2022年12月31日

【訂正あり】入管が医療放置で寝たきり状態にした人に対し、国保加入不可の在留資格を出したという話

【訂正】

 児玉晃一弁護士より、この件は入管の責任ではなく、国保の加入資格について市区町村が解釈を誤っているのだと思いますとの指摘をいただきました。

 児玉弁護士が関与しただけでも、自治体が誤りを認めて加入できた事例が3例あるとのことです。


途中から医療活動ビザに切り替え、国民健康保険受給資格を否定された方、処分撤回されました。 | 代々木上原の弁護士 マイルストーン総合法律事務所のブログ(2016-04-05 12:53:06)

入国後に医療活動ビザに切り替えた方、またも国民健康保険拒否→一転、認められました。 | 代々木上原の弁護士 マイルストーン総合法律事務所のブログ(2016-12-28 17:27:22)

3例目:入国後しばらくして医療活動ビザに切り替え、国民健康保険受給資格を否定された方、意見書作成したら加入が認められました。|koichi_kodama|note(2020年12月21日 14:51)


 以下、リンクした1つめの記事から引用します。


私の方で調べたところ、国民健康保険法施行規則では、医療目的で上陸した方については確かに受給資格が認められませんが、条文を素直に読めば、あくまで上陸当初からに限定され、途中から変更した場合には当てはまらないと考えられました。

そこで、以下の意見書を作成し、役所に持って行ってもらったところ、その成果かどうかはわかりませんが、役所側も再考し、処分が撤回されたとの連絡を頂きました。


 引用元の記事では児玉弁護士の提出した意見書も掲載されています。

 下記のAさんも、上陸当初から医療目的の特定活動の在留資格であったわけではなく、在留特別許可でこれを所得したわけなので、やはり国民健康保険の受給資格は認められるべきということなのだと思われます。


 したがって、以下の私の記事において、Aさんが国保に加入できていないことを入管の責任として述べている点は誤りです。おわびして訂正いたします。

 また、記事の誤りをご指摘・ご教示いただいた児玉弁護士にお礼を申し上げます。

(2022年12月31日, 22:58)


-------------------------------

  人間の命と人生をもてあそぶにもほどがある。ぜひぜひ以下の記事を読んでほしい。


人間の尊厳は? 入管施設で「大腿骨壊死」のネパール人、在留特別許可出るも「寝たきり」のまま支援者に放り投げ - 弁護士ドットコム(2022年12月27日 16時52分)


 「虐待」という言葉すら軽々しく感じてしまうほどの大村入管センターのすさまじい医療ネグレクト。それ自体も言葉をうしなうひどさなのだけど、もうひとつおどろくのが、以下の入管庁の対応である。


 12月22日、Aさんに在留特別許可が下りた。入管庁が出したのは、支援者が期待していた定住者ビザではなく、医療特活だった。介護施設から大村入管に移送されたAさんは、在留カードを得たのち、福岡県内の病院へと向かったが、このとき思わぬことが判明した。

 「支援者がAさんの国民健康保険(国保)を申請するため、すぐに自治体に行きましたが、担当者から『国保は出せません』と言われました。在留資格が出たとはいえ、国保が下りなければ、医療費が全額かかる仮放免と変わりません。

 これまで入管庁の担当者とは、十数回、電話で話し合う機会があり、信頼を寄せていた部分もありましたが、ふたを開けると、この医療特活では国保も取れないことがわかったのです。完全に騙された、という思いです。3割どころか、10割の負担をどうすればいいのか。体が震えます」

[カギカッコ内は支援者の柚之原寛史牧師の言葉]


 法務大臣による在留特別許可が出たものの、入管が出した在留資格の種別では、Aさんは国民健康保険にも入れず、生活保護も受けられない。Aさんの治療には高額な医療費がかかるが、全額自己負担でまかなうしかなくなってしまう。柚之原さんは「騙された」と語っているが、この入管庁の措置にはやはり悪意を感じずにはいられない。

 よく言われるように、退去強制処分や在留資格の付与について、入管庁はきわめて広い裁量権を行使している(してきた)。いったん退去強制処分をだした人に対して、これを取り消して在留資格を与えること、あるいはその場合に在留資格の種別をどれにするのかについて、いわば「なんとでもできる」のが入管だ。

 だから、Aさんに対して、国民健康保険にスムーズに加入できる「定住者」等の在留資格を付与することだって、入管はできる。しかし、そうしなかった。入管庁は、国民健康保険や生活保護から排除される種別の在留資格を「あえて」「わざわざ」「選んで」付与したということなのだ。

 現状は寝たきりで今後自力での歩行や排尿の機能を回復できるかどうかというAさんに対して、入管はその治療の助けとなる種別の在留資格を付与することもできた。ところが、入管庁が選んだのは、治療を受ける見込みを事実上たてようがないような在留資格をあえて与えるという仕打ちだったのである。Aさんをそのような状況にしたのは入管による医療ネグレクトであるにもかかわらず。

 人間のやることとは思えない。そう言いたくなるところだが、入管庁の役人たちも自由な意思をもつ人間だからこそこうした残酷非道なことができるのだと言うべきだろう。



 ところで、入管がAさんに付与した「医療限定の特定活動」という在留資格だが、「これでなければならなかった」というような制度上の必然性はなかったはずだ。というか、この「特定活動(医療滞在)」という在留資格は、そもそもその制度的な趣旨から考えて、Aさんに対して適用するのはそぐわない。

 「特定活動(医療滞在)」の在留資格の対象として、入管庁がどのような人を想定しているのか。入管庁の以下のページをみてみれば、想像がつくと思う。


在留資格「特定活動」(医療滞在及びその同伴者) | 出入国在留管理庁


 このページでは、「特定活動(医療滞在)」の在留資格を申請するさいにどのような資料が必要なのか、案内されている。下に画像でも示したが、5や6と番号がふられているところをみてほしい。入院先の病院がすでに決まっていることが前提で、その入院・治療の費用を支弁できるということの証明が求められている。



 つまりどういうことかというと、この「特定活動(医療滞在)」というのは、いわゆる医療ツーリズムで日本に来る人を想定した在留資格なのだ。先進医療を受けに来日する人で、その費用は自身で支弁できなければならないというわけだから、相当に裕福な人が対象とされているのだということ。

 そうした人たちの医療費を健康保険でまかなうとなると、それは保険制度へのフリーライド(ただ乗り)になってしまう。ということでこの在留資格では国民健康保険への加入が認められないということのようである。

 しかし、Aさんは当然ながら医療ツーリズム目的で日本に来たのではない。じゃあ、なんで「特定活動(医療滞在)」なのか。そこに「これでなければならない」必然性などあるはずはない。

 入管がこの在留資格を選んだのは、「ほかにやりようがなくて」「そうせざるをえなかった」ということではない。Aさんに対して、国民健康保険に入れず生活保護も受けられない「特定活動(医療滞在)」という在留資格を「あえて」「わざわざ」「選んで」付与したのだと言うしかないのだ。

 この決定にかかわった入管の役人たちは、Aさんが必要な治療を受けようとするうえで、有利になる処分(「定住者」等の在留資格の付与)と、それがきわめて困難になる処分(「特定活動(医療滞在)」の付与)と、どちらかを選択する権力をもっていた。で、結果的にこの人たちは後者を選択した。この人たちは、Aさんの治療を助けるほうにも使えたはずの権限を、反対にAさんを必要な医療からはじき出すほうに使ったのである。入管の役人たちが主観的にどう思っているかは知らないが、客観的にみればそういうことだ。あなたたちは自由だったのであって、Aさんに対してあなたたちが自由におこなった仕打ちは、かならずあなたたち自身に返ってくるだろう。



 さて、「特定活動(医療滞在)」という在留資格は、先にみたように医療ツーリズムで来日する人を想定したものであって、入院して治療するのに必要な期間にかぎって日本での在留を認めますよという性質のものだ。入管がAさんにこの在留資格を選んだのは、「定住や、治療の必要をこえての日本での在留は認めない」ようするに「用がすんだらさっさと帰国しろ」という意思を示したものとも想像する。

 こうした発想は入管行政をつらぬいているものであって、そしてそれを支えているのは日本社会の世論の大きな部分をたしかに占めている排外主義的・民族差別的な主張・思考にほかならない。

 日本社会の住人、とりわけそのなかで特権的な立場にある有権者もまた、Aさんに対する責任を問われているのだということは、確認しておきたい。「自己負担で治療するというならその間の在留は認めてやる」「だが用がすんだらさっさと帰国しろ」といわんばかりの入管のAさんに対する仕打ちを容認するのか、ということである。


2022年12月25日

安城市職員の外国人差別事件と「帰国支援事業」


 安城市職員の対応がとんでもなくひどい。


「国に帰ればいい」 日系ブラジル人の生活保護拒否、誤情報伝える | 毎日新聞(2022/12/23 07:30(最終更新 12/23 18:40))

 愛知県安城市役所の職員が、生活保護を申請しようとした日系ブラジル人の女性(41)に、「外国人に生活保護費は出ない」と虚偽の説明をしていたことが、関係者への取材で判明した。職員は「国に帰ればいい」と暴言も浴びせたという。支援者らの働きかけで受給が決まったが、女性は「ほかの外国人も同じような目に遭っていないか心配だ」と話している。


 国籍がどうであれ、安城市に住んでいるならば安城市の住民である。市役所の役人が、住民に対して外国人であることを理由に生活保護の申請を拒否ないし妨害するのは、あきらかに越権行為だ。というか、普通に違法行為だよね。

 法にもとづいて仕事をすべき市の職員が、法ではなくてめえの勝手な差別主義にもとづいて、住民の生活保護申請を拒否するという行為をおこなったのだから、当然、この職員は厳しく処分される(された)のだろうな。

 と思ったら、「安城市は取材に『個人情報に関わることであり、何も答えられない』と話している」だって……。えー!。職員の対応のひどさも驚くが、この記事を読んで驚くべき一番のポイントは、市のこの取材への対応じゃないだろうか。職員への処分はともかくとしても、自分とこの職員がしでかした明白な差別事件に対してコメントしないというのは、びっくりである。



 さて、このニュースを読んで、私は十数年前に自分がある日系ブラジル人2世のかたから教わったことを思い出した。

 当時、わたしは入管に収容されている人に面会する活動をはじめたばかりのころで、そのかた(「Sさん」とここでは呼ぶことにします)と出会ったのも入管施設の面会室だった。Sさんは私にとって尊敬する人のひとりであって、たぶんこの人と出会ってなかったらこの活動を続けてなかったかもしれないと思うこともある。

 Sさんとは入管の面会室のアクリル板をはさんでいろいろな話をしたが、あるときこういうことを言われた。「永井さんや日本人は知らないでしょうけれど、日本政府はかつて日系人に対して帰国支援事業というのをやったんです。日系人にとっては屈辱的なことで、ブラジルの大統領も日本に抗議したほどです」。

 文言は正確に再現できていないだろうが、「日本人は知らないでしょうが」ということをSさんから言われたことは、強く印象に残っている。わたしは「帰国支援事業」について聞いたことすらなく、まったくなにも知らなかった。



 リーマンショック(2008年9月)後、日本でもたくさんの労働者が職を失ったが、日系人など外国人労働者への影響は日本人労働者へのそれ以上に甚大なものだっただろうことは想像に難くない。

 翌2009年の4月から政府は「日系人離職者に対する帰国支援事業」なるものを実施する。厚労省のウェブサイトで公表されている報道発表資料から引用する。


厚生労働省:日系人離職者に対する帰国支援事業の実施について(2009年3月31日)

 現下の社会・経済情勢の下、派遣・請負等の不安定な雇用形態にある日系人労働者については、日本語能力の不足や我が国の雇用慣行に不案内であることに加え、我が国における職務経験も十分ではないことから、一旦離職した場合には再就職が極めて厳しい状況におかれることとなります。

 こうした中、母国に帰国の上で再就職を行うということも現実的な選択肢となりつつある状況です。

 このような状況を踏まえ、与党新雇用対策に関するプロジェクトチームにおいても帰国を希望する日系人に対する帰国支援について提言されているところであり、厚生労働省としても、切実な帰国ニーズにこたえるため、帰国を決意した離職者に対し、一定の条件の下、帰国支援金を支給する事業を平成21年度より実施することとしたものです。(別添参照)


 失業した日系人労働者に対し、「帰国するならいくらか金を出すよ」という事業だ。「別添」(PDF)をみると、この事業のえげつなさはより伝わってくる。

 この事業の実施主体はハローワークである。支給額は「本人1人当たり30万円、扶養家族については1人当たり20万円」。

 あたりまえだがハローワークは仕事を紹介するところだ。で、ハロワークに来る人というのは、これも当然ながら仕事を探しに来るのである。仕事を探しに来たら、仕事を紹介してくれる機関の職員から、「仕事をあきらめて帰国するならお金出しますよ」というようなことを言われるわけだ。支援金の金額は、およそブラジルなど南米までの片道の航空券代といったところか。

 さらにクセモノなのが、上の引用部分にもあるように、支援金は「一定の条件の下」支給するとしているところである。「別添」によると、帰国支援金の「対象」はつぎのように規定されている(太字協調は引用者)。


 事業開始以前(平成21年3月31日以前)に入国して就労し離職した日系人であって、我が国での再就職を断念し、母国に帰国して同様の身分に基づく在留資格による再度の入国を行わないこととした者及びその家族


 これは何を言っているかというと、“支援金を受け取って帰国したらもう日本に働きに戻ってくることはゆるさんぞ” ということである。

 日本に来る日系人は、2世は「日本人の配偶者等」、3世は「定住者」という種類の在留資格を与えられる。どちらも就労可能な在留資格で、かつその就労の内容に制限がない。つまり、支援金の「対象」を「母国に帰国して同様の身分に基づく在留資格による再度の入国を行わないこととした者及びその家族」とするというのは、支援金を受け取ったら今後日本に戻ってこれまでのように就労することはゆるさない、と言っていることなのだ。

 そもそも、どうして日系人の2世3世たちが日本に働きに来るようになったかといえば、工場などの人手不足をおぎなうために日本が呼び込んだからでもある。「定住者」という在留資格もそのために90年代の入管法改定で新設されたのだと考えてよい(そのあたりの経緯はこちらで触れております)。

 人手が足りないときは法律をいじくってまで人を呼び込んでおきながら、景気がわるくなって失業・困窮すれば、「飛行機代出すから帰ってくれ。金を受け取ったらもうもどってくるな」と。日本政府が日系人にやったのはそういうことだ。しかも、「帰国支援事業」が実施された2009年は、日系人労働者を呼び込みはじめた1990年から20年近くもたっているときである。当時すでに日本の社会に定住していると言ってよい人もたくさんいたはずだ。にもかかわらず、「困窮したなら帰国したらいいんじゃない?」とやったわけだ、日本は。それも国策として。なんという仕打ちだろうか。これが人間に対するまともなあつかいと言えるだろうか。モノを「使い捨て」るような仕打ちである。

 「国に帰ればいい」と暴言をはいて違法にも生活保護の申請を妨害・拒否した安城市の役人の思考は、外国人をあからさまに使い捨ての労働力としてあつかってきた日本の国策から逸脱しているとは、残念ながら言えないのではないか。ほんとうにクソすぎる、恥ずべき現実であるが。

 法的にも社会的なコンセンサスとしても、国籍にかかわらず住民が平等でありひとしく権利を保障されるように社会をつくりなおしていくということが必要なのだと思う。


2022年12月18日

【番組の感想】クローズアップ現代「“入管”でなにが “ブラックボックス”の実態」(NHK、12月7日 19:30~放送)

 NHKのクローズアップ現代「“入管”でなにが “ブラックボックス”の実態」(12月7日 19:30~放送)、録画していたのをようやく視聴した。全体的にとてもよい番組だった。

「入管」でなにが “ブラックボックス”の実態 - NHK クローズアップ現代 全記録

 感想として3点ほど書きとめておきたい。


1.

 番組の最初で、名古屋入管に収容されていたウィシュマさんが亡くなるまでの過程が、監視カメラの映像をみた弁護士の証言などをもとに再現されていた。ウィシュマさんの命が入管職員らのいちじるしい人命軽視のすえにうばわれたということ、それは「過失」などというなまやさしいものではなく、見殺しと言うべきものだったのだということが、よくわかる放送だった。

 名古屋入管は食事をとれなくなって飢餓状態にあったウィシュマさんに、点滴治療を受けさせることなく放置した。救急車を呼んでしかるべき状況でそれをおこたった。やろうと思えば簡単にできることを「しなかった」ということだ。医療体制の不備やらなにやらのせいで「できなかった」ということとはちがう。収容している人の命や人権を軽んじていたから、死なせないためにすべきこと・できることを「しなかった」のだ。それが視聴者によく伝わるような番組づくりになっていると思った。

 さて、番組には、入管の収容施設での処遇を監視する「視察委員会」の元委員長で、ウィシュマさん事件を受けて法務大臣が設置した有識者会議(出入国在留管理官署の収容施設における医療体制の強化に関する有識者会議)のメンバーだった人も出演していた。それで、この有識者会議が提言した改善策が紹介されていたのだけど、番組で再現されていたウィシュマさんが亡くなる過程と照らし合わせてみると、その「改善策」とやらのマヌケぶりがよくわかった。

 有識者の提言した「改善策」というのは、たとえば「常勤医の確保」だとか「外部の医療機関との連携強化」といったものだ。でも、名古屋入管が点滴治療の必要な人にそれをせずにほったらかしにしたのは、「常勤医」がいなかったからでも、「外部の医療機関との連携」が不十分だったからでもない。救急車を呼ばなかったということについてもそうだ。当時の医療体制でも十分にできたはずのことを名古屋入管は「しなかった」のであって、それは人命を軽くあつかうような収容のしかたをしていたからにほかならない。

 もちろん、入管施設の医療体制を強化していくことそれ自体は、大事な課題ではあろう。でも、ウィシュマさんは入管職員らのいくつもの不作為の積み重ねによって見殺しにされたのであって、その事件を受けて有識者会議とやらが提言する「改善策」が、「常勤医の確保」や「外部の医療機関との連携強化」などだというのは、まとはずれにもほどがある。

 再発防止ということでまずなにより重要なのは、被収容者の生命・健康を守る責任をはたさず死なせた名古屋入管の幹部や職員らの刑事もふくめた責任をきちんと問うことであろう。ところが、警察・検察はいっこうに事件の捜査に着手しようとしなかったため、事件から8か月たった昨年11月、業を煮やした遺族が刑事告訴しなければならなかったのだ。これに対し、名古屋地検は今年6月「嫌疑なし」で不起訴とした。遺族は、当然これを不服として、検察審査会に申し立てをおこなっている。

 検察審査会に対し「起訴相当」との判断を求める署名活動もおこなわれているので、可能なかたはご協力ください。人間を施設に収容して自由をうばっている以上、入管には収容した人の生命・健康をまもる責任がある。それをおこたれば、施設の幹部や職員らはその責任を問われ、場合によっては刑事罰を科されることもあるのだという、ごくごく当たり前のことが通用しないのが、入管施設をめぐる現状なのだ。新たな犠牲者を今後もう出さないために、ウィシュマさんを見殺しにした者たちの刑事責任を問わなければならない。

キャンペーン ・ #JUSTICEFORWISHMA ウィシュマさんのご遺族による、検察審査会への審査申立を応援して下さい! ・ Change.org



2.

 番組では、かつて入管の幹部までつとめあげたという人が匿名を条件にカメラの前で証言する映像が放送された。なかなか興味深い内容だった。

 まず、この元入管職員の人は、入管が収容という措置を帰国強要の手段としてもちいていることを率直に語っている。


そういう場所に入れといて説得して観念させてそれで確実に帰すんです。そういうための施設なんです。


 収容された人に「こんなところにはいたくない」と思わせ、帰国へと追い込むための施設なのだということを、こうもあっけらかんと認めるのには、ちょっとおどろいた。自分たちがひどいことやってるという意識はあまりないのでしょうかね。

 もうひとつ興味深かったのは、つぎのくだり。


(在留を)認められない者についてはどういう扱いをすべきかみたいな、何かの道筋を見いだしていかなければ、長期収容がどんどんどんどんたまっていってしまう。

社会問題化しているような部分というのも放置するわけには本当にいきませんからね。入管なにやってるんですかって言われて終わりですよね。

そこは何か知恵を出し合って解決する方法をつくる時期にきているのではないかと思いますね。


 発言主の元入管幹部氏がどういう職務をになってきた人なのかわからないが、たとえば、収容や送還の現場をよく知っている職員が本音ではこのように考えているのは、まあありそうなことだなと思う。

 入管の立場からすれば、退去強制処分がすでに出ている人については、退去させる(送還する)のが役割である、と。しかし、そこに無理が生じていて、「長期収容がどんどんどんどんたまっていってしまう」のが現状である。入管職員として課せられている役割を忠実に果たそうとしても、それは現実的に不可能だし、人権侵害だとバッシングされるばかり。あくまでも退去させるのだというところに固執しているかぎり、袋小路から脱することはできない。「(在留を)認められない者について」送還一本やりではない「何かの道筋」「何か知恵を出し合って解決する方法」を考えないことには、もうどうにもならん、と。

 退去強制処分がすでに出ているからといって、何がなんでもこれを送還する以外にないのだとかたくなになるのではなく、べつの「道筋」「解決する方法」を模索すべきだという点には、私も同意する。というか、大賛成。

 しかし、番組によると、この元入管幹部氏は、「長期収容の問題を解決するには入管だけでは難しい」ということを言っているのだそう。ここは元幹部氏の肉声ではなく番組のナレーションで示されているところなので、本当にこのとおりに発言したのかどうかはわからないけれど、ちょっとこの言い方は無責任すぎませんか、と思った。

 そもそも長期収容問題がどうして生じたのかということを問わないわけにはいかない。長期収容は入管の政策や制度運用が作り出した問題なのだと言うほかない。ひとつには、難民として認定して在留を認めるべき人にそうしてこなかったこと。もうひとつは、退去強制手続きをあまりに厳格におこなってきて、人道配慮としての在留特別許可を十分に活用してこなかったこと。ようするに、迫害等の危険があったり、日本に家族がいたり国籍国に生活の基盤がもはやなかったりといった「帰国」しようにもそうできない人の在留を認めずに退去強制処分を濫発してきたということ。そうした帰るに帰れない人たちは2015年時点で3000人以上にふくらんだが、当時これをくりかえしの収容・長期間の収容によって徹底して帰国に追い込もうという強硬方針に舵をきったのは、ほかならぬ入管自身である。

 そのあたりの経緯は、手前みそにはなりますけれど、以下のパンフレットを仲間といっしょに作り、そこでくわしく書いています。関心のあるかたはダウンロードしてのぞいてみてください。

なぜ入管で人が死ぬのか | 入管闘争市民連合

 とにかく、長期収容というのはほかならぬ入管が「送還忌避者」(と入管が規定する人びと)を減らすためにとった手段にほかならない(「そういう場所に入れといて説得して観念させてそれで確実に帰すんです」!)。その意味で入管自身が長期収容問題の原因である。

 もちろん、そうした政策・制度運用をとることも、またそれをやめて別の「道筋」「解決する方法」を選ぶことも、入管という組織の内部だけで決められるものでないのだろう。その意味で、「長期収容の問題を解決するには入管だけでは難しい」というのはその通り。たとえば世論の動向も重要だろう。しかし、入管があるしかたで権力・権限を行使してきたことが長期収容の問題を引き起こしてきたということ、また、その行使のしかたしだいで同じ問題を解決することも可能なのだということ(難民認定審査の適正化と在留特別許可基準の見直しによって、帰国できない理由のある人の在留を正規化していけば、長期収容などする必要はなくなる)は、見落とすわけにいかない。入管組織の人がその責任については何も言わずに「問題を解決するには入管だけでは難しい」とだけ言うのは、虫が良すぎではないですか、と思った。まずは入管がどのように制度を運用してきたのか、批判的にふりかえることに取り組むべきだ。



3.

 番組では、長期収容の生じる背景として2つのことをあげていた。

 ひとつは、収容の期限の定めがなく、また収容するに際して司法審査もないのだということ。これは現行の法制度がかかえる欠陥に関することである。

 もうひとつの背景として番組で示されていたのは、祖国に帰れない理由があるのだということだ。一方、入管は長期収容問題について、送還を拒否する者の存在がその原因なのだということをくりかえし主張してきた(この点も上記リンク先のパンフレットで具体的に説明している)。帰らない者の責任なのであって入管のせいではないという主張である。ところが、番組は、帰れない理由を具体的な事例にそくして示しながら、そうした理由をかかえる人の在留を認めずにあくまでも送還対象としてあつかおうとすることがはたして適切なのだろうかと、入管の制度運用のありかたに問いを投げ返すというものだった。どちらがていねいに、また誠実に議論をしようとしているのか、一目瞭然だと思った。