2021年4月23日

入管収容と「詐病」


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1.入管庁調査チームが隠蔽していた事実


 3月6日に名古屋入管に収容されていたスリランカ人女性のウィシュマさんが亡くなった事件について、TBSが以下の報道をしている。


【独自】「仮放免必要」医師が入管に指摘、スリランカ人女性死亡直前に|TBS NEWS(4月22日 11時28分)


 このニュースでは、女性が亡くなる2日前に診察した医師が、彼女を仮放免して収容を解くことの必要性を伝えていたことが、医師本人への取材と医師が名古屋入管に対して提出した文書(「診療情報提供書」)からあきらかにされている。


 この医師に直接取材をしたところ、医師は「実際に外に出してみないと判断できないので、一度出すべきだ」と入管側に仮放免の必要性を伝えたと認めました。出入国在留管理庁が今月9日に出した中間報告書では、この医師から仮放免の必要性を伝える指摘があったことは明らかにされていません。


 このような真相究明にあたって重要な事実が、入管による調査の中間報告書には記載されていない。診察した医師がどのように病状を評価していたのかということは、もっとも念入りに確認されたであろうことがらであって、入管庁の調査チームがうっかり見落とすはずがない。入管にとって都合がわるいから隠蔽しようとしたということだろう。


 ここからあきらかなのは、入管庁の調査に誠実さを期待することはまったくできないということだ。強い権限を与えられた独立した第三者機関が調査しなければ、彼女が命を落とした経緯や責任の所在があきらかになることはない。これは、あたりまえのことだ。




2.「詐病」ならば軽視してよいうという予断


 さて、TBSのこの報道では、医師が結論としては仮放免の必要性を入管に伝えていた一方で、「詐病」の可能性も考えられるとしていたことがあきらかにされている。


 亡くなった女性と継続的に面会していた支援団体のSTARTは、彼女の体調不良のうったえを名古屋入管が「詐病」とみなしていたのではないかと指摘している。


ではなぜ、入管は、応急的な治療さえ、点滴1本さえ投与しなかったのでしょうか。我々は、入管が、女性が仮放免になるために病気のふりをしていると判断していたのではないかと考えています。被収容者に対して疑いの目を向け、信用していなかったということです。実際にスリランカ人女性も、面会時に「(職員は、私が)嘘を言ってると思ってる」と話していました。

スリランカ人女性の死亡事件に関する申し入れ(3/11) | START~外国人労働者・難民と共に歩む会~(2021年3月12日)


 わたし自身、入管施設に収容された人たちと面会するなかで、職員や入管で勤務する医師や看護師に病状をうったえているのに「詐病」あつかいされてちゃんと検査や治療を受けさせてくれないといううったえを聞くことはたびたびある。支援者として、入管に検査・治療を申し入れるさいも、職員が「詐病」をうたがっているのではないかという感触をおぼえることもある。


 しかし、いったい「詐病」とは何だろうか?


 入管の職員は、被収容者が仮放免されたくて病気をいつわることがあると考えているのだろう。そこには、もし「詐病」であるのであれば、ほんとうの病気ではないのだから、深刻に考える必要はないという前提があるだろう。


 だが、「詐病」なのかどうか見分けることは、ときに医師であっても簡単ではないのはもちろん、「詐病ならば深刻ではない、軽視してもよい」という予断が、入管の職員あるいは医師の判断に入り込むのは、危険ではないだろうか。


 たとえば、食道や胃の不調で食事がとれないといった症状をうったえている患者がいるとする。このうったえがウソなのかホントなのか、見分けることにどんな意味があるのだろうか? 「詐病」であろうとなかろうと、食事をとらない(とれない)状態が続けば、健康状態に深刻なダメージをきたすことにはかわりない。


 げんに、食事がとれていない、またそのことによって健康がそこなわれているという状況があるのならば、医療がとりくむべきなのは、いかにしてその患者の健康を回復するかという課題以外にないだろう。


 その意味では、ウィシュマさんを亡くなる2日前に診た医師は、医療従事者としての判断をしたのだと言える。


 医師は血液検査や頭部CTは異常なく、詐病やいわゆるヒステリーも考えられるとしながらも、最後にこう記していました。


 「患者が仮釈放を望んで心身に不調を呈しているなら、仮釈放してあげれば良くなることが期待できる。患者のためを思えば、それが一番良いのだろうがどうしたものだろうか?」

[強調は引用者]


 患者の健康上の最善の利益をあくまでも追求するのが医療であって、そこに「詐病ならば軽視してよい」などという思考が入り込んではならない。




3.おまじないとしての「詐病」


 「詐病」か「ほんとうの病気」なのかを区別しようとし、「詐病」ならば深刻ではないと信じ込もうとする思考は、患者の利益を追求する医療に由来するものではない。それは、収容の継続を正当化したい入管の都合から生じる思考にほかならない。


 被収容者が体調不良をうったえていても、あるいはげんに症状があらわれていても、「詐病」とみなすことで、「収容継続に支障はない」という判断をみちびきたいのだ。それは根拠を欠いた呪術的な思考としか言いようがないものだ。「詐病」はおまじないの言葉である。


 もっとも、「病は気から」とも言うし、他のおまじないならば、それによって患者が病気に立ち向かう前向きな気持ちをもち、治癒へのプラスの効果が生じるということもあるだろう。しかし、「詐病だ!」「詐病がうたがわれる!」というおまじないは、被収容者の健康状態の深刻さと向き合わないための入管にとっての気休めにしかならない。そうして、げんに食事をとれずに体重が激減しあきらかに衰弱していく被収容者をまえに「サビョウガウタガワレル」などとおろかな呪文をとなえているうちに、その病状はとりかえしのつかないところへと悪化していってしまうのではないか。


 すくなくともはっきり言えるのは、「詐病」であれば軽視してもよいのだという思考は、入管収容施設の医療をむしばむ要因になっているということだ。入管が収容の制度と施設を維持しようとするならば、最低限、こうした問題をふまえ、医療の機能不全に対処し被収容者の生命・健康を守るための手立てをとるべきだ。


 たとえば、医師の独立性を確保し、患者との信頼関係をきずきながら診療ができるようにし、入管による医師の判断への介入(医師が必要と判断した治療を入管が「許可」せずさまたげるなど)を排除する仕組みをつくるべきだ。そのうえで、医療上の観点から収容継続が危険な場合に医師の判断で収容を解く仕組みも必要だろう。


 また、収容されている人が、症状をいつわったり(痛くないのに痛いと言うとか)、それどころか症状を意図的に生じさせたり(食事をとらないなど)までするのだとすれば、何がそうさせているのかを考えるべきだろう。この点で、収容期間の上限がさだめられていないなかで、何年間も収容されうるような、被収容者を絶望に追い込む現行の制度はあらためられるべきではないのか。


 いま国会で審議されている政府による入管法の改定案は、2019年6月の大村入管センターでの餓死見殺し事件を契機とし、長期収容問題への対策を講じるということを大義名分のひとつとして出されたものだ。しかし、被収容者の生命・安全を保障するかという手立ては、講じられていない。しかも、あらたに名古屋入管での死亡事件が起きているのに、その真相究明どころか、重要な事実を調査報告書に書かずに姑息に隠蔽しようとしながら、政府は法案成立をめざしている。この点でも、この法案は廃案一択、それ以外にありえないと思う。


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