかです。

 で、今回成立した改悪入管法。これは、いま述べてきたような送還強硬方針の延長線上にあるものです。この法律が成立してしまったということは、その以前からの送還強硬方針を入管が今後も続けていくのを後押しすることになると思います。そして、入管が送還を強硬にすすめていこうとしたときに、そのおもな方法は、収容です。仮放免者を再収容する、長期収容する、そうして痛めつけて、帰国を強要する、ということを今後ますます強化してくる可能性が高い。

 しかし、今回の入管法改悪に反対する運動が大きく盛り上がり、たくさんの人が入管の差別や人権侵害の問題に関心をもち、さらに行動にうつすのを目にして、とても勇気づけられました。入管を包囲する私たちの連帯は、いままでになく強くなっていると思います。長期収容させない。再収容させない。送還させない。入管が「送還忌避者」と呼ぶ、送還を拒否せざるをえない人びとについて、難民認定審査の適正化と在留特別許可によって入管に在留資格を出させる。そのために知恵を出し合い、ともに力を合わせましょう。



《注》

*1: 会見の動画は、以下のページにリンクされている。
 佐々木聖子・出入国在留管理庁長官 会見 | 日本記者クラブ JapanNationalPressClub (JNPC) 

*2: 2010年7月27日、法務省入国管理局局長長「退去強制令書により収容する者の仮放免に関する検証等について(通達)」   

*3: 2010年7月30日、法務省入国管理局「プレスリリース 退去強制令書により収容する者の仮放免に関する検証等について」   

*4: 2015年9月18日「退去強制令書により収容する者の仮放免措置に係る運用と動静監視について(通達)」 

 *5: 2019年5月ごろから東日本入管センターで命がけのハンストを実行する被収容者が出てきたことについて、以下は仮放免者の会による記録。
 長期収容への抗議を!(東日本入管でのハンストをめぐって)(2019年6月19日)
 東日本入管センターでのハンスト、50日近くになる人も(2019年6月25日) 

 *6: 以下は、2週間仮放免と収容のくり返しについて、東日本および大村の入管センターに対する抗議の記録。
 【抗議声明】入管による見せしめ・恫喝を目的とした再収容について(2019年7月29日)
 東日本入管センターに抗議しました――仮放免2週間ののちの再収容について(2019年8月6日)
 再収容および長期収容について抗議の申し入れ(8/21、東日本入管センターに)(2019年8月27日)
 【抗議のよびかけ】人命をもてあそぶ入管による再々収容について(2019年10月29日)
 10月30日 大村入管センターに抗議・申し入れ(被収容者死亡事件とハンスト者の再収容等について)(2019年11月5日)

2023年6月16日

「ルールを破る者のせいで」と言うまえに


  今回もまた入管法改悪に関係する話ですが。

 山本太郎参議院議員が、8日の参院法務委員会での法案の採決のさい、委員長席のほうに飛びかかるような動作をしたことが問題にされている。

 9日には与党の自民・公明、「ゆ」党の維新・国民民主ばかりか、野党の立憲までもが名をつらねるかたちで、山本氏に対する懲罰動議が共同提出された。採決にいたる法務大臣はじめ政府側の国会審議での不誠実さ(立法事実にいくつもの重大な疑念がつきつけられているのに、逃げまわってまともに応答しなかった)が問われないいっぽうで、これを体を使って阻止しようとした山本氏の行動ばかりが問題にされるのは、ほとんど「あべこべ」と言うしかないほどバランスを欠いている。

 この懲罰動議の動きに対しては、「入管事件を闘う大阪弁護士有志の会」がいち早く批判の声明を出している。

れいわ新選組代表山本太郎議員に対して懲罰しないことを求める声明


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 さて、ここまでが前振り。ここから本題です。

 山本氏の行動に対しては、入管法改悪への反対運動に取り組んできたひとのなかからも、批判が出ている。批判が出ること自体はあたりまえなのだけど、そのなかには「こういう批判はまずいのではないか」と思うものがあった。

 それは、山本氏の行動を「ルールを破る」ものだという点で批判するものである。いわく、ルールを守ってその枠のなかでやってきた多くの地道な活動が、山本氏の「ルールを破る」行動のせいで、これと同一視されレッテル貼りをされ否定されてしまうのだ、と。

 これはほんとうにまずい批判だと思う。そして、同様のロジックによる批判は、今後ともくり返し出てくるのではないかと、危惧している。

 そういうわけで、今回の山本氏の行動についての評価とはべつに、上記のようなロジックでの批判をどうとらえたらよいのか、今後のために少し考察しておきたいと思う。具体的なことはこういう不特定多数の人がアクセスできるところには書きにくいので書きませんが、そこは想像力とかでおぎなって読んでもらえるとありがたいです、すみませんが。


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 さて、この批判者の、自分(たち)はルールの枠内でやりたいという意思はもちろん否定すべきものではないです。私も、できるかぎりルールの中でやりたいと思うし、実際、そう思っていままでやってきました。ルールから外れると、権力からの弾圧も引き起こしやすいだけでなく、自分の身近にいる人たちとのあつれきを生むことも多い。

 でも、入管問題や非正規滞在の人の支援に取り組んでいると(他の取り組みでも多かれ少なかれ同様のことはあるのかもだけど)、ルールの枠内でやろうにも、それだけではどうにもならないという場面は出てきたりもする。いま危機にさらされてる命を守るには、ルールなんか守ってられないということもありうる。ここで私の言っている「ルール」には、違反すると刑罰を科されることもあるような法令もふくむ。警察が社会運動を弾圧しようとするさいには、まったく違法行為などなくても平気でこれをでっち上げることさえするくらいなのだから、支援者をなんらかの口実をつけて違法行為に問うことなど、弾圧する側からしたらいくらでも好きなようにできる。

 しかも、さきの批判者の理屈だと、なにをもって「ルールを破る」行動とするのかは、世間の多数者の見方・評価に依存するということにもなってしまう。入管問題に取り組む者の一部が「ルールを破る」行動をとることで、そうした活動をしている人全体がレッテル貼りをされ、世間から否定的にみられてしまうのが問題だというわけだから。このように世間の見方に依存するかたちで、「ルールを破る」行動はつつしまなければならないということが強く言われるようになれば、運動や支援は萎縮せざるをえないし、それが実現しうる可能性をみずからせばめてしまうことにもなるだろう。そこでは世間(マジョリティ)が反発しそうなことは、なかなかできなくなる。それはマイノリティの権利を獲得していこうとする運動において、自殺行為とすら言えるのではないか。

 それに、ルールそのものがかならずしも公平ではなく、より大きな権力を持った者に有利につくられているということも、しばしばある。力と権利をうばわれている者ほど、生きていくなかでルールを侵犯したとみなされるリスクがあちらこちらに転がっている。これを支援しようとする者も、当事者ほどではもちろんないにせよ、多少はそのリスクをかかえこむことになる。さらに、支援者自身がマイノリティ属性を多分にもつ場合も少なくないのであって、自身より弱い立場にある人を助けようとしたばかりに、自身も「ルール違反」に問われ、のっぴきならない状況に追い込まれてしまうということも、たびたびおこっている。

 今回、国会で成立してしまった改悪入管法は、「送還忌避」を犯罪「化」することで、在留資格を付与されていない外国人はもちろん、さらにその支援者も共犯者として、処罰の網にかけようとするものでもある。「ルールを破る」行動が入管問題に取り組む運動全体への世間のイメージ悪化をもたらし、その足をひっぱっているのだ、というような非難をしているようでは、それこそ「敵の思うつぼ」ではないだろうか。


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 くり返し言いますが、もちろん、ルールを侵犯せずにできるだけ穏当に運動をやりたいという意思は、否定されるべきものではない。自分は比較的安全な場所にいてそこから抗議しようということは、責められるようなことでない。人それぞれおかれている立場・状況はちがうのであって、ルールを侵犯しているとみなされるリスク、そうみなされたときにこうむる損害もちがう。

 しかし、自分たちはルールを守って「地道に」「まっとうに」やっているのに、ルールを破るあいつらのせいで、うちらのイメージも悪くなるじゃあないか、というふうに、自分たちとあいつらを切断してしまうのは、まずいと思う。そこをあっさり切断してしまうのではなく、つながる経路を残しながら連動し、ゆるやかであっても連帯していくことができればなあと、私は思う。そのための知恵と実践を今後、つみかさねていきたいものです。




2023年6月13日

「保安上支障がある」との理由で難民認定申請書の差入れを不許可にした事例(大阪入管)

 

 ツイッターで、東京入管職員が被収容者の難民申請を妨害しているとの投稿があった。


昨日東京入管へ行って分かったことだが、現在女性被収容者のブロックでは難民申請のための書類を職員が渡すのを拒否している。

外部の人が差し入れたものを記入し提出しようとしても職員に「受理しない」と言われるという。

たった1ヶ月前に男性の被収容者と面会した時はその場で申請書類を貰えた。

https://twitter.com/Tommyhasegawa/status/1667303311828217856


 私も1年半ほど前(2021年12月)に、大阪入管で似たようなケースに出くわしたことがある。やはり処遇部門の職員(入国警備官)が難民申請書を渡すのを拒否したという事例だ。

 ただし、上記のツイッターのケースは難民申請をする意思のある被収容者に申請用紙を手渡すのを拒否したというのに対し、私が出くわした大阪でのケースは、私が本人に難民申請用紙を差し入れようとしたのを、大阪入管が「保安上の理由」で許可しなかったというものであって、そこは同じではない。

 あとで言うように、大阪入管が面会を許可せずに翌日には送還を実施したため、私は結局このかたに会えず、難民申請をしたかったのかどうかの意思確認ができなかった。それで、この件は当時ちゃんと問題化しようとしなかったのだけど、やはり見すごせない問題がある。ということで、ここにとりあえず記録し、公開することにしました。



 ことの経緯は以下のとおり。

 2021年12月17日の昼ごろ、仮放免中の女性が難民申請の審査請求を棄却されて大阪入管に収容されたとの情報が、同国人のコミュニティから寄せられた。この人は妊娠しているということであった。

 妊娠しているにもかかわらず収容したということは、入管は収容が長引くのを想定していないはずで、つまり即日あるいは近日中に送還する準備(航空券や渡航証など)をすでに終えているだろうと考えられた。

 本人が帰国しても危険がなく送還に同意しているのであればいいが、私としては、このかたが難民申請していたらしいという情報が気になった。帰国しても危険はないのだろうか、と。

 また、入管職員が「難民申請は2回までしかできない」という虚偽の説明(実際は申請できる回数に上限はない)をしたという話を、この時期、複数の仮放免者から聞いていたので、この女性も虚偽の説明を受けて不本意ながら再申請を断念している可能性もありうると考えた。

 そういうわけで、このかたに面会して難民認定申請の再申請ができることをつたえたうえで、そうしたいとの意思確認ができれば、大阪入管に送還を中止して申請を受け付けるように申し入れよう、と。そのつもりで面会申出書を大阪入管で出した。同じ17日の16時少しまえであった。同時に、私の名刺と難民認定申請書(入管庁のウェブサイトからダウンロードして印刷したもの)を差し入れた。

 ところが、40分以上待たされたのち職員が出てきて、面会も差し入れも「保安上の理由」で許可しないと言われた。面会はともかく、名刺や申請書といった紙きれがどうして「保安上」の支障があるのか説明してほしいとくりかえし求めたが、職員はいっさいの説明をこばんだ。入管施設は、人を閉じこめて自由をうばう施設なので、「逃亡」につながるような物、あるいは自傷行為につながったり武器になりうるような危険物の外部からの差し入れは、「保安上の支障」があるので許可できないという理屈は理解できる。しかし、難民申請書がどう「保安上」問題になるのか、まったく理解ができない。

 結局、この日は面会も難民認定申請書の差し入れも許可されなかったためできなかった。そして、このかたは翌18日の便の飛行機で送還されてしまった。



 以上の経緯からみるに、大阪入管が私の面会と難民認定申請書の差入れを許可しなかった理由は、被収容者が難民申請をして翌日の送還を中止せざるをえなくなることを危惧したからだと考えるしかない。ということは、このかたがあらためて難民として保護を求める可能性があると大阪入管は認識したうえで、送還を強行したということだ。

 なお、私とはべつの、仲間の支援者が抗議の電話をかけてくれたのだが、大阪入管はこの支援者に「知らない人からの面会と差し入れということで、被収容者本人がことわったのです」と説明したそうだ。職員(処遇部門の面会担当)が私に説明した「保安上の理由」で「(大阪入管が)許可しなかった」という話と完全に矛盾する。

 後日、大阪入管に保有個人情報開示請求をかけてみたら、以下に画像をのせた文書が開示された(黒塗りは大阪入管が、青塗りは私がマスキングしたところ)。「保安上支障があるとして、面会及び差入れのいずれも不許可処分とし」たと、はっきり書いてある。「(入管は許可したけれど)被収容者本人がことわった」という話とはぜんぜんちがう。職員氏、しれっとウソつくなよなあ。びっくりするわ。

「〇〇〇〇の被収容者に対する支援者
の面会等申出に係る対応について」


 ところで、これも画像(記事末尾)で示したように、「電話記録書」という文書も開示された。大阪入管と本庁(入管庁)警備課とのあいだの電話の内容を記録した文書のようである。(本記事で紹介した文書はいずれも「大阪出入国在留管理局が保有する令和3年12月17日に開示請求者本人が提出した面会・物品授与許可申出書に係る警備処遇関係報告書(開示請求者本人の個人情報が含まれない書類を除く。)」として大阪入管から開示されたものである)

 例によって内容はすべて黒塗りにで日付すらかくされているが、私が12月17日に面会と差入れの申し出をしたのに対して、大阪入管が本庁に指示をあおいだ電話の会話内容が記録されていると考えてまちがいないだろう。だとすると、本庁の監督のもと、大阪入管は「保安上支障がある」との理由で、難民申請書が被収容者にわたるのを阻止したということになる。

 冒頭のツイッターに投稿された東京入管のケースもそうだが、送還を強行するために難民申請書が被収容者の手にわたらないようにしているということであって、つまり入管が収容して身体を拘束している人の申請を妨害し、その権利をうばっているのだ。

「電話記録書」1ページ

「電話記録書」2ページ

「電話記録書」3ページ


2023年6月12日

入管法改悪案の可決・成立をうけて 「負け惜しみ」ではなく

  入管法改悪案が9日に参議院本会議で強行採決され成立し、3日たちました。

 「落胆していない」と言えばウソになります。強がるつもりはないし、負け惜しみを言うつもりもない。

 だけど、たんに勝ち馬に乗ろうという生き方をするのではないのなら、負けないというわけにはいかないのであって、負けながらも自身の意志をたもち、負けながらも意志をともにする者との連帯をきずき、負けてくやしがりながらもくやしがることをやめない、というふうに続けていくしかないのだと思います。

 あと、負ける過程で得られるものも少なくはないのだということも、負け惜しみで言うのではなく、今回の負けをとおしてわかりました。まだまだいけるぞ、と、負けることでかえってそういう気持ちになりました。



 法案が通った日にフェイスブックに投稿した文章を、以下にのせておきます。


 くやしいことに、入管法改悪案、今日の参議院本会議で可決成立しました。

 しかし、私たちの仲間の命と人生がかかっていることであって、「あきらめる」という選択肢などありません。

 まだまだやれること、やるべきことはあります。

 法の施行までまだ1年あります。改悪法案を廃止するための闘いもできる。

 そして、入管が「送還忌避者」と呼ぶ人たちを送還から守るための闘いもこれから。そのための有効な手段は、この人たちの在留資格を獲得することです。入管にそれを認めさせることです。

 この間の闘いで、入管の難民審査のイカサマとしか言いようのない実態、収容施設の医療体制のひどさ、職員による被収容者への暴行の常態化など、さまざまな問題が暴露されました。

 全国各地で改悪法案反対のアクションがおこり、入管の人権侵害にいきどおる人たちがそれぞれ動き始めています。

 改悪法案の廃止にむけて、在留資格の獲得にむけて、人権侵害をすすめてきた者たちの責任追及と処罰にむけて、いままでになく大きな力と可能性を私たちは持ちつつあると思います。

 法案成立にめげずにまず各地でまた集まりましょう。大阪ではとりあえず今日、梅田ヨドバシカメラ前で19:00からアクション(街宣)があります。今後のことを話しましょう。


 

2023年6月9日

大阪入管現役職員の「激白」について

 


 MBS(毎日放送)がこんな記事を公開している。


【独自】大阪入管の現役職員が激白 入管法改正案は『どうでもいいかな。現場は何も変わらない』『命令には絶対服従』語る組織の実態は | 特集 | MBSニュース(23/06/08 17:30)


 動画では、職員(入国警備官)の肉声は加工されていないようだし、語っている内容をみても、まあ入管の仕込みとみてまちがいないだろう。大阪入管の常勤医師による酒酔い診察があきらかになり、入管施設の医療体制問題に批判がむけられているので、これに対する火消しのために職員にしゃべらせているということだろう。「お、内部告発か?」と一瞬だけ期待して損しちゃった。

 “酒酔い医師”など問題視されている大阪入管の医療体制についてはどう思うか聞かれて、職員氏、こう答えている。

「今はめちゃめちゃ昔と比べたら充実しているなと思います。私らが採用の頃はいませんでしたから、お医者さん。外に連れていくしかないんで。これは本庁からも通達が出ていまして『自分の判断はするな』と。『躊躇せずに救急車を呼びなさい』というお達しがありますので、そこは我々は割り切りますね。素人判断はしない」

 酒酔い医師のことで騒がれてるけど入管の医療体制はちゃんとしてるんですよというアピールをしているわけだが、現に医療ネグレクトによる死亡事故が頻繁に起きているという現実をもうすこしまじめにふまえたコメントをしてほしいものである。

 たしかに、この職員が言っているような通達は本庁から出されてはいる(以下、太字強調は引用者)。


 被収容者から体調不良の訴えがあった場合は、その内容を十分に聴取するとともに、体温測定や血圧測定により身体状況を的確に把握した上、診察の要否について医師等の判断を仰ぐ又は速やかに医師の診断を受けさせるなど病状に応じた適切な措置を講じること。時間帯により看守責任者等が当該被収容者への対応を判断せざるを得ない場合は、体温測定等の結果に異状が見られなくとも、安易に重篤な症状にはないと判断せず、ちゅうちょすることなく救急車の出動を要請すること

(2018年3月5日付、法務省入国管理局長指示「被収容者の健康状態及び動静把握の徹底について」)


 ちゅうちょせず救急車を呼べと書かれているけれど、これは2018年の通達である。この通達があっても、3年後の2021年3月に名古屋入管でウィシュマ・サンダマリさんは、あきらかに重篤な症状にあったにもかかわらず、救急車を呼ばれることなく見殺しにされた。この通達は結局はこの見殺し事件をふせげなかたのである。

 そんな通達の存在を示して、「今はめちゃめちゃ昔と比べたら[医療体制が]充実しているなと思います」とか、ふざけないでほしいと思う。なぜこの通達があってもウィシュマさんの死をふせげなかったのか、ということこそ、真剣に検討すべき課題でなないのか。

 それはたんに医療体制の問題なのか? 収容や送還をめぐる入管の政策・方針をも問わなければならないのではないのか?

 まあ、毎日放送のニュースで「激白」している現役職員氏を攻撃したいわけではない。このかたがしゃべってるのは、組織の考え方だからね。大阪入管はこういうふうに匿名の職員に語らせるのではなく、局長なりせめて首席警備官なりが堂々とカメラの前に出てきてしゃべれよな、と思いました。広報のしかたが姑息すぎる。


 ところで、入管施設の医療体制について「施設の医師に成り手がいないのが悩みだといいます」と問われたのに対する以下の職員氏の答え。これなんかも、まさしく入管の主張にそったものである。

「先生(医師)がこれちゃんとやりなさいと言ってもちゃんとやらない人とか、先生に悪態をつく人とか結構多いんで。先生も疲弊していく感じはみてとれます」

 医者がすぐにやめちゃってなかなか確保できないのは、患者(被収容者)のせいなんだって! 責任転嫁の屁理屈としか言いようがない。これもまさしく入管の考えであって、ウィシュマさん事件を機に法務大臣が設置した有識者会議による報告書「入管収容施設における医療体制の強化に関する提言」(2022年2月28日)がまさしくこの責任転嫁の姿勢で書かれている。つまり、医師の判断・指示に従わない被収容者や拒食や自傷行為をする被収容者がいるから、医師の確保がままならなくなっているのだと、そういうことを言っているのである。

 一方でこの報告書、被収容者や収容経験者に話を聞くなどして、なぜ被収容者が医師の判断・指示を信用できないのか、どうして医師・患者間の信頼関係がなかなかきずかれないのか、どういうわけで拒食や自傷行為をする人があとをたたないのか、といったことはまったく調べもせず、問いもしない。

 このあたりの問いというのは、まさしく入管の収容や送還をめぐる法制度や政策・方針が関係してくるもので、「医療体制」というところを考えるだけでは解くことができない問題である。


 ウィシュマさん事件は、入管施設の「医療体制」問題としてのみ見たのでは、まったく空虚な議論しかできませんよ、ということは、「入管の民族差別・人権侵害と闘う全国市民連合」のホームページで公開されている以下の声明で、批判されている。さきの有識者会議の報告書に対する批判である。



 「入管は被収容者の生命を尊重しようとしたが、医療体制が不十分だったためにウィシュマさんが亡くなった」のではない。被収容者の生命よりも収容・送還の執行を優先する方針のもとで、ウィシュマさんは「医療放置」「医療ネグレクト」によって見殺しにされたのである。こうした方針が改められることなく、「医療体制」が「強化」されたところで、ウィシュマさんのように入管の医療放置により命を落とす犠牲者は今後もなくなることはないであろう。
 ウィシュマさん事件は、決して「医療体制」の問題ではない。名古屋入管の現場職員の問題にもとどまりません。上記の方針のもとで退去強制業務をすすめてきた政府・与党および入管庁(旧法務省入国管理局)幹部の責任が問われるべき問題である。

「入管収容施設における医療体制の強化に関する提言」に対する見解


 今日参院本会議で採決されようとしている入管法改悪案は、まさにこのウィシュマさんを殺した「被収容者の生命よりも収容・送還の執行を優先する」入管の体制を温存し、さらにこれを強化するものである。成立、また施行させては絶対にいけない。


2023年6月8日

「入管法改悪反対 緊急 大阪大街宣」参加しました


 あす(8日)参議院法務委員会での強行採決のおそれあり、ということで、「入管法改悪反対 緊急 大阪大街宣」に行ってきました。

 法案が参議院に送られて以降、法案の前提が大きくずれる情報が、連日つぎからつぎへとあきらかになっています。難民審査参与員の制度が破綻しており、入管職員による一次審査をたんに追認するだけのものになっていること。大阪入管で発覚した常勤医師が酒に酔った状態で被収容者を診察していた問題を、法務大臣と入管庁が隠して国会審議にのぞんでいたこと。これらが野党議員たち(維新と国民民主は除く)の追及をとおして、国会で暴露されてきたのです。

 ところが、与党らは6日(火)の強行採決をくわだて、これは立憲民主党が法務大臣問責決議案を提出して阻止。しかし、7日の参院本会議で問責決議案は否決され、暴露されたもろもろの問題は審議されないまま与党らによってフタをされ、翌8日の強行採決があやぶまれている。

 そういう状況で、なんとか強行採決をふたたび阻止しなければという思いで、アクションには参加しました。

 ありがたいことに、3分ほどスピーチする時間をいただきました。街宣車の上に乗ってマイクでしゃべらせてもらったのですが、参加者みんなの熱気がすごかった。なんとか強行採決を阻止して廃案に追い込みたいという強い思いが共有できたと思います。

 今回は3分というタイトな時間制限があったので、まえもって原稿をつくっていきました。こんなことをしゃべりました、というのを、せっかくなので最後に載せておきます。

 ちなみに、参加者は300名との主催者発表です。この間、一連の大阪での入管法改悪反対の行動では、5月20日の扇町公園→梅田OSデモが500名でしたが、街宣としては今回が最大規模ではなかったかと思います。


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 こんにちは。永井と申します。入管施設に収容された人や仮放免者を支援する活動を十何年かしております。

 最近、入管法の国会審議のなかで、入管法改悪法案の前提となる事実がウソだったり隠蔽されていたりということが、野党の追及などによってつぎつぎと明らかになっています。くわしい話はみなさんされると思うので、私からはここでは話しません。

 ただ、最初の最初から、この入管法改悪の動きはデタラメだったということを、いまここで振り返ってみたいと思います。

 最初に、法務省・入管が法律を変えなければいけないと言い出したのは、長期収容問題を解決しなければならないということでした。で、長期収容問題が起きるのは、「送還忌避者」――そう入管は呼んでるんですが――送還をこばんでいる人のせいだというのが入管の理屈でした。そして、「送還忌避者」は、難民の制度を悪用・濫用してくり返し難民申請するのがけしからん、だからくり返しの難民申請者は強制送還してもよいことにしよう、と。これが入管の主張です。

 でも、これ全部デタラメです。まず長期収容問題はなぜ起きるのか? 入管のせいでしょう? 入管が長期収容するから長期収容問題が起きるんです。入管が長期収容しなければ、長期収容問題は起きません。

 そして、「送還忌避者」と入管が呼ぶ人は、どうして生じるんですか? ひとつには、難民を認めないからでしょう。もうひとつには、在留特別許可の制度をちゃんと運用しないで、退去強制処分をドカドカと出しまくるからでしょう。

 長期収容の問題も、いわゆる「送還忌避者」なるものも、入管が作り出しているのです。しかし、入管はいつもそうなんですが、あべこべに送還忌避者のせいだ、外国人がわるいと、責任を転嫁します。自分たちのことはタナにあげて、なんでもかんでも人のせい、外国人のせい、これが入管のいつもの主張です。それで、難民認定制度をいま以上に骨抜きにしたり、「送還忌避者」に刑罰を科したりしよう、というのが今回の入管法改悪案の内容ですよね。

 でも、本当に変わらなければならないのは、入管のやり方です。それを変えさせるための力が私たちにあるということが、この場所に集まっているみなさんの熱気、全国でおこなわれている入管法改悪反対のアクションの熱気から感じ取ることができると思います。

 この改悪入管法案をみんなの力でつぶしましょう。そして、入管が「送還忌避者」などと呼んでいる存在は、私たちにとっては隣人です。ともにこの日本社会を作っている隣人です。現状は、難民認定も、退去強制手続きも、入管が自分たちだけの都合で好き勝手に運用し、牛耳っています。しかし、私たちの隣人たちのことをおまえら入管だけで勝手に決めるんじゃない、難民審査は国際基準にきちんとのっとれ、われわれの隣人を勝手に排除するな、送還するなとともに声をあげていきましょう。世紀の悪法をつぶしたうえで、この熱気をたもち、ともに生きる社会をいっしょに作っていきましょう。

 以上です。


2023年6月4日

大阪入管常勤医「不法滞在なんだから早く帰りなさい」発言の考察

 

 大阪入管の常勤医師の件について、以下の毎日新聞報道をもとに考えたい。

医師が酒酔いで診察疑い 野党国会議員が大阪入管視察 | 毎日新聞(2023/6/3 16:16)

 大阪出入国在留管理局(大阪入管、大阪市住之江区)で勤務する女性医師が酒に酔って診察した疑いがもたれている問題で、野党の国会議員ら6人が2日、大阪入管を視察した。同局は女性医師を1月20日に検査し、呼気から一定のアルコールを検出したことを議員らに明らかにした。1月中には出入国在留管理庁に、2月下旬には斎藤健法相に女性医師の問題が伝えられたが、入管法改正案の審議が続く国会には報告されなかった。


 2月下旬には法務大臣が知っていたということなので、法務大臣および入管庁はこの問題を3か月以上にわたり隠蔽しながら入管法審議にあたっていたということになる。

 2021年3月6日の名古屋入管でのウィシュマさん死亡事件を受け、入管庁は医療体制の強化に取り組むとしており、その成果のひとつとして自賛してきたのが常勤医の確保ということであった(下の画像参照。画像は出入国在留管理庁のウェブサイトで公開されている資料「改善策の取組状況」2003年4月より)。

 その収容施設における医療体制の強化への取り組みは、今回の法案を成立させるための重要な前提のひとつでもあったはずだ。ところが、大阪入管では常勤医が確保できても「医療体制の強化」につながっていない。それどころか、新たに確保した常勤医が被収容者の生命・健康をおびやかしている。今回の酒酔い診察の件から明らかになったのは、そうした実態である。これを3か月以上にわたって隠しながら法案審議に対応していた法務大臣は、解任すべきだろう。


 さて、この常勤医の問題は、酒に酔った状態で診療にあたっていたということにはとどまらない。上記記事よりもう1か所引用する。


 議員らは入管訪問について報告後、関西で難民・外国人支援にかかわる団体と意見交換した。支援団体からは、昨年9月以降、収容中の複数の外国人から女性医師への不満が相次いでいたことが報告された。「不法滞在なんだから早く帰りなさい」などの暴言をはかれたり、不適切な薬を処方されて体調が悪化したりしたなどの訴えがあったという。


 暴言や不適切な薬の処方は、酒酔い診療におとらず被収容者の生命・健康をおびやかしかねない深刻な問題であって、徹底的に実態調査し解明すべきものだ。それなしに法案の採決などありえない。

 なお、入管医療においては、診察はかならず入管職員(入国警備官)が立ち会っておこなわれるという点が重要だ。つまり、診察時の医師の言動について、入管が「知らなかった」ということはありえない、ということである。

 この点をふまえたうえで、上の毎日新聞記事にとりあげられている医者の暴言、「不法滞在なんだから早く帰りなさい」の意味を考えなければならない。これは、医療人としてあるまじき発言であって、送還を執行する入国警備官の発言かとみまがうような発言である。医療が送還業務と一体化しているのである。医師の独立性なんてまったくない。医療人が送還業務をになう入国警備官の道具たることをみずから買って出ているのだ。

 そして、さらに重要なのは、医者がこういう発言をしても、診察に立ち会っている職員はこれを制止することはない、という点である。職員は「先生はそんなことをおっしゃらないでください。『不法滞在なんだから早く帰りなさい』と言うのはわれわれの任務であって、先生の仕事は医師として患者を診ることです」なんてことは、言わないのである。

 入管職員がそんなこと言わないのは当たり前じゃないかと思われるかもしれない。でも、ここは大事なところである。医師の独立性が担保されておらず、医療が送還業務と一体化し、あるいはそこに従属しているという現状について、入管組織にはそれが問題だという認識がそもそもない職員にもそのような教育はいっさいおこなわれない。だから、医者が「不法滞在なんだから早く帰りなさい」などと暴言をはいても、問題にならない。だって、組織としてそれが問題とすべき暴言なのだという認識がないわけだから。収容施設の医療なんて、自分たちの退去強制業務の道具だと、そう思っていていっさい疑わないわけ、入管組織の中の人たちは。

 こんな医療の位置づけなのだから、死亡事件が起きるのはあたりまえだ。「不法滞在なんだから」うんぬんという医者の暴言を、「暴言」と認識できず、「問題」と気づくことすらなく、許容・容認してしまっている。そのような組織が運営する施設で医療が医療としての役目をはたせるわけがなく、そこでウィシュマさん事件のようなことがくりかえされるのは必然である。

 この点でも、大阪入管常勤医の問題は、徹底的に調査・究明され、情報開示されるべきであって、それぬきに法案の審議、ひいては採決などありえないはずだ。


2023年5月26日

柳瀬疑惑が究明されるまでは、難民不認定処分を受けた人の送還をすべて停止すべきでは?


 昨日(5月25日)の国会では、野党の追及でとんでもない事実が暴露されました。難民審査参与員、柳瀬房子氏が1件あたりにかけていた平均審査時間は、(最大長く見積もって!!)12分!!!!!!


難民審査参与員は「難民認定手続きの専門家」ではない――「12分の審査」の闇 - Dialogue for People(ダイアローグフォーピープル)Dialogue for People


 上記リンク先の記事から引用します。


衝撃的な数字が示された。難民審査参与員の柳瀬房子氏の審査件数が、2022年は二次審査全件4740件のうち1231件(勤務日数32日)、2021年は全6741件のうち1378件(勤務日数34日)にも及ぶことが、5月25日の参議院法務委員会で明らかになった。参与員は110人以上いるにも関わらず、異様な偏りが浮き彫りとなった。

この数字を単純計算した場合、柳瀬氏は参与員として1日あたり40件もの難民審査をしていたことになり、たとえ1日の勤務時間が8時間だったとしても、1件あたり「約12分」だ。実際には1日あたりの勤務時間はさらに短いと考えられ、調書などに目を通しているのかなど疑問符がつく。少なくともこれを「慎重、適正な審査」と呼ぶのはあまりに無理があるだろう。


 柳瀬氏は、こんなずさんな「審査」をしながら「難民の認定率が低いというのは、分母である申請者の中に難民がほとんどいないということを、皆様、是非御理解ください」(参考人として招致された2021年4月の衆議院法務委員会での発言)などと言ってたわけです。

 柳瀬氏の証人喚問なしに法案の採決はありえないということは、はっきりしました。

 柳瀬氏は難民審査参与員という立場から、送還逃れのための濫用的な難民申請が多いので、不認定処分を受けてもくり返し難民申請する人は送還してもよいのだという政府・入管の主張に根拠を与えてきた人物です。その柳瀬氏が、一件あたりたった12分(以内)でどうやって難民かどうかの判断をしていたのか。そこを究明しなくて、3回目以降の難民申請者は強制送還してもよいことにする法案を採決するなどありえません。

 言うまでもないですが、難民審査は人の命にかかわることです。すくなくとも柳瀬氏が参与員として担当した案件については、適正な審査であったのか、そのすべてをさかのぼって検証すべきではないでしょうか。柳瀬氏は2005年の制度創設時から参与員をつとめているということなので、むろん検証はそこまでさかのぼってなされるべきです。

 また、難民認定が根本的な機能不全をきたしていることがもはや「疑念」にとどまらずあきらかになっている以上、難民申請中の人のみならず、不認定処分を受けた人の送還の執行は(収容もふくめて)すべて停止するのが筋ではないかと思います。




関連

齋藤法相の虚偽答弁の謝罪撤回と柳瀬房子氏の証人喚問を求める要望書 - 入管の民族差別・人権侵害と闘う全国市民連合


柳瀬氏の証人喚問を求め、参院法務委員会の委員長・理事あてにFAXを送るよう呼びかけられています。ハッシュタグデモも。

【入管法改悪法案を廃案に!】ハッシュタグデモとFAX要請の呼びかけ - 入管の民族差別・人権侵害と闘う全国市民連合


柳瀬氏以外の参与員の問題も昨日の国会審議では浮上しています。

浅川晃広参考人質疑の衝撃 出身国情報は「たまに」見る。ほとんどは見ないで3800件を判断|koichi_kodama


2023年5月13日

「すがってはいけないワラ」とか言うなら浮き輪でも投げて助けろよ 入管法審議での維新・梅村氏の発言について

 

 参議院本会議での入管法改定案の審議で、梅村みずほ議員(日本維新の会)が支援者を攻撃する発言をしたことが話題になっています。


「支援者がウィシュマさんに淡い期待させた」 維新・梅村氏が発言 [維新]:朝日新聞デジタル(2023年5月12日 20時30分)


 梅村発言に対してはSNSなどでもすでに多くの批判がなされているようですが、私としても思うところがあるので、いくつか書きとめておきたいと思います。

 梅村議員は、法務大臣への質問としてつぎのように述べています。以下にしるした梅村氏の発言は、リンク先の動画から文字起こししたものです(23:11あたりから)。


2023年5月12日 参議院 本会議 - YouTube


 つぎに入管被収容者に対する支援のあり方についておたずねします。医師の診療情報提供書や面会記録等をふくめた資料とともにウィシュマさんの映像を総合的に見ていきますと、よかれと思った支援者の一言が、皮肉にも、ウィシュマさんに「病気になれば仮釈放してもらえる」という淡い期待をいだかせ、医師から詐病の可能性を指摘される状況につながったおそれも否定できません。自分が何とかしなければという正義感や善意からとはいえ、なかには一度も面識のない被収容外国人につぎからつぎへとアクセスする支援者もいらっしゃいます。難民認定要件を満たしているのに不当に長期収容されているのではないのか、弱い人を救いたいという支援者の必死の手助けや助言は、場合によってはかえって、被収容者にとって、見なければよかった夢、すがってはいけない藁(わら)になる可能性もあると考えますが、法務大臣はどのようにお考えでしょうか。[太字強調は引用者] 

 梅村氏の発言を検討するまえに、確認しておくべきことが一点あります。それは、入管は入管法という法にもとづいてであれ、ウィシュマさんを収容し、その自由をうばっていたということです。ウィシュマさんは、施設に監禁されて、自分の意思で行きたいときに病院に行くこともできず、診療先の病院や医者を選ぶこともできませんでした。したがって、入管は自分たちが収容しているウィシュマさんに適切な診療を受けさせ、その命と健康を守る責任を負っていたということになります。

 一方、ウィシュマさん本人にも、支援者にも、その力はありませんでした。もし収容(=監禁)されているのでなければ、ウィシュマさんは自分の意思で病院に行き、希望していた点滴治療を受けることができたでしょうし、支援者もウィシュマさんを病院に連れていくこともできたでしょう。しかし、入管がウィシュマさんを収容していたため、ウィシュマさん本人も支援者もそれができませんでした。そして、唯一、ウィシュマさんに適切な医療を受けさせる権限・能力をもっていた入管が、その責任をはたさなかったために、ウィシュマさんは命を落としたのです。

 それが、なんですか、この梅村さんの言いようは。権限・能力のあった入管の責任を問うかわりに、その権限・能力がなく、ウィシュマさんの入院と点滴治療を入管に求めるしかなかった(そして実際にくり返し求めた)支援者に責任を転嫁するとは、あべこべにもほどがあります。権力を持ってる者にはとことん甘く、それを批判する者にあべこべに責任を転嫁するのは、いかにも右翼の維新らしい卑怯な詭弁です。



 ただ、わたし自身、支援者のはしくれのそのまたはしくれぐらいのことをやってますけれど、梅村氏の発言において支援者が攻撃されている点は、まだガマンできます。支援者攻撃以上に注目しなければならないのは、梅村氏がウィシュマさんについて、また被収容者について、何を言っているのかということです。

 梅村氏は「淡い期待をいだかせ」と言っています。ウィシュマさんに「淡い期待」をもたせたのが問題だ、わるかったのだと言うわけです。「被収容者にとって、見なければよかった夢、すがってはいけない藁(わら)」とも言っています。拘束を解かれて施設から出たいという希望が「見なければよかった夢」? 何を言っているんだ、この人は。

 わたしは支援者のはしくれとして、国に帰れば命の危険があるから帰れないという被収容者に多く出会ってきました。送還されれば家族と離ればなれになってしまうという人、送還先の国が知り合いもおらず見知らぬ国だという人とも、たくさん会ってきました。「帰れ」と言われても帰れない。あるいは日本で生まれ育ったから「帰る」とすれば帰る先は日本しかない。そういう人たちが、送還されるのではなく、不自由な仮放免状態であっても施設の外に出て暮らしたいというのは、いだくべきでない「淡い期待」であり、「見なければよかった夢」だと言うのか。

 梅村氏が言っているのは、「淡い期待」「夢」などもたずに、さっさと帰国しろということです。しかし、ウィシュマさんは元交際相手の暴力をおそれ、帰ることはできないとうったえていたのです。ようするに、梅村議員が「期待」「夢」なんかみるなと言うのは、お前なんか死ねと言っているのにひとしい。梅村氏は「すがってはいけない藁(わら)」などとほざいてますが、帰国すれば殺されるかひどい暴力を受けるかもしれないと言って藁にもすがろうとしていたのを、それは「すがってはいけない藁」だと言い放っているのです。「死ねばいい」と言ってるのとなにがちがうんですか。「すがってはいけない藁」だと言うなら、「すがってもよい浮き輪」をどう投げてやれるのかということを、ふつうだったら考えようとするものだけど。しかし、梅村氏が言うのは、「藁なんか投げずに、おぼれるにまかせよ」ということです。どうかしてます。



 ところが、この維新梅村氏の発言は、収容や送還をめぐって入管が言ってきたこと、また実際にやってきたことを少しも逸脱するものではありません。だから、その意味ではわたしにはあまりおどろきはありませんでした。入管がいつも言い、やってることだ、と。

 ウィシュマさんが亡くなったのは2021年の3月6日です。奇しくもその前日、当時の上川陽子法務大臣は、記者会見でおどろくべき発言をしています。わたしは、この発言をあちこちで引いて話をしてまして、このブログでとりあげるのも何度目かよくわからないぐらいですが、しつこくこの話をするのは、この法務大臣の発言に体のふるえるほどの怒りをおぼえているからです。


 2点目の収容期間の上限を設けるということについてでありますが,収容期間の上限を設けますと,送還をかたくなに忌避し,収容期間の上限を経過した者全員の収容を解かざるを得なくなるということになります。また,収容を解かれることを期待しての送還忌避を誘発するおそれもあるということでありまして,適当ではないと考えたところでございます。

法務省:法務大臣閣議後記者会見の概要


 このとき、いま参議院で審議されているのとほぼ同じ内容の入管法改悪案が国会に出されていたのですが、収容期間の上限を設定しないのはどうしてなのかという趣旨の記者の質問に対する上川大臣の答えが、上に引用した部分です。

 「収容を解かれることを期待しての送還忌避を誘発する」のだと上川氏は述べています。たとえば6か月以上は収容できないと法律に書きこむと、被収容者が「収容を解かれることを期待」するからダメなのだと。よくもこんなことを記者会見で言える(入管の役人の書いた原稿を「読んだ」のでしょうけど)ものだと思います。

 上川氏が、あるいはその原稿を書いた役人がここで正直にゲロってるとおり、「期待」「希望」「夢」をみさせない、あるいはそれを徹底的に打ち砕くために、入管は収容(=監禁)という措置をもちいています。なんとか収容を解かれて施設の外に出たい。その「期待」をもたせないために、収容期間の上限はあえてさだめない。そうして「淡い期待」を粉砕することで、帰国を強要するということをやっているのが、入管の収容施設です。

 「人間を絶望させる」ということ。それは入管にとっては、許されざるべき悪徳ではなく、収容施設に組み込まれた(組み込まれるべき)必要な機能だというわけです。「淡い期待? そんなもんぶちやぶってやればいいんだよ」「おぼれそうな人間に藁なんか投げるなんて、かえって本人がかわいそうじゃん。ほっとけばいいのに」というようなことをべらべらしゃべってるのが、入管の幹部役人であり、法務大臣であり、いま出されている入管法改悪案に賛成している梅村氏のような議員なのです。およそ倫理観のぶっこわれた連中であって、こんな人たちが成立させようとしている法案は廃案一択です。おぼれそうな人がいたら助けるもんだろうよ。私はそういう社会にしたいよ。


2023年5月5日

「難民認定率が低いのは分母である申請者のなかに難民が少ないからである」という宮﨑氏や滝澤氏の主張のおかしさ

 

TBS番組での宮﨑議員の発言

 5月2日(火)、BS-TBSの「報道1930」という番組で「人口減少ニッポンの危機 外国人受け入れ拡大には課題山積」と題した特集が放送されました。番組では、衆議院議員の宮﨑政久氏(自民党法務部会長)、指宿昭一弁護士らをゲストにむかえ、国会で審議中の入管法改定案などが議論されました。

 放送後に指宿弁護士は自身のフェイスブックに以下の投稿をしています。

 

宮﨑政久議員(自民党衆院議員・党法務部会長)は、「飛行機で日本に逃れて来る人の多くは難民ではない、徒歩や船で来るのが難民だ」という趣旨のことを発言されたが、これは大きな間違い。ボロボロな服を着て、徒歩や船で他国に逃げ込む人だけが難民だというイメージは現代では通用しない。飛行機に乗って、ビジネスパーソンや観光客と区別のつかない身なりで入国するのが現代の難民。

 法案を提出した与党が、この根本的なところで誤った認識を持っていたなら、今からでも、衆議院本会議での採決を止めて、真剣に廃案を検討すべきではないか?


 先日(4月28日)、入管法改定案が衆議院法務委員会で可決されたわけですが、その自民党の委員で党の法務部会長の難民についての認識がこのレベルだというのは、おどろくべきことです。本当にこんなこと言ってるのかと番組を視聴してみると、たしかに言ってました……。なんとまあ。



当初TBSが公開していた動画は現在では
「この動画は非公開です」と表示され、
視聴できなくなっている。


 ただ、TBSが当初YouTubeで公開していた番組の動画は、すくなくとも4日の18:00ごろまでは視聴できたのですが、おなじ日の23:00すぎに再生しようとしたら、なぜか非公開になっておりました。TBSはべつのURLで動画を公開しなおしていますが、もともと番組全体で60分55秒あった動画は47分37秒と短くなっており、飛行機でパスポートをもって日本に来るのはうんぬんという宮﨑議員の発言や、これに対する指宿弁護士の反論などの箇所はごっそりとカットされています。どうして新たに公開された番組動画でそこが消されているのかわかりませんが、私は途中まではその部分を文字起こししていたので、そのデータをこのブログ記事の末尾にのせておきます。


番組内でつかわれたフリップ


 さて、番組の公開しなおされた動画では消去されている部分。番組のキャスター(松原耕二氏)が「まず宮﨑さんにうかがいたいんですが、先ほど宮﨑さん、難民の認定率が低いのは、分母である申請する人のなかにもともと本当の難民がいないんだというふうにおっしゃっている、まあ入管もそういうふうな主張をしているんですが」と話題をふったのに対して、宮﨑氏は以下のような主張を展開します(正確な文言は末尾の文字起こしを参照してください)。


  1. 世界的にみて難民として認定されている人の70%超は隣国から避難してきた人である。
  2. 世界で難民認定されている人の出身国ベスト5は、中央アフリカ、シリア、アフガニスタン、コンゴ、ホンジュラスである。
  3. 日本は島国なので、入国してくる人は基本的に飛行機に乗って来ることになる。
  4. 基本的には飛行機に乗ってパスポートを持って入国してくる日本と、他国と陸続きになっていて隣国から着の身着のまま歩いて入国してくる人のいるヨーロッパ諸国とでは、前提がちがう。


 宮﨑議員は、日本の難民認定率が低いのはなぜなのか、またそれが低いのはおかしいのではないかという話題で1~4のようなことを言ってるんですけど、意味わかりますか? 私はぜんぜん理解できません。

 1が事実なのだとして、それが日本の難民認定率が低い理由の説明になるでしょうか? なるわけないでしょう。隣国に避難する難民もいれば、飛行機に乗って遠くに避難する難民もいるというだけのことです。どちらの選択が当人にとって有利なのか、あるいはそもそも選択肢などなく、どちらか一方のしかたでの避難をせざるをえないのか、その人のおかれた状況によってさまざまあるでしょう。しかし、移動の方法や距離によって、その人が「本当の難民」なのかそうでないのかが左右されますか? 左右されるわけありません。隣国に歩いて逃れられる可能性が高そうであれば、それにチャレンジするということがあるでしょう。一方、近隣の国に陸路で入るよりも、査証がとりやすかったり相互査証免除の協定のある遠くの国に飛行機で行くほうが入国が容易、あるいは安全にできそうだという場合もあります。避難や入国の方法や距離は、その人が自国で受けうる迫害の深刻さとはぜんぜん別の話です。

 2については、なんでここでその話がでてくるのか、意味不明、わけがわかりません。この5か国のなかに、4で言われている「ヨーロッパ諸国」の「隣国」である国はひとつもありません。なぜヨーロッパ諸国の難民認定率が高くて日本のそれが低いのかという理由の説明にはなりません。



宮﨑発言の元ネタは滝澤三郎氏?

 このように宮﨑氏の議論は、いちいち反論する価値もないものです。だって、あまりにもむちゃくちゃすぎて何を言っているのか意味不明なんですもの。理屈になってないのだから、反論のしようもありません。

 宮﨑氏は入管の役人のレクチャーをもとにしゃべっているのでしょうが、おそらくその元ネタはアレだろうという見当はつきます。元UNHCR職員という肩書でいつも入管の擁護・代弁をしている滝澤三郎という人物です。

 以下、滝澤三郎編著『世界の難民を助ける30の方法』(2018年、合同出版)所収の、滝澤氏による「難民認定申請者は増えるが難民認定者は少ない理由」という文章から抜粋します。


 なぜ、日本の難民認定は、これほどまでに少ないのでしょうか?

 第1の理由は、大半の難民は日本に来ないということです。日本は多くの難民が発生する中近東やアフリカの紛争国家から遠く離れており、来日手段は航空機以外にはなく、航空券代は高額で、ビザの取得も困難です。難民は国を選ぶ際に、歴史的つながり、同じ国の人のコミュニティの有無などを考慮しますが、地理的な遠さは決定的で、多くは隣国に逃れます。


 たぶんこれが宮﨑議員の主張の元ネタですよね。いま現在めだった紛争状態になくて「平和」「平穏」にみえても、政治的な主張や属する集団、セクシュアリティなどによって投獄されたり殺害されたりするおそれのある人は、難民条約で保護の求められる難民であるわけで、なぜ難民が生じるのが「紛争国家」に限定されるかのような議論になるのかとか、つっこみどころはあるわけですが、そこはおいておきます。しかし、先の宮﨑氏の主張同様、その「紛争国家」からの距離と可能な移動手段が飛行機のみであることが、どうして日本の難民認定が少ないことの理由の説明になるのか、まったく意味不明です。

 だいたい、日本のきわめて低い認定数・認定率のなかで現に難民認定されている人たちの出身国をみても、ミャンマーだったりエチオピアだったりアフガニスタンだったりウガンダだったりしますが、みんな飛行機で来てるではないですか。先日、裁判をとおしてトルコ出身のクルド人としてようやく初めて日本で難民認定をえた人も、飛行機で来ています。



滝澤氏が屁理屈をこねてまで言及を避けようとするのはなにか

 滝澤という人の文章はいつも全体的に支離滅裂でなに言ってるのか意味不明なのですが、どうしてそうなるかというと、無理筋な入管擁護の屁理屈を並べ立てようとするからです。言ってることが屁理屈だから、わけのわからないものになるのは当然です。

 滝澤氏は先の文章で、「なぜ、日本の難民認定は、これほどまでに少ないのでしょうか?」と問うたあとに、上の引用したところをふくめて5つの要因を指摘しています。それぞれいろいろとつっこみどころがあるのですが、ここではいちいち立ち入りません。スキャンした画像をあげておきますので、滝澤氏がどんな屁理屈をこねているのか興味のあるかたは読んでみてください。私が重要だと思うのは、この5つの要因とやらを述べたてながら、滝澤氏が「なにを言っていないか?」「なにについての言及を避けているのか?」という点です。


上記『世界の難民を助ける30の方法』58頁より


同書59頁より


 滝澤氏がけっして語ろうとしないのはなにか? 入管の難民認定審査のやり方の問題です。これについてはいっさい言わない。意地でも言わない。UNHCRの難民認定基準ハンドブックにのっとった審査をしていないとか、日本独自の個別把握論とか、入管に批判的な専門家が指摘している問題がいろいろあるわけじゃないですか。そこにはぜったいふれない。

 難民調査官や難民審査参与員は、国際法についていちじるしく無知で、申請者の出身国情報もろくすっぽ調べずに審査にあたっている者が多いということなどもよく指摘されます。退去強制業務ふくめ出入国の管理をになう入管という組織が、保護すべき難民をとりこぼさずに認定して保護するということが同時にできるのか(人間の管理と保護を同一の組織で両立できるのか)、という問題とか。難民申請者に立証の機会を確保し保障しているということができているのか、という問題もあります。やたらめったら収容して身体拘束して、通信・交通をいちじるしく制限するのは、申請者が自身の難民該当性を立証することの妨害にすらなっているのではないか、とか。

 日本の難民認定率が他のいわゆる「先進国」と比較して異常に低いという動かしようのない事実があり、それが入管の難民認定審査が適正におこなわれていないことの反映ではないかということは、このようにさまざまな観点から考えられます。

 しかし、そういった難民審査のありかたの問題、入管の問題について、滝澤氏はいっさい無視。知らんぶり。言及しない。そういうわけで、5つの要因を述べたあとのまとめが以下のような文章になってしまう(太字強調は引用者)。


 以上の理由をまとめると、法務省の難民認定が少ないのは、難民をたすけるべき人というよりもやっかいな存在とみなす政治的環境の制約を受けており、また島国という地理的条件の中ではぐくまれてきた、難民に閉鎖的な社会的意識が反映されたものといえるでしょう。日本の『難民鎖国』には重層的で構造的な障壁があり、これを崩すのは容易ではありません。


 ほら、意地でも入管が悪いとは言わないぞという意思がビシビシと伝わってくるでしょう? 「政治的環境」(国会議員の意識・行動)や「社会的意識」が問題だというところまでは言うけれど、入管の難民審査のやり方は、けっして問題にしないわけです。「日本の『難民鎖国』には重層的で構造的な障壁があり」などといって自分は問題の重層性・構造を認識しているのだと読者に示唆するけれども、入管の問題にふれることは全力で避けようとしています。なーにが「重層的で構造的な障壁が」だよ。

 宮﨑議員の主張の元ネタであろう、「紛争国家」からの「地理的な遠さ」がうんぬんと書いてるところなんかも、あきらかに理屈がおかしいのですけど、入管擁護のために無理筋な屁理屈をこねるからこういうわけわからんおかしな話になるのです。

 で、入管という組織はこういうおそまつな理論武装しかできていない。外国人への敵愾心・警戒心をあおり、それによって自分たちの組織と業務への「国民」の理解・支持、あるいは黙認・無関心を獲得できれば十分だという広報戦略できたものだから、言ってることは滝澤レベルの屁理屈でよいとナメきってるわけです。それで、入管の役人は滝澤レベルの屁理屈を与党議員にレクチャーしたところ、議員はそのおかしな理屈をテレビでべらべらしゃべって恥をさらしているという情景が、私たちがいまBS-TBSの「報道1930」で見たところです。

 それにしても、こんなデタラメな主張、「屁理屈」という言葉でも評価が甘すぎるようなふざけた議論をもとに、難民申請者を送還しようという人間の命にかかわる法案が審議されているのは許しがたいことです。くり返しになりますが、宮﨑政久氏は衆議院法務委員会の理事であり、自民党の法務部会長です。そして、滝澤三郎氏はその衆議院法務委員会の審議で参考人として呼ばれ、意見を述べています。こんな難民申請者の人命をもてあそぶ屁理屈を、根拠も示さずにイメージ・印象論でしゃべってる連中が通そうとしているのが、このたびの入管法改悪法案だということです。ぜったいに廃案に追いこめるよう、声をあげましょう。


以 上



関連記事

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宇宙広場で考える: 入管法改悪と責任転稼の理屈 「送還忌避者」を作り出しているのは入管ではないのか?(2023年4月18日)

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資料:BS-TBS「報道1930」(5月2日)からの文字起こしデータ

 以下は、番組の松原耕二キャスターが「まず宮﨑さんにうかがいたいんですが、先ほど宮﨑さん、難民の認定率が低いのは、分母である申請する人のなかにもともと本当の難民がいないんだというふうにおっしゃっている、まあ入管もそういうふうな主張をしているんですが」と話をむけたのを受けての宮﨑政久氏、指宿昭一氏、また松原キャスターの発言を文字起こししたものです。

 なお、冒頭で述べたように、TBSが当初YouTubeに公開していた動画は4日の夕方か夜以降、非公開に設定されて視聴できなくなり、新たにその後TBSが公開した番組動画では、以下の文字起こしした部分はすべてカットされています。


宮﨑:それと、ごちゃごちゃになっているというのは、先ほど私のコメントを画面でお出しになったことの、いま松原さんご質問あった件ですけども、分母として、ようするに難民認定の数が少ないというけれども、実際として、参与員の発言も左側に引いていただいていますけれど、実際少ないというのはですね、たとえばUNHCRの出しているものでも、難民として認定されている人の73%は隣国に避難をして認定されている。いま、上位5か国はどこかというと、中央アフリカ、シリア、アフガニスタン、コンゴ、ホンジュラスなんですよ。つまりこういうところで本当に困ってらっしゃるかたがいて、

松原:つまり世界で難民として認められているベスト5をおっしゃった

宮﨑:ベスト5ですね。で、73%の人は隣国に避難をしている

松原:隣の国なんだと

宮﨑:つまり、我が国に来るためには、日本は島国でありますから、航空機に乗って基本的には来ないといかんわけです。もちろん、アジアの周辺国で事態が起これば、本当に着の身着のまま海を渡って来るかた、いらっしゃるということも想定できますけれど、現状さっきおっしゃったような国々からするとですね、基本的に飛行機に乗ってくるかたになっているわけです、入国するかたというのは。そういったことがあるので、先ほどご指摘、この画面上で参与員のかたがご発言になっているように、航空機代を払ってビザをとってパスポートをもって入国してきたかたが多いわけですから、そういうかたが前提になっている日本と、あと、地続きになっているヨーロッパ諸国の、たとえば歩いて避難をしていくみなさんが、映像などワールドニュースなんか出てきますけれど、そういうところとの違いがあるということは理解していただきたいというのが1点目。

松原:飛行機に乗ってパスポートをもらって来る人は、多くは難民じゃないだろうと

宮﨑:ええと、つまり数が少ない、率が低いということを言うときに、参与員のかたがおっしゃっているとおりですね、いったん、たとえば着の身着のまま隣国に逃げていった、たとえば今日ドイツでも、そういうワールドニュースの映像なんかも見たことも何度もありますけれども、そういった国々とは入国の、日本に入る入り方が違うということもあるので、そういった事情も影響している。ただ、ただですね、ただ、先ほどご指摘にあった、たとえばミャンマーのかたであるとか、アフガニスタンのかたとか、そういうかた、日本のなかでも難民認定しているかたもおりますし、またあとで数字出てくるとゆうふうに知ってますけども、難民でなくてもですね、たとえば条約上の難民のものでなくても、戦争であるとか、

松原:わかりました。それはあとでやらしてください。ちょっと指宿さん、今の話ですけど、飛行機に乗ってビザを取ってくる人は、多くは難民じゃないんだ、と。だから、着の身着のまま、たとえば歩いてくる、あるいはボートピープルのような人が難民なんだ、と。だから日本がもともと分母が少ないことは当然じゃないかとおっしゃったように聞こえた。どうご覧になりますか。

指宿:私はまったくそうは思わないですね。それはたんなるイメージ。難民というものに対してどういうイメージを持つかだけで、飛行機で来る難民はたくさんいると思います。だって政治難民ですから、おもにはね。さっきのミャンマーのミョウチョーチョーさんにように、その国で政治活動をして、国にいられなくて逃げてくる、飛行機で来る人もいれば、船で来る人もいますよ。日本はたしかに海に囲まれている国だから、そのどっちかで苦しかないですね、ほとんどは。まあ、密航船というのもなくはないですけど。だから、そのイメージでもって難民じゃないと言われたら困るし、宮﨑先生も、それから参与員のかたも、なにを根拠にそうおっしゃるのか、どういうデータにもとづいておっしゃるのかが、私にはわからない。

松原:そういうデータはあるんですか。飛行機に乗ってパスポートをもって来る人は多くは難民ではないと。これはイメージだと思うんですけど、たしかに。

宮﨑:松原さん、そこはね、ひっぱりすぎですよ。つまりね、どうして難民認定率が低いのか、数が少ないのかといったときに、地続きのところでなんとか命からがら逃げてくる……[これに続く部分は、番組動画が削除されたため、文字起こしできず]