散歩でとおった公園の公衆トイレ。手をあらうときの蛇口のいじわるぶりにおどろきました。
右手か左手かどちらかでハンドルをおさえていないと水が流れなくなってしまうので、両方の手をゴシゴシこすりあわせて洗うという動作ができません。もうひとりだれか手伝ってくれる人がいてハンドルを持って水を流しててくれればべつですが、そんな人はいなかったので、片手ずつ水をかけるぐらいしかできませんでした。
どちらかの手にまひがある人とかだったら、それすらひとりではできないかもしれませんね。
私はとくに身体傷害などないのですが、こういう蛇口では手を洗うのに非常に支障があるわけです。つまり、ハンドルをひねると水が流れっぱなしになる一般的な蛇口とくらべて、おそらく《だれにとっても》使いにくい仕様のものをわざわざ設計して設置したということなのです。
なんでこんなものを設計・設置したのでしょうか。これは市が管理する公園の公衆トイレです。市に聞いてみないとはっきりしたことは言えませんけれど、まぁ、野宿する人を排除する意図での設計だとみてまちがいないでしょう。頭や体を洗ったり衣服を洗濯したりできなくなるようにいじわるするためにこういう設計にしたのでしょう。
こういうものをつくる人間というのは、そういう一定のひとへの悪意をなによりも優先して大事にするんですね。その結果《多数者ふくめただれにとっても》不便なシロモノができあがってもかまわないというくらいに。
行政などによる野宿者の排除は、「みんなの場所」「公共の場」を「一部の人」が「占拠」「独占」するのをゆるすべきでないという理屈ですすめられてきたわけですけれど、そうした公共性の意味をゆがめ骨抜きにする思考のゆきつくさきのひとつが、この公衆トイレのおかしな蛇口であるよなあと思いました。
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