2021年12月22日

議論があることはかならずしもよいことではない――玉木雄一郎氏の人権否定発言について


【ふりがなを つける】(powered by ひらがなめがね)



 武蔵野市議会で審議されていた住民投票条例案が21日、否決され、成立しなかった。


 産経新聞によると、国民民主党代表の玉木雄一郎氏は、条例案が外国人住民にも投票権を認めていたことについて、「こういうことが(外国人に対する)地方参政権の容認につながっていく。否決されて安心したというのが率直な思いだ」と述べたそうだ。


国民民主・玉木氏「否決され安心」 武蔵野条例案 - 産経ニュース(2021/12/21 17:40)


 産経の同じ記事によると、玉木はこうも言ったのだという(太字での強調は引用者)。


 玉木氏は今回の住民投票条例案に関し「外国人の権利の保護を否定するものではないが、極めて慎重な議論が必要だ」と指摘。その上で「憲法に外国人の権利をどうするのかという基本原則が定められておらず、ここが一番の問題」との認識を示した。

 さらに、「まずは外国人の人権について憲法上どうするのか議論すべきで、そういう議論がなく拙速に外国人にさまざまな権利を認めるのは、極めて慎重であるべきだ」と強調した。


 「外国人の権利の保護を否定するものではない」と言っているが、玉木氏は明確に外国人の権利を否定している。


 玉木氏は、「まずは外国人の人権について憲法上どうするのか議論すべきで、そういう議論がなく拙速に外国人にさまざまな権利を認めるのは、極めて慎重であるべきだ」と言っている。なるほど、「議論すべき」だと。なんとなくいいことを言っているようにも聞こえますね。議論することは大事だ、と。なるほど。


 しかし、ここで問題になっているのは、「外国人の人権」である。それ、議論が必要なんですか? 「外国人の人権」を認めるべきかどうか、議論しないと決められないんですか? あと憲法がどうのと言ってますけど、憲法で人権をいかに制約するかとか議論するつもりなんですか? おそろしい!


 もうすこしわかりやすいよう、親切に説明してみますね。


 「玉木雄一郎をぶっ殺そうと思うんだけど、みなさんの意見はどうですか?」と私が議論を提案したとします。玉木氏は「なにおそろしいこと言ってんの!」と思うんじゃないですか。そしたら、私は玉木氏に言うわけです。「おまえに聞いてないよ。あっち行け」。


 私はなにも極端なたとえ話をしているわけではない。人権というのは、自分が住んでる国や地域の意思決定への参加の権利もふくめて、その人の生き死ににかかわることがらだからだ。外国人の人権について「議論すべき」だという玉木氏の発言は、それ自体が「外国人の権利の保護を否定するもの」にほかならない。しかも、その議論は、当の外国人住民ぬきでやるというわけでしょう。


 「議論があることはよいことだ」ということをおっしゃるかたはよくいる。でも、「議論がある」ということ自体、また「議論の余地があると考えられている」ということ自体が、その社会のマジョリティがマイノリティにむけている暴力性をしめしている、という場合がある。「外国人の人権を認めるべきかどうか」「女性の人権をどの範囲まで認めるべきか」「障害者に人権はあるか」「セクシュアルマイノリティの人権を認めてもよいか」。そういった議論が推奨される社会、そこに議論の余地があると考えられている社会がだれをおびやかしているかということに、マジョリティはなかなか気づきにくい。


 これは玉木氏だけの問題ではない。げんに、武蔵野市の住民投票条例案については、外国人住民の投票権を認めるべきかどうかということが、なんと議論の対象になったのである。そしてこうした侮蔑的な暴力的な「議論」がなされてしまうのは、いまに始まったことではない。そのこと自体が深く恥ずべき事態であって、同時に私は強いいきどおりをおぼえる。玉木氏のような差別主義者は「もっと議論を」と言うだろうが、私は「もっと怒りを」と言うところから始めたい。



---------

追記(12月23日、20:29)


 上の産経の報道を受けて、玉木氏は自身のツイッターにつぎのように投稿している。

外国人の人権享有主体性については様々な意見があります。100%これが正しい、これが間違っているというものではありません。我が党としては、憲法上の位置付けをどうするかも要検討としています。だだ今回は民主的手続きを経て否決された以上、慎重に対応すべきでしょう。

 やはりこの人は筋金入りの差別主義者なのだなとあらためて確信するとともに、上に述べてきたことにもうひとつ付け加えるべきことがあると思った。

 それは、玉木氏はみずからは議論しないということだ。「議論が必要だ」「議論すべき」「様々な意見があります」「要検討」とは言うけれど、そう言うだけで、議論はしていないし、しようともしていない。ただただ、「外国人には人権がある」という自明な、また自明でなければならない命題について、議論の余地があるのかのようにほのめかし、これに留保をつけようとしている。遊ぶように差別を遂行しているのだ。

 つまるところ、本文とおなじ結論にゆきつく。こういう不誠実のきわみのような連中にむかって議論しようとしても徒労に終わるしかないのであって、怒りをあらわすところから始めるしかない。

2021年12月19日

「どうして逃げるんですか?」


【ふりがなを つける】(powered by ひらがなめがね)

 


(1)


 警察官の職務質問というやつ。クソうざいですよね、あれ。


 法律では職務質問はあくまでも任意で、警官が質問に答えさせることを私たちに強制する権限などないはず。けれど、やつらは行く手をさえぎったり、取り囲んだりして、答えることをこちらに強制しようとしてくる。


 あるとき、「任意ですよね。拒否します」と言って立ち去ろうとした私に、やつらは「どうして逃げるんですか?」と言ってきた。


 逃げる? 私は行きたいところに行くだけだ。自分の意思で自分の行き先を決めるのであって、あんたたちから逃げているわけではないのに。


 ところが、私が私の勝手で歩いているという、その私の行為が、警官には「逃亡」とうつるらしい。何なのだろう、これは。


 まず、ただ歩いているという私の行為を「逃亡」とみなしているのは警官である。それを「逃亡」たらしめているのは、私の行為の性質ではない。警官の思考が、私の行為を「逃亡」と意味づけている。


 そして、私の行為を「逃亡」とみなす警官は、私が自由な存在であることを認めていない。やつらは、私を拘束してもよいのだと、そういう権限が自分たちにはあるのだと思い込んでいる。だから、自分の思い通りにならない行動をとって立ち去ろうとする私に、「どうして逃げるんですか?」という質問をむけてくるのである。


 立ち去ろうとするのは私の勝手だ。もし、警官もそれが私の勝手だとみなすならば、歩き去っていく私の行為は、たんに歩き去っていくという他者の行為にすぎず、それを「逃亡」と認識することはないだろう。自分は相手を拘束してよいという思い上がり、また相手を拘束しようという意思が、他者の行為を「逃亡」とみなす条件なのではないか。




(2)


 産経新聞がつぎのような記事を出している。


<独自>仮放免外国人195人が逃亡 保証人に偏り - 産経ニュース(2021/12/16 20:40)


 仮放免されている外国人が「逃亡」するケースが増加しており、その「逃亡」事例が特定の身元保証人にかたよっているのだという内容の記事だ。もっぱら入管庁の提供する統計に依存した記事で、その背景を取材したり、統計の方法への批判的な考察をへたりした形跡はない。ただただ入管の役人のリークをそのまま書き写しただけのもののようだ。簡単なお仕事でいいですね。


 この記事は、政府がめざしている入管法改定にむけての世論誘導のためのものであろう。仮放免者と一部の支援者を攻撃しこれを危険視する感情をあおることで、記事中にも言及のある「監理措置」制度の新設にむけての世論づくりをしようということだろう。


 この「監理措置」に対する批判はあらためてしなければならないし、仮放免者を「逃亡」に追い込んでいるのは入管庁の非人道的な施策であるということも言わなければならない。というのも、仮放免者の多くは、帰国しようにもそうできない事情をかかえているのであって、日本での在留を切実に望んでいる人たちだからだ。在留資格がいっそう遠のくような「逃亡」など、だれがしたくてするだろうか。それに、「逃亡」してしまうと、警官に職務質問でもされれば、ただちに「不法残留」として逮捕され入管収容施設に送られる、そういう不安をたえずかかえながら生きていくしかない。ある意味、仮放免状態にもまして過酷な状態である。「逃亡」する人の多くは、そうしたくてそうするわけではない。「逃亡」するのにもそれぞれ理由があり、その理由はかならずしも本人に責任があるものではない。


 でも、ここではその話はしない。「どうして逃げるのか?」 その理由を論じるべき局面はたしかにあるだろうし、わたしもそうすることがあるわけだけれども。しかし、それより先に言うべきもっと大事なことがあると思うからだ。それは、仮放免者は人間だということである。言うまでもないあたりまえのことだけれど、それがあたりまえだと思われていないから、上記の産経新聞の記事のようなものが書かれるのである。




(3)


 さきの産経新聞の記事は、「仮放免外国人195人が逃亡」という見出しをかかげている。まるでライオンか毒ヘビが逃げ出したかのような書きぶりである。相手が自分と対等な人間だと思っていたら、こんな無礼な言葉えらびができるわけがない。


 「仮放免」というのは、退去強制の対象となっている外国人を入管収容施設から一時的に出所させる措置である。定期的に入管局に出頭すること、入管局の許可した住所に住むことなどが義務づけられている。入管が「逃亡」と呼んでいるのは、仮放免者が出頭せず、居所が不明になるという事態だ。ようするに、入管にとって、連絡のとれない、どこに住んでいるのかわからない状態になったということだ。


 入管は仮放免者に対して、身体を拘束(収容)すべき存在とみなしている。一時的に収容は解いているけれど、本来は施設に収容して送還すべき対象なのだと考えている。だから、仮放免したひとがどこにいるかわからなくなったら、それを「逃亡」といいあらわす。入管の立場からそれが「逃亡」と呼ばれることは、理屈として理解できる。


 けれども、仮放免者が人間であるとともに、仮放免者でない人もふくめた私たちも人間である。私たちと入管の立場はちがうし、入管の言葉づかいに私たちがならうべき理由もない。産経新聞や、その下劣な記事を掲載したYAHOOニュース(こちらはリンクを貼らないが)も、人間を毒ヘビあつかいして侮蔑する記事を自身のニュースサイトにのせない自由も、じつはあったのだ。


 くりかえすが、入管は仮放免者を拘束すべき存在とみなすからこそ、「逃亡」という言葉を使う。でも、在留資格がまだ認められていないけれど私たちの社会でともに生きている住民、また、国籍国に帰るのは危険だからとここに残ることを希望している人たちは、「拘束されてしかるべき存在」なのか? 私はそうは思わない。あなたはどう思いますか?


 「どうして逃げるんですか?」 その問いを口にするまえに、私がその問いを発するべき立場なのか考えたい。たとえば、知り合いや家族が私との連絡をたってゆくえ知らずになったら、それを「逃亡」「逃げた」と言いあらわすだろうか? それを「逃亡」「逃げた」と言いあらわしたくなるのは、どんなときだろうか? 仮放免者、あるいは技能実習生について「逃亡」という言葉が使われることがしばしばあるけれど、そのことに違和感をおぼえないとしたら、それはなぜなのだろうか?


2021年12月5日

日本社会の問題として考える――入管の人権侵害(その3)


【ふりがなを つける】(powered by ひらがなめがね)



日本社会の問題として考える――入管の人権侵害(その1)(その2)からのつづき


増加していく仮放免者


 【資料6】(退令仮放免者数の推移)をみながら話します。


【資料6】


 2010年のハンストなどがあって、長期収容はいっときだいぶ緩和されました。そのあとも紆余曲折もありながら、仮放免者が再収容されるということも減りました。これも当事者の闘いによるものです。10年3月に成田でガーナ人が亡くなった事件があったあとに、力づくでの送還が中止されたということもあります。そういうことがあって、2010年から退令仮放免者が増加していきます。


 で、ここが今日いちばんお話したいポイントのひとつなんですけど、どうしてこういうことが起きるのかということです。入管が仮放免許可を出すということは、いったんはその人を送還することを断念したということです。そういうケースがこの時期に2015年まで大きく増えていく。なぜかということです。


 さっき言ったように、退去強制処分が出て、しかし退去を拒否している人というのは、処分が出た人全体からみて、ごく少数、例外中の例外なんです。長期収容にたえぬいて、それでも帰らない、で、仮放免で出てくるというのはなおさらです。そういう人はよほどの事情、帰れない事情があるんです。難民もそうだし、家族が日本にいる人、日本での生活が長くなったという人もそうです。帰るに帰れないんです。そうでなかったら、仮放免になるまでたえられないです。


 そういう仮放免者などが増えるのは、入管は本人たちが悪いのだと言ってます。入管は、仮放免者など退去強制処分が出ているけれどこれをこばんでいる人を「送還忌避者」と呼んでいます。「送還忌避」する人がいっぱいいて、それが問題だと言ってます。


 私は、それは責任転稼もいいとこだと思います。入管が生み出してるんです、「送還忌避者」を。



入管が「送還忌避者」を生み出している


 ひとつには、難民認定。今日はじめてこの話をしますが、難民として認定する人数も率も少なすぎるんです。このあたりのことは、ネットなど調べるのも簡単なので、あまり話しませんけど、たとえば、2019年の認定数が44人、認定率が0.4%です。ヨーロッパの先進国がそれぞれ何万人単位で認定している、パーセンテージでも何十パーセントという単位です。むこうが「割」なのに対して、「厘」ですからね日本は。少ないにしても少なすぎる。難民を認定して保護することをろくにせずに、ばんばん退去強制処分を出したら、入管の言うところの「送還忌避者」になっていくのは当たり前でしょう。


 もうひとつは、非正規滞在者に在留資格を出してこれを正規化するということを十分にやってこなかったことです。入管の言葉でいえば「送還忌避者」なり「不法滞在者」なりを減らす方法は、送還だけではないわけです。在留特別許可(在特)という措置が現行法でもあります。


 さきほどお話したように、2003年からの5か年計画では、法務省は半減計画の半分をこの在特で達成しました。でも在特で正規化されたのはおもに日本人の配偶者がいる人。その線引きから外れた人は取り残されました。その後、在特の基準は厳格化されて、日本人や永住者の配偶者がいても夫婦の間に実子ができないと許可が出ないようになってます。入管の、あるいは日本政府の都合で恣意的な線引きをして、ごくごくせまい範囲でしか在留の正規化に取り組んでこなかった。そのことが、入管のいう「送還忌避者」というかたちで現在まで積み重なってきたのです。


 いま仮放免状態にある人で、退去強制処分を受けてから最長の人で20年ぐらいという人が何人かいるらしいです。10年こえてる人はたくさんいます。ぜんぜんめずらしくない。そういう人は10年以上のあいだ、仮放免という無権利状態におかれていたり、その間、2回、3回と収容されたりしています。こうした長く日本で暮らしてきた人たちがその在留が非正規状態のまま放置されてる。さらに新たに入国してくる人のなかにも、やはり自国に帰れない事情のある人はいるわけですから、「送還忌避者」としてどんどん新たに積み重なっていく。



ふたたび強硬方針にかじを切った入管


 この2010年以降の仮放免者が増えていく過程というのは、結婚していない人もふくめて、とくに日本在留が長くなっている人から、この仮放免者たちを正規化していくよい機会だったと思います。ところが、政府は2015年にその反対の方向にかじをきりました。「送還忌避者」を送還によって減らすのだというやり方に固執して、仮放免者を再収容していく方向にかじをきったのです。


 上の【資料6】のグラフをもう一度みてください。仮放免者数が15年をピークに減り始めてますね。これは仮放免者をどんどん再収容したことによるものです。


 2015年9月 法務省入管局長が「退去強制令書により収容する者の仮放免措置に係る運用と動静監視について」という通達を地方入管局長らにむけて出します。この通達には2つ要点があります。簡単に言うと、仮放免者の再収容をすすめよということが1点、それと2点目に、仮放免の許可の判断を厳しくせよということを言ってます。


 この通達が出たことを契機に、全国の入管施設で仮放免許可が出なくなってきて、収容が長期化する、それと仮放免されていた人がどんどん再収容されていくということがおこってきたのです。同時に、在留特別許可の基準がやはり2015年ごろから厳しくなっています。「送還忌避者」を減らすというときに、送還だけでなく、在特による正規化という方法もあるのですけど、この時期から送還一本やりで減らそう、そのために再収容・長期収容でどんどん帰国に追い込むのだという方針をとったということです。


 そのあとに起こったことは、いろいろ報道もされるようになったので、ご存じのかたも多いかと思います。あまりにひどい事件・事例があげればきりがないほどあるのですが、今日はそうなった歴史的な経緯のほうを重点的に話したかったので、2015年以降の事例についてはひとつひとつあげることはしません。入管の施設でこの間、収容中の死亡事件がどれだけ起こっているのかということだけ、以下に示しておきます。


2015年9月 法務省入管局長「退去強制令書により収容する者の仮放免措置に係る運用と動静監視について(通達)」

2017年3月 ベトナム人被収容者死亡(東日本入管センター)。

2018年4月 インド人被収容者自殺(東日本入管センター)。

2018年11月 中国人被収容者死亡(福岡入管)

2018年12月 入管法改定。在留資格「特定技能」の新設、出入国在留管理庁の設置など。外国人労働者の受け入れ拡大へ。

2019年6月 ナイジェリア人被収容者がハンストのすえ餓死(大村入管センター)。

2020年5月1日 入管庁「入管施設における新型コロナウイルス感染症対策マニュアル」(入管施設感染防止タスクフォース)

2020年10月 インドネシア人被収容者死亡(名古屋入管)

2021年2月 政府が入管法改定案を国家に提出。4月に参院で審議入り。政府が法案を取り下げ、廃案に。

2021年3月 スリランカ人被収容者死亡(名古屋入管)


 ここに収容施設での死亡事件をあげていますけど、これだけあるんです。その背後に、長期収容で体をこわしたり、ろくに医療を受けられずに死にかけたり、職員から集団を暴行を受けたり、という悲惨な事例、いちじるしい人権侵害が数えきれないほどあります。


 収容長期化の状況は、昨年、コロナの感染拡大を受けて仮放免許可をいっぱい出して、全体としては緩和しました。それでもいまだ長期収容に苦しんでいる人はいて、大阪入管にもなんと収容期間が7年をこえた人がいます。また、仮放免されても、健康保険に入れない、社会保障から排除されている、就労もできないなど、無権利状態です。コロナ禍で仮放免者の生活の困窮も深刻化しています。




3.まとめ


 話をまとめます。


 80年代後半のバブル期以降はとくに、日本にはさまざまな国籍のたくさんの外国人が暮らすようになってきたのですけど、それは日本社会がその人たちを労働力などとして必要とし、呼びこんできた結果であるわけです。そうして国境をこえて日本にやって来る人たちについて、これまでの日本の政策、それは入管政策に限らないことですが、2つの点をちゃんと想定してこなかったのだと思っています。


 ひとつは、日本にやって来る人の一定数は、日本社会に定住することになるということです。もちろん、出稼ぎのつもりで来る人もいます。しかし、何年か日本で働いて、お金かせいでから帰るというそういうつもりの人のなかに、一部であっても、ここに定着し、人間関係や生活基盤ができてくる人たちがでてくるのは避けられないのです。労働力ほしさで呼びこんでおいて、あとで違反があっただのなんだの言って追い返すという、そんな身勝手なあり方でいいんですか、ということ。そういう観点から入管政策を見直す必要があると思います。


 もうひとつは、難民について。難民が日本に来るのは、日本の国が国境を開いているからです。国境を開いているというのは、日本が一応は難民条約に入ってて難民を受け入れますよと言っている(実際はほとんど受け入れていないのですけど)ということだけではありません。


 労働力めあてで外国人を呼びこんでるでしょう。今日お話したようなかたちのほかにも、技能実習生や留学生の「受け入れ」の拡大だって、労働者がほしくてそういう利害関係のある人や団体が政治にはたらきかけて政策が決定されてるところはあるでしょう。さまざまなかたちで日本が外国人を呼びこんできたわけで、そのなかには出身国での迫害をのがれてきた人は当然ながら一定数いるんです。だって、危険だから逃げようという人からしたら、行き先はかならずしも選べないのであって、行けるところ、入国できそうなところにとりあえず行こうとするでしょう。


 ところが、入管なんかは、「あなた働きに来たんでしょ、だったら難民じゃないでしょ」とそういう予断・偏見をもってみている。そこには、アジアやアフリカから来て建設現場とか飲食店とかコンビニとかで働いている人たちへの蔑視もあるんじゃないですか。そういう "外国人は日本側の都合で入れたり排除したりしてもよい、そういう権利が自分たちにはあるんだ" という思い込みというか、思い上がりがある。入管職員だけじゃないでしょうけどね。しかし、入管という組織はそういう考えで動いてきたところです。そうやって労働行政の下請けをやってきた。


 で、難民認定率が異常に低いのはなぜなのかということは、いろんな説明ができるだろうし、なされてもいるのでしょうけど、根本のところは外国人労働力の導入と排除をになう組織が、難民認定という仕事もやっているというところに問題があるのだと思っています。


 最後に。変な図を書きましたけど。「入管行政の規定要因」という図です。



 入管行政は、さまざまな利害関係を反映して動いているのだということは言えるでしょう。ひとつは、人手不足で外国人労働者がほしいという業界の働きかけ・圧力がたえずあるはず。他方で、反対に、外国人を入れたくない、排除したいという勢力も入管行政に影響を与えている。右翼なんかももちろん排外主義的な、外国人を排除せよというような主張をするわけですけど、法務省の官僚なんかは極端な右翼と似たり寄ったりの思想の連中がごろごろいるんでしょ。その人たちがどういう利害関係を反映してるのかよくわかりません。ともかく、もっと呼び込めという圧力と、排除しろという圧力の両方が同時にかかっている。そのなかで状況に応じて、東によったり西によったりしながら、外国人を入れたり排除したりということをおこなっているのが入管の業務ということだと考えています。


 ただ、それでいいのかということを問いたいと思います。外国人をたんに労働力という手段としてのみみて、その「必要性」に応じて入れたり排除したりをもっぱら日本側の都合でおこなう。そういうことだけで入管行政が動くということでいいのか。そんなきみらの都合だけで決められたら困るよということで、入管に収容された人、仮放免されてる人は、すでに抵抗・闘争をしてきたということがありあます。さっきお話をしてくれたAさんにしても、そうしてここにいるわけです。よくぞ、収容所から生きて出てきてくれたと思います。


 図に書いたのですけど、日本の市民社会というか、世論というか、私たちも、入管行政を規定していく要因として、もっとちゃんとやっていかなければならないのではないかということです。きみらの勝手な都合で私たちの仲間を収容とか送還とかしないでくれ、と。きみらが勝手な都合で在留資格を出さないせいで、私たちの仲間は健康保険にも入れないではないか、いいかげんにしろよ、と。そうやって、入管行政に働きかける規定要因というか、プレーヤーとしていっしょに参加していきましょう、という、漠然としてますけど呼びかけをして、お話を終わりたいと思います。(了)


日本社会の問題として考える――入管の人権侵害(その2)


【ふりがなを つける】(powered by ひらがなめがね)


 

日本社会の問題として考える――入管の人権侵害(その1)のつづき



2.日本社会のなかの入管


入管ってなに?


 入管とはなにかというところからまずお話します。入管は「出入国在留管理庁」という名前の組織です。東京とか大阪とかにそれぞれ地方局がありまして、こちらの名称は、大阪であれば「大阪出入国在留管理局」といいます。


 どんな仕事をしているのかということは、この組織の名前があらわしています。「出入国の管理」、それと「在留の管理」。そして、組織の名前には出てこないけど、「難民の認定」。この3つが入管の仕事だというふうに理解しておいたらよいと思います。


 3つのうち、1つめ(出入国管理)と3つめ(難民の認定)というのは、なんとなくイメージできるかなと思うので、2つめの「在留管理」というのを少し説明しておきます。


 在留管理というのは、もっぱら外国人の管理にかかわります。外国人が日本にいるためには、在留資格が必要とされます。外国人は国家が資格を認める限りにおいて日本にいられますよというのが入管制度の根幹にある考え方です。日本人は資格を問われることはありませんが、外国人は日本にいるということに資格を求められるのです。


 こうした考え方にもとづいて入管の実務がおこなわれます。入管は、外国人ひとりひとりについて、在留資格を認める認めないの判断をします。認める場合には、その人に応じた在留資格を付与します。在留資格にはいろいろ種類があってひとりひとりに応じてそれを割り当てるということです。で、在留資格を認めないという場合には、その人を排除する。退去強制などです。これが在留管理ということです。


 一定の外国人は受け入れ、その他は排除すると。じゃあ、どういう観点、基準からその線引きをしているのか? 個々の事例をみていくかぎり、理解できません。当事者からしたら、不条理の世界です。なぜそういうことになるかといと、その線引きは日本の国家の都合、政府の方針でなされるからです。ひとりひとりの外国人の事情は入管にとって関係ないんです。それではよくないですよね、変えなきゃいけないですよね、というところが、今日の話の最後で述べることです。


 では、その国家・政府の都合はなにかということですけど、入管政策は外国人をいかに労働力として利用するかという観点によって動いてきたといって過言でないです。そのことを1980年代の後半からの歴史をざっとふりかえりながらみていきたいと思います。


 入管という組織はもっと古いわけで、ほんとうは、そもそも入管の制度と組織が戦後、在日朝鮮人などの旧植民地出身者を「外国人」として「管理」するために作られてきたということをみなければならないのですが、今日は時間がないのと私の力量が足りないということで、その話はしません。



非正規滞在の外国人労働者


 まず、【資料3】のグラフ(不法残留者数の推移)をみながら、話をしていきます。


【資料3】



 これは入管の出している統計資料から作ったグラフです。「不法残留者」というのは官製用語、警察や入管が使う言葉です。「不法」というと、なにかひどく悪いことをしたかのような印象を受けますが、たんに外国人が決められた在留期間をこえて日本にいるということにすぎません。同じことをオーバーステイとも言います。こちらのほうがニュートラルな言葉だと思います。


 このグラフをみてわかるとおり、このオーバーステイの人数は、80年代後半に急激に増えています。その後、93年をピークにして少しずつ減っていくと、こういう推移になっています。

 80年代の後半というのは、バブルの時代ですね。【資料4】をみてください。


【資料4】(『朝日新聞』1989年10月24日 朝刊)


 当時、深刻な人手不足の状況があったのです。「3K」という言葉があったのですが、「きつい」「危険」「きたない」といって、工場や建築業などのきつい仕事に日本人の労働者がなかなか集まらない。それで、工場などが仕事はたくさんあるんだけど、働く人がいないから受注できず、倒産するしかない。そういう「人手不足倒産」が社会問題になっていました。


 そういう人手不足のなかで、「3K」と呼ばれた過酷な仕事をこの時期にになってきたのが、オーバーステイの外国人労働者だったのです。



日系人と技能実習生


 さて、1990年に入管法が改定されます。この改定の重要なポイントのひとつは、日系人の2世、3世、それからその家族を工場などで就労できる形で呼びこめるようにしたということです。この法改定でも、外国人労働者の受け入れは「専門的な知識,技術,技能を有する外国人」に限るという従来からの建前が維持されたんですけど、その抜け道をかいくぐるかたちで呼びこめるようにしたわけですね。


 もうひとつ、93年にあの悪名高い技能実習制度ができます。この技能実習制度というのは、表向きは外国人実習生に日本の技術を教えて国際貢献するんだということになっているんですが、そういうふうに制度が使われていないことは、いまでは報道などがたくさんあってみなさんご存じかと思います。外国人に技能を教えてあげるための制度ではなく、募集しても日本人が来ない職場で外国人に働いてもらうための制度ですよね、実態は。


 こうして90年代になって、日系人の三世を中心とした人たち、それから技能実習生を労働者として受け入れます。いずれも正面からの受け入れとは言えません。人権の保障とか公的な支援の仕組みもろくすっぽ用意せずに、労働力ほしさに抜け道作って受け入れたわけです。「受け入れ」とは言えませんね。「呼び込んだ」とか「引っ張り込んだ」とかの言い方のほうが適切かと思います。



すでに、なくてはならない存在だった


 上の【資料3】をもういちどみてください。オーバーステイの人の数はさきほどもみたとおり、1993年の30万人弱をピークに、このあとずっと減っていきます。バブルが崩壊したのが91年です。日系人など在留資格のある正規滞在者を外国人労働者として活用するというのが、建て前のうえでは政府の方針でした。そういうこともあって在留資格のない非正規滞在の外国人はだんだんと減っていくわけですけれど、でもこの間もそうしたビザのない外国人が支えてきた職場というのはたくさんありました。すでに日本の産業構造のなかで不可欠の存在となっていたのです。


 そういうわけで、90年代をつうじて、当局も、ビザのない外国人が町工場や建設現場などで働いているのを黙認していました。当時の話を私も当事者たちからたくさん聞くのですが、たとえば車を運転していて追突事故を起こしちゃったと。で、警察を呼んで、罰金とかを払うことになったのだけど、ビザがないことはなにもとがめられなかったという話をフィリピン人から聞きました。当時、在留資格がなくても市役所に行って外国人登録ができたんですけど、外国人登録証明書には「在留資格なし」って書かれるんですね。その外国人登録証明書を警察官にみせても、「不法滞在」だなんだと言われなかった。入管職員はともかく、末端の警察官には「不法滞在」が犯罪だという認識は当時はなかったということだと思います。



「不法滞在者半減5か年計画」


 それが一変するのが2000年代に入ってからです。


2002年 品川に東京入管の現庁舎(最大収容800人)が完成、使用開始

2003年10月 法務省入管、東京入管、東京都、警視庁の四者が、「首都東京における不法滞在外国人対策の強化に関する共同宣言」

同年12月 政府の犯罪対策閣僚会議が発表した「犯罪に強い社会の実現のための行動計画」→「不法滞在者の半減5か年計画」



 2003年に四者宣言、それと行動計画というのがでます。これらは「不法滞在者」というものを「犯罪の温床」であると決めつけ、その対策が必要だとする内容のものです。後者の「行動計画」のなかで、2004年から08年までの5年間を「不法滞在者の半減5か年計画」と位置づけています。


 このころからです、いわゆる「不法滞在者」をどんどん摘発して送還していくんだというふうになったのは。


 【資料5】をみてください。「外国人頼み 零細企業直撃」と記事の見出しにありますけれど、摘発のようすなんかも書かれてます。この記事では、工場関係者の話として、今まで黙認してきたじゃないか、これからどうやって産業をつないでいけばよいのかという困惑してる言葉も紹介されていてなかなか興味深い記事です。


【資料5】(『日本経済新聞』2003年12月24日 夕刊)


 ちなみに、東京入管、最近は報道されることも増えたので、建物の映像をみたことがある人もいるかと思うのですが、品川にある現庁舎が完成し使用を開始したのが、2002年です。品川の現庁舎は、最大収容800人ということらしいですが巨大な収容場をそなえています。これは大規模摘発をやるために作ったわけです。そうやって準備して2003年、04年ごろから集中摘発をやっていきます。


 半減5か年計画の結果、「不法残留者」の数は、ほぼ半減しました。5ヶ年計画1年目の2004年が219,418人、5年目の08年で113,072人です。ただし、減ったうちのすべてが摘発・送還によるのではなくて、半分ぐらいは在留の正規化、つまり在留資格を出すことによるものだったんです。


 オーバーステイなど国外退去を強制する対象になることがらが入管法ではいくつか規定されているのですが、これらにあたる人を法務大臣の権限でいわば「救済」して在留を認めるという制度があります。これを在留特別許可(在特)といいます。これは法務大臣の裁量で、実際のところは入管の裁量でできるわけです。5か年計画のあいだ、入管はいわゆる「不法滞在」になってる人の出頭をうながすいっぽうで、在留特別許可もいまよりは積極的に出していました。日本人と結婚しているようなケースではどんどん在留を認めた。


 こうして入管は、摘発・送還を強力にすすめるいっぽうで、在特も積極的に出していくことで、非正規滞在者を半減させました。



「救済」範囲はあくまでも国の都合できまる


 さて、ここでちょっと考えたいのですが、ここで在留特別許可を認められた人と認められなかった人がいる、そのちがいはどこからくるのかということです。入管は基準を公開したわけではないですが、このときの基準、在特をだすかださないかという基準があったはずです。


 その基準の設定、線引きはどのような観点からおこなわれたのでしょうか。その線引きは退去強制の対象になっている外国人の都合とは関係ないところでおこなわれたということはたしかです。だって、半減計画のなかで数値目標があるわけでしょう。摘発・送還もあわせていわゆる「不法滞在者」を半分に減らすんだと、そのなかでどれくらいの人に在特を出せば目標を達成できるのか、そういう観点で基準が設定されているのだと考えられます。徹頭徹尾、日本の国の側の都合から、ビザをだして在留を正規化するかどうかという線引きがおこなわれているということです。


 じゃあ、その「日本の国の側の都合」とはいったいなんなのか、ということですね。それはつきつめれば、労働力などとしてどれぐらいの数の外国人が必要なのか、ということでしょう。入管行政はこういうところに規定されている、いわば入管という組織は労働行政の下請けをやってるということだと思います。このことは難民の認定のあり方をも規定してしまっている。それでいいんですかということを、今日のお話では問いたいです。この点はあとでまたふれます。



「不法滞在者」の存在を許容しない新制度


 話を先にすすめます。


 2009年に入管法が改定されます。その重要な内容を2点あげます。


 ひとつは、不法就労助長罪が厳格化されたということです。これは、在留資格がない、あるいは就労許可のない外国人をやとったり、仕事をあっせんしたりすると罪に問われるというものですが、この年の法改定の重大な変更点は、過失でも罪に問えるようになったことです。つまり、場合によっては、自分の雇った外国人の就労許可がなかったときに、雇い主は「知らなかった」ではすまない、罪に問われてしまうということがおこりうるようになったんです。この厳格化というのは、非正規滞在の人が生きていくための就労機会をつぶして、兵糧責めのように生活できなくして追い込むと、それで国外に排除しようという施策です。これは2010年から施行されました。


 もう1点、2009年の法改定の重要なポイントは、在留カードというのが交付されるようになりました。こちらは2012年7月の施行です。この法改定は、外国人登録制度の廃止なんかもともなっていて、外国人住民を管理する国の制度を一新するような大改革だったのですが、きょうはあまりそこにふれません。さきほど、外国人登録証明書というのが、非正規滞在の外国人にも発行されたという話をしましたが、これにかわる在留カードは、在留資格のない人には発行されません。対象外なんです。


 不法就労助長罪の厳格化、それと在留カードの話をしましたけれど、ようするに、この2009年の入管法改定は、非正規滞在の外国人は存在しない、またいっさい存在してはいけないのだという前提の新しい制度を作ろうというものであったのです*4




長期収容による送還強硬方針とその失敗


 この新しい法律は2009年7月8日に国会で成立したのですが、その直後から入管収容施設の運用が一変します。この時期はまだ私は入管での面会活動などは始めてなかったので、先輩支援者から聞いた話です。法案成立してまもなく、仮放免が以前では許可されていたようなケースでもぱたっと許可が出なくなり、収容が長期化しだしたのだそうです。さっきお話したように、長期収容は帰国に追い込むための手段です。非正規滞在者の存在を許容しない新たな制度の開始にむけて、入管は排除・追い出しのための仕事をこうしてになおうとしたわけです。


 しかし、2009年からの入管の強硬方針は、挫折することになります。その経緯を今日はくわしく述べることはしませんが、収容施設での死亡者や送還中の死亡者があいついで出たこと、それと当事者の抵抗・闘争が入管を挫折させ、強硬な送還政策の断念に一度は追い込んだのです。被収容者の組織的なハンストが、死亡事件とともに報道され、国会でも取り上げられます。


 その結果、2010年7月に法務省入国管理局がプレスリリースを出します。「退去強制令書により収容する者の仮放免に関する検証等について」という題のプレスリリースです。「被収容者の個々の事情に応じて仮放免を弾力的に活用することにより、収容長期化をできるだけ回避するよう取り組む」ということを言っています。実際に、この前後で入管はどんどんと仮放免を許可していくわけです(【資料6】)。


【資料6】


 「仮放免」というのは、一時的に収容を解くという措置です。ただし、これは在留資格ではないので、国民健康保険に入れないとか社会保障から排除されています。また、就労しないとか、居住地の都道府県を出る場合は入管から許可をもらわないといけないとか、条件がつきます。そして、退去強制処分が出たままなので、いつ収容されるか、いつ送還されるかというおそれがあるわけです。


日本社会の問題として考える――入管の人権侵害(その3)につづく



4: 2009年の入管法改定が、非正規滞在外国人の生存の手段を徹底して破壊していくこと指向したものである点は、「在留カードと読み取りアプリ」という記事で批判した。

日本社会の問題として考える――入管の人権侵害(その1)


【ふりがなを つける】(powered by ひらがなめがね)



 先日、とある勉強会に呼んでいただき、入管の問題についてお話してきました。


 関西在住のある難民申請者(「Aさん」とします)のお話を聞くという趣旨の会です。Aさんが入管に収容されていたときの経験や、内戦状態にある母国の現状やそれへの日本の関わり(クーデター政権を日本企業や政府関係者がいまも支援している)についてお話されました。


 私は、Aさんのお話のあとに、入管施設ではなぜ人権侵害がおこるのか、ということなどを話しました。その内容を以下にまとめておきます。


 実際は時間の制約などもあってかなりの部分をはぶかざるをえなかったのですが、こういう話ができたらよかったなあという、ある意味まだ私がどこでもお話したことのないような内容です。




--------------------


0.はじめに


 入管施設の収容の問題、人権侵害の問題。たくさん報道されています。Aさんも、いまお話いただいたように、入管に収容されていて、大変にひどい目にあいました。


 どうして入管施設で人権侵害が起きるのか? そういうお話を今日はしたいと思います。


 2つの話をします。


 ひとつは、入管施設における収容とはなにかという話です。そこをみていくことで、今の制度のもとでの収容をおこなうかぎりは、人権侵害は避けられない、そういう話をひとつします。


 もうひとつは、入管施設の人権侵害、これをもうすこし広い視野で、私たちの社会、日本社会の問題として考えてみたいと思います。最近いろいろ報道されている事件とか、こうしてAさんたち当事者に話を聞くとひどい話がいっぱいある。その実行犯は入管職員と言えるケースが多い。だから、職員たちがひどいということを言わなければならないわけですけど、しかし、他方で私たちの社会のありようが、兵隊・実行部隊としての入管職員に人権侵害を業務としてになわせているという面もある。だから、この日本社会のなかで入管がどういう働きをしてきたのかということをみていかなければならないと思っています。




1.「収容」とはなにか


 ひとつめのはなしをします。


 入管での「収容」ですが、建て前ではこうなっています。


「退去強制を受ける者を直ちに本邦外に送還することができないときは、送還可能のときまで」収容することができるというものです(「出入国管理及び難民認定法」第52条第5項)


 送還可能になるまで泊まっていってもらいますよ、と。「船待ち場」という言葉があるんですが、法律上はそれだけの意味なんです。帰国するための船、今では飛行機ですが、それが用意できるまで泊まって待ってもらうということですね。


 でも、実際はそうではない。そこをみていくために、送還がどのようにおこなわれるかを簡単にお話します。



「護送官付き送還」

 【資料1】のグラフ(送還方法別被送還者数の推移)は、入管の出している統計資料から作りました。送還方法は大きく分けて2種類あります。グラフみてわかるように、送還のほとんどは「自費出国」というものです。「強制送還」という言い方をするわけですけど、その大多数は、送還される人が旅費、おもに飛行機のチケット代ですけど、自費で払って帰っているんです。自分でチケット買うわけですから、最終的には自分の意思で帰ることを選択しているということです。

【資料1】


 もうひとつ、「国費送還」というのがありますが、これは飛行機のチケットを国費で負担するというものです。ただ、これも送還される人が自分で帰る意思はあるんだけどチケット代を用意できない場合に国費から出すということがあるんですね。その場合は、最終的に自分の意思で帰国しているということになります。

 

 この「国費送還」のなかに、本人は拒否しているのに、入管の職員が無理やり力づくで飛行機に乗せて送還するというものが含まれます。「強制送還」といったときにみなさんがイメージするのはこれですよね。これは入管職員が何人かついて飛行機に乗って、送還先の空港まで送り届けるというかたちなので、「護送官付き送還」という言い方もされているようです。


 この「護送官付き送還」というのは、毎年何千件とおこなわれている強制送還全体のうち、数のうえではごく一部なのだということを、ひとまずおさえておいてください。



送還を拒否している人はごく一部


 【資料2】(退去強制令書発付件数と被送還者総数の推移)をみてください。


【資料2】


 退去強制令書発付件数というのは、強制送還しますよという処分が出た件数です。それと実際に送還された人数とをくらべてみるためにグラフにしたのが、これです。送還の決定が出た件数のうち、どれぐらいの割合で送還が実行されたのかという送還達成率みたいなののデータは入管は公表してません。それで正確な数字は出せないので、その割合をおおまかにイメージできるように図にしてみたわけです*1


 グラフをみると、送還の処分がくだされている件数と、実際に送還されている人数は、毎年、あまり差がないでしょう。処分件数よりも、実際の送還された数のほうが上回っている年もあるぐらいです。この5年分の数字を足して単純にわり算してみると、およそ99%です。退去強制処分の出た人のうち、大多数は最終的に送還されているのだということがわかると思います。入管の送還業務は大変に成績がよいんです。


 2つグラフをみてきましたが、ここからまず、退去強制処分が出て、しかし送還を拒否している人というのは、例外中の例外なんだということ。この点はあとでまたふれますが、頭に入れておいてください。



長期収容は帰国収容の手段


 それから、国外退去を拒否している人、拒否せざるをえない人がいるわけですけれど、入管がこの人たちをどう送還しているかということです。さっきみたように力ずくでの送還はごく一部なんです。なぜそうなのかという話は今日は省略しますけど、いろいろと制約があって力づくでの送還は主要な送還方法にはなりえません。じゃあどうやって入管は送還しようとするのか。それが、長期収容なのです。


 送還される人のほとんどは、最終的に自分の意思で帰っているわけですけれど、入管は送還対象の人をそう仕向けようとするのです。たいがいの人は、オーバーステイとかでつかまって入管施設に収容されたら、一日でも早く帰国しようとします。拘束されるのは当然イヤですから。入管から飛行機のチケット買って帰ってくださいと言われれば、すぐそうします。でも、全体のうちの割合としては少ないですけれど、帰るに帰れない事情のある人が一部いるわけです。難民など帰国したら身の危険があるという人、それから日本に家族がいたり、生活基盤が完全に日本にあるという人は、帰れと言われても帰れない。そういう人たちを長期収容で苦しい思いをさせて、「みずから」帰国させようとする、自分でチケット買って帰れよと、そういうことをやってるのが入管収容施設です。


 とくに2015年ごろからこっち、その歴史的経緯はあとでお話しますけど、入管は長期収容を手段とした帰国強要を徹底してやるようになります。その結果、人権侵害事件が頻発し、そのなかの一部が報道されて入管収容問題が表面化してきたというのが、こんにちの状況であるわけです。きょうは、人権侵害の具体的な事例、これらはだいぶ報道もされているのでひとつひとつあげることはしませんが、職員による暴行、医療放置、収容中の死亡事件、自殺者が出たり、自殺未遂が頻発している状況とか、報道に出ていますね。こうした人権侵害、抑圧下で、被収容者によるハンストなどもたびたび起こっています。そういった事件の背景にあって、それらを引き起こしているのが、長期収容を手段として帰国に追い込めという入管の方針であるわけです。


 ところで、これは身体的・精神的な苦痛を与えることによって、相手の意思を変更させようということですよね。こういう行為を言い表す言葉がありますよね。「拷問」です。公務員による拷問がおこなわれているんです。



意図的におこなわれている拷問


 私は、入管収容は実態として拷問なんだということを何年も前からいろんなところで言ってきたんですけど、以前はそれを言うために状況証拠を示していくことが必要でした。ところが、ここ最近は、入管自身がそのことを隠さなくなってます。こっちとしては話が簡単でよいのですが、入管は世論の反応をみながら認めても大丈夫だとナメてるんですかね。


 入管がゲロってる例をひとつあげます。上川陽子法務大臣(当時)。法務大臣は入管行政の責任者です。


 2点目の収容期間の上限を設けるということについてでありますが,収容期間の上限を設けますと,送還をかたくなに忌避し,収容期間の上限を経過した者全員の収容を解かざるを得なくなるということになります。また,収容を解かれることを期待しての送還忌避を誘発するおそれもあるということでありまして,適当ではないと考えたところでございます。(上川陽子法務大臣、3月5日の閣議後記者会見


 収容期間の上限をもうけると「送還忌避を誘発するおそれもある」、だからできないと言ってます。つまり、送還忌避をさせないため、帰国に追い込むために収容という手段を用いてるのだということを告白してるわけです。収容されている側からすると収容期間の上限がないから自分がいつ出られるかわからない、「収容を解かれることを期待」できない、そういう絶望的な状態に置くことで、自分から帰国するように追い込んでいくんだと、そう上川は言ってる*2


 別の例をあげます。


 不法滞在者等の効率的・効果的な摘発、送還忌避者の発生を抑制する適切な処遇および積極的な送還執行について、様々な工夫や新たな手法を取り入れるなど、我が国社会に不安を与える外国人の効率的・効果的な排除に、具体的かつ積極的に取り組んでいくこと。[太字による強調は引用者]


 これは、「安全・安心な社会の実現のための取組について」と題された、2016年4月7日付の法務省入管局長通知です。入管の役人のトップから、地方入管や収容所に出された指示です。太字になっているところをみてほしいんですが、「送還忌避者の発生を抑制する適切な処遇」を実施せよと言ってますよね。処遇というのは、施設の入所者に対する医療や食事、衛生、運動時間や自由を最大限に確保するとか、そういうことです。そうした処遇面において「送還忌避者の発生を抑制する」ようなものにしろと指示してるんです。つまり、収容されてる人が送還を拒否できなくなるような、もう帰国するしかないと思うような、そういう劣悪な処遇を実施せよと。びっくりするでしょ? こんなこと公文書に書いて指示出してるんですよ*3


 今年の3月に名古屋入管に収容されていたスリランカ人女性のウィシュマさんというかたが、入管の医療放置というか、見殺しというようなかたちで命を落としました。ほかにもいろんな人権侵害事件が報道されてます。しかし、それらはたんに、たとえば「医療体制の不備」とか「処遇がゆきとどいてない」とかそういう問題じゃないんです。人が亡くなるのも「過失」、つまり意図してないミスで死んじゃったということではないんです。処遇を劣悪にして帰国に追い込めと、そういう指示を出してるんだから。わざと拷問をして、その結果人が亡くなったりしているんです。


 いままで話してきた「収容」の話をまとめます。長期収容というのは帰国強要の手段であって、意図的におこなわれている拷問であるわけです。それを制度の面で可能にしているのが、ひとつには、収容期間の上限が法律でさだめられていないということです。もうひとつは、この収容というのを入管は裁判所などの第三者のチェックなしにできるということです。入管の裁量で、司法審査なしでの無期限収容ができてしまうというのが、制度的な問題としてあります。


日本社会の問題として考える――入管の人権侵害(その2)につづく



*1: 退去強制処分を受けた人のうち、何パーセントの人が実際に送還されているのかというデータを、入管は公表していない。上にグラフにした数字も、一年ごとの退令発付件数と送還が実施された件数であって、これを単純にわり算すれば送還が執行された比率が出てくるというものではない。というのも、退令が発付されてから送還が実施されるまでには、場合よっては数か月、あるいは何年もかかることがあるからである。

 ただ、正確な比率はわからないまでも、このグラフから、退令処分を受けたひとの大多数が送還されているということはイメージできるのではないか。ちなみに、この5年間の退令発付件数を合計すると36,646、被送還者数の合計が36,244。わり算して98.9%になる。 

*2: 上川の発言が、入管収容を拷問として用いていることを事実上みとめたものだという点で、看過すべきではないということについては、つぎの記事で述べた。
上川法務大臣のおどろくべき発言 拷問を送還の手段にもちいることはゆるされるのか?
公然化されつつある拷問――出国強要の手段としての無期限長期収容 

2021年11月9日

ねむりにつくのが憂うつで


【ふりがなを つける】(powered by ひらがなめがね)



 ここ数日、口のなかの知覚過敏の症状が悪化している。とても痛い。


 起きて活動しているあいだは、体全体でさまざまなな刺激をうけとっているせいか、口内の痛みはさほど自覚しない。痛みというのは、まぎれるものなのだな。


 ところが、横になってうとうとしはじめると、痛みが起きだしてくる。視覚や聴覚、全身の肌の感覚が刺激をうけとる活動をやすみはじめると、まぎれていた痛みがやかましく自己の存在を主張しだす。暗闇の静寂のなか、痛みだけがくっきりと輪郭をもって自己主張してくる。


 この何日間かそういうのをくりかえしているので、ふとんに入るのが憂うつだ。ねむいのだけど、ねようとすると痛みにねむりがさまたげられる。ねむいのになかなかねむれず、ねむれるまで痛みにたえなければならないはめになる。


 というわけで、こうして不本意ながら夜ふかししているのです。


2021年10月28日

「送還忌避者の発生を抑制する適切な処遇」とはなにか? 国家犯罪としての入管収容

 


(1)


 前回のブログ記事で、福島みずほさんが入管庁に開示させた資料(「送還忌避者」数の推移についての統計など)について、書きました。


福島みずほ議員が入管に開示させた「送還忌避者」数の推移について


 これを書いたのは、私なりにつぎのような問題意識があってのことです。


 2015年あたりに、あきらかに送還(と在留特別許可による在留の正規化)に関して入管政策の大きな変化がありました。この時期から顕在化していく長期収容・再収容の問題というのは、その政策の変化の結果として起こってくるわけです。政策が変わるということは、そこに意思決定があったということです。そうである以上、政策として検証・評価がなされるべきであって、その意思決定に関わった者たちの責任も問われなければなりません。


 いっぽうではたしかに、法律(入管法)の問題、仕組みの問題というのは大事です。人権侵害を防止するために入管をしばる仕組みを、法律を、作らなけばならない。そう思います。


 しかし、同時に、政策として、われわれが「送還一本やり方針」と呼んでいるものを決めた者たちがいる、その結果としてひどいことがいっぱい起こった。そこを追及しないとダメだとも思う。責任の追及なしに、実効性のある仕組みは作れないし、再発防止もできない。


 もちろん仕組み・制度や構造の問題を軽視すべきではないけれど、仕組みそのものが人を殺すわけではない。人間たちの意思が働いて、そいつが仕組みや構造を使って人をふみつけ、支配し、あるいは殺している。入管という行政機関がとってきた方針を、だれがどうやって決めたのか、だれが命令したのか、問わなければならない。行為の責任を問い、それがまちがいであった、正しくなかったということの合意を作っていくこと。それは私たちが前に進むために絶対に欠かせないことだと思います。




(2)


 今回は、前回記事でもすこしふれた入管の通知文書をとりあげます。2016年4月7日に入国者収容所長(牛久と大村の入管センター所長)と地方入管局長にむけて出された「安全・安心な社会の実現のための取組について」と題された通知です。通知の発出主として法務省入国管理局長 井上宏の名前が記されています。


 文書の内容は画像のとおりですが、「不法滞在者」や「送還忌避者」を「我が国社会に不安を与える外国人」ときめつけたうえで、その「対策」の強化に取り組めと指示したものです。


 まず、国の出している文書で「我が国社会に不安を与える外国人」などと公然と差別を扇動してるのは、まったくひどいものです。在留資格がないからといって、そのような外国人の存在は私にとってべつに「不安」でもなんでもないです。むしろ、人権をふみにじりまくっているような国の機関こそが、私にとってはるかに「不安を与える」存在です。


 そして、この文書には、さらにおどろくべきことが書いてあります。じつは、私は、この文書は何年も前から知ってはいたのですが、はずかしながら、以下の内容の問題性には、先輩の支援者から指摘されるまで気づいておりませんでした。この文書は、すみやかに実施すべき取り組みの2点目としてつぎのように書いてあります。


 不法滞在者等の効率的・効果的な摘発、送還忌避者の発生を抑制する適切な処遇および積極的な送還執行について、様々な工夫や新たな手法を取り入れるなど、我が国社会に不安を与える外国人の効率的・効果的な排除に、具体的かつ積極的に取り組んでいくこと。[太字による強調は引用者]


 注目すべきは、「送還忌避者の発生を抑制する適切な処遇」というくだりです。


 「処遇」というのは、この文書が入国者収容所長らにあてたものですから、収容施設における被収容者に対する「処遇」を指すものと考えてよいでしょう。医療・衛生や食事、運動の機会・環境、彩光、風通しなどです。


 この「処遇」について、なんと「送還忌避者の発生を抑制する適切な処遇」をするようにとの指示が、法務省入管局長から出ているのです。そうした「処遇」をひとつの手段にもちいて、「我が国社会に不安を与える外国人の効率的・効果的な排除」に取り組め、と。


 「送還忌避者の発生を抑制する適切な処遇」とはなんでしょうか? 難民申請者など自国での身の危険からのがれたい、あるいは日本に家族がいるなど、退去強制処分が出ていても事情があってこれをこばんでいる人。そうした人たちが日本にのこることをあきらめ、送還を受け入れるような処遇を収容施設で実施せよ、と。ここではそう指示されているわけです。


 「もうここにはいたくない」と思わせるような医療や食事、また、行動の制限など。収容されている人たちががまんできなくなるような処遇こそが「適切な処遇」であり、それを実施せよという指示を、法務大臣につぐ入管組織のトップが出しているのです。ウィシュマさんふくめ、入管施設で死亡者があいついでいるのは、こうした文脈で起きているのだということを理解する必要があります。




(3)


 刑法には、「過失致死罪」というのと「傷害致死罪」というのがあり、これらは区別されるそうです。わざとではない過失で人を死なせてしまうのが「過失致死罪」。これに対し、わざと人を負傷させ、その結果、死なせてしまうのが「傷害致死罪」。


 ウィシュマさん死亡事件について、入管庁が任命した調査チームによる調査報告書も、名古屋入管の医療体制や情報共有に問題があったということは認めています。


名古屋出入国在留管理局被収容者死亡事案に関する調査報告について | 出入国在留管理庁


 不十分な医療体制のためにウィシュマさんが亡くなったということならば、それは「(業務上)過失致死」といったところでしょうか。


 しかし、名古屋入管がウィシュマさんに十分な医療を提供しなかったことは、「送還忌避者の発生を抑制する適切な処遇」を実施せよという、当時の法務省入国管理局長 井上宏の指示に合致しているのではないでしょうか。


 入管施設での被収容者への処遇について規定した「被収容者処遇規則」という法務省令があります。その第1条では、「この規則は、出入国管理及び難民認定法(昭和二十六年政令第三百十九号)により入国者収容所又は収容場(以下「収容所等」という。)に収容されている者(以下「被収容者」という。)の人権を尊重しつつ、適正な処遇を行うことを目的とする」とさだめられています。さきの井上の指示は、被収容者の「人権を尊重」した処遇をおこなうという、処遇規則の目的とするところとは両立しようがないものでしょう。名古屋入管の職員たちの行為は、処遇規則には反していたかもしれませんが、井上の指示のとおりだったとも言えるのではないか。


 調査報告書は、名古屋入管の看守勤務者たちがウィシュマさんに対しひどい暴言をはいていたこともあきらかにしています。これらも「送還忌避者の発生を抑制する適切な処遇」を実施しろという指示に忠実に従った行為だったと評価すべきではないのか。


 収容されている人がいやがるような処遇、がまんできなくなるような処遇を実施せよという指示がなされ、そのなかで医療が十分に受けられずに命を落とした人がいる。これはたんなる「過失」ではないでしょう。不十分な医療体制のために意図せずあやまって死にいたらしめてしまった、というだけのことではない。問題はよりいっそう重大なものです。




(4)


 人をなぐっていたら、その人はぐったりして動かなくなった。そのままほったらかしにしていたら、死んでしまった。


 たとえば、このような場面があったとします。この場合、ぐったりして動かない人をほったらかしにしたこと、病院につれていくなど命を救う手立てをとらなかったことも、もちろん責められるべきでしょう。しかし、なによりもまず責められるべきは、なぐったという行為です。あたりまえです。


 入管施設で医療放置の結果、被収容者が亡くなったという事件についてもおなじことが言えるはずです。


 被収容者の生命と健康を守る義務を負っている入管が、その責任をはたさず、命を救うために必要な措置をとらなかったということは、もちろん大変に重大な問題です。


 しかし、問題はそれだけにとどまらない。劣悪な処遇を帰国強要の手段としてもちいてきたのだという、その暴力こそが糾弾されるべきです。それは、「送還忌避者の発生を抑制する適切な処遇」を実施せよとの入管局長の命令にあるように、「過失」などではなく、意図的・組織的にふるわれてきた暴力なのです。




(5)


 さきの「調査報告書」では、ウィシュマさんの1回目の仮放免申請を名古屋入管が不許可にした経緯も記されています。この申請に対する決裁書には、「一度、仮放免を不許可にして立場を理解させ、強く帰国説得する必要あり」との記載もあるということです。


 つまりは、退去強制処分の対象なのだというおのれの「立場」を理解させ、帰国するよう強くうながすために仮放免を不許可にして収容を継続したのだということです。おまえは退去強制処分をくだされた者であり、この国にいることを許されない「立場」なのだ、その「立場」をわきまえろ、と。


 自由をうばったり苦痛をあたえたりして相手をこらしめ、「立場」をわきまえさせて言うことを聞かせようとすること。DV加害者が配偶者や子にふるうようなかたちの暴力を、国の機関が外国人に対してふるっているわけです。しかも、それはたんに現場の職員たちの判断だけでおこなわれているものとはいえない。入管組織の幹部たちの指示・命令のもとふるわれている暴力です。


 だから、入管収容の問題は、方針をきめ指示・命令を出してきた者たちの責任を問うところに向かわなければならないのだと思っています。重大で深刻な国家犯罪としていずれ追及しなけばならない問題だということです。


2021年10月12日

福島みずほ議員が入管に開示させた「送還忌避者」数の推移について


【ふりがなを つける】(powered by ひらがなめがね)



(1)


 福島みずほ参議院議員が、入管庁から重要な資料を出させてくれました。これによって、2008年からの「送還忌避者」の人数の推移の統計、それからその「送還忌避者」の数字をどのように出しているのかという算出方法があきらかになりました。(上のグラフは、入管庁の出してきた資料をもとに福島みずほ事務所が作成したものを表示しています)


送還忌避者の人数について(入管庁によるデータ開示) | 社民党 福島みずほ 参議院議員(比例区)


 入管庁はこれまで、「送還忌避者」の存在、あるいはその「増加」を、長期収容の正当化の根拠としてきました。また、政府は5月にいったん断念しましたが、送還に関する権限強化をねらった入管法改悪の口実としてきたのも、この「送還忌避者」の存在だったわけです。


 ところが、入管庁は、2020年6月末時点とか12月末時点での「送還忌避者」数を公表しながらも、それ以前の年ごとの推移だとか、算出方法については、問われても明らかにしてきませんでした*1。それが今回の福島議員の働きかけによって、ようやく明らかになったということです。




(2)


 で、この「送還忌避者」数の推移のデータをどう読むか、です。大前提としてまずおさえておかなければならないのは、その人数が増えたり減ったりするのは、入管政策の効果・結果としてほぼほぼ解釈できるということです。社会学的な(というのかな?)個々人の意図をこえたもろもろの複雑な要因があってこの数字が増減しているというふうに考えると、この数字の意味を読みあやまると思います。それは単純に意識的に目的をもっておこなわれた政策の結果として理解できるものにすぎないのです。「送還忌避者」数とは、入管政策の結果のあらわれにすぎないと言ってほぼまちがいない。


 福島さんが開示させた資料によると、「送還忌避者」の人数は2016年をピークにその後、減少しつづけています。では、なぜ「送還忌避者」が減るのか?*2 個別にみて「送還忌避者」だった人が「送還忌避者」でなくなるのは、つぎの3とおりです。


  1. 送還の執行
  2. 在留の正規化
  3. 死亡


 2は、在留資格を出すということです。退去強制令書が取り消されて送還の対象ではなくなるということなので、「送還忌避者」ではなくなります。退去強制令書が取り消されるのは、法務大臣による在留特別許可を受けたとき、それと難民申請者については難民認定されたときです。ただ、2015年か16年あたりから、検証ははぶきますが、前者の在留特別許可(在特)の基準を法務省はきびしくしました。後者の難民認定数が一貫してお寒い数字なのは、周知のとおり。


 つまり、それまで増加を続けていた「送還忌避者」数が、2016年の4,038人から減少に転じ、2020年の3,103人までの4年間でおよそ23%も減ったのは、2ではなく、1の送還によるものが要因として圧倒的に大きいということです。


 2015から16年というのは、入管が在特の基準をきびしくしたと同時に、きわめて強硬な送還方針をとりはじめた時期でもあります。15年9月18日に法務省入国管理局長は、「退去強制令書により収容する者の仮放免措置に係る運用と動静監視について」という通達を出しています。この通達の内容は、ようするに、仮放免されている人の再収容を進めろということがひとつ、そして、第2に収容されている人を簡単に仮放免するなということです。この通達後に、仮放免者の再収容が激増し、いったん収容された人は仮許可が出ず、収容が長期化していきます。


 で、入管にとっての送還の主要な手段というのが、まさにこの長期収容であるわけです。収容(監禁)して自由をうばい、閉鎖空間で苦しめてみずから帰国に追い込む*3。こうした拷問としか言いようのないやり方を徹底的におこなって「送還忌避者」を減らしていこうという方針を明確に打ち出したのが、上でのべた15年9月の入管局長通達です。「送還忌避者」数が2016年をピークにしてその後20年まで減少してきたのは、この送還強硬方針の「成果」と言えるでしょう。




(3)


 で、この4年で23%減という数字をどう評価するか?


 一方で、私はこの数字は大変なものだと思います。それは、収容された人たちと面会してきて、どんな人たちがどのようにして「帰国」に追い込まれてきたかを具体的に目にしてきたからでもあります。


 日本に子や年老いた親を残していくしかない人、国籍国にはもはや知り合いがひとりもいないという人も「帰国」に追い込まれた。帰れば身の安全はないと長期収容にたえていた人も、ここにいては医療ネグレクトで殺されるのではないかと悩んだすえに難民申請を取り下げて「帰国」した。それぞれに帰れない事情をかかかえていた、たくさんの人、そのひとりひとりが、期限のさだめのない長期収容のなかで苦しみ、絶望して日本を出ていった。


 4,000人以上にのぼった「送還忌避者」が、4年間で1,000人近くおよそ4分の1ほど、入管の役人の使う言葉で言えば「縮減」した。これが、2015年以降の送還一本やり方針(在特基準を厳格化するとともに再収容・長期収容で徹底的に送還へと追い込む)の「成果」です。送還された人だけでなく収容された人、その家族など、ひとりひとりの人生や痛めつけられた心身を思えば、なんとむごたらしいことか。




(4)


 他方で、この23%「縮減」という「成果」については、べつの見方もできるように思います。あれだけ人間の生命と自由をもてあそんだ犯罪的な所業を続けてきたにもかかわらず、その「縮減」幅は――こういう言い方が不謹慎なのは自覚していますが、入管がやってることは不謹慎どころではなく非道・邪悪なことです――4分の1にもみたないのです。これは政策として大失敗ではないのか。


 先の2015年の通達以降、入管に収容中の人6名が亡くなりました。うち1名(昨年名古屋入管で亡くなったインドネシア人)については詳細不明ですが、3人はあきらかに長期収容の犠牲者といえます。この間、入管収容施設では、自殺未遂が頻発し、職員による暴行事件があいつぎ、医療や処遇の劣悪さもしきりと報道されてきたとおりですが、これらは収容の長期化、長期被収容者の激増によって多発・深刻化した問題であると言えます。以前は例外的であった2年以上の超長期収容は常態化し、3年や4年をこえる人すらめずらしくなくなりました。昨年、新型コロナウイルスの感染対策として積極的に仮放免許可を出して被収容者を出所させるようになるまでこうした状況がつづきました。


 通達後、入管はもはやなりふりかまわずに仮放免者を再収容しまくり、重病があってもろくに医療を受けさせないまま収容をつづけ(そのくせ、脳梗塞やガンなどが発覚すると「死ぬなら外で死んでくれ」と言わんばかりにあわてて仮放免で放り出す)、被収容者をいじめたおし、暴行し、看守職員ですらたえきれずに大量に離職していくような地獄を現出させてあらゆる非道のかぎりをつくし、しかし、「送還忌避者」全体の4分の1も「縮減」できなかったのです。


 わたしがいきどっているのは、「縮減できなかった」という事実に対してではありません。「縮減」できない、入管が思うような「成果」などあげられないということはとっくにあきらかになっていたはずなのに、この悪魔の所業としか言いようのない方針を撤回せず、これを継続した(継続している)ということ。そのことに対して、わたしはいきどおっています。


 そもそも、入管はこの6年にわたる送還強硬方針のゴールをどこに設定していたのでしょうか。そもそもゴールを設定していたのでしょうか。「送還忌避者」の人数をどこまで「縮減」するつもりだったのか。


 2016年4月7日には、法務省入管局長が「安全・安心な社会の実現のための取組について」という通知文書で、「送還忌避者」を「我が国社会に不安を与える外国人」と決めつけたうえで、これを「大幅に縮減する」することが「喫緊の課題」だと言っています。


 「大幅に縮減」? 「大幅」とはどのくらいでしょう? 半減? 8割減? すくなくとも、4分の1にみたない「縮減」で「大幅」とは言えないのではないでしょうか? 「成果」の面でみて、15年以降の送還一本やりでの「送還忌避者」の「縮減」のくわだては大失敗だったと言えるでしょう。それとも、「大幅」な「縮減」が達成できるまで、またもや再収容と超長期収容を手段にした出国強要を続けるのでしょうか。あと何年かけて? さらに何人殺すまでやめないつもりなのか。




(5)


 今回開示された入管庁の資料からはっきりしたのは、送還一本やりで「送還忌避者」を「大幅に縮減」しようとしても、それは不可能であるということです。収容施設での虐待・拷問を手段とする帰国強要を継続したとしても、今後5年や10年で「大幅に縮減」するというのは「達成」できない。できるわけがないことに今後も固執すれば、また犠牲者が出るでしょう。入管にとっての「成果」もあがらず、ただただ犠牲だけが積みあがっていく。そこに到達しうるゴールはありません。漫然と――まさに「漫然と」としか言いようがない――虐待・人権侵害をつづけていくことになる。こんなことはもうやめるべきです。


 さきにみたように、「送還忌避者」だった人が「送還忌避者」でなくなるには3通りあります。送還されるか、在留資格を認められるか、死亡するか、です。入管はひとつめの送還一本やりでやってきて、暴虐のかぎりをつくしてきて、それでも「成果」をあげられなかった。これを「大幅に縮減」するには、みんな死に絶えてしまうのを待つのでなければ、在特基準を緩和して、また難民認定をちゃんとやって、在留を正規化していく方向に舵をきるしかないのです。


 「死に絶えるのを待つのでなければ」と書いたのは、冗談ではありません。入管が「送還忌避者」と称する人たちのうち、日本での生活がもっとも長い人たちは、バブル期(80年代の半ばから後半)から日本で暮らしている人たちです。当時、日本社会が労働「力」として呼び込んだ若者たちは、だんだんと還暦をこえてきています。仮放免者は高齢化がすすみ、しかし、在留資格がないため健康保険には入れない。解決を先送りしている時間はないのです。




*1: 入管庁が資料開示をこばんでいたことについては、過去記事「私が入管法改悪に反対する理由――送還強硬方針からの撤退を!」注1でふれました。 

 

*2: なぜ送還忌避者数が2016年まで増えつづけていたのか、という問題も重要で、これも入管政策のありようから説明できるのですが、今回はその話はしません。 


*3: 入管は、以下の2つの記事で指摘したとおり、無期限長期収容を送還(出国強要)の手段として自覚的・戦略的にもちいているのだということをいまや公然と認めつつあるようです。

公然化されつつある拷問――出国強要の手段としての無期限長期収容
上川法務大臣のおどろくべき発言 拷問を送還の手段にもちいることはゆるされるのか?

2021年9月19日

「不法残留」の通報は、人命や感染症対策よりも重要なのですか?


【ふりがなを つける】(powered by ひらがなめがね)


 

 新型コロナにかかって自分で救急車を呼んだ外国籍の方が、オーバーステイであることが「判明」し、病院を退院後に逮捕されたということが報道されている。兵庫県での事例だ。


新型コロナで療養中に不法残留が判明 スリランカ人の男、中等症で入院 退院後に逮捕|事件・事故|神戸新聞NEXT(2021/9/18 18:20)


 この人がオーバーステイであることを、どういう経緯で警察が知ることになったのか、報道からはわからない。だれかが警察か入管に通報したのだろう。だれが通報したのか知らないが、そういうことはやめてほしい。


 ここで報道されているような出来事があると、オーバーステイ状態にある人は、「摘発」を覚悟しないと救急車を呼んだり病院に行ったりできなくなってしまう。今回の報道されているケースでどうだったのかは不明だが、病院や保健所、消防署の職員が警察や入管に通報することがありうるのだということになれば、オーバーステイの人たちは、深刻な体調不良があっても医療にかかることをますますためらうようになるだろう。


 入管庁の公表している資料によると、2020年1月時点での「不法残留者」数は8万人強。法務省や入管・警察などがわざわざ「不法」という言葉をくっつけて否定的な印象づけをしているけれど、たんに入管に許可された在留期間をこえて在留しているということにすぎない。すくなくとも、本人が治療を求めてきたところを警察や入管に通報して逮捕させなければならないような緊急の必要性などまったくない。それどころか、通報することによって、上に述べたように、本人だけでなく他のオーバーステイ状態にある人たちの命も危険にさらすことになる。ましてや、感染した疑いがあってもこわくて病院に行けないような状況を作ってしまうことは、防疫、あるいは感染症対策としても愚策中の愚策と言うべきだろう。


 あるいは、「違反」は「違反」なのだから、しかるべき機関に通報するのは当然じゃないかと考えるむきもあるのかもしれない。しかし、そう考えるのだとしても、まっさきに優先すべきことがそれなのか、よく考えてほしい。治療の必要な人を治療することや、感染症が広がらないように対策することをむずかしくしてまで、オーバーステイを通報することが大事なのですか、と。





 さて、ここから先で書くことは、余談といえば余談なのですが、広く知られてほしいなあと思う情報です。


https://www.mhlw.go.jp/content/000798935.pdf


 リンクしたのは、厚生労働省のサイトで公表されている「新型コロナウイルス感染症対策を行うに当たっての出入国管理及び難民認定法第62条第2項に基づく通報義務の取扱いについて」という文書です。厚生労働省新型コロナウイルス感染症対策推進本部というところが、各地方自治体にむけて今年の6月28日に「事務連絡」として出したものです。


 入管法はその第62条第2項で、公務員の通報義務というものをさだめています。オーバーステイなど退去強制の対象になる外国人をみつけたら通報せよというものです。これはあくまでも原則です。


 いっぽうで、この原則に対して例外もあるよ、ということを法務省入管(当時)は2003年の通知で示しています。つまり、通報することで行政目的が達成できなくなるような場合は、通報しなくてもよいですよ、としているわけです。たとえば、市役所にDV(ドメスティック・バイオレンス)の被害を相談に来た人や、国公立の病院に来た患者を、「不法残留」だからといっていちいち入管に通報していたら、オーバーステイなどの人は安心して市役所や病院に来れなくなってしまいます。役所などにとっては、被害者の保護や患者への医療提供といった行政目的を達せられなくなってしまう。そういった場合は通報しなくてもよいです、通報義務の例外としますよ、と入管も言ってるのです。


 上のリンク先の文書は、新型コロナウイルスにおいても、公務員の通報義務の例外にあたるので、オーバーステイなどの人を見つけても通報しなくてよいということを、厚労省がわざわざ示したものです。しかも、入管法のさだめる通報義務は公務員に課されたものだから、民間病院の職員にはそもそも通報義務なんてないですからねということまで、いちいち書きそえられています。


 国でさえ、新型コロナウイルスについて、このように言ってるのです。最初に述べた兵庫県の事例では、だれが通報したのかわかりませんが(通報者が公務員なのかそうでないのかもふくめ)、通報は正しい選択ではなかったと断言できるのではないでしょうか。


2021年7月22日

在留カードと読み取りアプリ


【ふりがなを つける】(powered by ひらがなめがね)

 


1.在留カード読みとりアプリ


 出入国管理庁(入管庁)がそのウェブサイトで、「在留カード等読取アプリケーション」なるものを無料配布している。


在留カード等読取アプリケーション サポートページ | 出入国在留管理庁


 これは、外国人住民の持つ在留カードや特別永住者証明書が偽造されたものかどうかを調べることができるアプリだ。このアプリを入れたスマートフォンを在留カードなどにかざすと、カードに埋め込まれたICチップに記録されたデータを読み込むことができるというもののようだ。


 入管庁がこうしたアプリを無料でだれでもダウンロードできるかたちで配布しているということについては、当然ながら批判がなされている。たとえば、以下の東京新聞記事では、「アプリが差別を助長する可能性を想定できなかったのか」(伊藤和子氏)、「外国人の監視に市民が動員される」(鈴木江理子氏)といった批判的なコメントが紹介されている。


【動画あり】「外国人監視に市民を動員」入管庁が在留カード真偽読取アプリを一般公開 難民懇が問題視:東京新聞 TOKYO Web(2021年6月15日 20時37分)


 これらの批判には全面的に同意しつつ、しかし同時に、そもそも在留カードというものを通してなされてきた外国人管理システム自体を批判的にみていかなければならない、ということも思う。今回のアプリ以前に、在留カードそのものを批判的に問わなければならない。




2.2012年に導入された在留カード


 さて、くだんのアプリは、在留カードの偽造を見分け、これを防止することを目的にしたものだろう。在留カードを偽造して売っている人がいるわけで、そうした行為がよいことだとは思わないけれど、これを買う人たちには切実な事情があることもある。なぜ偽造カードが必要とされるのかという点は、考える必要があるだろう。


 在留カードの導入がきまったのは、2009年の入管法改定によってである。それ以前の制度においては、外国人の在留情報は、2つの法律のもとで二元的に管理されていた。入管法と外国人登録法である。入管法にもとづいて入国管理局が外国人の出入国と在留の管理をおこなう一方、市区町村が外国人登録に関わる実務をになっていた。この従来の制度のもとでは、オーバーステイなどで在留資格のない外国人でも自分の住んでいる市区町村に届け出れば外国人登録をすることができ、限定的ながら一部の住民サービスを受けることもできた。


 2009年に入管法が改定されるとともに外国人登録法は廃止されることになり、2012年7月から外国人の在留情報は国(入管)によって一元的に管理されることになった。従来の「外国人登録証」にかわり、「在留カード」または「特別永住者証明書」が交付されることになった。しかし、在留資格のない非正規滞在外国人は交付を受けられず、住民登録から排除された、住民としていわば存在しないかのようにあつかわれることになったのである。


 入管の公表している統計によると、この新しい在留管理制度の施行された2012年の時点での「不法残留者」数は6万人超。これほどの規模の非正規滞在住民の存在をまったく前提としない(あるいは不在を前提とする)かたちで、在留カードは導入されたのである。




3.在留カードが導入された文脈


3ー1 「不法滞在者半減5カ年計画」(2003年~)


 この在留カードの導入は、2000年ごろに始まる、非正規滞在外国人を日本社会から徹底的に排除し、いわば「撲滅」しようとするかのようなもろもろの政策との関連において、理解する必要があると思う。


 これは私の個人的な記憶によるものなので、いずれちゃんと客観的に検証しなければならないと思っているのだけれど、「不法滞在者」「不法滞在外国人」という、従来はさほど一般的ではなかった用語がマスコミにあふれだしたのは2000年前後だったと思う。「ピッキング」「サムターン回し」といった手口で建物に侵入しての窃盗が「不法滞在外国人」による犯行だというかたちでテレビや新聞でさかんに報道されたのだ。


 いまにして考えてみると、警察当局を情報源とするこうした報道は、その後の非正規滞在外国人に対する摘発強化にむけての計画された政治的プロパガンダであったのだろう。2003年10月に法務省入管、警察庁、警視庁、東京入管の4者による「首都東京における不法滞在外国人対策の強化に関する共同宣言」が出され、同年12月には政府の犯罪対策閣僚会議が「犯罪に強い社会の実現のための行動計画」を発表した。これらは「不法滞在者」が「犯罪の温床」であるという差別的な決めつけをおこなったうえで、これに対する摘発強化が必要だと述べた文書である。


 後者の「行動計画」が「不法滞在者半減5カ年計画」に位置づけた翌04年から08年までの入管と警察の連携しての徹底した摘発がおこなわれ、結果的にこの5年のあいだに入管の推定する「不法滞在者」数は約25万人から13万人ほどまでほぼ「半減」している。2000年ごろに「不法滞在外国人」という言葉が窃盗などの犯罪と結びつけられたかたちでマスコミに氾濫しだしたのは、この大摘発作戦にむけてのプロパガンダによるものと考えるのが自然だ。


 ちなみに、東京都港区にある現在の東京入管の庁舎が完成し、その使用が開始されたのが2002年。収容人数800人とされる巨大収容場をそなえた新庁舎の建設も、大規模な摘発を想定してのものだろう。



3ー2 不法就労助長罪の厳格化


 こうして、政府は2003年ごろから在留資格のない人に対する徹底的な摘発と送還をおこなってきたわけだが、そのいっぽうで、非正規滞在者が日本社会でなんとか生き抜いていくための条件をつぶしていくということもすすめてきた。2009年の入管法改定には、非正規滞在外国人にとって死活問題となりうる重大なポイントが、在留カードの導入のほかにもあった。不法就労助長罪の厳格化である。


 不法就労助長罪とは、「不法就労」となる外国人を雇用したり仕事をあっせんしたりする行為であり、罰則として3年以下の懲役または300万円以下の罰金が規定されている。09年の改定では、この不法就労助長罪が、過失であっても適用されることになった。つまり、この法改定により、在留資格や就労許可がない外国人をそうと知らずに雇った場合でも、雇い主などが罪に問われうることになったのである。


 さらに、同じ年の法改定では、この不法就労助長行為があらたに退去強制事由にくわえられた。外国人がこの罪に問われた場合に、在留資格を取り消され退去強制(強制送還)の対象になることもありうるようになったのだ。


 こうして、雇用する側にとって、非正規滞在者を雇うことは大変なリスクをともなうようになった。雇用者が外国人の場合はそのリスクは致命的ですらある。退去強制によって日本での生活も事業もすべて失いかねないのだから。


 この不法就労助長罪の厳格化は、非正規滞在外国人が生活の糧をえるために働く場所を徹底してつぶしていこうとするものだ。なんらかの経緯で在留資格のない状態で日本に滞在している人たちの多くは、生活のために就労せざるをえない。就労の機会は、社会保障から疎外された非正規滞在外国人にとってはなおさら生存に不可欠な条件でもありうるのだ。


 それにしても、在留資格のない状態で日本に滞在するということがたとえ問題だと考えるにしても、現にこの社会で生きている人間の生存の条件を破壊してまうのは、いくらなんでも度をこしているのではないか。




4.在留カードの偽造よりはるかに重大な問題


 以上みてきたような経緯をふまえつつ、在留カードの導入、そして問題になっているアプリについて考えてみたい。


 バブル期以降1990年代を通じて、日本政府は非正規滞在外国人の存在を一定程度黙認し、これを労働力として活用するという政策を事実上とってきた。こうして日本社会は、非正規滞在者の労働力に依存してきたわけだが、これを徹底的に排除していこうという方向への転換を政府が明確に打ち出し始めたのが2003年ごろ。00年代を通じて、「不法滞在者」に対する集中的な摘発がおこなわれるいっぽう、その就労機会をつぶして社会から締め出していこうということがくわだてられてきたのだということが言える。


 2012年に廃止された外国人登録法のもとでは、もちろんこの法自体は外国人住民をもっぱら管理するためのものであったのだが、在留資格のない外国人でも居住地の自治体に届け出れば住民登録ができた。地方自治体はこれをもとにして在留資格がなくても住民としてあつかい、社会保障制度を限定的ながらも適用する余地があったのであり、実際にそうした例は少なくなかった。ところが、外登法が廃止され同時に在留カードが導入されて以降は、非正規滞在の外国人はほぼ完全に社会保障から排除されることになった。


 こうして、2000年代以降の政策は、非正規滞在外国人がかろうじて生きていくことを可能にする、社会のすき間のようなところすら破壊しつぶしていくことを指向したものだった。在留資格のない人に対する摘発・送還というかたちでの排除が強化されたのと同時に、在留資格がない人の生存できない国づくり・社会づくりが進められていったのである。まさにこうした国づくり・社会づくりにおいて導入されたのが在留カードである。


 09年の法改定によって、不法就労助長罪は、過失でも適用されるようになった。雇用主にとっては、雇用しようとする人が外国人である場合、在留資格があるのか、就労許可の範囲内なのか、確認しなければ自身に危険がおよぶ。「知らなかった」ではすまなくなったわけで、外国人を雇用するさいに在留カードを確認することが雇用者らに義務づけられたということだ。


 こうなると、就労機会から締め出された非正規滞在外国人のなかには、生きるために偽造在留カードを使わざるをえない人もでてくる。だったら自分の国に帰ればよいじゃないかと言う人もいるだろうが、身に危険がおよぶおそれがあるなど「帰国」できない事情をかかえている人も少なくない。そのうえ、問題の在留カード読みとりアプリである。それはさらに徹底して非正規滞在者などの生存手段をつぶしていこうというものだ。


 「不法滞在」「不法就労」だとか、偽造在留カードを使うことだとか、それは今ある法に違反する行為であるとはいえ、他人を傷つけたりその財産を盗んだりするものではまったくない。これに対して、上にみてきたような為政者の所業は、「不法滞在者」とされた人間の生存の手段を破壊していこうとするもので、端的に言えば「人殺し」である。ある人がルールに違反している状態にあるからといって、その人の生存手段をうばってよいはずがない。


 非正規滞在者らを就労機会から締め出そうとして日本政府が執拗におこなってきた諸政策は、たとえるならば、懲罰的な動機によって特定の住民の水道や電気を止めてしまうとか、ホームレス状態にある人を野宿している公園から締め出すとか、そういった行為に近い。また、生存するうえで必要になっている条件を破壊していくというやり口は、雑草や害虫を駆除するやり方にそっくりである。あるいは戦争状態における軍事的な作戦のようでもある。この社会に暮らす人間たちが生きられるようにするための施策ではなく、特定のカテゴリーに位置づけられた住人を生きられなくする施策である。


 「不法就労」やら偽造在留カードとやらを問題にするまえに、私たちの社会はやるべきことがある。それは、ここに暮らすあらゆる人間の生存を保証し尊重しなければならないという社会的な合意をつくることである。こんなことも満足にできていないような現状で、「不法就労」の防止だとか在留カード偽造の防止だとか、くだらないことをほざいてる場合ではないのだ。人間を害虫のようにあつかう国家をただしていくことこそ優先してとりくまなければならない課題であって、批判的に問われるべきなのは「不法滞在者」などではなく日本国のあり方である。


2021年5月11日

12日の強行採決阻止を! 入管法改悪法案


【ふりがなを つける】(powered by ひらがなめがね)


 

 入管法改悪法案、先週7日の法務委員会では採決が見送られて審議が開かれましたが、与党はあす(12日)の委員会での強行採決をまたねらっているようです。


与党、入管法改正案12日採決の構え 野党、徹底審議を要求:時事ドットコム(2021年05月10日20時19分)


 7日の委員会にさいしては、わたしは自民・立憲民主両党の国対委員長に強行採決をしないで(応じないで)という内容のファックスを送ったのですが、今回は与野党5人の国会議員にやはり拙速な採決はしないようにとのファックスを送りました。


 与党議員に送ったのは、だいたいつぎのような内容です。

  • 名古屋入管での死亡事件の徹底検証、また退去強制・収容をめぐっての政府の従来の政策や現行の法制度のあり方の徹底的点検が不可欠
  • しかるに、死亡事件の解明すすまず、そのために必要な法務大臣・入管庁の情報提供はきわめて消極的
  • このような状況での法案の採決はあってはならない。


 野党議員、たとえば立憲民主党の議員には、以下の内容で送りました。

  • (上記と同様の観点から)名古屋入管での死亡事件についての真相解明、情報提供が議論と採決の前提だとの御党の姿勢を支持する
  • 法案の拙速な採決には応じず、廃案にむけ非妥協的に政府与党との論戦にのぞまれるようをお願いします


 どの議員に送ったらよいかについては、以下のサイトなどを参考にしました。


Open the Gate for All : あなたの入管法改悪に反対する声を 議員に送ろう


 入管の収容施設での死亡事件が頻発している事実からは、外国人に対する退去強制や入管施設での収容をめぐっての政府の従来の政策、また、現行の法制度のあり方を、徹底的に点検すべき必要性が示されているように思います。その意味で、名古屋での事件の検証・真相究明は、いま何よりも優先して取り組まれるべき課題です。


 しかも、法務大臣と入管庁は、スリランカ人被収容者が死亡する前の収容場居室の監視カメラ映像の遺族ならびに国会議員への開示を拒んでいるなど、真相究明に必要な情報提供にきわめて消極的です。


 それどころか、入管庁は、野党議員の調査を妨害してすらいる。


今日午後、法務委理事会メンバーで、名古屋入管スリランカ人女性死亡事件の関連資料を閲覧した(2回目)。またしても手書きによる書き写しを強いられ、2時間かけて血液検査結果や看護師メモを書き写した。手書きは許しがたいが、内容は質疑に活かしたい。

[藤野保史議員のツイッター(午後6:34 ・ 2021年5月10日)]


 手書きで写すのはよくて資料をコピーや写真にとるのはダメだという合理的な理由があるわけがないのであって、入管庁は調査妨害のためにこういうことをさせているのです。

 このような法務大臣と入管庁の姿勢のために、死亡事件についての解明が進まず、法案そのものの検討にも入れていない状況です。


 どう考えても、採決なんてすべき状況ではありません。


2021年5月8日

だれが上映を中止に追い込んだのか? 警察と右翼の共犯関係について


【ふりがなを つける】(powered by ひらがなめがね)



 8日から神奈川県厚木市の「あつぎのえいがかんkiki」で上映される予定だった映画『狼をさがして』が、上映中止に追い込まれた。


【重要】『狼をさがして』上映中止のお知らせ | あつぎのえいがかんkiki


 劇場のウェブサイトに当初掲載されていた「『狼をさがして』上映中止の経緯」という文書(なぜか削除されていて現在は読めない)では、経緯がつぎのように説明されていた。



今回の上映中止の経緯についてご報告致します。

4/30に神奈川県厚木警察署より、右翼団体から道路使用許可の申請があり5/8と5/9の2日間、劇場のまわりで街宣車数十台で街宣活動を行う、とのご連絡がございました。

その後、配給会社太秦様にご相談させていただき、

  1. 騒音等で近隣住民や隣接している各店舗様にご迷惑をおかけすることは誠に心苦しい。
  2. 見物人が密となり、新型コロナウイルス感染拡大が懸念される。

両社とも、上記の件を危惧し、太秦様の了解のもと上映を中止させていただく運びとなりました。

 



 この「経緯」をみるかぎり、たんに右翼による妨害で上映が中止に追い込まれたということではないようにも思える。「厚木警察署が、右翼の威力をちらかせて上映中止をうながした」と言いきれるまでの根拠はないにしても、警察がここではたしている役割は無視できないのではないだろうか。両者の共犯関係と言うべきものがあるのではないか。


 厚木警察署と劇場のあいだで具体的にどのようなやりとりがあったのか、上記の文書で説明されている以上の事実は、わからない。ただ、かりに、警察が劇場側に「右翼が妨害にくるぞ」という事実だけをつたえ、それを傍観・容認する姿勢をみせたのだとすれば、それは警察が右翼を道具に使って劇場を恫喝しているのとかわらない。そこまであからさまではなかったとしても、違法な妨害があった場合に警察は断固としてとりしまるつもりだという意思を明確に示さなければ、劇場側としては上映のリスクを重く考えざるをえないであろう。


 この厚木の件ではどうだったのか、はっきりしたことはわからないにせよ、こうした場合に、警察は劇場側を恫喝することが可能な立場にあるということは、確認しておきたい。そして実際、警察がそうした行動をしてきた前例がたくさんあるのも事実だ。


 6,7年前、わたしが関東にいたころ、皇居のはしっこをかするようなコースでのデモを警察署に届け出に行ったことがあった。このとき、警察官(丸の内警察署でした)は、コースを変更するようにしつこく要求してきたのだが、その理由が「右翼がさわいでデモ参加者が危険にさらされるかもしれないから」というものだった。いや、こちらとしてはデモコースの詳細を事前に公表するつもりはないので、きみらがわざわざ教えないかぎり右翼がそれを知ることはないのですけどね。


 最終的に私たちは当初の予定していたコースでの届け出を押しとおしたのだけど、警察官が「右翼がね、来るかもしれないからね」などとしつこく言ってきて、やたらと時間がかかったのをおぼえている。


 警察はデモや表現行為をコントロールしようとするために、このように右翼の暴力をちらつかせるだけではない。右翼に実際に暴力をふるわせるということすらしてきた。


 2017年11月には、自衛隊立川基地での航空祭に抗議行動していた立川自衛隊監視テント村の車が右翼7~8名の襲撃を受け、フロントガラスやサイドミラーなどを破壊されるという事件があった。このとき、10名ほどの私服公安警官がおり、さらに立川警察署の制服警官も10名ほどかけつけたが、1時間にわたって右翼の暴力行為を制止しようもせず放置していたという。


立川テント村宣伝カーへの右翼の襲撃を許さない  抗議声明とカンパのお願い - ?? OUT!

https://twitter.com/orandger/status/933589711179808769


 この事件の1年前には、東京都武蔵野市でおこなわれた天皇制に反対するデモが、3~40人の右翼に襲われるという事件が起きている。デモ参加者に負傷者が出て、デモを先導する車のフロントガラス等が破壊されるなどの被害があった。襲撃は500人ほどの機動隊員が「警備」するなか堂々とおこなわれ、右翼の逮捕者はすくなくともこの日にはでていないのだという。


東京新聞 16年11月23日朝刊 - ?? OUT!


 これらの襲撃において、警察と右翼の共犯関係をはあきらかだ。実行犯は右翼だが、主犯は警察である。官(警察)が民間(右翼)に業務をアウトソーシングしたわけである。


 これらの例にかぎらず、右翼の暴力・テロ行為を警察がしばしば黙認してきたということは、よく知られていることがらでもある。とりわけ、ときに国家や世間とのあつれきを生じさせるような表現行為にかかわってきた者にとって、警察が右翼の乱暴狼藉をスルーし、そのことで暴力を代行させることすらしてきたことは、周知の事実である。そうした文脈において、右翼の街宣予定の情報を事前に劇場側につたえたという厚木警察署の行為を理解する必要があるのではないか。


 朝日新聞は、厚木の上映中止についてつぎのように報じている。


 [配給会社の]太秦と市によると、同館が入る建物には公共施設もあり、市や警察は上映を前提に警備を申し出た。しかし同館と太秦が協議し、他店舗への説明や映画館スタッフの負担を考慮して中止を決めたという。太秦の小林三四郎代表は「中止に追い込まれることに忸怩(じくじ)たる思いはある。ふんばれよ、と言える態勢がなかった」と話した。

[右翼団体の街宣予定受け ドキュメンタリー映画上映中止:朝日新聞デジタル(2021年5月6日 18時10分)] 


 警察は「上映を前提に警備を申し出た」というのだが、かりに警察官が口先ではそのようなことを言ったのだとしても、この組織が実際におこなってきた行動を知っていれば、そんな言葉を真に受けられるわけがないのではないか。


 上の新聞報道の見出しは「右翼団体の街宣予定受け ドキュメンタリー映画上映中止」となっている。はっきりと見えている現象としてはそのとおりなのだろうが、右翼だけを問題にしてすむこととは思えない。右翼の暴力行為を許容し、あるいはときに暴力行為の担い手としての右翼を飼いならし利用してきたのはだれなのか、問われるべきだと思う。



2021年5月4日

「入管法改悪案、強行採決しないで!」自民・立民の国対委員長にFAX送りました


【ふりがなを つける】(powered by ひらがなめがね)



  衆議院の法務委員会で審議されている入管法改定案ですが、連休明けにも与党側が強行採決をしかけてくる可能性があるようです。



5.7入管法改悪強行採決を絶対に阻止しよう!


4月28日の衆議院法務委員会の理事懇談会で、5月7日は質疑だけで採決はないと決まったが、自民党が5月7日の強行採決をもくろんでいる。自民党国対に抗議を! 立憲国対に激励を!

拡散歓迎!!

#入管法改悪反対

[指宿昭一氏のツイッター(午前6:41 ・ 2021年5月2日)]



 というわけで、自由民主党と立憲民主党それぞれの国会対策委員長に、強行採決しない(応じない)ようにとファクシミリを送りました。送り先は、以下のとおりです。


自由民主党 国会対策委員長 森山 裕

国会事務所 FAX: 03-3508-3714 E-mail: g08204@shugiin.go.jp


立憲民主党 国会対策委員長 安住淳

国会事務所 FAX: 03-3508-3503


 与党の自民党は、強引にでも法案を通したいところでしょう。野党のほうは、政府・与党と妥協せずに徹底的に戦うべきかどうか、世論の動向をみているというところだと思われます。なので、与党には「必要な審議から逃げるな」「強行採決はゆるさない」という声をとどけると同時に、野党に対しては「人権の課題については安易な妥協はしないでぶれずに戦おう」と激励(?)のメッセージをおくることが大事かなと思いました。


 まあ、「激励」というかなんというか。人の命や生存のかかった問題で与党に妥協するようなら、そんな野党はいらんわけです。


 私の送ったファクシミリの文面を以下に公開しておきます。私は、くどくどと長い文章を書きたい性分なのでこういうのを送ったわけですけれど、メッセージはひとことでも十分なのではないかとも思います。たとえば、与党には「強行採決反対!」、野党には「審議は不十分! 採決には応じないで」といったところでしょうか。注目してるぞというメッセージをひとりでも多くの人が示していくことが大事なのではないかと思います。



~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ 


入管法審議についてお願い


立憲民主党国会対策委員長 安住淳様


 日ごろより国政へのご尽力、ありがとうございます。


 わたくしは、大阪府在住の一市民です。


 衆議院法務委員会にて審議されております入管法改正案につきまして、拙速な採決に応じることなく、御党として引き続き反対をつらぬいていただきますよう、お願い申し上げます。


 ご存じのとおり、3月6日に名古屋入管に収容されていたスリランカ人女性が亡くなるという事件がありました。入管収容施設での死亡事件はあいついでおり、2017年以降に限っても6人もの方が収容中に命を落としております。このような痛ましい事件が今後二度と起こることのないよう、真相究明への取り組みが徹底される必要があると考えます。


 政府はこれまで送還を拒否する難民申請者らに対して、無期限長期収容を手段として、送還一本やりとも言うべき強硬な政策をとってきました。このことが、入管施設で死亡事件が頻発していることの背景にあるのではないでしょうか。いま必要なのは、名古屋での事件を徹底検証し、政府与党の進めてきた従来の政策の問題点や現行制度の不備を根本から点検しなおすことだと思います。


 そのために、御党が、政府法案の拙速な採決には応じることなく、これまで同様、非妥協的に政府与党との論戦にのぞまれるよう、お願いいたします。


 私も国会の外から一市民として、基本的人権が尊重され、人間の命とくらしが守られる社会をともに作っていけるよう連携できればと思います。


(私の名前と連絡先)


~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ 


入管法審議についてお願い


自由民主党国会対策委員長 森山 裕様

 日ごろより国政へのご尽力、ありがとうございます。

 わたくしは、大阪府在住の一市民です。衆議院法務委員会にて審議されております入管法改正案につきまして、拙速な採決をするのではなく、委員会で十分に時間をとって熟議をおこなうようお願いいたします。

 ご存じのとおり、3月6日に名古屋入管に収容されていたスリランカ人女性が亡くなるという事件がありました。入管収容施設での死亡事件はあいついでおり、2017年以降に限っても6人もの方が収容中に命を落としております。このような痛ましい事件が今後二度と起こることのないよう、真相究明への取り組みがなされる必要があります。

 入管の収容施設での死亡事件が事実として頻発していることからは、外国人に対する退去強制や入管施設での収容をめぐっての政府の従来の政策、また、現行の法制度のあり方が、徹底的に点検される必要性が示されているように思います。その意味で、名古屋での事件の検証・真相究明は、いま何よりも優先して取り組まれるべき課題です。

 拙速な採決によって審議を打ち切るのではなく、委員会の場で熟議を重ねてください。尊い人命が国の施設でうしなわれたという重い事実に真摯に向き合い、こうした事件がふたたび起こらないための議論を与野党あげておこなうよう望みます。

(私の名前と連絡先)

2021年4月30日

私が入管法改悪に反対する理由――送還強硬方針からの撤退を!


【ふりがなを つける】(powered by ひらがなめがね)



1.入管法改定で温存されようとしているもの


 国会で審議されている政府提出の入管法改定案に対して、反対の大きな動きが広がっている。なぜ、この法案に反対しなければならないのか。私なりに思うところをすこし書きたい。


 法律を変える、制度を変えると言うとき、私たちの関心は、どのような新しい制度が提案されるのかというところに向きがちだ。今回の政府法案についても、難民申請者などの人権を侵害しその命を危険にさらしかねない「改悪」と呼ぶべき制度変更が多数もりこまれており、そこに多くの人びとが危惧を表明し、反対の声をあげている。


 政府の法案が成立すれば、たとえば、難民認定の申請が3回目以降の人を入管は送還できるようになる。難民認定率が諸外国とくらべてきわめて低く、申請者の99パーセント以上が難民と認定されないような審査のやり方を見直さないまま、このような改悪がなされるのは大問題だ。


 もちろん、私も、こうした政府法案のめざす改悪というべき変更点について危惧を共有している。ただ、この法案が成立した場合に深刻な問題をあらたに生じさせるというだけでなく、それが、強制送還や収容についての今までの方針、古いやり方を温存させることになるだろうということにも注意をむけていきたいと思う。


 送還や収容をめぐる現状を私の理解でざっくりまとめると、以下のとおりである。


  1. 入管は、とりわけ2015年以降、在留特別許可の基準をきびしくするいっぽうで、無期限長期収容を手段にした強硬な送還政策をすすめてきた。
  2. この強引な方針が、入管施設でのハンガーストライキ、自殺をふくむ死亡事件、職員による暴行事件などさまざまな問題をひきおこし、マスコミなどで報じられ、長期収容問題として社会的に問題化されるにいたった。
  3. 他方で、入管の送還業務の観点からも、こうした強硬策は破綻・失敗したことは客観的にあきらかである。


 3については、あとでくわしく述べるが、破綻・失敗した方針は本来であれば断念するしかない。古い方針を断念してあらたな方針をたてるためには、従来の方針が失敗だったことを認めなければならない。ところが、今回、政府は、送還強硬策を今後も継続していくということを前提にした法案を出してきた。となると、この法案が成立してしまった場合、入管自身もこれまで以上に、従来の強硬方針にしばられることになるのではないか。私が危惧しているのは、そういうことであるが、もう少しそこを言葉にしていきたいと思う。




2.入管法改定のねらい


 まず、政府が入管法の改定にのりだした経緯をふりかえっておきたい。


 今回の法案は、法務大臣が設置した「収容・送還に関する専門部会」が2020年6月にまとめた提言[PDF]をもとに作成された。入管庁のウェブサイトでは、この「専門部会」設置の「趣旨」をつぎのように説明している。


 送還忌避者の増加や収容の長期化を防止する方策やその間の収容の在り方を検討することは,出入国在留管理行政にとって喫緊の課題となっています。

 そこで,今後,出入国在留管理庁が採るべき具体的な方策について,専門的知見を有する有識者や実務者の方々に御議論いただくこととし,法務大臣の私的懇談会である「出入国管理政策懇談会」の下に「収容・送還に関する専門部会」を設置しました。

収容・送還に関する専門部会について | 出入国在留管理庁


 「送還忌避者の増加や収容の長期化を防止する方策」などを検討すると言っている。このうち、「収容の長期化」については、現行法のもとでも仮放免制度というものがあり、これを活用することで解決は可能なはずである。そのために法律を改定する必要はかならずしもないが、法律を変えるとすれば、収容期間に上限をさだめて、たとえば6か月をこえて収容はできないことにすれば収容長期化問題は解消する。その気にさえなれば、収容長期化問題を解決するのは簡単なのである。


 ところが入管がそうしないのは、これを解決する意思がないからである。長期収容は、入管にとって「送還忌避者」を痛めつけ、帰国に追い込むための手段だ。このように収容長期化の状況を帰国強要のために意図的に作り出していることは、以下の2つの記事で述べたように、先月になって入管当局自身が公然とみとめるようにさえなっている。


上川法務大臣のおどろくべき発言 拷問を送還の手段にもちいることはゆるされるのか?

公然化されつつある拷問――出国強要の手段としての無期限長期収容


 政府あるいは入管当局が今回の入管法改定をくわだてる目的は、収容長期化問題を解決するためではない。先の「専門部会」設置の趣旨にあった、もういっぽうの問題、「送還忌避者の増加」*1に対処することが、政府が法改定をおこなおうとする理由なのである。




3.「送還忌避者」と送還一本やり方針


 入管庁は、2020年12月末日時点の集計として、以下のとおり示している*2


退去強制令書の発付を受けて収容中の者は942人,仮放免中の者は2217人

収容中の942人のうち,送還を忌避する被収容者は649人(69%)


 このうち、退去強制令書の発付を受けた仮放免者2217人と送還を忌避する被収容者649人を合わせた約3,000人が入管のいうところの「送還忌避者」にあたる。


 人間を収容施設に長期間にわたり監禁し、自由をうばうのは、人権侵害でありゆるされない。また、就労が禁止され社会保障から排除された仮放免の状態に人間を置きつづけることも、同様にゆるされない。「送還忌避者」と入管がよぶような状況は、すみやかに解消されなければならない。


 それを解消するには、2つの方法がある。1つは、退去強制令書(退令)の発付を取り消して、在留資格を認めることである。難民認定制度や、法務大臣にあたえられた権限で人道上の観点から在留をみとめる在留特別許可の制度がある。これらは、現状、適正に運用されていると言えるか、かなり疑問がある。


 「送還忌避」の状況を解消するもうひとつの方法は、送還(退去強制)を執行することである。


 現在、およそ3,000人もの人が、退令発付を受けながら送還にはいたっていないという、宙ぶらりんの状態におかれている。入管当局は、この人たちを「送還忌避者」と呼び、在留を認めるのではなくあくまでも送還の執行によってその人数を減らしていこう方針のもと、今回の法改定へと動いてきた。


 本人の意思に反した送還を強引にすすめていけば、送還された人が命をおとしたり、あるいは、家族や日本できずいてきた社会的な関係をたたれたりという、とりかえしのつかない事態をひきおこしかねない。


 それだけではない。送還一本やりでこの3,000人もの「送還忌避者」をへらしていくという方針自体が、現実的に不可能なのである。入管が不可能な方針に固執することで、問題解決は先送りされ、時間が浪費されていく。「送還忌避者」と呼ばれる人びとは、施設に監禁されて自由をうばわれるか、仮放免という無権利状態におかれつづけることになる。その間も、深刻な人権侵害は継続しているのである。




4.長期収容と護送官付き送還――送還の2つの方法


 「送還忌避者」が3,000人いるということ。入管は、これを送還業務がゆきづまっているというふうに認識している。これを打開するために、難民認定手続き中の送還停止効に例外をもうけるなどして、「送還の障害」をとりのぞきたいというのが、法改定へと政府をかりたてている動機である。


 しかし、「送還忌避者」をほとんどもっぱら送還によって減らしていこうという方針がいかに非現実的であるのか。そこをあきらかにするために、強制送還(退去強制)というものがどのようにおこなわれているのか、ということをみていきたい。


 「強制送還」と言ったときに多くのひとがイメージするのは、つぎのようなものではないだろうか。手錠や腰ひもによって身体を拘束し、大人数の職員によって無理やりに飛行機などに乗せて送還する。これは入管職員(入国警備官)が送還先の国の空港まで付きそうかたちになるので「護送官付き送還」などと呼ばれている。これは、送還を拒否している人を無理やりに送還するときに用いられる。しかし、じつはこの「護送官付き送還」は、数のうえでは、強制送還全体のうち、けっして多いものではない。


 下の図は、2014年から18年までの送還方法別の被送還者数をあらわしている(図は入管庁が公表している『出入国在留管理』から作成した)。



 例年、被送還者数(送還された人の数)全体のうち、93~95パーセントは「自費出国」と呼ばれるかたちで送還されている。「自費出国」とは、航空券代を送還される人が自費で負担するもので、最終的には本人が同意しての送還であるといえる。


 これに対し、全体の5~7パーセントは、「国費送還」といって、航空券代を国が負担する送還である。「国費送還」には、送還される本人が航空券代などを用意できない場合に国費からこれを支出するものも含まれる。送還を拒否している人に対して入国警備官が同行しておこなわれる「護送官付き送還」はさらにその一部(全体の数パーセント)である。


 この「護送官付き送還」の占める割合が小さいのは、それが予算や安全上の制約で簡単には実施できないからであろう。その理由はともかく、事実として、「強制」送還の大部分は、送還される本人が自分のお金で飛行機のチケットを買って、自分の意思で歩いて飛行機に搭乗するという形で、おこなわれている。送還は「自費出国」でおこなうというのが、入管にとっての原則なのだ。したがって、送還の執行をになう入管の職員にとって、どのようにして送還対象者を出国に「同意」させるかということが課題になるわけである。


 入管が送還対象者に「自費出国」をうながすのに主要な手段としているのが、「収容」すなわち施設に閉じこめて自由をうばうことだ。つまり、送還に応じて出国しなければ施設から出ることができないという状況をつくり、それがイヤなら自分の国に帰りなさいというかたちで「説得」をおこなうわけである。もっとも、これは入管の建前では「説得」であっても、客観的にみて「恫喝」や「強要」と言うべきものである。


 では、「護送官付き送還」は、入管の送還業務においてどのような位置づけになるのだろうか。この方法で送還できるのは、人数としてはごく少数である。それでも入管が毎年、なぜこのやり方での送還を一定数つづけているのかと言えば、見せしめの効果を期待しているからであろうと考えられる。


 入管は、この無理やりの送還を、しばしば他の被収容者たちにわざと見せつけるようなしかたでおこなっている。早朝の4時や5時といった多くの被収容者たちが寝ている時刻に、10名ほどの職員で居室に踏み込んで被送還者を連れ出すというやり方をわざととることがあるのだ。ほとんどの被収容者は、数人ごとにひとつの居室に収容されているため、この寝込みを襲うやり方は同室者たちの目前でおこなわれることになる。同室あるいは同じ収容区画の被収容者たちに与える動揺や恐怖をより小さくする方法がほかにあるだろうに、あえてこうした暴力を誇示するようなやり方をするのは、見せしめの効果を期待しているからにほかならない。送還の執行を担当している職員が、送還をこばんでいる被収容者や退令仮放免者に対し、「われわれば無理やりあなたを帰らせることもできる。それがいやだったら自分で飛行機のチケットを買って帰ってください」というようなことを言って送還に応じるよう「説得」することもたびたびある。


 つまり、入管の送還業務において、「護送官付き送還」もまた、「自費出国」をうながすための手段という位置づけだと理解してよい。


 無期限長期の「収容」が被収容者に苦痛を与え、時間をかけて心身を破壊していくものであることは、言うまでもない。もう一方の「護送官付き送還」も、これにより送還される人に対して暴力がふるわれているだけではなく、これを見せつけられる他の被収容者にもはげしい恐怖をあたえる行為だ。このように、苦痛や恐怖をくわえ心身を破壊する暴力が、強制送還の手段としてもちいられているということなのである。


 人間に対してこのような方法をとることが、ゆるされるのだろうか。これは、相手が難民だからゆるされないとか、「犯罪者」でないのにこんな目にあわせてはいけないとか、そういう話ではないと思う。どのような相手にであれ、やってよいことではない。また、こんな行為を「いたしかたない」と許容、あるいは正当化しうる理由があるとは、私にはとうてい思えない。




5.出口のない送還強硬方針からは撤退すべき


 さて、2015年9月18日に法務省入国管理局長は通達「退去強制令書により収容する者の仮放免措置に係る運用と動静監視について」を出して、各地方入管局長などに仮放免許可申請への審査を厳格化することと、仮放免中の人への「動静監視」の強化を指示した。この後、各収容施設では収容が長期化し、すでに仮放免されている人の再収容が激増していった。


 この2015年通達後に強化されたのが、長期収容をおもな手段として「送還忌避者」を徹底して送還していこうという方針である。必要な資料の開示を入管庁がこばんでいるため*3、この方針のもとどれほどの「成果」があったのか、評価するのはむずかしい。しかし、2019年12月末時点で約3,000人の「送還忌避者」が存在しているという事実からは、これをもっぱら送還によって減らしていこうということが、現実的にみて無謀きわまりない愚劣なくわだてだということはあきらかなのだ。


 入管は4年以上にわたって強硬な送還政策をつづけて収容施設で自殺者や餓死者を出し、おびただしい数の人の健康を破壊し、さらに被収容者の家族の生活をもめちゃくちゃにしてきた。それでもまだ数千の人が送還にいたらず、収容施設に閉じ込められ、あるいは仮放免状態におかれている。で、入管は、まだこの送還の強硬方針をつづけるんだと言っている。「送還忌避者」を送還で減らすために法律を変えてほしい、送還のための権力をもっとわれわれに与えてくれ、と。入管は何人ころせば気がすむのか。どれだけ人の人生をめちゃくちゃにすれば気がすむのか。人間の生命と人生をもてあそぶのはたいがいにすべきだ。


 いま国会で審議されている改悪法案が通ってしまえば、入管は送還のための権力をいま以上にふるうことができるようになる。難民申請が却下され、それでも帰国するわけにはいかないからくり返し難民申請せざるをえない人は少なくない。そういうひとが、無理やり飛行機に乗せられ、送還されてしまえば、どのようなことがおこるだろうか。「護送官付き送還」で無理やり送り返されるのはこわいからと、3回目の難民申請をとりさげて、「みずから」飛行機に乗って帰る人も、出てくるかもしれない。その人が迫害を受けたとき、だれがどうやって責任をとるのか。「自分の意思で」帰ったのだから「自己責任」だと、日本の政府や入管は言うのだろうか。


 それだけではない。現在はコロナの感染対策で仮放免されている人も、ワクチンの開発・普及などによって感染が脅威でなくなれば、入管は再収容にのりだしてくる可能性が高い。結局のところ、数千人におよぶ「送還忌避者」をもっぱら送還によって減らそうとするならば、その主要な手段となりうるのは、無期限長期収容でいじめぬく、ということ以外にはなく、「護送官付き送還」など他の方法はあくまでの補助的な手段にとどまるからだ。そのことは政府の法案が成立してもかわらない。


 ところが、長期収容によって送還に追い込むということでは、数千人規模にふくらんだ「送還忌避者」の大部分を送還することなどできるはずがないのである。それは、2015年以降の入管の送還強硬策が「成功」せず、おびただしい人権侵害をまねいたにすぎなかったという事実によって、すでに実証されている。


 この5年あまりのあいだで、長期収容を主要な手段とする送還強硬方針の失敗・破綻はあきらかになった。失敗・破綻のあきらかな方針を入管がいまだ転換せず、これに固執しているのは、少なくない数の入管の役人が、失敗をみとめて責任を問われるのがイヤだと考えているからだとしか考えられない。


 送還一本やりと言うべき従来のやり方で「送還忌避者」を減らしていくのは無理だ。かといって、仮放免の無権利状態に置きつづけたり、施設に監禁していじめて出国を強要しようという今のやりかたを続けることもゆるされない。結局のところ、在留特別許可などの制度を適正に活用し、在留を正規化していくことをもっと広範に検討していくというところにしか、出口はないのだ。


 すでに破綻した方針に固執して問題の解決を先送りにすること自体が、深刻な人権侵害状況を継続させるということであって、ゆるされない。政府が出している入管法改定案はいったん廃案にしたうえで、現行法のもとで可能な施策、人間の命と人権をまもるための施策を検討し、実行していくことからはじめるべきである。






注 

1: もっとも、「送還忌避者の増加」というものの、入管庁は「増加」といえる根拠をデータで示していない。入管は「送還忌避者」を「出入国管理の実務上、退去強制令書の発付を受けたにもかかわらず、自らの意思に基づいて、法律上又は事実上の作為・不作為により本邦からの退去を拒んでいる者」と定義している。退去強制令書の発付を受けて退去を拒んでいる人には、入管施設に収容されている人(送還忌避被収容者)と、仮放免許可を受けて収容を解かれている人(退令仮放免者)の2通りがある。このうち、退令仮放免者については、入管は年ごとに人数を公表しているが、送還忌避被収容者の人数は2020年の6月末と12月末時点での統計を公表しているにすぎない。
 この点について、福島みずほ参議院議員は2013から18年の各年における「送還忌避被収容者」の数を示すよう質問趣意書で求めている。ところが、政府は「集計を行っておらず、お答えすることは困難である」としてこれに回答しなかった。 


3: 注1で述べたとおり。

2021年4月23日

入管収容と「詐病」


【ふりがなを つける】(powered by ひらがなめがね)



1.入管庁調査チームが隠蔽していた事実


 3月6日に名古屋入管に収容されていたスリランカ人女性のウィシュマさんが亡くなった事件について、TBSが以下の報道をしている。


【独自】「仮放免必要」医師が入管に指摘、スリランカ人女性死亡直前に|TBS NEWS(4月22日 11時28分)


 このニュースでは、女性が亡くなる2日前に診察した医師が、彼女を仮放免して収容を解くことの必要性を伝えていたことが、医師本人への取材と医師が名古屋入管に対して提出した文書(「診療情報提供書」)からあきらかにされている。


 この医師に直接取材をしたところ、医師は「実際に外に出してみないと判断できないので、一度出すべきだ」と入管側に仮放免の必要性を伝えたと認めました。出入国在留管理庁が今月9日に出した中間報告書では、この医師から仮放免の必要性を伝える指摘があったことは明らかにされていません。


 このような真相究明にあたって重要な事実が、入管による調査の中間報告書には記載されていない。診察した医師がどのように病状を評価していたのかということは、もっとも念入りに確認されたであろうことがらであって、入管庁の調査チームがうっかり見落とすはずがない。入管にとって都合がわるいから隠蔽しようとしたということだろう。


 ここからあきらかなのは、入管庁の調査に誠実さを期待することはまったくできないということだ。強い権限を与えられた独立した第三者機関が調査しなければ、彼女が命を落とした経緯や責任の所在があきらかになることはない。これは、あたりまえのことだ。




2.「詐病」ならば軽視してよいうという予断


 さて、TBSのこの報道では、医師が結論としては仮放免の必要性を入管に伝えていた一方で、「詐病」の可能性も考えられるとしていたことがあきらかにされている。


 亡くなった女性と継続的に面会していた支援団体のSTARTは、彼女の体調不良のうったえを名古屋入管が「詐病」とみなしていたのではないかと指摘している。


ではなぜ、入管は、応急的な治療さえ、点滴1本さえ投与しなかったのでしょうか。我々は、入管が、女性が仮放免になるために病気のふりをしていると判断していたのではないかと考えています。被収容者に対して疑いの目を向け、信用していなかったということです。実際にスリランカ人女性も、面会時に「(職員は、私が)嘘を言ってると思ってる」と話していました。

スリランカ人女性の死亡事件に関する申し入れ(3/11) | START~外国人労働者・難民と共に歩む会~(2021年3月12日)


 わたし自身、入管施設に収容された人たちと面会するなかで、職員や入管で勤務する医師や看護師に病状をうったえているのに「詐病」あつかいされてちゃんと検査や治療を受けさせてくれないといううったえを聞くことはたびたびある。支援者として、入管に検査・治療を申し入れるさいも、職員が「詐病」をうたがっているのではないかという感触をおぼえることもある。


 しかし、いったい「詐病」とは何だろうか?


 入管の職員は、被収容者が仮放免されたくて病気をいつわることがあると考えているのだろう。そこには、もし「詐病」であるのであれば、ほんとうの病気ではないのだから、深刻に考える必要はないという前提があるだろう。


 だが、「詐病」なのかどうか見分けることは、ときに医師であっても簡単ではないのはもちろん、「詐病ならば深刻ではない、軽視してもよい」という予断が、入管の職員あるいは医師の判断に入り込むのは、危険ではないだろうか。


 たとえば、食道や胃の不調で食事がとれないといった症状をうったえている患者がいるとする。このうったえがウソなのかホントなのか、見分けることにどんな意味があるのだろうか? 「詐病」であろうとなかろうと、食事をとらない(とれない)状態が続けば、健康状態に深刻なダメージをきたすことにはかわりない。


 げんに、食事がとれていない、またそのことによって健康がそこなわれているという状況があるのならば、医療がとりくむべきなのは、いかにしてその患者の健康を回復するかという課題以外にないだろう。


 その意味では、ウィシュマさんを亡くなる2日前に診た医師は、医療従事者としての判断をしたのだと言える。


 医師は血液検査や頭部CTは異常なく、詐病やいわゆるヒステリーも考えられるとしながらも、最後にこう記していました。


 「患者が仮釈放を望んで心身に不調を呈しているなら、仮釈放してあげれば良くなることが期待できる。患者のためを思えば、それが一番良いのだろうがどうしたものだろうか?」

[強調は引用者]


 患者の健康上の最善の利益をあくまでも追求するのが医療であって、そこに「詐病ならば軽視してよい」などという思考が入り込んではならない。




3.おまじないとしての「詐病」


 「詐病」か「ほんとうの病気」なのかを区別しようとし、「詐病」ならば深刻ではないと信じ込もうとする思考は、患者の利益を追求する医療に由来するものではない。それは、収容の継続を正当化したい入管の都合から生じる思考にほかならない。


 被収容者が体調不良をうったえていても、あるいはげんに症状があらわれていても、「詐病」とみなすことで、「収容継続に支障はない」という判断をみちびきたいのだ。それは根拠を欠いた呪術的な思考としか言いようがないものだ。「詐病」はおまじないの言葉である。


 もっとも、「病は気から」とも言うし、他のおまじないならば、それによって患者が病気に立ち向かう前向きな気持ちをもち、治癒へのプラスの効果が生じるということもあるだろう。しかし、「詐病だ!」「詐病がうたがわれる!」というおまじないは、被収容者の健康状態の深刻さと向き合わないための入管にとっての気休めにしかならない。そうして、げんに食事をとれずに体重が激減しあきらかに衰弱していく被収容者をまえに「サビョウガウタガワレル」などとおろかな呪文をとなえているうちに、その病状はとりかえしのつかないところへと悪化していってしまうのではないか。


 すくなくともはっきり言えるのは、「詐病」であれば軽視してもよいのだという思考は、入管収容施設の医療をむしばむ要因になっているということだ。入管が収容の制度と施設を維持しようとするならば、最低限、こうした問題をふまえ、医療の機能不全に対処し被収容者の生命・健康を守るための手立てをとるべきだ。


 たとえば、医師の独立性を確保し、患者との信頼関係をきずきながら診療ができるようにし、入管による医師の判断への介入(医師が必要と判断した治療を入管が「許可」せずさまたげるなど)を排除する仕組みをつくるべきだ。そのうえで、医療上の観点から収容継続が危険な場合に医師の判断で収容を解く仕組みも必要だろう。


 また、収容されている人が、症状をいつわったり(痛くないのに痛いと言うとか)、それどころか症状を意図的に生じさせたり(食事をとらないなど)までするのだとすれば、何がそうさせているのかを考えるべきだろう。この点で、収容期間の上限がさだめられていないなかで、何年間も収容されうるような、被収容者を絶望に追い込む現行の制度はあらためられるべきではないのか。


 いま国会で審議されている政府による入管法の改定案は、2019年6月の大村入管センターでの餓死見殺し事件を契機とし、長期収容問題への対策を講じるということを大義名分のひとつとして出されたものだ。しかし、被収容者の生命・安全を保障するかという手立ては、講じられていない。しかも、あらたに名古屋入管での死亡事件が起きているのに、その真相究明どころか、重要な事実を調査報告書に書かずに姑息に隠蔽しようとしながら、政府は法案成立をめざしている。この点でも、この法案は廃案一択、それ以外にありえないと思う。


2021年4月7日

伊是名夏子氏への不当なバッシングについて


【ふりがなを つける】(powered by ひらがなめがね)



1.車いすユーザーが負担させられている労力と時間


 コラムニストの伊是名夏子(いぜな・なつこ)さんが電車で乗車拒否をされたことをブログに書いている。


JRで車いすは乗車拒否されました : コラムニスト伊是名夏子ブログ


 車椅子ユーザーである伊是名さんが、公共交通機関を使って行きたいところまで移動しようとすると、乗車拒否がなかったとしても、大変な労力と時間をかけなければならないのだということが、わかる。車いすや杖などの補助具を使わずに歩いている私にとって、かけなくてすんでいる労力と時間である。


 事前に目的地の駅の構内図をインターネットで確認する。駅に30分前には着くように早めに家を出る。乗り換え駅や目的地の駅にエレベーターがなければ、駅員に話をして移動の支援を依頼する。こういった負担が、私にはかかっておらず、伊是名さんたち車いすユーザーにはかかっている。


 しかも、この件では伊是名さんは、エレベーターの設置されていない駅での移動支援を当初は鉄道会社から拒否されたため、本来しなくてもよいはずの交渉にも時間と労力をかけなければならず、乗る電車を予定よりも遅らせざるをえなかった。


 そこで伊是名さんがおこなったような、鉄道会社と話をし、マスコミに話をし、ブログを書くことなどもふくめた、現状を問題化して差別をなくしていくための取り組みは、本来は社会全体でになわなければならないことのはずだ。しかし、そうした現状をただすための労力やコストの点でも、差別による不利益をこうむっている伊是名さんたちに大きな負担がかかかっている。それはつまり、車いすユーザーでない人びとの多くが、本来であれば負担しなければならないコストをはらっていないということでもある。




2.膨大な差別リプライ


 さて、この乗車拒否の経緯をブログで公表した伊是名さんのツイッターには、膨大な数の差別的なリプライがよせられている。


https://twitter.com/izenanatsuko/status/1378535246841274371

https://twitter.com/izenanatsuko/status/1378535246841274371/retweets/with_comments


 引用はさけるが、私が読んでいてもかなりしんどく感じる内容のリプライが大量についており、これらの言葉を直接むけられている伊是名さんらの心痛はいかほどかと思う。


 大量のリプライを読んでいくと、つぎのような内容の文句がくりかえし出てくる。


  • (伊是名氏が)感謝の気持ちを述べていないのが気に食わない。
  • 電話などで事前に確認・依頼したうえで駅・電車を利用すべき。
  • 世話されるのが当たり前だと思っているようにみえてむかつく。
  • こんなクレーマーみたいなやり方では伊是名氏や障害者の味方は増えない。
  • 予算や人員にはかぎりがあるのだから、要求がとおらないことがあるのは当たり前。


 こういった内容のリプライ群のなかに、身体障害者だけでなく知的障害者や精神障害者に向けられた差別的文言、あるいは人種差別・民族差別の常套句が多数まじっており、さながらヘドロのような腐臭を発するような状況になっている。


 これらのリプライをのこしていく者たちに共通する感情がどのようなものなのか察するのは、そうむずかしくはない。この人たちには、伊是名さんや障害者が社会から「特別な配慮」を受けているというふうにみえていて、だからそれにふさわしいふるまいをせよと言いたいのである。「特別に」支援してもらっているのだから、それがさも当然であるかのように「感謝しない」のは気に食わないし、「当然ではない」「特別な」ことを駅員などにやってもらうのだから、事前に連絡して相手の都合を確認すべきだ、というわけである。


 また、この人たちの考えでは、障害者が電車に乗って行きたいところに旅行するのは「特別な配慮」によって可能になるものなのだから、それを実現するためには多数者を「味方」につけるようにふるまうのが障害者のとるべき戦略だということになる。それをあたかも「当然の権利」であるかのように主張するのは「クレーマー」とおなじである、と。




3.健常者は自分が「配慮」されていることを意識しない


 しかし、障害者を「特別な配慮」を受けている人、あるいは「特別な配慮」を必要とする人とみる見方は、正しいのだろうか。


 それについて、十何年か前に読んで目からうろこの落ちるような思いをした文章がある。石川准(いしかわ・じゅん)さんの「本を読む権利はみんなにある」(『ケアという思想』岩波書店、2008年)というものだ。2006年に国連総会で採択された「障害者の権利条約」を受けて、視覚障害と情報アクセスの平等について考察されている文章である。


 石川さんは、この条約をつらぬく「合理的な配慮」(reasonable accommodation)という考え方について、つぎのように説明している(93-4ページ)。


 多くの人は「健常者は配慮を必要としない人、障害者は特別な配慮を必要とする人」と考えている。しかし、「健常者は配慮されている人、障害者は配慮されていない人」というようには言えないだろうか。


 たとえば、駅の階段とエレベーターを比較してみる。階段は当然あるべきものであるのに対して、一般にはエレベーターは車椅子の人や足の悪い人のための特別な配慮と思われている。だが階段がなければ誰も上の階には上がれない。とすれば、エレベーターを配慮と呼ぶなら階段も配慮と呼ばなければならないし、階段を当然あるべきものとするならばエレベータも当然あるべきものとしなければフェアではない。実際、高層ビルではエレベータはだれにとっても必須であり、あるのが当たり前のものである。それを特別な配慮と思う人はだれひとりいない。と同時に、停電かなにかでエレベータの止まった高層ビルの上層階に取り残された人はだれしも一瞬にして移動障害者となる。


 大きな会場でのセミナーではマイクとスピーカーが用意される。配布資料を用意するように求められることも多い。プロジェクタを使ってスライドを見せることも当たり前のこととなってきた。マイクの準備を怠って、聴力レベル〇デシベル周辺のいわゆる健聴の人たちにとっても話が聞こえにくい場合には、主催者の失態とみなされる。配布資料もなく、スライドもないというようなセミナーは手抜きということになる。一方、聴覚障害者やろう者のために要約筆記や手話通訳を用意するシンポジウムや講演会はきわめて例外的だ。点字の資料が出てくることはさらに稀だ。だが、もしそれらが提供されるセミナーであれば、障害者に配慮したセミナーであるとされる。当然あるはずのものがないときと、特別なものがあるときの人々の反応はまったく違う。


 要するに、障害は環境依存的なものだということである。人の多様性への配慮が理想的に行き届いたところには障害者はおらず、だれにも容赦しない過酷な環境には健常者はいない。そして中間的な環境には健常者と障害者がいる。そしてそのような中間的な環境では、多数者への配慮は当然のこととされ、配慮とはいわれないが、少数者への配慮は特別なこととして意識される。だから、障害者の権利条約における合理的配慮とは、配慮の不平等を是正するための「必要かつ適切な変更及び調整」という意味であり、過度な負担とはならないにもかかわらず、配慮の不平等を容認、放置することは差別であると明確に規定しているのである。


 障害者の受けている「配慮」(という言葉が適切かどうかはわからないが)は「特別な配慮」としてことさら強く意識されるいっぽうで、健常者はみずからが「配慮」されていることを自身の意識から消しがちだ。さきにみた伊是名さんへの大量の差別リプライにあらわれていたものこそ、こうした意識のありようだった。




4.予算や人員にはかぎりがあるから?


 伊是名さんの今回の行動やブログでの発言を非難するリプライのなかには、障害者の移動を支援するための予算や人員にはかぎりがあるのだから、声高に主張し要求するのには違和感をおぼえるというようなものもあった。でも、予算も人員もこれまで健常者のためにこそ圧倒的に手あつく割かれてきたのである。車いすでは通れない道路をつくるのにどれほどのコストがかけられてきた(いる)だろうか。ところが、もっぱら健常者だけのためにふんだんにつぎこまれてきた予算や人員は、「ムダなコスト」として意識にのぼることがすくない。反対に、障害者に使われようとする予算や人員ばかりが、レンズで拡大されたように私たちの注意をひきやすいのである。


 予算や人員にかぎりがあることは、配慮の不平等を容認・放置する言いわけにはならない。予算や人員を考える以前に大事なのは、私たちがどのような社会をつくっていこうとするのかという理念なのだと思う。差別・不平等をひとつひとつ解消していき、すべての人の移動の自由、それぞれの人の必要とするものや情報へのアクセスが平等に「配慮」される社会をめざすのか。それとも、いまある差別・不平等をいろいろと口実をつけて放置し容認するのか。私は前者をめざすことをえらびたい。


2021年4月3日

公然化されつつある拷問――出国強要の手段としての無期限長期収容


【ふりがなを つける】(powered by ひらがなめがね)



  出入国在留管理庁(入管庁)のウェブサイトに「入管法改正案Q&A」なるものが公開されている。


入管法改正案Q&A | 出入国在留管理庁


 政府が今国会に提出している入管法の改定案については、難民申請者や非正規滞在外国人の権利擁護に取り組んできた弁護士たちや支援団体などから強い批判がなされている。入管庁の公開した「Q&A」は、こうした批判的な指摘に対して反論しようとするものだ。


 しかし、その内容は、ウソ、デタラメ、ゴマカシのオンパレードで、人をだまそうとするにしてももう少しまじめに取り組んだらどうかと言いたくなるほどの稚拙さである。そのインチキぶりに対しては、弁護士の児玉晃一さんが徹底的な批判をくわえているので、ぜひ読んでみてください。


「そこが知りたい!入管法改正案」 Q&A Q1・2(収容部分)のいい加減さ・無責任さ|koichi_kodama|note

「そこが知りたい!入管法改正案」 Q&A Q3とQ4(退去強制)について 突っ込みどころ満載|koichi_kodama|note

「そこが知りたい!入管法改正案」 Q&A 「Q5 なぜ,日本からの退去を拒む外国人を退去させられないのですか?」について 制度の一部切り取りはやめましょう|koichi_kodama|note

「そこが知りたい!入管法改正案」 Q&A Q6?Q8 長期収容と難民認定(完)|koichi_kodama|note


 というわけで、私のごときがここでつけくわえて書かなければならないようなことはないのだけれど、入管庁のQ&Aについては、1点だけふれておきたい。


 今回の法案において収容期間に上限を設けなかった理由について、「入管法改正案Q&A」はつぎのように述べている。


●例えば,収容開始から6か月が経過したら必ず収容を解くこととするなど,収容期間に上限を設けた場合には,日本からの退去をかたくなに拒み,収容期間の上限を経過した外国人全員の収容を解かなければならなくなります。

そうすると,結局,日本から退去させるべき外国人全員が日本社会で生活できることになり,外国人の在留管理を適正に行うことは困難になります。

●また,収容を解かれることを期待して退去を拒み続けることを誘発し,本来日本から退去させるべき外国人を退去させることがますます困難になります。

●以上から,収容期間に上限を設けることは適切ではないと考えました。


 これはほんとうにひどいことを言っている。6か月ものあいだ、あるいはたとえ1日であっても、人を閉じ込め自由をうばうということがどれほど重大なことなのか、すこしでもまじめに考えたなら、このような言葉を書きつらねることはできないはずだ。入管庁の役人によると、収容期間に上限をもうけた場合、6か月の収容では外国人にとってチョロすぎるのだそうだ。こんなものでは被収容者にとってラクショーすぎて退去を強要するには不十分なので、無期限で長期間の収容ができる現行制度を維持すべきなのだ、と。


 同様のことは、3月5日の閣議後記者会見で上川陽子法務大臣も述べている。


 2点目の収容期間の上限を設けるということについてでありますが,収容期間の上限を設けますと,送還をかたくなに忌避し,収容期間の上限を経過した者全員の収容を解かざるを得なくなるということになります。また,収容を解かれることを期待しての送還忌避を誘発するおそれもあるということでありまして,適当ではないと考えたところでございます。


 この上川発言は、無期限長期収容を送還(出国強要)の手段として自覚的・戦略的にもちいているのだということを公然と認めたという点で、従来の入管当局の立場をふみこえたものだと思う。それについては、以下の記事でも述べたが、そのふみこえた一歩の重大さについてあらためて指摘しておきたい。


上川法務大臣のおどろくべき発言 拷問を送還の手段にもちいることはゆるされるのか?


 入管が収容を出国強要の手段として利用してきたということは、収容経験のある人たちやその支援者らのなかでは、以前から周知の事実だった。この入管のやり方は、収容(=監禁)によって身体的・精神的な苦しみや恐怖をあたえ、身体・精神を現実に破壊もし、そのことで相手の意思を変更させようとせまるものであって、まさしく拷問と呼ぶにふさわしいものだ。


 しかし、上の記事でも述べたとおり、入管の建前のうえでは、収容が長期化するとすれば、それは入管が意図した結果ではなく、また、回避すべき問題なのだということになっていた。3月の上川発言および「入管法改正案Q&A」は、この建前を脱ぎ捨てようとするものだと言える。つまり、収容期間に上限をもうけないのは、「収容を解かれることを期待して退去を拒み続けることを誘発」しないためなのだということを率直にみとめているのである。収容長期化が帰国を強要するために入管自身によって意図的に作り出された状態なのだということをもはや隠していない。


 こうした入管の姿勢の変化は、どう解釈すべきだろうか? 近年、入管の収容・送還をめぐる問題が批判的に報じられる機会は格段に増えてきた。そのために、事実上の拷問をもちいた送還方法をとってきた(いる)ということをもはや隠しきれなくなったのだと、そう解釈するべきだろうか。隠しきれないから開き直っているのだと。


 それとも、世論対策上それを隠す必要がないという状況判断が、入管の姿勢の変化の背景にあるのだろうか。あけすけにありのままをみせても、世論は入管当局の味方についてくれるだろう、と。


 いずれにしても、無期限長期収容とは、「送還をかたくなに忌避」する者をいじめ痛めつけ、帰国をうながすために意図的に採用している送還の手段なのだということを、入管は隠すのをやめつつあるようにみえる。もちろん、拷問としか言いあらわしようのない送還手法が、外部の人目につきにくいようにこっそりおこなわれていようが、あるいは反対に公然とおこなわれようが、その悪事としての重大さにかわりはない。しかし、無期限長期収容は帰国強要の手段であると入管が公然と認めつつある以上、そのようなことを容認してよいのか、私たちは今までよりいっそう問われることになるのではないか。


 悪事が隠され多くの人に知られていないためにみすごされている状況も救いがないが、悪事が隠されておらず公然とおこなわれているにもかかわらずそれが深刻な問題とみなされずに許容されているような状況は、それ以上に救いがない。後者は、悪事をおさえるための規範自体が死滅しつつあるということだからだ。


 日本国憲法は第36条で「公務員による拷問及び残虐な刑罰は、絶対にこれを禁ずる。」とさだめている。自民党はこの「絶対にこれを禁ずる」という規定から「絶対に」を削除し、たんに「禁止する」とする憲法改正草案を発表している。


[PDF]日本国憲法改正草案 Q&A(増補版) | 自由民主党


 さきの上川大臣の発言や「入管法改正案Q&A」は、拷問を禁止する規範を骨ぬきにして死滅させようとする自民党改憲案とも同じ方向をむいたものと考えるべきだと思う。


 上川発言などにみられる入管当局の姿勢の変化は、公務員による拷問を禁止する規範がもはや自明ではなくなりつつあること、拷問はゆるされないのだということをあえて言葉にして主張していかなければならない社会状況が生じつつあることを示しているようにも思える。だとするならば、私たちはそれをくり返し言葉にし、何度でも主張していくまでである。

2021年3月10日

上川法務大臣のおどろくべき発言 拷問を送還の手段にもちいることはゆるされるのか?


【ふりがなを つける】(powered by ひらがなめがね)



 上川陽子法務大臣が3月5日の閣議後記者会見でおどろくべき発言をしている。


法務省:法務大臣閣議後記者会見の概要


 この会見の入管法の改定に関する質疑応答で、上川大臣はいくつか問題のある発言をしているが、ここでは、つぎの発言についてのみとりあげたい。


 2点目の収容期間の上限を設けるということについてでありますが,収容期間の上限を設けますと,送還をかたくなに忌避し,収容期間の上限を経過した者全員の収容を解かざるを得なくなるということになります。また,収容を解かれることを期待しての送還忌避を誘発するおそれもあるということでありまして,適当ではないと考えたところでございます。


 昨年、日本政府は国連人権理事会の恣意的拘禁作業部会から、収容期間の上限を設定していない現行制度が国際人権規約違反であるとの指摘を受けている。こうした指摘が現在の政府の法案には反映されていないではないか、という記者の質問を受けての応答が、上に引用した大臣の発言である。


 上川大臣の「収容期間の上限を設けますと,送還をかたくなに忌避し,収容期間の上限を経過した者全員の収容を解かざるを得なくなるということになります」という言葉については、なにを言っているのだ、全員の収容を解けばいいじゃないか、それが上限をもうけるということだろう、としか言いようがないが、問題はつぎの一文である。


 大臣は、「[収容の上限をもうけると]収容を解かれることを期待しての送還忌避を誘発するおそれもあるということでありまして,適当ではないと考えたところでございます」と述べている。これはようするに、たとえば6か月なら6か月と収容期間の上限をもうけると、今の制度では送還に応じるはずの人が応じなくなってしまうから困ると言っているわけだ。上限が設定され、いつ収容所から出られるのかわかってしまうと、出国を強要するのにさしつかえが出てくるのだ、と。


 この発言は、政府はこれまで無期限長期収容を出国強要の手段としてもちいてきたし、今後もそうするつもりなんだと、法務大臣みずからが公式にみとめたということだ。いつ収容から解放されるのかわからないという状況に人間を長期間おき、そうして苦痛を与えることで、相手の意思を変えさせようとする。そのためにあえて収容期間に上限を設定しないのだと法務大臣自身が、率直にみとめたのである。


 まあ、そんなことは私もまえからわかってはいましたよ。入管施設に長期間収容されたことのある人も、おそらくみんな、収容が自分たちを「帰国」に追いこむための拷問であることは理解している。しかし、おどろいたのは、上川法務大臣がそのことをはっきりと正直に言明したという点である。これは、日本政府がこれまで建前としてきたことをひっくり返すものではないだろうか。


 前々回の記事でも引用したが、国連拷問禁止委員会に対する日本政府の回答(2011年7月)をあらためて引いておきたい。


 入管法上,難民認定申請中の者の送還は禁止されているところ,収容中の難民認定申請や,難民認定申請を繰り返し行う場合などにより,近年,収容が長期化する傾向にあることを踏まえて,2010年7月から,退去強制令書が発付された後,相当の期間を経過しても送還に至っていない被収容者については,仮放免の請求の有無にかかわらず,入国者収容所長又は主任審査官が一定期間ごとにその仮放免の必要性や相当性を検証・検討の上,その結果を踏まえ,被収容者の個々の事情に応じて仮放免を弾力的に活用し,収容の長期化をできるだけ回避するよう取り組んでいることから,長期収容者は,減少傾向にある。(太字による協調は引用者)


 これが、収容長期化問題に関する日本政府の公式の立場であった1


 すなわち、政府は、

  • 収容長期化は回避すべきである
  • それは、仮放免の弾力的活用によって回避すべきである

ということを建前としてきたのである。


 いわば「長期収容はわざとじゃないんです」「難民申請によって送還できなくなったりするために収容が長期“化”しちゃってるんです」というのがこれまでの日本政府のスタンスだったのだ。


 ところが、法務大臣はこのたびこれをひっくり返して、開き直ってみせた。いつ出れるかわからない状態で長く収容することで、送還忌避者を出国に追いこめるんですよ、収容期限の上限きめたら帰る人が帰らなくなっちゃうじゃないですか、と。無期限長期収容をわざとやっていること、これを出国強要の手段として自覚的・戦略的にもちいているのだということを、大臣はぶっちゃけてくれた。


 人を長いあいだとじこめて、希望をうばい、苦しみあたえる。痛いめにあわせることによって、相手の意志をコントロールし、その行動を変えようとする。無期限長期収容によって日本政府がやっているのは、それである。これを拷問と呼ぶのは、比喩でもなければ誇張でもない。だんじて人間に対してやってよい行為ではない。この出国に人を追いこむ手段としての収容は、送還までの「逃亡」を防止するための「身柄」の確保という、入管が法によってあたえられている権限の趣旨からも完全に逸脱している。


 刑罰や教育、子どものしつけであっても、残虐と評される手段をもちいることはゆるされない。ましてや、退去強制(強制送還)は、刑罰でも教育でもない。いたずらに人を苦しめ、傷つけるような方法でしかこれを執行できないのなら、その執行を断念すべきなのだ。


 今国会では、政府法案とはべつに、野党6党(立憲民主党、共産党、国民民主党、沖縄の風、れいわ新選組、社民党)も共同で、入管法改定案を難民保護法案とともに提出している。野党案では、収容について裁判官の判断を必要とするようにあらため、収容期間も最長で6か月としている。


 入管の収容と送還をめぐる問題を考えるうえで、収容期間の上限をさだめるかどうかということは、決定的に重要な争点である。それは、拷問を送還のための手段としてもちいることを許容するのかしないのかということにほかならない。収容を他者を痛めつける手段にしないというのならば、法律で収容期間の上限をさだめることに反対する理由がないのだ。


 政府は長期収容問題の解決を大義名分にして入管法改定案をうちだしながら、そこでも収容期間に上限をもうけることを回避している。さきにみた上川発言からもあきらかなとおり、これは拷問を手段とする送還政策を今後もつづけるということだ。こういった反人権と言うべき送還政策を一日も早く断念させるために、政府法案を廃案に追い込むことがその出発点になるはずだ。



1: 引用した日本政府の回答は、これと同趣旨の法務省入国管理局長通達「退去強制令書により収容する者の仮放免に関する検証等について」(2010年7月27日)にもとづいたものである。ところが、法務省入管局長は2015年9月18日に「退去強制令書により収容する者の仮放免措置に係る運用と動静監視について」と題する通達を出して、さきの2010年通達を廃止するとした。これを契機に、全国の入管施設で収容長期化傾向が急激にすすんだのである。


参考

日本弁護士連合会:入管収容について国連人権理事会の恣意的拘禁作業部会の意見を真摯に受け止め、国際法を遵守するよう求める会長声明(2020年10月21日)

入管収容は「国際人権法違反」 国連が日本政府に是正勧告 | 週刊金曜日オンライン(西中誠一郎|2020年10月30日2:35PM)

「入管制度から切り離した難民保護」の新法案、野党が共同提案 | 毎日新聞 2021/2/18 21:41(最終更新 2/18 23:02)