衆議院の法務委員会で改悪入管法案が審議されていますが、野党委員(立民の寺田学氏)の「収容期限の上限をなぜ設定しなかったのか」という質問に対し、入管庁の次長はつぎのように答弁したそうです。
……出入国在留管理庁の西山卓爾次長は「収容期間の上限まで強制送還を忌避し続ければ逃亡のおそれが多い者も含め、全員の収容を解かざるをえず、確実・迅速な送還の実施が不可能となる」と述べ、上限を設けることは困難だという考えを示しました。
(入管法改正案 “収容期間の上限設定は困難” 出入国在留管理庁 | NHK 2023年4月18日 15時41分)
この入管庁次長の答弁は見すごすべきでない問題発言であって、これをスルーして法案審議をつづけていいものとは私は思えません。その理由はあとで述べますが、そのまえに、この発言、意味不明な部分がありませんか?
収容期間の上限をもうけると(現行の無期限収容が可能な制度を見直すと)、西山氏は「迅速な送還」ができなくなると言っています。言っていることがおかしくないですか?
上限なしに(3年でも4年でも5年でも)収容できる現行の制度のもとで「迅速な送還」が実施できていたとでもいうのでしょうか?
実際は、収容期間に上限がさだめられていないことで可能になるのは、「迅速な送還」などではなく長期収容です。あたりまえの話です。で、収容が長期化しているということは、「迅速な送還」にすでに「失敗」しているということにほかなりません。
西山氏のような入管の役人が収容期間の上限を法で設定されたくない(無期限収容の可能な現行制度を維持したい)理由は、「迅速な送還」のためなどではありません。そこをウソつくから、しゃべってることの理屈がおかしくなるのです。
じゃあ、西山氏はなんのために期間の上限なしに収容できるいまの仕組みを維持したいのでしょうか? その答えは、上の短い発言のなかにはっきり示されています。重要なポイントは、西山氏が「強制送還を忌避し続ければ」と語っているところです。被収容者が「強制送還を忌避」することが問題なのだというわけです。つまり、退去強制処分を受け収容されたひとに「送還を忌避」させないために、収容期間に上限がさだめられていてはならないのだというのが、西山氏がここで語っている理屈です。
収容が帰国強要の手段であること、そこに実効性をもたせるために収容期間に上限を設定されてはならないのだという入管の役人の論理が、告白されているわけです。ここであらわになっているのは、「公務員による拷問及び残虐な刑罰は、絶対にこれを禁ずる」として日本国憲法が第36条で厳しく禁じている拷問を、みずからの手段として肯定している公務員の姿です。このような発言が国会の場で公然となされたことを、みすごしてよいのかということを問いたいと思います。
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以上で、私の言いたいことはだいたい書いたのですが、補足として、べつのところで書いた文章の一部を、すこし手直ししたうえで以下にのせておきます。過去には、法務大臣などが、上記の西山氏以上に露骨に、帰国強要のための拷問として収容という措置をもちいているのだということを(さすがに「拷問」という語は使いませんが)みずから暴露した発言をしたりしています。そうした例をあげながら、入管収容の問題を解説した文章からの抜粋です。
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入管は被収容者を《わざと》虐待しているということ
入管施設での「収容」には2通りあります。
ひとつは、「収容令書にもとづく収容」といって、退去強制事由にあたるのかどうか、退去強制処分をくだすべきかどうかを調べるために施設に拘束するものです。
もうひとつは、「退去強制令書にもとづく収容」といって、退去強制処分を受けた人を、送還可能のときまで収容するというものです。
両者とも現に深刻な人権侵害をもたらしているのですが、この資料では2つめの「退去強制令書にもとづく収容」のみをとりあげ問題にします。
「退去強制令書にもとづく収容」は、あとで示すように、被収容者に帰国を強要するための手段として入管がもちいているものです。いわば、そこでは虐待・人権侵害は自覚的・戦略的におこなわれているのです。つまり、「意図せずに虐待・人権侵害と言うべき事態が起きてしまう」のではなく、わざと被収容者が苦痛に感じること、いやがることを積極的におこなっているのが入管だということです。
この点が、たとえば介護施設、児童保護施設、病院などでも起こりうる虐待事件と、入管施設における虐待が大きくちがう点です。介護や保護、病気の治療・療養を目的とする施設で虐待が起きれば、それはその施設の本来の目的からはずれたことであって「事件」と呼ぶべきでしょう。しかし、入管は帰国強要の手段として収容をおこなっているのですから、そこで虐待・人権侵害が起きることは意外でも不思議でもありません。
したがって、入管施設での人権侵害問題は、入管が「本来の」職務を「きちんと」やれば解決にむかっていくというものではありません。入管組織を外部の人間が批判的に監視すること、さらに入管が好き勝手に権力を行使して人権侵害をできない仕組み・法制度を作ることが必要です。そのためには、入管がどのような制度のもとで、どのような方針にもとづいて動いてきたのか、私たち市民が知ることが大事になってきます。
法律上の建前――収容は「船待ち」
退去強制処分を受けた外国人を入管が「収容」する法律上の根拠は以下のとおりです。
入国警備官は、……退去強制を受ける者を直ちに本邦外に送還することができないときは、送還可能のときまで、その者を入国者収容所、収容場その他出入国在留管理庁長官又はその委任を受けた主任審査官が指定する場所に収容することができる。(「出入国管理及び難民認定法」第52条第5項)
これが「収容」の法律上の建前です。すぐに送還できないときは送還可能になるまで泊まっていってもらいますよ、ということです。かつての国会の政府答弁で「船待ち場」という言葉が使われたことがあるのですが、法律上はそれだけの意味なのです。帰国するための船、今では飛行機ですが、それが用意できるまで泊まって待ってもらうということです。
収容が帰国強要の手段であることは入管もかくしていない
ところが、入管は収容施設をこの建前とはあきらかに異なるかたちで運営しています。そのことを政府や入管当局もかくしていません。たとえば、上川陽子法務大臣(当時)はつぎのように述べています。法務大臣は入管行政の最高責任者です。
2点目の収容期間の上限を設けるということについてでありますが,収容期間の上限を設けますと,送還をかたくなに忌避し,収容期間の上限を経過した者全員の収容を解かざるを得なくなるということになります。また,収容を解かれることを期待しての送還忌避を誘発するおそれもあるということでありまして,適当ではないと考えたところでございます。(上川陽子法務大臣、2021年3月5日の閣議後記者会見)
前年(2020年)、国連人権理事会の恣意的拘禁作業部会は日本政府に対し、収容期限の上限を設定していない現行制度が国連人権規約違反であるとの指摘をしています。こうした指摘が政府の入管法改正案には反映されていないではないかとの記者の質問への上川大臣の答えが、上に引用した部分です。
収容期間の上限(たとえば、6か月をこえて収容しないというルール)をもうけると「送還忌避を誘発するおそれもある」、だから上限をもうけることはできないと言ってます。つまり、「送還忌避」をさせないため、帰国に追い込むために収容という手段を用いてるのだということを告白してるわけです。収容されている側からすると収容期間の上限がないから自分がいつ出られるかわからない、「収容を解かれることを期待」できない、そういう絶望的な状態に置くことで、自分から帰国するように追い込んでいくんだと、そう上川は言っているのです。
別の例をあげます。「安全・安心な社会の実現のための取組について」と題された2016年4月7日の法務省入管局長通知です。入管の役人のトップから、各地の地方入管局長や収容所の所長らに出された指示です。
不法滞在者等の効率的・効果的な摘発、送還忌避者の発生を抑制する適切な処遇および積極的な送還執行について、様々な工夫や新たな手法を取り入れるなど、我が国社会に不安を与える外国人の効率的・効果的な排除に、具体的かつ積極的に取り組んでいくこと。[太字による強調は引用者]
「送還忌避者の発生を抑制する適切な処遇」を実施せよと言っています。「処遇」というのは、施設の入所者に対する医療や食事、衛生、運動時間や自由を最大限に確保するとか、そういうことです。そうした処遇面において「送還忌避者の発生を抑制する」ようなものにしろと指示してるのです。
つまり、被収容者が送還を拒否できなくなるような、もう帰国するしかないと思うような、そういう劣悪な処遇を実施せよと、こんなことを公文書に書いて指示してるわけです。
「収容=拷問」を可能にする法制度の問題
このように入管は、「収容」という措置を被収容者に出国を強要するための手段としてもちいていることを事実上みとめています。収容施設に閉じこめて自由をうばい、心身に苦痛を与えることで、日本に残りたいという相手の意思を変えさせようとしているわけですから、その行為を「拷問」と呼ぶことは、比喩でもなければ誇張でもありません。
この拷問を制度の面で可能にしているのが、ひとつには上川氏も言ったように、収容期間の上限が法律でさだめられていないということです。もうひとつは、この収容とその継続を入管が裁判所などの第三者のチェックなしにできるということです。入管の裁量で、司法審査なしでの無期限収容ができてしまうということが、「収容=拷問」を可能にする制度的なささえとしてあるのです。
……
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