出入国在留管理庁(入管庁)のウェブサイトに「入管法改正案Q&A」なるものが公開されている。
政府が今国会に提出している入管法の改定案については、難民申請者や非正規滞在外国人の権利擁護に取り組んできた弁護士たちや支援団体などから強い批判がなされている。入管庁の公開した「Q&A」は、こうした批判的な指摘に対して反論しようとするものだ。
しかし、その内容は、ウソ、デタラメ、ゴマカシのオンパレードで、人をだまそうとするにしてももう少しまじめに取り組んだらどうかと言いたくなるほどの稚拙さである。そのインチキぶりに対しては、弁護士の児玉晃一さんが徹底的な批判をくわえているので、ぜひ読んでみてください。
「そこが知りたい!入管法改正案」 Q&A Q1・2(収容部分)のいい加減さ・無責任さ|koichi_kodama|note
「そこが知りたい!入管法改正案」 Q&A Q3とQ4(退去強制)について 突っ込みどころ満載|koichi_kodama|note
「そこが知りたい!入管法改正案」 Q&A 「Q5 なぜ,日本からの退去を拒む外国人を退去させられないのですか?」について 制度の一部切り取りはやめましょう|koichi_kodama|note
というわけで、私のごときがここでつけくわえて書かなければならないようなことはないのだけれど、入管庁のQ&Aについては、1点だけふれておきたい。
今回の法案において収容期間に上限を設けなかった理由について、「入管法改正案Q&A」はつぎのように述べている。
●例えば,収容開始から6か月が経過したら必ず収容を解くこととするなど,収容期間に上限を設けた場合には,日本からの退去をかたくなに拒み,収容期間の上限を経過した外国人全員の収容を解かなければならなくなります。
そうすると,結局,日本から退去させるべき外国人全員が日本社会で生活できることになり,外国人の在留管理を適正に行うことは困難になります。
●また,収容を解かれることを期待して退去を拒み続けることを誘発し,本来日本から退去させるべき外国人を退去させることがますます困難になります。
●以上から,収容期間に上限を設けることは適切ではないと考えました。
これはほんとうにひどいことを言っている。6か月ものあいだ、あるいはたとえ1日であっても、人を閉じ込め自由をうばうということがどれほど重大なことなのか、すこしでもまじめに考えたなら、このような言葉を書きつらねることはできないはずだ。入管庁の役人によると、収容期間に上限をもうけた場合、6か月の収容では外国人にとってチョロすぎるのだそうだ。こんなものでは被収容者にとってラクショーすぎて退去を強要するには不十分なので、無期限で長期間の収容ができる現行制度を維持すべきなのだ、と。
同様のことは、3月5日の閣議後記者会見で上川陽子法務大臣も述べている。
2点目の収容期間の上限を設けるということについてでありますが,収容期間の上限を設けますと,送還をかたくなに忌避し,収容期間の上限を経過した者全員の収容を解かざるを得なくなるということになります。また,収容を解かれることを期待しての送還忌避を誘発するおそれもあるということでありまして,適当ではないと考えたところでございます。
この上川発言は、無期限長期収容を送還(出国強要)の手段として自覚的・戦略的にもちいているのだということを公然と認めたという点で、従来の入管当局の立場をふみこえたものだと思う。それについては、以下の記事でも述べたが、そのふみこえた一歩の重大さについてあらためて指摘しておきたい。
入管が収容を出国強要の手段として利用してきたということは、収容経験のある人たちやその支援者らのなかでは、以前から周知の事実だった。この入管のやり方は、収容(=監禁)によって身体的・精神的な苦しみや恐怖をあたえ、身体・精神を現実に破壊もし、そのことで相手の意思を変更させようとせまるものであって、まさしく拷問と呼ぶにふさわしいものだ。
しかし、上の記事でも述べたとおり、入管の建前のうえでは、収容が長期化するとすれば、それは入管が意図した結果ではなく、また、回避すべき問題なのだということになっていた。3月の上川発言および「入管法改正案Q&A」は、この建前を脱ぎ捨てようとするものだと言える。つまり、収容期間に上限をもうけないのは、「収容を解かれることを期待して退去を拒み続けることを誘発」しないためなのだということを率直にみとめているのである。収容長期化が帰国を強要するために入管自身によって意図的に作り出された状態なのだということをもはや隠していない。
こうした入管の姿勢の変化は、どう解釈すべきだろうか? 近年、入管の収容・送還をめぐる問題が批判的に報じられる機会は格段に増えてきた。そのために、事実上の拷問をもちいた送還方法をとってきた(いる)ということをもはや隠しきれなくなったのだと、そう解釈するべきだろうか。隠しきれないから開き直っているのだと。
それとも、世論対策上それを隠す必要がないという状況判断が、入管の姿勢の変化の背景にあるのだろうか。あけすけにありのままをみせても、世論は入管当局の味方についてくれるだろう、と。
いずれにしても、無期限長期収容とは、「送還をかたくなに忌避」する者をいじめ痛めつけ、帰国をうながすために意図的に採用している送還の手段なのだということを、入管は隠すのをやめつつあるようにみえる。もちろん、拷問としか言いあらわしようのない送還手法が、外部の人目につきにくいようにこっそりおこなわれていようが、あるいは反対に公然とおこなわれようが、その悪事としての重大さにかわりはない。しかし、無期限長期収容は帰国強要の手段であると入管が公然と認めつつある以上、そのようなことを容認してよいのか、私たちは今までよりいっそう問われることになるのではないか。
悪事が隠され多くの人に知られていないためにみすごされている状況も救いがないが、悪事が隠されておらず公然とおこなわれているにもかかわらずそれが深刻な問題とみなされずに許容されているような状況は、それ以上に救いがない。後者は、悪事をおさえるための規範自体が死滅しつつあるということだからだ。
日本国憲法は第36条で「公務員による拷問及び残虐な刑罰は、絶対にこれを禁ずる。」とさだめている。自民党はこの「絶対にこれを禁ずる」という規定から「絶対に」を削除し、たんに「禁止する」とする憲法改正草案を発表している。
さきの上川大臣の発言や「入管法改正案Q&A」は、拷問を禁止する規範を骨ぬきにして死滅させようとする自民党改憲案とも同じ方向をむいたものと考えるべきだと思う。
上川発言などにみられる入管当局の姿勢の変化は、公務員による拷問を禁止する規範がもはや自明ではなくなりつつあること、拷問はゆるされないのだということをあえて言葉にして主張していかなければならない社会状況が生じつつあることを示しているようにも思える。だとするならば、私たちはそれをくり返し言葉にし、何度でも主張していくまでである。
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