2024年11月26日

「不法入国」などと簡単に言うけれど……

  以下で引用する記事のケース、見出しになっているように、送還が家族をバラバラにしてしまうという点でもひどい話である。しかし、原告の人がフィリピンから日本に来た経緯を聞くと、ほとんど人身取引と言ってよいようなケースだよね。


在留特別許可を出すべきなのに退去強制処分を下したのは不当だとして、フィリピン国籍の60代男性が11月18日、国を相手取り、処分の取り消しや在留特別許可を出すよう求める訴訟を東京地裁に起こした。

原告代理人などによると、男性は1987年、20代のころに来日。エージェントに正規パスポートを預けていたが、脅かされて、別人名義のパスポートで入国したという。

その後、土木工事現場などで強制労働させられたが、1年ほどで逃げ出したという。友人宅で出会ったフィリピン人女性と2013年に同居して、間もなくして子どもが生まれた(現在は小学中学年)。

男性は2022年、市役所に相談のうえ東京入管に自首出頭して、家族3人の在留特別許可を求めたが、今年5月、妻子には在留特別許可が出たものの、自分だけ退去強制令書発付を受けていた……

「家族を引き裂かないで!」 フィリピン国籍の男性が在留特別許可を求めて国提訴 - 弁護士ドットコム(2024年11月18日 15時56分)】


 本人は正規のパスポートで日本に来るつもりだったが、ブローカーに強要されて別人名義のパスポートを使わざるをえなかったということのようだ。どうしてブローカーがこういうことをするのかと言えば、日本での雇用主がこの人を奴隷状態において働かせるためである。正規のパスポートを取り上げ、なおかつ違法なかたちで入国させることで、本人が逃げ出して警察などに駆け込むハードルを高くするわけだ。

 この人が渡日した1987年といえば、日本がバブル景気にわいていたころ。「労務倒産」とか「人手不足倒産」とか呼ばれる倒産が新聞などで報じられていた時代である。中小零細の工場が、仕事はあっても従業員を確保できずに倒産してしまうのである。このような時代にあって、日本人労働者が敬遠した「3K」(キツイ、キタナイ、キケン)と呼ばれた職場の人手不足をおぎなったのが、フィリピンやイラン、バングラデシュ、パキスタンなどから来た労働者だった。

 私自身、その当時(80年代後半から90年代にかけて)に渡日した人たちから、上の記事のフィリピンのかたのように、ブローカーから別人名義のパスポートを手渡されたという話をいくつか聞いたことがある。国外から労働者を呼び込むさいに、「不法入国」させて従属させようという手法は、おそらく横行していたのだろう。フィリピンなど送り出し国側のブローカー、日本側の雇い主となる企業、それにヤクザなどがそれぞれ役割を分担して、外国人労働者を呼び込み、弱い立場に置いてその労働力を安く買いたたいて利益をえてきたのである。

 このような人身取引まがいの行為に直接に手をそめた者は、もちろん一部の人間ではある。けれども、こうして違法なかたちで呼び込まれた労働者によって、日本の社会が総体として支えられてきたのだということも無視してはならないと思う。

 違法状態に置かれた労働者に依存してきたということでいえば、上でみてきたこととはべつに、オーバーステイの外国人労働者の存在を日本政府があきらかに黙認してきたということも、重要である。バブル期から2000年ごろまで、警察は、在留期間が切れた状態で町工場などで働き地域社会で暮らしている人たちを積極的に取り締まろうとしていなかった。当時非正規滞在状態だった人たちの経験談として、職務質問などでオーバーステイになっていることが発覚したけれど、警察官はそんなことをぜんぜん気にとめもしないようだったという話を私もいくつも聞いたことがある。日本政府が非正規滞在外国人の存在を容認しないという姿勢を明確に示すのは、2003年12月に「犯罪対策閣僚会議」が翌年からの「不法滞在者半減5か年計画」を打ち出して以降のことである。

 こうしたことを考えると、「不法入国」にしろ、「不法残留」にしろ、たんに個人の違反としてとらえるだけでいいのだろうか、ということは考えてしまう。この人たちは「不法」な状態にあったゆえに弱い立場でその労働力を安く買いたたかれたのであり、直接の雇用主だけにとどまらず、日本の社会は総体としてそこから利益をえてきたのである。問われるべきなのは、日本の国や社会のありかたなのではないのか。


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