2024年11月16日

批判する相手の思考をなぞることのこわさ、みたいな話


 こわい話をひとつ。

 入管問題についての原稿を書きまして、いまそのゲラ・チェックをしていたのですが、自分がひどいこと書いたのに気づきました。なんと、「退去強制すべき違反」などという語句があったのです。引用ではなく、自分の書いた地の文のなかに。

 おどろいた! 私はなにを書いているのか! 完全に入管の立場によった言葉を発してしまっているではないか。

 私が「退去強制すべき違反」という言葉を不用意に書きつけてしまったのは、入管の収容に関する制度を説明する文脈においてでした。だから、入管法・入管制度が根ざしているような言葉づかいや考え方がそこに入り込んでしまうことは、当然といえば当然です。

 しかし、それにしても「退去強制すべき違反」はない。「退去強制の対象となる違反」とかならまだしも。自分の発する言葉が、批判すべき対象とのあいだの距離を完全にうしない、癒着してしまっている。

 なにかを批判しようとするとき、相手の言葉や思考をなぞってみるということをするわけですけれど、そうすることでそれを自分のものとして取り込んでしまうということに、やはり自覚的になって注意したほうがよいんだろうなと思います。

 まず、批判する相手の言葉や思考をなぞって書くときに、そこに距離というかすき間をあけた書き方をするということが、ひとつには大事なのではないか。「退去強制すべき違反」と書くのと、「退去強制の対象となる違反」と書くのでは、そのちがいは小さいようで意外と大きい。後者の表現には、対象とのあいだにちょっとしたすき間ができます。

 それと、相手の言葉・思考をなぞったあとは、そこからもどってくる儀式みたいなのが必要なのかなと思います。「入管解体!」とくり返しとなえるとか……。整理体操みたいなの。なんかいいやり方を考えたいです。


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