2022年2月3日

差別扇動家 石原慎太郎の死によせて


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 石原慎太郎が死んだそうだ。


 石原は、外国人、女性、障害者、同性愛者など、思いつくかぎりのありとあらゆるマイノリティに対して差別的な暴言・罵倒をくり返した人物である。しかし、石原はそれを理由に政治的に失脚することもなかったし、マスメディアで発言する機会をうしなうこともなかった。こうして石原を死ぬまでのうのうと生き延びさせてしまったのは、とても残念だし、深く恥ずべきことだ。


 石原慎太郎は、この社会の差別主義が人格として具現したような存在だと言ってもよいだろうと思う。だから、石原慎太郎という人間が一人くだばってこの世から消え去っても、なにも喜べるようなことではない。この人物のかずかずの暴言はエキセントリックにもみえるが、日本社会の質をたしかに反映したものであって、石原ひとりを切断したところでこの社会がいくらかでもまともになるということは、残念ながら、ないのである。


 石原が東京都知事選に初当選したのは1999年4月。以来、2012年10月に国政転出のために4期途中で辞任するまで、13年半にわたって都知事の地位にあった。


 石原は、知事就任1年後の2000年4月9日、陸上自衛隊・練馬駐屯地での式典で、いわゆる「三国人発言」をおこなう。


 今日の東京を見ますと、不法入国した三国人、外国人が非常に凶悪な犯罪をですね、繰り返している。東京の犯罪の性質は昔と異なってきている。もし大きな災害が起こったときには大きな大きな騒擾事件すらですね想定される。そういう状況であります。こういうものに対処するためには、なかなか警察の力をもっても限りとする。ならばですね、そういう時に皆さんに出動願って、災害救助ばかりでなく治安の維持も、ひとつ皆さんの大きな目的として遂行していただきたいということを期待しております。


 この発言は、「外国人」という特定の属性と「凶悪な犯罪」というものを結びつけて語っており、しかも東京都知事という地位と立場でなされた発言であるという点で、きわめて悪質な差別扇動というべきものである。


 さらに石原は「大きな災害が起こったときには大きな大きな騒擾事件すら」想定されるという言い方をしている。これは、聴衆に1923年の関東大震災を思い起こさせようとするものだ。この大震災においては、「朝鮮人が井戸に毒を入れている」「朝鮮人が暴動を起こしている」といった流言飛語が流れ、こういったデマをもとに日本人たちは自警団を組織して関東地方各地で朝鮮人らを虐殺してまわった。その虐殺につながったデマを、2000年の石原は、なぞり再現するように「三国人」「外国人」による災害時の「騒擾事件」の可能性に言及しているのだ。最低最悪の差別扇動であり、虐殺の教唆とすら言いうる内容である。武装した軍事組織にむかってこんな演説をぶつなど、絶対に許されるべきではなかったし、いまなお批判しなければならないと、あらためて思う。


 そして、いまふりかえってみると、この石原発言は、暴言・放言にとどまらなかった。このような差別扇動家を必要とし利用する者たちがいたのであり、この差別主義者は日本社会の異端どころか主流なのである。まあ、ベストセラー作家でもあり、なおかつ4回も東京都知事に選挙でえらばれるような人物が異端なわけがないのだけれど。


 このブログでも何度かふれているが*1、2000年代に入ってから、日本政府は、在留資格のない非正規滞在外国人の存在を一定程度黙認する方針から、これを「不法滞在者」として徹底的に排除していこうという方針へと転換した。とくに2004年から08年までは「不法滞在者の半減5か年計画」に位置づけられ、徹底的な摘発がおこなわれた。


 「5か年計画」が始まる前年の2003年10月に、法務省入国管理局、東京入国管理局、東京都、警視庁の四者が「首都東京における不法滞在外国人対策の強化に関する共同宣言」というものを出している。「不法滞在者」というものを「犯罪の温床」であると決めつけ、その対策が必要だとする内容である。摘発強化や退去強制などによって都内の「不法滞在者」を半減させるのだということもうたっている*2


 この四者宣言が、石原の「三国人」発言と同様の差別扇動文書であることは、あらためて指摘するまでもないであろう。「不法滞在」というのは、たんに在留資格がないというだけのことであって、そのような状態にある人をひとくくりにして「凶悪犯罪」と結びつけるのは、あきらかに差別・偏見をあおり助長する行為である。これを行政機関がおこなうのは、なおさら許されるべきでない。ところが、その許されるべきでないことを行政機関が公然と宣言しているわけで、差別扇動家・石原の暴言は、この時点でもはや「特殊なもの」「例外的なもの」ではなくなってしまっているのである。


 そして、このろくでもない四者宣言に、入管や警察組織とともに、東京都(石原都政下である)が参加しているということの異常さをあらためて確認しておきたい。住民のよりよい生活のために仕事をするはずの地方自治体が、なんで「ここに住んでいる」ことを犯罪化し、これを取り締まるのに加担するのか。ここに住んでいる人どうしが支えあうための機関が、どうして「ここに住んでいる」ということを理由にした「摘発」に協力するのか。それは地方自治体の意義・役割をみずから否定することではないのか。しかも、2012年に外国人登録制度が廃止されるまで、東京都など自治体は、非正規滞在外国人からも住民税を徴収してきたくせに、である。




 さて、上の画像は現在の東京都のウェブサイト*3を写メったものである。なんで地方自治体のサイトにこんなもんのせるのか。これが異常だということを感受する感覚をうしなわないようにしよう。石原慎太郎が知事をしりぞいてから10年近くたったいまも、東京都はこのありさまである。石原慎太郎は、その死後も、これからも、何度も何度も葬っていかなければならない。あんなくだらない人物を想起するのは不愉快きわまりないけれど、それだけ日本社会の現状はろくでもないということなのだから、しかたがない。




1: たとえば、以下の記事など。

日本社会の問題として考える――入管の人権侵害(その2)

2: 四者宣言については、以下のサイトで全文掲載のうえ批判的な検討がなされている。