2023年7月31日

産経新聞がクルド人へのヘイトスピーチを書き散らしている件

 

 以下の産経記事だが、これは典型的な差別扇動である。


【「移民」と日本人】病院でクルド人「100人」騒ぎ、救急受け入れ5時間半停止 埼玉・川口 - 産経ニュース(2023/7/30 13:30)


 この記事が伝えている事実は、おもに2つである。ひとつは、クルド人が多数あつまったということ。もうひとつは、それで騒ぎになったということである。

 人が多数あつまり、騒動になった、と。たんにそれだけのことを、なんの意味があってわざわざ報道するのだろうか。多数あつまったのがクルド人だと何か報道する価値が出てくるということなのだろうか。

 記事の以下のくだりなども、異様としか言いようがない。


 関係者によると、今月4日午後9時ごろから、同市内の総合病院「川口市立医療センター」周辺に約100人とみられる外国人が集まり始めた。いずれもトルコ国籍のクルド人とみられ、翌5日午前1時ごろまで騒ぎが続いたという。

 きっかけは、女性をめぐるトラブルとみられ、4日午後8時半ごろ、トルコ国籍の20代男性が市内の路上で複数のトルコ国籍の男らに襲われ刃物で切りつけられた。その後、男性の救急搬送を聞きつけた双方の親族や仲間らが病院へ集まり、救急外来の入り口扉を開けようとしたり、大声を出したりしたという。病院側は騒ぎを受けて警察に通報。その後、救急搬送の受け入れを停止した。


 「トルコ国籍のクルド人とみられ」る「約100人とみられる外国人」が、なぜ病院の周辺に集まったのか。その原因・背景について、「きっかけは、女性をめぐるトラブルとみられ、4日午後8時半ごろ、トルコ国籍の20代男性が市内の路上で複数のトルコ国籍の男らに襲われ刃物で切りつけられた」(「みられる」ばっかりだな)という以上の情報は、2000字ほどもある記事全体を読んでもなにも出てこない。

 また、病院にかけつけた人たちのなかに、どうして「救急外来の入り口扉を開けようとしたり、大声を出したりした」人がいたのか、産経の記事を読んでもさっぱりわからない。記者は関心をもたなかったし、読者もそんなことに関心をいだかないだろうと記者は考えたから、取材しなかった、あるいは取材していても書かなかった、ということなのだろうか。

 そのいっぽうで、記事では「午前1時ごろまで騒ぎが続いたという」「救急外来の入り口扉を開けようとしたり、大声を出したりしたという」と、(クルド人ではない)近隣住民の証言をひろったと思われる、伝聞表現の「という」がくり返される。

 では、この騒動でなにか重大な被害なり問題なりが起きたのかというと、記事を読むかぎりでは、とりたてて問題にすべき深刻な事態などなにも起きていないのである。上で引用した「病院側は騒ぎを受けて警察に通報。その後、救急搬送の受け入れを停止した」ということについても、騒動によって生じた深刻な事態など産経は発見できなかったようである。


 同病院は埼玉南部の川口、戸田、蕨(わらび)の3市で唯一、命に関わる重症患者を受け入れる「3次救急」に指定されている。

 地元消防によると、受け入れ停止となった時間は4日午後11時半ごろから翌5日午前5時ごろの約5時間半。この間、3市内での救急搬送は計21件あった。このうち搬送先が30分以上決まらないなどの「救急搬送困難事案」は1件だが、幸いにも命にかかわる事案には至らなかったという。


 結局のところ、産経がこの記事で報じている事実は、「クルド人とみられる人が、仲間の運び込まれた病院に100人ほど集まって、騒動になった」ということにすぎない。では、この場合の「騒動」とはいったい何だろうか。

 産経は消防署に電話したりして被害の事実を一所懸命さがしだそうとしたようだが、深刻な問題はとくにみつけられなかった。とどのつまり、産経がこの件に「騒動」としていちいち報道する意義なり価値なりをみいだすとすれば、それは以下のところにしかない。


 騒ぎを目撃した飲食店の女性は「男たちがわずかな時間に次々と集まってきた。サイレンが鳴り響き、外国語の叫び声が聞こえた。とんでもないことが起きたと思い、怖かった。こんな騒ぎは初めて。入院している方も休むどころではなかったのではないか」。

 別の住民男性(48)は「背丈が2メートルくらいのクルド人の若者が、片言の日本語で『親戚が刺された』と叫んでいた。病院前の道路にどんどん車が集まってきた」と話した。


 近隣住民がこわがっている、だから大変だ、というわけである。

 それにしても、産経新聞は住民のこんな声をひろいあげて記事に書いて、なにをやりたいのか。「わずかな時間に次々と集まってきた」のが日本人ではなく外国人(にみえる人)たちだったり、日本語ではない「外国語の叫び声が聞こえた」りすると、マジョリティの住民(日本人だったり日本語ネイティブだったりする人)にとって「怖かった」という感想になるのは、素朴な感情としてわからなくはない。でも、それは差別的な偏見が反映しての「怖かった」なわけで、そういう感情をいだくことがさも当然であるかのように新聞に書いてよいうのかというと、それはちがうだろう。

 「背丈が2メートルくらいのクルド人の若者が、片言の日本語で」というところも、これをいちいち記事に書くのは、クルドの人たちに対する読者の恐怖をあおろうとしているのだとしか考えられない。下劣にもほどがある。

 この記事はあきらかにつぎのようなメッセージを読者に発している。すなわち、「クルド人はこわい。また、地域住民(クルド人以外の)がクルド人をこわがるのは、おかしくはない」というものだ。これが差別扇動ではなくてなんだろう。

 産経記事は、「外国語の叫び声」や「背丈が2メートルくらいのクルド人の若者」の発する「片言の日本語」に恐怖するマジョリティ(多数派)地域住民の俗情に、力いっぱいおもねってみせている。他方で、クルドの人たちがそれぞれなにを考え病院にあつまってきたのか、あるいは川口や蕨の地域社会にどんな思いをいだいているのか、まったく関心をよせるそぶりすらみせない。この下劣な記事の中で、クルド人は多数派住民の視点を通して、あくまでも恐怖すべき対象として描かれている。しかし、脅威なのはむしろ多数派住民のほうなのではないのか。

 産経は、「同市[川口市]は全国で最も外国人住民の多い自治体で、クルド人の国内最大の集住地」であると書く。そして、つぎのように、川口市の人口にしめる外国人、またクルド人の割合が高いのだということを強調している。


 川口市は人口約60万人のうち外国人住民数が約3万9千人と人口の6・5%を占め、令和2年からは東京都新宿区を抜いて全国で最も外国人住民の多い自治体になった。トルコ国籍者も国内最多の約1200人が住んでおり、その大半がクルド人とみられるが、内訳や実態は行政も把握できていない。


 産経の記事はこのような文脈において、「同市では近年、クルド人と地域住民との軋轢(あつれき)が表面化している」と書くわけだから、クルド人が多い、あるいは増えていることによって、あつれきが生じているのだと言いたいのだろう。

 しかし、多い、増えている、とはいっても、60万人の川口市の人口のうちクルド人は1200人、わずか0.2%にすぎない。客観的な事実として、クルド人は圧倒的な少数派なのである。記事に述べられているように、蕨や川口はクルドが集住していることから「ワラビスタン」などとよばれるが、この地域の圧倒的多数派は日本人である。

 この地域のクルドの人たちが有志で清掃や見回りのボランティア活動を継続してきたことは、よく知られていると思う。少数者である自分たちが地域社会で受け入れられるためにかなりの神経と労力をつかわざるをえないのだ。それほど圧倒的な権力差があるということだ。

 ところが、今回の産経記事は、そこをあべこべにひっくりかえして、圧倒的な多数派住民が少数者を恐怖するのがあたかも自然であるかのように認識を転倒させる。まるで少数者(マイノリティ)が多数者(マジョリティ)をおびやかす脅威であるかのように。そのはてにあるのは、少数者に暴力をふるうことの正当化である。そういうわけで、この報道は看過できない。



 この産経の記事には、ほかにも批判すべき点がいくつもあるのですが、キリがないので、余力があるときに書けたらまたこのブログに書くことにします。


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