2024年6月8日

6/10の改悪入管法施行にむけて 反対運動の私的記録


 6月10日に昨年可決成立した改悪入管法が全面施行されます。

 難民申請中は強制送還が停止されるという規定に例外がもうけられる、また監理措置制度の創設など、非常に問題ぶくみの法改悪です。

 昨年の6月9日にこの改悪法が強行採決によって可決されるまで、反対運動の大きな盛り上がりがありました。改悪法の可決はゆるしたものの、国会やマスメディアもまきこんで、強力な反対運動が展開されたことは、多様な視点から記録されることが重要なのではないか。そうした記録が、改悪法施行後に強まることが危惧される人権侵害に今後対抗していくうえで、参照される価値がでてくるのではないだろうか。

 そんなことを思い、1年ほどまえに、私なりに入管法改悪反対運動をふりかえって書いた文章をこのブログに再録することにしました。

 昨今では、SNSに社会運動の膨大な量の記録がなされているでしょうが、それらはあとから参照されるのに不向きだと思われるし、おそらくそう長くない期間で消えてしまうのではないでしょうか。

 以下は、『人民新聞』(2023年7月5日号)に掲載した文章の元原稿です。掲載されたものは、校閲等をへて元原稿と少し変わっているところがあるかもしれないし、編集部がつけた写真や見出し等もあるのですが、ここにはオリジナルの原稿のままのせます。



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  6月9日、参議院本会議で入管法改悪案が可決・成立した。議席数で圧倒的にまさる与党(自公)および一部野党(維国)が賛成しての可決であった。

 しかし、街頭など国会外での反対運動は入管問題では近年例がないほどの盛り上がりをみせた。また、これに呼応するように国会審議でも、特に参院へ法案が送られて以降、野党の法務委員(立民・共産・社民)が奮闘し、議論の内容では政府側を圧倒していた。

 この間の国会審議、メディア報道、弁護士や支援者の活動、SNSや街頭等での議論を通じて、今回の法案の問題点はもとより、ウソと隠蔽とゼノフォビアにまみれた入管の組織体質、でたらめな難民審査のありようなどが次々と暴露され、多くの人の知るところとなった。難民申請者や非正規滞在の外国人の人権状況をますます悪化させる改悪法案は通してしまったが、今後の闘いにいきる糧を多く得られたのも事実である。本稿では、今回の入管法改悪反対の運動を振り返るととともに、今後の闘いへの展望を私なりに述べたい。

 もっとも、私が観測できたのは大きく広がった運動のごく一部にすぎない。私自身は「入管の民族差別・人権侵害と闘う全国市民連合」(以下「市民連合」)の事務局に属する位置から、この改悪阻止の運動にコミットした。組織に属して動いてきた身からすると、今回の入管法改悪反対の運動は、予測・観測しうる範囲を大きく超えて拡大していた。SNS等をつうじたスタンディング・アクションなどの全国各所へ瞬く間に広がっていくさまは、(組織化されていないという意味で)自然発生的なもののようにもみえた。


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 さて、今回の入管法改悪の問題点は様々にあるが、ここでは最大の問題として危惧されている一点だけ述べる。入管法では、難民条約で規定されたノン・ルフールマン原則(迫害の危険のある国への送還を禁止する原則)にもとづき、難民申請者の送還は停止されることになっている。今回の改悪はこの送還停止効に例外をもうけ、3回目以降の難民申請者などを送還可能にするものである。

 この点をはじめ、今回の改悪は入管が送還をより強力に進めるための内容がいくつも含まれている。そして、この改悪法案は、2年前の2021年の5月に反対運動の盛り上がりに直面して廃案となった法案とほぼ同内容のものであった。

 しかし、私たちはこの改悪法案がいずれ再提出されてくるだろうことは、21年にそれがいったん廃案となった時点で予期していた。そして21年3月6日に名古屋入管に収容されていたウィシュマ・サンダマリさんが医療放置により見殺しにされた事件が、日本社会から忘れ去られ風化してはならない。そこで、入管問題等に取り組む団体や個人が集い「ウィシュマさん死亡事件の真相究明を求める学生・市民の会」を結成。同年7月から、ウィシュマさんが亡くなるまでの状況を記録した監視カメラ映像の開示や事件の再発防止を求める署名運動を開始し、同趣旨での集会や全国一斉での街頭行動などにも取り組んだ。

 同年12月には、この「学生・市民の会」を前身に、全国の団体・個人に呼びかけて前述の市民連合を結成した。市民連合は、ウィシュマさん事件の真相究明に引き続き取り組むと同時に、きたるべき入管法改悪案の阻止も運動の大きな柱とした。全国的な街頭行動の呼びかけや主催、ハッシュタグデモなどSNSの活用、オンラインも含めた集会・学習会の開催、入管問題を解説したパンフレットの作成・配布、署名運動等に取り組んできた。

 結果的には、2022年の通常国会と臨時国会とにおいて、政府の改悪法案提出は2度にわたり見送られることになった。とりわけ重要だったのは、「ウィシュマさん事件真相解明のための9・4全国アクション」である。全国10か所で各地の団体がデモやスタンディング等を主催し、総計500名が参加し、同時にツイッターでのハッシュタグデモも行なった。直後の9月7日、マスコミ各社は政府が法案再提出を見送ったと一斉に報じた。

 このように21年5月の廃案後も、市民連合は同様の法案の再提出を警戒して運動の継続・持続を図ってきた。それは2度にわたり国会での法案提出が阻止されたこと、またウィシュマさん事件への市民の関心が風化せず持続したことに、少なからず寄与したのではないか。また今年に入っての法案再提出後の、自然発生的にもみえた反対運動の盛り上がりも、この間の各所での地道で持続的な取り組みを養分として成長したということも、いくぶんかは言えよう。


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 今年に入ると、政府の改悪法案提出の動きが顕在化し、これに反対する運動も本格化した。いまだ法案が提出されてない2月中旬から東京と大阪で毎週定例の街頭行動が開始し、3月7日の法案提出、4月13日の衆院での審議入りをへて、これらの行動の参加人数は増していき、大都市以外でも各所にスタンディング等の行動を始める人たちが現れた。

 それらの担い手も多様化し、難民等の支援者・支援団体のみならず、弁護士の有志たち、ふだんは労働運動など他分野に取り組んでいる個人や団体、さらにSNSや報道を通して関心をもった市民などが次々と街頭での行動を始めた。児玉晃一弁護士がツイッター等での予告・報告を集計したところによると、勇気を出して一人で地元の街頭に立ったというものも含め、全国147か所で改悪反対のスタンディングが行われた(6月22日時点)。

 国会で改悪法案は可決成立したわけだが、その結果だけではなく、こうした運動の盛り上がりが国会審議にどう影響したのかをみることが、今後の闘いの展望を描く上で大切だ。

 2点指摘したい。1つは、議会の外での市民の闘いが、密室での談合で政府側に妥協しようとした一部野党議員をけん制し、野党を市民との共闘に引き戻したことである。

 衆議院では、自公維国のみならず立憲までもが加わって法案の修正協議がもたれた。与党の提示した「修正」案とは、3回目以降の難民申請者の送還を可能にする等の条項はそのままで、難民審査を行う第三者機関の設置を「検討する」との「付則」を加えるといったものだった。難民を死地に追い返す規定は残したまま。第三者機関についても期限を切って設置を義務づけるものではない。「検討する」との空文句が、本文でなく「付則」に書かれるにすぎない。

 このため市民や弁護士・支援団体から大きな批判や憂慮の声があがり、立憲は修正協議を離脱し、法案の廃案を目指す市民との共闘にかろうじて踏みとどまった。

 第2に、こうして街頭やSNS等にあらわれた改悪法案への怒りの声を行動に背中をおされるかたちで、法案の衆院通過後は、参院の立憲・共産・社民の法務委員たちが、政府案に対する徹底的な追及に奮闘したことである。

 その過程で、難民認定の二次審査をになう難民審査参与員の制度が完全に形骸化している実態が明らかになってきた。日本の難民認定率が低いのは「分母である申請者の中に難民がほとんどいない」からだと公言する参与員柳瀬房子氏が年間数千件をこえる案件を担当する一方、難民として認定すべきとの意見を積極的に述べた参与員には翌年から担当する案件が減らされる。つまり、入管による一次審査の不認定処分を追認する傾向の高い参与員に大量の案件がまわされ、しかも1件あたりの処理時間が10分にも満たないという杜撰な審査の実態が明らかになったのだ。

 くり返しの難民申請者は送還してもよいのだと法律を変えるなら、難民として保護すべき人を確実に保護できていることが大前提になるはずだ。ところが、この大前提が崩壊したのである。

 同様に、ウィシュマさん事件の再発を防止すべく常勤医確保など医療体制の強化を実現したということも、今回の法改定の前提として法務大臣答弁において確認されてきたことである。しかし、大阪入管で常勤医師が酒に酔って診療をおこなって診療室勤務から外されていたこと、また法務大臣が2月にはその報告を受けていたにもかかわらず、これを隠蔽して国会審議にのぞんでいたことが明らかになった。この点でも法改定の前提は崩れた。

 こうして法律の前提が崩れ去ったなかで強行採決により成立したのが、今回の改悪入管法である。その過程で、難民認定手続きのイカサマぶり、収容や送還における入管の無法者ぶり、入管組織のウソと隠蔽にまみれた体質があらわになった。今後とも国会などで継続して追及しなければならない課題が山積みになったのだ。

 そして、入管法改悪反対の運動を通して、入管の人権侵害に怒り、さらにそれを行動に移す市民のすそ野は格段に広がった。そうした広範な市民、難民等の支援者、様々な分野の専門家、弁護士、さらには議員の間での協働・連帯の関係性も飛躍的に深まった。

 改悪された入管法の施行まで1年。これを施行させずに廃止に追い込むこと。また、帰国できない事情をかかえる人びとを送還から守ること。そのために有効なのは、在留特別許可や難民認定によって一人でも多く私たちの隣人が在留資格を獲得できるよう、ともに手を取り合い連携して闘うことである。そのための可能性と力を私たちは今回の苦い敗北を通して得たのではないか。落胆している暇はない。